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ボブ・ディランのノーベル賞受賞でちょっと考える [ロック音楽]

ボブ・ディランがノーベル賞を受賞した。多少、驚いたが詩人としての才能、彼が世の中に与えた影響力の大きさを改めて思い知らされた。さて、しかし、日本人はどの程度このボブ・ディランの歌から影響を受けたのであろうか。というのは、ロック音楽の歌詞というものは、メロディに乗っかることで、受け手は相乗効果的に感性を揺さぶられる効果があるのだが、これは歌詞が聞き取れなければ、その効果は半減というか、ほとんど無に等しくなってしまうからだ。これは、同じように歌詞がそのメロディの秀逸さとともに優れている椎名林檎の歌のよさを、なかなか外国人が理解できないことを考えれば納得できるであろう。すなわち、ボブ・ディランの詩の凄みというものは、右脳で理解してこそ、その偉大さが分かるのであるが、翻訳などを通じて左脳的に理解する日本人は、それを英語が母国語であるような人たちのようにアプリシエイトできないと私は思ったりするのである。そんな英語が聞き取れない人たちが、ボブ・ディランの真の価値を理解することが果たして可能なのだろうか。私は、ちょっと嫌われそうなことを書いているかな、との自覚はあるが、敢えて問題提起したいと思ったりする衝動を抑えられない。

もう一つボブ・ディランのノーベル賞受賞が示唆することは、ボブ・ディランが受賞できるのであれば、その裾野はロック界に大きく広がり、候補は相当、増えるということである。すぐに思いつくのは、ポール・サイモンである。私としては、ボブ・ディランなんかより、遙かに叙情性にあふれ、美しい歌詞を紡ぎ出してきたと思う。もちろん、パイオニアとしての位置づけは、ボブ・ディランに劣るかもしれないが、その歌詞、さらにメロディ・メーカーとしての天賦の才はボブ・ディランに勝るとも劣らない。
Hello darkness my old friend, I have come to see you again (Sounds of Silence)
という歌詞のインパクトの凄さ。“Still crazy after all these years” の歌世界の、どうしょうもないような人を愛することの切ない苦しみ。そのような音と言葉の世界をつくらせたら、ボブ・ディランよりもポール・サイモンの方が個人的には優れていると思う。
 さらに、Bruce Springsteenの歌詞と曲の、こう人の心を揺さぶらせるパワー。Born to Runは、どんなボブ・ディランの曲よりも、少なくとも私にとっては影響力を有していた。
 別にボブ・ディランのノーベル賞受賞に難癖をつけるつもりは毛頭もないが、彼の受賞は、そのような多くの人たちに可能性を広げたことを認識し、彼だけが、ロック界の重鎮の中で傑出した存在ではない、ということを認識しておいた方がいいと私は思うのである。生きていれば、John Lennon やBob Marleyもおそらく候補に挙がったであろう。そして、これは個人的な見解ではあるが、日本では椎名林檎もノーベル賞候補になると思われるのである。もう一人をあげるとしたら、中島みゆきか。

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リチャード・アシュクロフトのコンサートを観る [ロック音楽]

リチャード・アシュクロフトのコンサートをZepp東京で観る。もちろん、The Verve時代のBitter Sweet Symphonyを生で聞くというのが一番の理由である。しかし、実はそれ以外の曲も随分と楽しめ、流石の貫禄というか、リチャードのロックンローラーぶりに深く感銘を覚えた。驚いたのは、イメージではリチャード・アシュクロフトは神経質でクールな天才的キャラクターで、どちらかというと孤高のアーティストといったものだったのだが、コンサートではやたらくねくねと動きながら歌い、平気で自分のことを「リビング・レジェンド(生きた伝説)」と言うなど、どちらかというと軽いキャラのアンちゃんであったことだ。アンコール最後のBitter Sweet Symphonyのリフと言ってもよい、人類史に残るような素場らしい旋律を聴くにつれ、この名曲を本当にこいつが作ったのか、という錯覚さえ覚えたが、歌声はまさに私が何度も聞いたのと同じであった。それにしても、このようなアーティストを小さな箱で観られてしまう2016年という時代と東京という都市の凄まじさは、改めて過小評価されているような気がする。

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スーパートランプ『パリ』 [ロック音楽]

スーパートランプのライブ二枚組。1980年のパリでのライブを編集したものである。このライブ・ツアーは「ブレックファスト・イン・アメリカ」ツアーと冠したものであったが、収録されている16曲のうち、同アルバムからの収録曲は3曲のみで、3枚目の「クライム・オブ・ザ・センチュリー」のアルバム8曲中のうち7曲が収録されている。しかし、全体的な統一感、そしてライブの演奏レベルは極めて秀でており、素場らしいライブアルバムとなっている。その情緒性、エスプリの効いた歌詞、アンサンブルの素晴らしさなど、スーパートランプの謙虚でいてしっかりとした力量が理解できる傑作。

Paris

Paris

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: A&M
  • 発売日: 2002/07/30
  • メディア: CD



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スーパートランプ「クライム・オブ・センチュリー」 [ロック音楽]

1974年に発表されたスーパートランプの3枚目のアルバム。それまで全く鳴かず飛ばずだったスーパートランプがこのアルバムでブレークして全英4位の売上げを記録する。スーパートランプといえば、1979年発売の全米1位までいった「ブレックファスト・イン・アメリカ」が有名である。これは本国では全英3位までしか上らなかったが、日本のオリコンではなんと2位まで上がる。そういう意味では、日本人好みのミュージシャンなのかもしれない。ドライではなくウエットな情緒性、フィギュア・スケートでいうとテクニックよりも芸術点で稼ぐような詩情溢れる音楽性が日本人の感性と合っていたのかもしれない。その「ブレックファスト・イン・アメリカ」に勝るとも劣らないのが、この「クライム・オブ・センチュリー」である。ほとんど外れ曲がないクオリティの高さ、録音の素晴らしさ、どこを取っても欠点がみあたらない大傑作である。

クライム・オブ・センチュリー(紙ジャケット仕様)

クライム・オブ・センチュリー(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2008/09/10
  • メディア: CD



クライム・オブ・センチュリー

クライム・オブ・センチュリー

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 1991/09/21
  • メディア: CD



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パティ・スミスの朗読会に行く [ロック音楽]

パティ・スミスがギンズバーグの詩の朗読会をすみだトリフォニーホール・ホールでする。あまり関心はなかったのだが、私が敬愛する下北沢のロックバー『マザー』のオーナーに誘われたので行ったら、凄くよかった。何がよかったか、というとそれはパティ・スミスの圧倒的な存在感というかカリスマであろう。ギンズバーグの詩をフィリップ・グラスのピアノの伴走をバックに朗読するパティ・スミスには、とてつもなく惹きつけられるものがある。そして、詩の朗読だけではなく、People Have the Powerなども演奏した。ニューヨークのロックといえば、KissやNew York Dolls、Laura Nyroなどが浮かぶ。私はこの中では圧倒的にLaura Nyroが好きであったのだが、パティ・スミスをあまり聴いていなかったことを強く反省させられた。私の世界観を広げてくれるようなコンサートであった。

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くるり@神奈川県民ホール(2016.05.30) [ロック音楽]

 くるりを神奈川県民ホールで観る。くるりは二年ぶりぐらいか。椎名林檎を除くと、私が唯一、積極的にライブを観たいと思う邦楽バンドだ。今回のコンサートは前半は2004年に発表されたアルバム『アンテナ』の完全再現。そして、後半はジョゼのテーマ、飴色の部屋、ハイウェイ、さよなら春の日(シングル、ロックンロールのB面)、地下鉄、さっきの女の子。アンコールはHello Radio, かんがえのあるカンガルー、ふたつの世界、そして今度シングルとして発表するらしい「琥珀色の街、上海蟹の朝」。Now and Then のツアーでは『図鑑』バージョンが聴きたかったが、その次に聴きたいはこの『アンテナ』だ。私が最も好きなくるりの曲『ロックンロール』が入っていることが何しろポイントが高いが、今回のコンサートでつくづく思わされたのは『How to Go』の格好良さである。結構、ギターを歪ませて、弾きまくっているような激しいチューンが多い。また、後半部でハイウェイ、そして飴色の部屋をやってくれたのは嬉しかった。この2曲も私のくるりベスト10に入るようなお気に入りの曲なのだ。それにしても、今回のコンサートは改めて、くるりの守備範囲の広さと音楽センスの良さに感心させられた。
 それにしても岸田繁は器用だ。ジミ・ヘンドリックスとブラームス、ビートルズそして瀧廉太郎を彷彿させるミュージシャンは世界広しといえども岸田繁ぐらいではないか。新曲はなんかボビー・コールドウェル風のラップ音楽のようなものだったし。

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ディープ・パープルを武道館で観る [ロック音楽]

ディープ・パープルが来るというので1985年以来、観に行く。それまでも何回も来日していたのだが、まったく行く気も起きなかったのに、今回、行こうと思ったのは、デビッド・ボウイが亡くなったことが大きい。それ以来、「いつまでも生きていると思うな、親とロック・スター」という気分なのだ。ということで、このブログに書き忘れたが、先月もしっかりとクラプトンのコンサートに行ったし、来週もスティーブ・ハケットのコンサートに行く。さて、パープルといっても、オリジナル・メンバー的なのは3人だけである。イアン・ペイス、イアン・ギランそしてロジャー・グローバーである。パープルはジョン・ロードとリッチー・ブラックモアのバンドである。この二人がジョンとポールである。したがって、現在のパープルはリンゴ・スターとジョージ・ハリソンがビートルズと名乗っているような違和感をしないでもない。しかし、ジョン・ロードはもうこの世にいないし、最もパープルらしいバンドであることは確かである。少なくとも、イアン・ペイスはまだ、あの脅威のドラムを刻むことが出来ている。なんで、あの年齢で、という感じだが、今のうちに見るべきであろう、という気分にさせるには十分である。
 さて、曲目であるが最初がハイウェイ・スター、そして「イン・ロック」から2曲、「ストレンジ・カインド・オブ・ウォメン」。その後は、知らない曲が続く。よく考えると「パーフェクト・ストレンジャーズ」以降、聞いていないからな。初めて聴くということもあるが、どうも二流ヘビメタ・バンドのような感じの曲でがっかりする。ちょっとだれてきたが、「ミュール」そして「レイジー」というギラン時代の曲でまた気分が盛り上がってきて、「パーフェクト・ストレンジャーズ」、「スペース・トラッキン」、そして「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。「スペース・トラッキン」、そして「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は流石に来て良かったと思わせられた。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフは、これから200年後、300年後も人類は聴いていると思う。それは、ベートーベンの運命のようなものだ。
 アンコールは「ハッシュ」と「ブラックナイト」。70歳を越えたメンバー達は(スティーブ・モーズは61歳、ダン・エイリーは67歳)とっても礼儀正しく、流石にもう毒づくようなことや、アンプを壊したり、ギターを床に叩きつけたりするようなことはしなくなっていた。あと、バーンを始めとしたカバーデール時代の曲は一曲もしなかった。イアン・ギランにとっては、自分が歌った曲だけがパープルなのであろう。
 イーグルスのようにランディ・マイズナーが辞めた後も、彼がつくった「テイク・トゥ・ザ・リミット」をイーグルスのコンサートで歌うグレン・フライよりも遙かに潔い。などということを考えさせられたパープルのコンサートであった。

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NMEジャパンのグレン・フライに関する事実誤認の記事 [ロック音楽]

グレン・フライが亡くなられた。しかし、その経歴について、NMEジャパンが間違ったことを書いているので、ここに訂正したい。

元HPは下記。
http://nme-jp.com/news/12770/

そのHPでは、次のように書かれている。
「グレン・フライは、ドン・ヘンリーと並び、結成当時から現在までバンドに在籍していたメンバーわずか2人のうちの1人であり、“Hotel California”や“Take It Easy”、“Tequila Sunrise”、“Take It To The Limit”などのヒット曲を生み出している。」

ちなみにホテル・カリフォルニアを作曲したのはドン・フェルダーで作詞はドン・ヘンリーである。グレン・フライはほとんど何の貢献もしていないが、ドン・ヘンリーが詞をつくるうえで困っていた時に、ちょっとアドバイスしたのでクレジットされている。昔は、グレン・フライは作者のクレジットで一番、最後だったが、いつの間にか前の方に出世してきた。

あと「Take it To the Limit」は100%ランデイ・マイズナーが作詞・作曲しており、彼もそう主張している(https://en.wikipedia.org/wiki/Take_It_to_the_Limit_(Eagles_song))。

「Take it Easy」はジャクソン・ブラウンとの共作で、これに関してはまあグレン・フライの貢献もけっこうあるかもしれないし、Tequila Sunriseは彼の曲だとは思うので、これらの作者であると主張することには抵抗はないが、Take it to the limit や Hotel California は関係ないでしょう。

亡くなった時にこういうことを書くのは気が引けない訳ではないが、こういう間違った事実が広まるとあまりにもドン・フェルダ−とランディ・マイズナーが可哀想なので、ちょっと記させてもらう。

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渋谷陽一のブラックスター評を読み、流石だと改めて感心する [ロック音楽]

偉大なるミュージシャンが亡くなった時、大袈裟に嘆くのはとても格好悪いと思いますが、その偉大さに甘えてあまり感謝しなかった後悔はまさに先に立たずで悔しいものがあります。私が悔やむのは、亡くなる2日前に発売された新譜があまりにも優れているからであり、まるでボウイは私のような彼の偉大さが分からなかった者に最後に悔いるチャンスを与えてくれたのではないかとさえ思うぐらいです。しかし、「俺には過去のミュージシャン」とこの期に及んでも言っているアホがいて困ったもんですが、そういう輩にはこの渋谷陽一の下記の文章を読むことをお勧めします。さすが、渋谷陽一は理解している。

http://ro69.jp/blog/shibuya/137124
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デビッド・ボウイ『ブラックスター』 [ロック音楽]

デビッド・ボウイの69歳の誕生日である1月8日に発売された28枚目のスタジオ・アルバムであるブラックスター。そして、3日後にボウイは逝去するので、このアルバムは彼の遺作となる。これまでロック史上に燦然と輝く傑作をいくつも発表してきたボウイであるが、我々に最後に残してくれたこのブラックスターも心を揺さぶるような傑作であり、またボウイらしい新奇性に富んでおり、前衛的である。それは、成功を収めても、その成功に安住せずに自己刷新を繰り返してきたボウイの新境地を再び見させてくれると同時に、その転生のプロセスに終止符を打つものであった。そして、その無限の輪廻のような眩いばかりの作品群の最終章として、このブラックスターは何とふさわしいのであろう。7つの楽曲を聞き終えても、また聞き返したくなる中毒性。ボウイは我々、ロックファンに死ぬ間際にも、こんな素場らしい作品を残してくれたという事実に感謝の気持ちが溢れ出る。


Blackstar

Blackstar

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2016/01/08
  • メディア: CD



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デビッド・ボウイの形見である「ブラックスター」の新奇性は圧倒的である [ロック音楽]

 長女の成人式の食事会の後、次女と2人で帰宅途中、「ちょっとタワーレコードにでも寄るか」と入った渋谷のタワレコ。そこで店内に流れていたデビッド・ボウイの新譜。1月8日に発売されたそうだ。前作のThe Next Dayは、久し振りにボウイの天才性を感じさせる傑作であり、ボウイ未だ健在、ということを世に知らしめたが、この新譜も相当いいな、と即買い。さて、精算時にタワレコオンラインにアクセスしてクリックするとポイントが増えますよ、と言われたのでスマホにアクセスしたら「デビッド・ボウイが死去」というニュース。思わず絶句。タワレコの店員に「ショックだわあ」と動揺を隠せなかった。
 帰宅して、裳に服したい気分で、新譜を今、家で聴いている。最近のロック・アルバムでは滅多に感じられない「新奇性」がこのアルバムには溢れている。プログレッシブなのだ。CDのライナーノーツで吉村栄一は「(前略)ボウイによる、これからまた作品ごとに新たな「魅せられし変容」を繰り返してくという高らかな宣言なのかもしれない」という文章が涙を誘う。
 それにしても、最後の最後にこんなプレゼントを形見として置いていってくれるなんて、さすが希代の伊達男である。


Blackstar

Blackstar

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2016/01/08
  • メディア: CD



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レベッカが2015年に紅白初出場という企画センスの悪さ [ロック音楽]

 私は紅白歌合戦にまったく関心がない。そもそもNHKは受信料を払わないので観ない。しかし、正月は毎年、旅行に行くので、家族は喜んでホテルで紅白歌合戦をみるのと、また最近は椎名林檎が出たりするので、ちょっとは気になって時折、私も様子を見たりする。まあ、家族旅行なので他にすることがない、ということもある。さて、しかしなんと紅白にレベッカが出ているではないか。懐メロ特集か、と思ったら、どうも紅白初出場での出演らしい。歌った曲は当然「フレンド」だったが、なんで、「フレンド」がヒットした時に紅白に出さなかったのだ。まあ、これは当時、この曲がクラシックになることが分からなかったかもしれないし、レベッカが断ったのかもしれない。どちらにしても、今さら出るというのはあまりにも茶番であろう。私はレベッカが好きである。特に「フレンド」におけるノッコの歌詞、土橋が紡ぎ出したメロディー、そしてバンドであるレベッカがつくりだす世界観も好きだし、実際、横浜アリーナかどこかのライブにその昔、行ったこともある。「フレンド」は素場らしい曲であると思う。
 しかし、2015年12月31日にテレビで観たノッコは、その昔の迫力、切迫感、臨場感といったものはまったく感じられなかった。ヴォーカルの張りもなかったし。椎名林檎の神懸かった演奏に比べると、高校生の学芸会のようなパフォーマンスであった。
 昔のレベッカのファンは、こんなパフォーマンスを観てしまい寂しい気分にさせられ、またこれを初めて観た人達は、レベッカって大したことない、と思ったであろう。紅白歌合戦には興味はないが、イベント企画力のセンスの悪さ、という点からは興味深い。しかし、人から受信料を取ってつくるのであれば、もう少し、しっかりと考えて欲しい。そもそも、ノッコをこんな形で観て喜ぶ人がどれくらいいると思っているのだろうか。

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学芸大学のCD屋へ40年ぶりぐらいで、恩返しをすることができた [ロック音楽]

クリスマス・イブの夕方、学芸大学のCDショップ屋を訪れる。ここは、私が40年近く前、中学時代になけなしのお小遣いでレコードを購入していたところだ。ロック少年であった私は、今のように情報が少ない中、何を買えばいいのか悩みに悩んで一枚を選び、家で聞いて今ひとつだと、何とこのレコード屋さんに他のと交換させてもらう、という今考えると信じられない掟破りをしていたのだ。そのため、大人になったら大人買いでその時の無礼を許してもらおうと思っていたのだが、今まで出来ずにいた。店がまだやっているか不安だったがやっていた。当時の店長がまだそこにはいた。小さいCDショップなので置いているものも少なく、私のように偏狭な嗜好のものには(だって好きなアーティストがPhishやWilcoで、比較的メジャーな椎名林檎とかは全て揃えている)選ぶCDが少なくて困ったが、それでも8枚ほど選び、私の過去の無礼を詫び、購入させてもらった。店長は、快く私の気持ちを受け入れてくれ、King Crimsonの話などで会話も弾んだ。店長は随分と高齢となっていたので、私の恩返しが間に合って本当によかった。
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「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」ツアーに行く [ロック音楽]

 椎名林檎を観るために神奈川県民ホールに行く。ツアー・グッズを買うのにいつも並ばされるので開演1時間前に行ったら、ほとんど並ばずに買えた。いつもは万単位のアリーナとかでやられるライブが、今回は2000席程度の神奈川県民ホールということもあるかもしれない。
 椎名林檎のホールツアーはどうも2003年以来だそうだ。ということで、私的にも初めての林檎のホールツアー。とても楽しみである。そして、なんと席は前から5列目。以前、1列目という時もあったが、その時は端っこだったが、今回はまあまあ真ん中の方。もう、これからの人生の運をすべて使い果たしたかのようなラッキーさだ。
 さて、わくわくしながら待っていると、会場が暗くなり、シルエットの向こうで花嫁姿の椎名林檎が「凡才肌」を歌う。私のように椎名林檎は天才だ!と安易に褒めちぎる人への非難のような歌詞に、思わずちょっと申し訳ないような気分になる。そして、シルエットが落ちて林檎が姿を現す。まるで九尾の狐が花嫁姿に化けているかのような怪しげな色気に満ちている。バックメンバーは浮雲と、そしてなんと東京事変の初代キーボーディストのヒイズミマサユ機。演奏するのは、疾走感溢れる「やさしい哲学」。次は、『日出処』から「いろはにほへと」。そして、「尖った手口」、「労働者」と『三文ゴシップ』の2曲を挟み、『日出処』から「走れわナンバー」。その後は、東京事変の『教育』から「現実に於いて、現実を嗤う」、「Superficial Gossip」、中田ヤスタカとのコラボ「熱愛発覚中」。この曲はキャリーパミュパミュの林檎風アレンジとも思われ、林檎の音楽の解釈力の凄さに感心する。そして「至上の人生」、「ブラックアウト」と繋ぎ、「迷彩」。これまでは東京事変以降の林檎作品だったので、とても嬉しく懐かしい気分にさせられたら、「罪と罰」。いやあ、心が震えるわあ。と感動していると、林檎は引っ込んで、浮雲が「セーラー服と機関銃」を歌う。なんだ、なんだ。しかし、多幸感に包まれているので、これもハッピーな気分で聴いている自分がいる。
 とはいえ、随分とリセットされた気分になっていると「Σ」、そして「警告」。いやあ、ロックだわ。その後は、また『三文ゴシップ』から「マヤカシ優男」。石川さゆりへの提供曲「名うての泥棒猫」、さらに「真夜中は純血」。レキシとのコラボ「きらきら武士」。浮雲とのやり取りが楽しい。次は、スマップへの提供曲「華麗なる逆襲」。ちょっとだらけた気分になってきたかなと思ったら「お祭騒ぎ」。いやあ、この曲はそれまで、そんなにいいとは思えなかったが、名曲だ。この曲は、バンド単位で演奏した方が、ノリが出てくると思う。バックには、今回のテーマの百鬼夜行の妖怪達が楽しげに踊っている。素場らしい。と感心していると、「長く短い祭」。あまりの素晴らしさに落涙しそうになるほど感動する。この曲、こんなによかったんだ。と、ほとんど魂が無防備になってしまったところに「群青日和」、「NIPPON」。もう、生きていてよかった、と思えるほどの三連ちゃん、というか「お祭騒ぎ」もいれれば四連ちゃんである。
 椎名林檎はやっぱりロック・ミュージシャンであることを改めて認識する。小さい箱でミニマムな単位で演奏すると、本当にその楽曲の凄まじさなどが伝わってくる。いやあ、もうお腹一杯、という中でアンコール曲は随分と渋く「逆さに数えて」。そして最後の曲は「虚言症」。なんで10代でこんな曲が作れたんだ、ということに改めて吃驚する。
 そういうわけで、精神が揺さぶられ、魂が抜けていくかのような2時間弱の時間を楽しめた。私はこれまで林檎の「林檎博08」がベスト・ライブかな、と思っていたが、今回のライブはそれをも上回るぐらいの大きな感動をいただいた。こんなアーティストが日本で生まれ、そして自分が日本人で、同時代に体験できている幸運に心から感謝するようなライブであった。

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キング・クリムゾンのコンサートに行く [ロック音楽]

 キング・クリムゾンのコンサートを観に渋谷のオーチャード・ホールに行く。渋谷のオーチャード・ホールでキング・クリムゾンのコンサートが観られるなんて、本当に東京はそういう面ではいい都市だ。
 さて、感動の最初の一曲目は太陽の旋律パート1。それにしても、なんでLarks’ Tongues in Aspic (アスピック・ゼリーの中の雲雀の舌)というタイトルを「太陽の旋律」と訳したのかねえ。「ゼリーの中の雲雀の舌」よりは格段に格好いいけど、意味はまったく関係ない。アルバムから連想したんだろうけど。次は、なんと「ポセイドン」からPictures of a City。意外な選曲だ。ヴォーカルは知らない人だったが、グレッグ・レーク風で悪くない。と思ったらEpitaphですよ。Confusion will be my Epitaph。今、改めて聴いてもすごい歌詞だな。しかし、これは何だ。懐メロ大会か!と思ったら、その後は知らない曲が続いた。まあ、私はせいぜいビートまでしかしっかりと聴いてこなかったエセファンというか、ファンとはいえないようなものだからな。しかたないかな、と思いつつも、変態的な変拍子の嵐、しかも、スリー・ドラムというのに見事なシンクロ。と、その演奏ぶりに感心していたので退屈はしなかった。すると、レッドのイントロが始まった。うねうね感溢れる、フリップのディストーションとコンプレッサーが効きまくった粘っこいギターのリフと、それに絡んでくるドラムやベース。この曲は滅茶苦茶、格好いい。素場らしい!と感動していると、次はなんとスターレスですよ。いやあ、「レッド」というアルバムの凄まじいクオリティを再確認する。舞台も真っ赤になり、キング・クリムゾンの熱烈ファンの気持ちが分かった気分になる。ここで終了。
 もう最後の2曲でアンコールもいらないぐらいの満腹度であったのだが、出てきて演奏したのが「クリムゾン・キングの宮殿」。まともな8拍子なので、とても普通に聞こえてしまうが、時代を画した名曲。まあ、オリジナル・メンバーはフリップだけだが、それでも、キング・クリムゾンが演奏する「クリムゾン・キングの宮殿」である。有り難い。そして、次は「21世紀の精神異常者」だ。まあ、この曲はプログレというよりかは、アシッド・ジャズですね。
 ということで、相当、楽しめたコンサートであった。とはいえ、2ヶ月ぐらい前のアメリカではOne More Red Nightmareをやったようなので、これは聴きたかったかもしれない。私はCourt of Crimson Kingのアルバムは人類の宝とさえ思うほど素場らしいアルバムであると思っているが、今日のライブで、しかしキング・クリムゾンのベスト・アルバムはレッドであろうと改めて思わされた。
 まだ、ライブは続くみたいだが、必見でしょう。


Red

Red

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: E'G
  • メディア: CD




In the Court of the Crimson King

In the Court of the Crimson King

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Discipline Us
  • 発売日: 2005/02/22
  • メディア: CD



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『タッグ・オブ・ワー』 [ロック音楽]

1981年に発売されたポール・マッカートニーのソロ3作目。それまでの2作のソロ作品とは比べものにならない捨て曲がほとんどない大傑作である。というか、天才メロディ・メーカーのポールの面目躍如たる作品である。ジョージ・マーティンを迎えてつくられたためか、カリブ海の孤島でつくられたためか、ジョンが殺されるという事件を経て発表されたアルバムではあるが、全般的にポールの優しい側面が打ち出された聴くものの心が洗われるようなアルバムとなっている。スティービー・ワンダーとの共演曲の「エボニー・エンド・アイボリー」が有名だが、他にも10CCのエリック・スチュワート、スタンリー・クラーク、リンゴ・スターなどが共演している。


Tug of War

Tug of War

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Hear Music
  • 発売日: 2015/10/02
  • メディア: CD



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『パイプス・オブ・ピース』 [ロック音楽]

ポール・マッカートニーの1983年のソロ・アルバム。前作『タッグ・オブ・ワー』とは二枚組のような位置づけで、ともにジョージ・マーティンがプロデューサーをしている。タイトル曲の『パイプス・オブ・ピース』を始めとして、ポール節に溢れたメロディ・センスが秀でた楽曲が多い。なんか、長閑な多幸感に溢れるアルバムである。マイケル・ジャクソンとの楽曲である『セイ・セイ・セイ』、ビートルズ時代のポールの曲を彷彿させる『ザ・アザー・ミー』や『ソー・バッド』。ELOかと思うかのような『キープ・アンダー・カヴァー』。ポールの優しい側面が前面に出たアルバムであり、是非ともコレクションに加えておきたいアルバムである。


パイプス・オブ・ピース

パイプス・オブ・ピース

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1995/11/08
  • メディア: CD



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マッカートニーII [ロック音楽]

1980年に発表されたポール・マッカートニーのソロ・アルバム。マッカートニーに次いでつくられた正真正銘のソロ・アルバムである。バック・ボーカルでリンダが入っている以外はすべてポールの演奏のようだ。家で録音されたそうだ。そういうことを考えると、ポールのギターが上手い、というか音が綺麗なのに驚く。まあ、自宅録音のアルバムだ。それを踏まえると、相当のクオリティではある。さて、しかし、ポールの作品の中では極めて凡庸なアルバムであると言わざるを得ない。まあ、大天才の凡庸なアルバムなので、結構、悪くないアルバムなのだが、ポールのクオリティに達しているかといえばそんなことはない。デジタル・ミュージックへのいろいろなアプローチを試みており、それは興味深いといえなくもないが、インストの「フロント・パーラー」や「フローズン・ジャップ」は相当、どうでもいい曲であり、天才ポールの名声に汚点を残したのではないかとさえ思える。

どうでもいいが、「フローズン・ジャップ」は日本語では「フローズン・ジャパニーズ」と誤訳されている。1980年の2月、ポールは大麻所持で日本で逮捕されて監獄に入れられて、その時の思いを曲にしたので「フローズン・ジャップ」というタイトルにしたのだ。いちいち「ジャパニーズ」に直さなくてもいいだろう。こういうことをするから、歴史の塗り替え、慰安婦問題の隠滅を図る、などと後ろ指を指されるのである。ポールはその後、日本が好きになって何回も来てくれたりするようになったので、それだけでいいじゃないか。当時は日本人が嫌いだったという感情まで隠蔽することはないだろう。

まあ、問題なのは、この「フローズン・ジャップ」があまりにも駄作であるということだ。というか、ジャップといいつつ、メロディーはとても中国的だ。もう、ポール何をしているんだろう、という感じである。

ということで、ポール的には大駄作であると思われる本作品であるが、それでもポールの作品なので、ロック史的には駄作ではないし、その後、ダンスDJの間では再評価されたりしているようなのでまあ買って損をしたということはないでしょう。ただ、ポールのアルバムを聴きたいという若いファンは違うアルバムを手に取ることを強くお勧めする。


Mccartney II

Mccartney II

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Hear Music
  • 発売日: 2011/06/14
  • メディア: CD



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クリス・スクワイアの訃報に接して、ショックを受ける [ロック音楽]

イエスのベーシスト、クリス・スクワイアが6月27日に他界した。私はベーシストではないがクリス・スクワイアのベースには本当、感動してきた。「こわれもの」のHeart of SunriseやRoundabout、「危機」のSiberian Khatruでの激しくも歌うようにメロディアスなベースは度肝を抜かれたものだ。YESの真髄はJon Anderson でもRick Wakeman でもSteve Howeではもちろんなく、Chirs Squireだと考えている私は、彼の訃報はショック以外の何物でもない。しかし、若かりし頃、大きな感動を与えてくれた人たちが次々と逝去するというのは、私も相当の年齢になっているということだろう。それにしても、2014年11月にイエスが来日したのに観に行かなかったのは悔やまれる。ジョン・アンダーソンがいないので今ひとつかな、と思ったりしたのだが、よく考えればクリス・スクワイアがいればイエスだったのである。そんなことは「ドラマ」で分かっていたのに。もう私の残りの人生もそれほど長くはないが、ポール・マッカートニーもそうだが、他の偉人達の余生もそれほど長くないことを認識して、彼らが日本に来てくれた時はしっかりとその「生」をアプリシエイトしに、ライブに行かなくてはな、と改めて思う。クリス・スクワイア、享年67歳。ご冥福をお祈りします。
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ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーの武道館コンサートに行く。SS席は10万円であるが、私は当然、最安値の4万円。普通の外タレのコンサートではアリーナと北西、北東であってもせいぜい2割ぐらいしか値段は違わないのに、今回は6割も違う。私は北西のL列であったが、実はポール、とても近かった。しかも、ピアノを歌う時は、こちらの正面になることが分かる。凄いラッキーだ。これなら、東京ドームの1万8千円に比べても、ずっといい。
 さてポールのコンサートであるが前日、そしてその前の木曜日にも行っているので三回目である。木曜日と昨日の月曜日はまったく同じセットリストであった(とはいえ、月曜日はちょっと遅れたので確信はしていないが、その後がまったく同じだったのでそのように推測している)。さて、ということで、武道館のセットリストが東京ドームとどの程度、変わるのか。そこが4万円のチケットを購入したせこい私の関心事となった。
 私としては、まあポールの生演奏であるなら、1曲に1万円の価値を認める。ということで4曲以上やれば大儲けのような気分で武道館に行った。さて、ちょっと混むだろうと18時30分開演の30分前に会場に行く。結構、行列で待たされたが、18時30分には武道館に入れていた。東京ドームでも19時開演だったので、余裕だなと思っていたら、なんと19時を過ぎても、19時30分を過ぎても始めない。退屈していて、会場をうろうろしていた前に座っていたオーストラリア人の女性が、なんかセトリの紙の写真を撮影できたらしく、見てよ、と言ってきたけど、我慢して見なかった。見たら、楽しみがなくなってしまう。さて、会場には「終電に間に合わない」などという苦情を叫ぶものもいた。ポールのコンサートと終電、って重みが違うだろう、この小市民と思う私がいたが、それでもこれじゃあ20時になっちゃうな、と思ったところで電気が落ちて、ポール達が現れる。さて、一曲目がなにしろ重要だ、と気構えていると「キャント・バイ・ミー・ラブ」。おお、ドームでも演奏した曲だが、少なくとも順番は違うぞ。それにしても、この曲は改めて素晴らしいな、と思う。次がどう来るか。ここが重要だと緊張していると「セーブ・アス」。おや、これはドームでもやった曲だ。ううむ、と思っていたら「オール・マイ・ラビング★」。これは、1年半前は演奏していたが今回は初めてだ。素晴らしい。次は「ジョンとつくった最初の方の曲」との紹介で、えっ、ラブ・ミー・ドゥと思ったが「ワン・アフター・909★」を弾き始めた。いいなあ、この曲。やっぱりポールは天才だ。その後は、「レット・ミー・ロール・イット」、「ペイパーバック・ライター」、「マイ・ヴァレンタイン」、「1985」とドームとまったく同じだ。なんか、がっかり感が増す。次は「メイビー・アイム・アメイズド」。私が大好きな曲だが、え?「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を抜かした?これって、もしかしたらドームの構成から曲を減らす、というコンセプトなのか、という疑惑を持つ。まあ、その分、演奏していない曲をやってくれればいいのだが・・・。さて、次は「アイハブ・ジャスト・シーン・ア・フェース」、「アナザー・デイ」とこれもドームと同じ。と思ったら、マンドリンを持って「ダンス・トゥナイト★」を演奏した。渋いな。これは違う展開か、と期待を持たせたが、「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」でまたドームと同じだ。そして「エンド・アイ・ラブ・ハー」、「ブラックバード」。ふうむ、これは次はヒア・トゥディかな、と思ったら、それはパスして「ニュー」。そして「レディ・マドンナ」。ドームと同じだ、と落胆しつつあったら、「次の曲は本邦初公開」とポールが言う。これは、「ホープ・フォア・フューチャー」?、それなら木曜にも月曜にも演奏しているし、初公開じゃあないじゃない、と思ったら「アナザー・ガール★」ですよ。会場は大興奮で私も大興奮した。そして、たたみかけるように「ガット・トゥ・ゲット・ユー・バック・イントゥ・マイ・ライフ★」。ウォー、来た甲斐があったと喜んでいると、「ミスター・カイト」。え!ここでジョン作曲のミスター・カイト。嫌いじゃあないけど、私、この曲、もう4回もライブで聴いている。2002年に演奏していた「ハロー・グッドバイ」とか「フール・オン・ザ・ヒル」とか「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」とか「ミッシェル」が聴きたいな、と欲張りな私は思う。次は「オブラディ・オブラダ」。お、ジョージのサムシングはパスか。そして「バック・イン・ザ・USSR」。お、バンド・オン・ザ・ランもパスか。そして、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」、「ヘイ・ジュード」のたたみかけるようなラストの盛り上がりで終わる。アンコールはデイ・トリッパーの代わりに何をするのかな、と思っていたらいきなりイエスタデイ。え!そしてその後、ヘルター・スケルターかなと思っていたら「バースデイ★」。これも皆、興奮。いや、素晴らしいロックン・ロールですわ。中学時代はそれほど好きじゃなかったけど、改めて聴くといい曲だ。そして、「ゴールデン・スランバー」・・・。演奏時間はドームだと3時間近かったけど、今回は2時間ちょうどぐらい。とてもよかったけど、もう少し、違うセトリだったらより嬉しかったが、まあ、これは贅沢というものだ。
 それにしても、ポール・マッカートニーが生まれてこなかったら、随分とロック音楽も違っていただろうにと思う。ビートルズも存在したとしても、あのような音楽は生めなかっただろうし。これはポールがいなければジョンもあのような曲をなかなかつくれなかったと思うからだ。ビートルズはお互いの相乗効果がとてもうまく才能を啓発させたと思われるからだ。
 そういう意味で、ポール、本当にこの世に生まれてきてくれて有り難う、という感謝の気持ちを一杯にして、武道館を出た。

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ポール・マッカートニーのコンサートに行き、彼は20世紀で最高の音楽家であると確信する [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーのコンサートに行く。東京ドームである。開演は18時30分であったが、実際演奏が始まったのは19時ちょうどであった。期待の一曲目は「マジカル・ミステリー・ツアー」であった。そうくるか。一年半前は「エイト・デイズ・ア・ウィーク」という相当、変化球から入ったが、「マジカル・ミステリー・ツアー※」は相当、一曲目としては妥当である。さて、次の曲は私はあまり知らない「セーブ・アス」という曲であったが、三曲目は「キャント・バイ・ミー・ラブ※」そして、なんと「ジェット※」。二曲目を除けば一年半前には演奏しなかった曲が続く。ウォー、素晴らしい。そして。「レットミー・ロール・イット」、「ペーパーバック・ライター」、「マイ・バレンタイン」。そして、ピアノに座って、ウィングス・ファンにというポールの説明の後、「ナインティ・ハンドレッド・エイティ・ファイブ」。そして、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。「メイビー・アイム・アメイズド」。ギターに持ち替え、「アイ・ハブ・ジャスト・シーン・ア・フェイス」、「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。そして、本邦初公開というMCの後、「ホープ・フォア・ザ・フューチャー」。これはどうもテレビ・ゲームの曲のようだ。そして、「アナザー・デイ」、「アンド・アイ・ラブ・ハー」、「ブラックバード」、「ヒア・トゥデイ」。そしてニューアルバムから「ニュー」、「クィーニー・アイ」。さらに「レディ・マドンナ」「オール・トゥゲザー・ナウ」、「ラブリー・リタ」、「エリナー・リグビー」、「ミスター・カイト」、「サムシング」、「オブラティ・オブラダ」、「バンド・オン・ザ・ラン」、「バック・イン・ザ・USSR」、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」と一年半前のニュー・ツアーとほぼ同じ構成。そして、最後はおきまりの「ヘイ・ジュード」。
 アンコールは「デイ・トリッパー」、「ハイ・ハイ・ハイ」とこれも前回と同じであったが次が「ゲットバック」ではなくて、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア※」。
 二回目のアンコールは前回と同じで、「イエスタデイ」、「ヘルター・スケルター」、「ゴールデン・スランバース」から「ザ・エンド」までのアビー・ロードの黄金メドレー。前回とほぼ同じということで(※は前回、私がいった東京ドームのコンサートで演奏しなかった曲)、それほど驚きはなかったが、本当に素晴らしい。これを観なかった機会費用はどれほど高額なのだろうか、と思わずにはいられない。しかし、これは観ないと分からない。前回のコンサートは、私は友達がチケット買ったから行かない?、と誘われて受動的に行った。そして、あまりのコンサートの素晴らしさに、行かなかったことを考えてゾッとした。今回は、私が違う友人を誘っていった。彼女もバンドマンであったが、ポールのコンサートに実際、行ってその素晴らしさを実感した。ポールのコンサートのクオリティは、もう別次元のように凄いと思うのだ。
 結構、ちまたではポール・マッカートニーが日本に来ることを、「また、日本で稼ぎたいのか」とか揶揄するロック通がいたりする。私と同世代ぐらいである。この人達は、ビートルズが好きだと言っている人は、なんか好きな料理はカレーライスとか言っているような凡庸な人達だと見下しているようなところがある。自分達はもうちょっと高級なのですよ、と言いたいみたいだ。だから、私がポール・マッカートニーのコンサートに3日間も行くとか言うのを聞くと馬鹿にするような態度を見せるのだ。
 でも、この人達こそ実はロック通ではないのではないかと私は思ったりする。ポール・マッカートニーは20世紀で最高の音楽家である。最近の曲は今ひとつであったりするが、20代、30代において彼の紡ぎ出した楽曲は、シューベルトの「野バラ」より長い間、人々に歌い継がれることは確実だ。ヘイ・ジュードはベートーベンの「運命」と同じレベルにあるだろう。「レット・イット・ビー」もモーツァルトの「アイネ・ナハト・ムジーク」と同レベルの人類の財産なのである。それは、もうロックを超越している。それは、人類の貴重な音楽資産なのである。
 そして、おそらくポールは、世界で最も愛されているイギリス人なのではないかとも思われる。彼が亡くなったら、多くの人が世界中で悲しむであろう。それは、彼の音楽の大衆性に因るところは確実である。シンプルなC、B♭、Fというコードで展開するヘイ・ジュードは単調ではある。しかし、この単調さであれだけ人々の魂を揺さぶるようなメロディーを紡ぎ出しているのは、もう間違いなく天才である。それも、いくつもそのようなレベルの曲を提供した。
 ポールの音楽が嫌いとかいうことは、もはや、モーツァルトやベートーベンの曲が嫌いということに近い愚かなことであると思う。それは既に、そういう好き嫌いを超越した人類が創造した偉大なるアートとして、動かしがたいところにある。ポールをどうこう言うのは、モーツァルトや聖徳太子をどうこう言うのと同じである。どうこう言うのは勝手だが、その偉大さにおいては、誰も難癖はつけられない。そういうことが、ポールのコンサートに行くと痛切に理解できる。
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オアシスのノエル・ギャラガーのコンサートに行く [ロック音楽]

 元オアシスのノエル・ギャラガーのコンサートを観に武道館に行く。なんと、満席であった。みんな、やっぱりオアシスが好きなんだな。しかし、コンサートはほとんどノエルのソロになってからの曲であった。それはそれで、そんなに悪くない。ノエルのメロディー・センスは抜群であることを改めて認識する。これはいいな、と思っていた中盤、おもむろにシャンパン・スーパーノバ。ロック史上に残る素晴らしい名曲に大感動する。これは、本当にコンサートに来た甲斐があった、と感無量になったのはいいが、それ以降のソロ曲がどうも今ひとつに聞こえてしまい、初っぱなに感じられたわくわく感は失せてしまった。シャンパン・スーパーノバの後は、やはり相当のクオリティでないときつい。そして、そのような要求に応えられるのはオアシス時代の名曲群だけではないかと思ったりするのだが、ノエルはレアムの歌っていた曲に強い抵抗があるらしい。オアシスの曲をやったのは「フェイド・アウェイ」とアンコール前の二曲とアンコール最後の「マスタープラン」だけであった。ちなみに、アンコール前の「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は、感涙ものであった。
 総じてコンサートは良質なものであった。ノエルのボーカル・ギター、ギター、ベース、ドラム、キーボードに曲によっては3人のホーン・セクションも参加していた。ノエルのボーカルは相当上手くて、ロック・バンドとしてのクオリティは高かった。ただ、MCがほとんどなく、エンタテイナーとしての資質はレアムの方が高いという印象を受けた。 
 しかし、そういうことを期待するのは間違っているのは分かってはいるが、オアシスのコンサートに比べると今ひとつであるよね。まあ、あれだけ兄弟の仲が悪ければ解散もしょうがないのかもしれないが、やはり、ちょっとオアシスを観られなくなったのは残念だなとも思ったりもしたノエル・ギャラガーのコンサートであった。

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バーシア『タイム・アンド・タイド』 [ロック音楽]

バーシアのデビュー曲にして最高傑作。マット・ビアンコのボーカリストであったバーシア・チェチェレフスカとキーボーディストのダニー・ホワイトが脱退して作成したアルバム。マット・ビアンコのデビュー・アルバムも衝撃的であったが、これもそれに勝るとも劣らない傑作である。当時は、そのお洒落感とポーランド訛りの英語、そして透明感と張りがあるボーカル、そしてスラブ系の美貌という、ユニークさでポップ界に独特な存在感を放っていたと思う。プライムタイムTV、プロミセス、タイム・アンド・タイドなど佳曲揃い、というか捨て曲は一曲もない完成度の極めて高いアルバムである。


Time And Tide ~ Deluxe Edition (2CD) [from UK]

Time And Tide ~ Deluxe Edition (2CD) [from UK]

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Cherry Pop
  • 発売日: 2013/05/27
  • メディア: CD




タイム・アンド・タイド

タイム・アンド・タイド

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SOLID
  • 発売日: 2013/09/18
  • メディア: CD



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バーシアのコンサートに行って、あのスラブ美女がマツコデラックスになっていて驚いた [ロック音楽]

バーシアのコンサートを観に、ビルボードライブ東京に行く。私は1987年にバーシアがファーストを出した時から嵌って、当時は本当によく聞いたものである。2枚目は1枚目ほどいいとは思わなかったが、それでもUntil You Come Back to Me とかは気に入ってヘビロテをしていた。私の人生を彩る女性ボーカリストは数名いるが、リッキー・リー・ジョーンズ、トレイシー・ソーンとバーシア(もう一人加えるとすればイザベラ・アンテナ)はまさに御三家である。それくらい、私にとってはバーシアの存在は大きかった。そして、御三家の中では一番の美貌の持ち主でもあった。ということもあり、今日は大変、期待していた。

さて、定刻からちょっと遅れて始まったコンサートで現れたバーシアを見て驚いた。あの、目が覚めるようなスラブ美女が、ほとんどマツコデラックスのように変貌していたのである。顔も横に広がっていて、もうほとんど関脇のような顔である。大変なショック。

さて、とはいえバーシアを見るのではなく、バーシアの音楽を聴きに来たのだと自分を慰めようとしたところ、一曲目、いきなりバーシア、音を外している。なんなんだ、なんなんだ。ただし、さすがマツコデラックスの体型なので声量はしっかりとしている。とはいえ、若い時のような、とがったような存在感はなくなっている。存在感はあるが、バーシアの魅力であったとんがったような声質はまるくなっている。まあ、声質の変化はともかく、音を外しているのは聞きにくい。特に、クルージング・フォア・ブルージング、プロミセスといった昔から聞き慣れていた曲ほど、この音外しが厳しい。さらに、バック・メンバーは、パートナーのダニー・ホワイトのピアノ・プレイは流石の一言の安定感、またサックスも上手であったが、ドラムはバタバタしているし、しかも、何か走る癖があって、聞いていても落ち着かないが、これは演奏している方はさらに堪らないだろうにと思う。まあ、最後の「コペルニクス」のようなノリのいい曲などは、ドラムのバタバタもそれほど気にならなくて楽しかったし、アンコール曲はマット・ビアンコの「ハーフ・ア・ミニット」でファン・サービスもよかったが、私の25年前のバーシアの美しい思い出は泡と化したような気分である。


タイム・アンド・タイド

タイム・アンド・タイド

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2005/03/24
  • メディア: CD



タグ:バーシア
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レッド・ツェッペリン『フィジカル・グラフィティ』 [ロック音楽]

1975年2月に発売されたレッド・ツェッペリンの6枚目のアルバム。スタジオ・アルバムとしては唯一の二枚組であった。今はCDなので、全曲通して聴くのに1回だけCDを替えればよいが、レコードの時は3回も替えなくていけなくて面倒くさかった。このアルバムはツェッペリンの中でも、最も渋い楽曲を揃え、そして音楽的な完成度も高く、ツェッペリンらしさがよく表現されている素晴らしいアルバムであると思う。「アキレス最後の戦い」、「天国への階段」、「ホール・ロッタ・ラブ」といった派手で耳に一発で残る曲こそないが、全体で通して聞くと、ボーナムのタイトで力強いドラム、ジョーンズのメロディアスでいて安定したベース、プラントのもう色気と格好良さと張りのあるボーカル、そしてページが繰り出す天才的なリフによってつくり出されるツェッペリンの音楽世界に魅了されていく。ページとプラントがこのアルバムをツェッペリンの最高傑作であると言っていたことが、最初はよく分からなかったが、聴けば聴くほど徐々に分かってくる、まさに噛めば噛むほど味がしみ出るするめのようなアルバムである。


Physical Graffiti

Physical Graffiti

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Atlantic / Wea
  • 発売日: 1994/08/18
  • メディア: CD



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ムービング・ピクチャーズ [ロック音楽]

ラッシュの数多いアルバムで一つ選べといわれれば、本作かPermanent Wavesになるが、本作の方がより洗練されており、また一曲目のTom SawyerからRed Barchetta, YYZ, Limelightという流れの凄さは、ロック史上、相当傑出したものであると思われるので、本作を選びたい。この4曲の流れの緊迫感は凄まじいものがある。初めて聴いてからもう30年以上も経つが、現在でもその緊迫感はまったく褪せていない。奇跡ともいうべき素晴らしいアルバムであると思われる。


ムービング・ピクチャーズ(紙ジャケットSHM-CD)

ムービング・ピクチャーズ(紙ジャケットSHM-CD)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2009/06/24
  • メディア: CD



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ミルトン・ナシメント『Courage』 [ロック音楽]

「ブラジルの声」と言われるミルトン・ナシメントの1969年のメジャー・デビュー・アルバム。メジャーへのデビューのきっかけとなった「トラヴェシーア(ブリッジ)」でアルバムは幕を開け、二曲目はヴェラ・クルーズ。素晴らしい曲が続き、「カンカオ・ドル・ソル」というブラジルの広大な大地が目の前で展開するような雄大であるが温かみ溢れる曲でアルバムは幕を閉じる。ジャズともオルタナともワールド・ミュージックとも捉えられるが、ミルトン・ナシメントはミルトン・ナシメントという括りでしか捉えることができないと実感させられるブラジル音楽だけでなく、20世紀の大傑作であると思われる。
Courage (Dig)

Courage (Dig)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Verve
  • 発売日: 2005/07/12
  • メディア: CD



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ジャクソン・ブラウン「レイト・フォア・ザ・スカイ」 [ロック音楽]

ジャクソン・ブラウンの最高傑作は「プリテンダーズ」もしくは「孤独のランナー」と一般的に捉えられていると思われる。チャートで一番、上まで行ったのは「ホールド・アウト」(一位)である。しかし、私にとってのベストはこの「レイト・フォア・ザ・スカイ」である。いい意味で力が抜けていて、「孤独なランナー」、「ザ・ヒューズ」のようなアドレナリンを出させるようなノリの曲はないし、どこかレイド・バックした感じがアルバムを通じて貫いているが、逆にその自然さが、ジャクソン・ブラウンの類い希なる作詞能力と作曲能力を感じさせる作品となっている。


レイト・フォー・ザ・スカイ

レイト・フォー・ザ・スカイ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
  • 発売日: 1996/04/10
  • メディア: CD



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紅白歌合戦での椎名林檎と中森明菜 [ロック音楽]

 紅白歌合戦には興味はそれほどない。家族は観ていたのだが、私は大掃除をしていた。しかし、椎名林檎と中森明菜の時だけ、家族は気を利かせて呼んでくれた。半世紀に及ぶ人生で、私がファンクラブに入ったのは椎名林檎と中森明菜だけである。
 椎名林檎と紅白歌合戦というと、ちょっと違和感がないではないが、流石の貫禄であった。歌といい、パフォーマンスといい圧倒的な存在感だ。舞台衣装もいい。個人的には浮雲がギターを弾いていないで、後ろでマイク・スタンドを持って踊っていたのが愉快であった。しかし、浮雲の代わりにギターを演奏している二人は、浮雲よりも上手なのであろうか。そうであれば、世の中は広いものである。
 さあ、絶対的な安心感のもと観ていた椎名林檎と違い、中森明菜は観ているこちらがはらはらするほど緊張しているのがブラウン管を通じて分かった。というか、目が異常である。薬でもやっているのではないか、と案じるほどの異常さだ。しかし、歌は相変わらず上手い。昔のような声量がないので、歌の上手さと声質のよさでカバーするしかないのだろうが、超速球が投げられなくなった本格派がコントロールで交わすようなベテラン的な上手さが感じられる。とはいえ、ちょっと無理に笑顔をつくろうとした時の、そのどうにか自分をコントロールしようとする意志が大変痛々しく、観ていて辛かった。ただ、辛かったけど、よくぞ人前ではなくても、テレビカメラの前でパフォーマンスができるまで復帰できたな、という嬉しさもある。
 椎名林檎と中森明菜という二人の天才であるが、椎名林檎が才能とうまく付き合うだけの術を獲得しているのとは対照的に、中森明菜はその才能に自分が振り回されて自滅してしまった。才能とうまく付き合うということは、その才能をプロデュースする人たちとしっかりと協働できるということだ。これは、一方で椎名林檎の最高のプロデューサーは椎名林檎本人であるということも関係しているかもしれない。中森明菜はボーカリストとしては傑出したものがあるが、プロデュース面では他人に頼らなくてはならない。これは大きな違いであろう。
 ということで個人的には、この二人しか紅白歌合戦は観ていないのだが、どうも家族の話によると、昔の曲ばかり演奏していたとのことだ。また、出演者によっては二曲も歌ったりしていたそうである。紅白歌合戦は、個人的にはどうでもいいことではあるが、なぜ、大晦日にするかというと、その年に流行した歌をこの日にまとめて聴いて、その一年を振り返るということに大きな意義があったかと思う。椎名林檎のNIPPONとかは、この年の紅白歌合戦で演奏されてこそ意味があるのだ。また、それほど歌謡曲とかに関心がない人が、その年にこんな歌が流行ったということを知ることで、売れ行きが下降線を辿っているCDとかの販売促進にもなるかもしれない。この「旬」を大切にするという精神を失ったことで、もはや紅白歌合戦は自ら、紅白歌合戦のアイデンティティというか存在意義をも喪失したのではないか。視聴率という本質的ではない(そもそも広告を取らないNHKが視聴率を気にする時点で、NHKの存在意義さえも失っている)目的に踊らされた結果、自らを崩壊の道へ突き進めさせている。というか、こんなことをやっていて受信料を取ろうという意識が私には極めて不遜で傲慢であると思われる。
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祭典の日(奇跡のライブ) [ロック音楽]

2007年12月に行われたレッド・ツェッペリンのライブ・アルバム。ジミーペイジは1944年生まれだから、このとき63歳。ロバート・プラントは59歳か。ジョン・ポール・ジョーンズは61歳か。ジョン・ボーナムの息子はもちろん若いが、この年齢での演奏とはまったく想像できない。凄まじいほどのエネルギーとグルーブ。まさに「奇跡のライブ」としか形容しようがない凄みを感じさせてくれるし、普通のライブ・アルバムとして聴いても迫力満点の演奏が聴ける。確かにキーは多少、下がっているかもしれないが、そんな細かいことはふっとばしてくれるぐらいの圧倒的な存在感である。


祭典の日(奇跡のライヴ)スタンダード・エディション(2CD+DVD)

祭典の日(奇跡のライヴ)スタンダード・エディション(2CD+DVD)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2012/11/21
  • メディア: CD



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