朝日新聞のアメリカ大統領選に関する的外れな記事に再び呆れる [トランプのアメリカ]
7月25日の朝日新聞のデジタル記事を読んだ。
https://digital.asahi.com/articles/ASS7T2FG5S7TUHBI00PM.html
アメリカ大統領選に関する記事で、バイデンの撤退は遅きに失したか、という内容であり、その記事を書いたのは高野遼という記者である。この記事のポイントは「引き際の判断を誤った」というもので、もっと早く辞めていれば、ということを示唆したような内容だ。一応、「結果的には良いタイミングになった」という大学教授の発言を引用したりはしているが、まあ、手遅れなんじゃないの、という記者の考えが推察されるような文章である。
アホか。これは絶妙なタイミングである。これより早くても遅くても、ベストではない。ぎりぎりの寸止め的なタイミングであり、むしろバイデンの潮目をしっかりと捉える傑出した能力の高さを物語っている。そこらへんの記者と政治家とでは、状況の判断能力に天と地との違いがあるな、ということを認識させる。これに関しては予期できたことではないが、トランプの銃撃未遂の前にもし撤退していたら、トランプの銃撃事件がもたらしたトランプの追い風、すなわち民主党にとっての向かい風を新しい大統領がすべてそれを受け止めなくてはいけなくなったであろう。銃撃事件というトランプへのとてつもない追い風をも大きく弱める効果が、今回のバイデンの撤退発言にはあった。逆にいえば、このとてつもない追い風を殺すためには、バイデンが撤退せざるを得なかったとも考えられる。トランプの銃撃事件によって、バイデンは撤退をすることが必要となったのである。
世論的にもハリウッド俳優のジョン・クルーニーなどからも、バイデン撤退すべき、といった発言が出たりして、十二分に「撤退の是非」の議論が盛り上がったところで、ここは自分の意思に反してでも降りなくてはいけない、という意思表示をした。それは、自分より国家を優先した判断、ということでトランプとは真逆の考えを提示することに成功した。このタイミングより早ければ、むしろ支持者からすれば無責任とも捉えられたであろう。世論が十二分にこの議論で盛り上がっての、撤退の判断である。本当ならば、もう少し、後でもよかったぐらいであるが、そうすると新しい大統領候補の選挙戦にマイナスの影響を及ぼす。ぎりぎり、かつ最高のタイミングである。
この記事はまた「ハリス氏は元々、熱烈な人気を誇るカリスマというわけでも、政策通というわけでもない」と述べているが、どこに目玉をつけているのだ。ハリス氏をバイデンが後継者指名した24時間で8100万ドル(120億円ぐらい)の寄付金を得ている。これはオバマ大統領でもできなかった歴史的快挙である。また政策通という訳ではない、と言うが現役の副大統領だぞ。まさかトランプや国会議員を二年しか務めたことがないヴァンス副大統領候補の方がハリスより政策通であると考えているのだろうか。
朝日新聞の米大統領関連の記事はもう批判するのも馬鹿らしいほどくだらないが、流石にこの記事は一言述べないと不味いな、というレベルなので書かせてもらった。アメリカ社会への読みがあまりにも浅いのだ。フォックス・ニュースが情報源なんじゃないの、と思わせるぐらいの状況把握力の無さである。
同じ新聞でもイギリスのガーディアンはトランプが2011年にカマラ・ハリスがカリフォルニア州の司法長官に選ばれるために、トランプが寄付金を投じているという記事を書いている。こういう記事は読む価値に値する。
https://digital.asahi.com/articles/ASS7T2FG5S7TUHBI00PM.html
アメリカ大統領選に関する記事で、バイデンの撤退は遅きに失したか、という内容であり、その記事を書いたのは高野遼という記者である。この記事のポイントは「引き際の判断を誤った」というもので、もっと早く辞めていれば、ということを示唆したような内容だ。一応、「結果的には良いタイミングになった」という大学教授の発言を引用したりはしているが、まあ、手遅れなんじゃないの、という記者の考えが推察されるような文章である。
アホか。これは絶妙なタイミングである。これより早くても遅くても、ベストではない。ぎりぎりの寸止め的なタイミングであり、むしろバイデンの潮目をしっかりと捉える傑出した能力の高さを物語っている。そこらへんの記者と政治家とでは、状況の判断能力に天と地との違いがあるな、ということを認識させる。これに関しては予期できたことではないが、トランプの銃撃未遂の前にもし撤退していたら、トランプの銃撃事件がもたらしたトランプの追い風、すなわち民主党にとっての向かい風を新しい大統領がすべてそれを受け止めなくてはいけなくなったであろう。銃撃事件というトランプへのとてつもない追い風をも大きく弱める効果が、今回のバイデンの撤退発言にはあった。逆にいえば、このとてつもない追い風を殺すためには、バイデンが撤退せざるを得なかったとも考えられる。トランプの銃撃事件によって、バイデンは撤退をすることが必要となったのである。
世論的にもハリウッド俳優のジョン・クルーニーなどからも、バイデン撤退すべき、といった発言が出たりして、十二分に「撤退の是非」の議論が盛り上がったところで、ここは自分の意思に反してでも降りなくてはいけない、という意思表示をした。それは、自分より国家を優先した判断、ということでトランプとは真逆の考えを提示することに成功した。このタイミングより早ければ、むしろ支持者からすれば無責任とも捉えられたであろう。世論が十二分にこの議論で盛り上がっての、撤退の判断である。本当ならば、もう少し、後でもよかったぐらいであるが、そうすると新しい大統領候補の選挙戦にマイナスの影響を及ぼす。ぎりぎり、かつ最高のタイミングである。
この記事はまた「ハリス氏は元々、熱烈な人気を誇るカリスマというわけでも、政策通というわけでもない」と述べているが、どこに目玉をつけているのだ。ハリス氏をバイデンが後継者指名した24時間で8100万ドル(120億円ぐらい)の寄付金を得ている。これはオバマ大統領でもできなかった歴史的快挙である。また政策通という訳ではない、と言うが現役の副大統領だぞ。まさかトランプや国会議員を二年しか務めたことがないヴァンス副大統領候補の方がハリスより政策通であると考えているのだろうか。
朝日新聞の米大統領関連の記事はもう批判するのも馬鹿らしいほどくだらないが、流石にこの記事は一言述べないと不味いな、というレベルなので書かせてもらった。アメリカ社会への読みがあまりにも浅いのだ。フォックス・ニュースが情報源なんじゃないの、と思わせるぐらいの状況把握力の無さである。
同じ新聞でもイギリスのガーディアンはトランプが2011年にカマラ・ハリスがカリフォルニア州の司法長官に選ばれるために、トランプが寄付金を投じているという記事を書いている。こういう記事は読む価値に値する。
タグ:カマラ・ハリス
ヴィースバーデンを訪れる [地球探訪記]
フランクフルト中央駅発の列車までちょっと時間がったので、ヴィースバーデンにまで足を延ばす。これまで中央駅まで行ったことはあったのだが、そこから旧市街地までは距離があったので断念したことがある。今日は、時間があるので旧市街地まで歩いて行った。さて、ヴィースバーデンはヘッセン州の州都ではあるが、交通の便は悪い。どちらかというとどん詰まり的なところに位置している。東側にはマインツやフランクフルトがあるが、西側はライン川の渓谷とそのうえに広がる台地の森からなり、人口集積地もほとんどない。はっきりいって州都として位置づけるには交通ネットワーク的には不適切な都市である。当然、ドイツ人もそんなことは分かっているので、そのデメリットがあっても敢えてここを州都にした理由があったと思われる。
ヴィースバーデンにはトラムが走っていない。人口が28万人もあるのに走っていないのだ。ライン川の川向こうのマインツは人口21万人の都市であるにも関わらず、トラムが走っているのとは対照的である。中央駅が都心部から離れていたりする都市構造からも、トラムは活躍できると思うのだが、ここらへんも何かトラムを撤去する経緯が何かあったのであろう。
ヴィースバーデンは名前からも分かるように温泉が湧き出ている。豊富な地下水に恵まれているが、地下駐車場をつくるうえではいろいろと弊害となるようだ。この温泉があることより、ここは皇帝の宮廷都市であり、裕福な人々がここを訪れた。イギリスのバースと近いかもしれない。そして、第二次世界大戦での都市破壊率は30%ほどと、他のドイツの都市に比べて少なく、街の戦前以前からの景観がある程度、保全されている。このため、ここをユネスコ世界遺産に登録するような動きもあるようだが、個人的にはそれほど感心しなかった。おそらく、ヴィースバーデンは都心部の保全活動が早い時期に展開されたと思われる。当時は最先端の保全の考え方が導入されたかもしれないが、その後、さらに都心部の空間デザインの方法論は自動車ではなく歩行者優先になっている。また、歴史建築物がしっかりと保全されているのは確かではあるが、その前に戦後に建てられた建築物がうまく調和していない。いや、調和しようとする努力は伺えるのだが、現在のレベルからすると稚拙である。ということで、世界遺産に登録しようとするのであれば、更なるその都市アイデンティティの検証、そして、何を保全し、保全しないものはどのように改善すべきかなどを考えるべきなのではないかと思う。そして、それが面倒であるのなら、安易に世界遺産に登録しない方が市民にとってはいいかと思う。現状では逆立ちしてもリューベック、バンベルグといった世界遺産都市の足下にも及ばないと思うのだ。
【マルクト教会は煉瓦づくり】
【古い街並み(右)と新しい街並み(左)。そんなにも悪くはないかもしれないが、世界遺産都市の街並みではないかと思う】
【地下駐車場をつくると水が湧き出るので大変】
ヴィースバーデンにはトラムが走っていない。人口が28万人もあるのに走っていないのだ。ライン川の川向こうのマインツは人口21万人の都市であるにも関わらず、トラムが走っているのとは対照的である。中央駅が都心部から離れていたりする都市構造からも、トラムは活躍できると思うのだが、ここらへんも何かトラムを撤去する経緯が何かあったのであろう。
ヴィースバーデンは名前からも分かるように温泉が湧き出ている。豊富な地下水に恵まれているが、地下駐車場をつくるうえではいろいろと弊害となるようだ。この温泉があることより、ここは皇帝の宮廷都市であり、裕福な人々がここを訪れた。イギリスのバースと近いかもしれない。そして、第二次世界大戦での都市破壊率は30%ほどと、他のドイツの都市に比べて少なく、街の戦前以前からの景観がある程度、保全されている。このため、ここをユネスコ世界遺産に登録するような動きもあるようだが、個人的にはそれほど感心しなかった。おそらく、ヴィースバーデンは都心部の保全活動が早い時期に展開されたと思われる。当時は最先端の保全の考え方が導入されたかもしれないが、その後、さらに都心部の空間デザインの方法論は自動車ではなく歩行者優先になっている。また、歴史建築物がしっかりと保全されているのは確かではあるが、その前に戦後に建てられた建築物がうまく調和していない。いや、調和しようとする努力は伺えるのだが、現在のレベルからすると稚拙である。ということで、世界遺産に登録しようとするのであれば、更なるその都市アイデンティティの検証、そして、何を保全し、保全しないものはどのように改善すべきかなどを考えるべきなのではないかと思う。そして、それが面倒であるのなら、安易に世界遺産に登録しない方が市民にとってはいいかと思う。現状では逆立ちしてもリューベック、バンベルグといった世界遺産都市の足下にも及ばないと思うのだ。
【マルクト教会は煉瓦づくり】
【古い街並み(右)と新しい街並み(左)。そんなにも悪くはないかもしれないが、世界遺産都市の街並みではないかと思う】
【地下駐車場をつくると水が湧き出るので大変】
タグ:ヴィースバーデン
ナイト・オブ・ザ・プログフェストの歴史 [ロック音楽]
ドイツのローレライで7月19日から21日まで開催されたナイト・オブ・ザ・プログフェストに参加した。このフェストは2006年から始まった。どうも思いつきレベルで始まったフェストであるようなのだが、それから18年間ほど続いた。そして、2024年で終了する。ということで、プログフェストの有終の美を目撃する機会に恵まれたという訳である。そこで、ちょっとその歴史を概観したいと思う。
初年度の2006年に出演したのはフィッシュ(元マリリオン)、シルヴァン(ドイツ)、ジェネシスのトリビュート・バンドであるセコンド・アウト、そしてモストリー・オータム(イギリス)の4バンドであった。まあ、プログレッシブ・ロック・ファンでもなかなか行きたいとは思わないようなメンツであったと言うことは否定できないであろう。しかし、2007年は随分とメンツは魅力的になり、ジェスロ・タル、エイジャという集客力のあるバンドに加え、ペンドラゴン、フィッシュ、IQなど計7バンドが参加し、フェスも二日にまたがった。2008年からは3日間となり、バークレイ・ジャイムス・ハーヴェスト、ロジャー・ホッジソン、タンジェリン・ドリーム、フィッシュ、イット・バイツ、レイ・ウィルソン、ザ・フラワー・キング、マジェンタなど、相当、魅力的なメンツを揃えたイベントへと成長する。2009年からは開園日は二日間に戻るが、スティーブ・ハケット・バンド、アリーナ、ラズーリ、ペンドラゴン、リバーサイドといった2024年と似たメンツに加え、エージェント・オブ・マーシーが出演するなど濃いメンツを揃えることに成功した。2010年はマリリオン、シルヴァン、ザ・エニッド等が出演。2011年はドリーム・シアター、リバーサイド、アナセマ、ムーン・サファリ、IQ等が出演。2012年はスティーブ・ハケット・バンド、サーガ、アリーナ、ザ・フラワー・キング、ラズーリ、シルヴァン等が出演。2013年はスティーブン・ウィルソン、オペス、マグマ、キャラヴァンなどが出演するが、ちょっとメインアクトが弱くなった印象を受ける。2014年はマリリオン、トランスアトランティックがメインアクトで、他にはIQやアナセマなどが出演する。2015年からは再び3日に戻り、キャメル、フィッシュ、スティーブ・ハケットがトリを務める。他にはザ・エニッド、シルヴァン、リバーサイド、ラズーリ、ペンドラゴン、ビアード・フィッシュなどが出演する。これはなかなか素晴らしいメンツを揃えることに成功したのかなとの印象を受ける。2016年はホークウィンド(イギリス)、スポックス・ビアード(アメリカ)、ザ・ミュージカルボックス(カナダ)がメインアクトで、私はこれらをよく知らない。いや、ザ・ミュージカルボックスがジェネシスのトリビュート・バンドであることは知っているのだが、残りの二つのバンドは寡聞にして知っていない。他の出演者であるフォーカス、カール・パーマーは昔取った杵柄、で流石に知っているが、他は知らず、この年は人を集められたのか、ちょっと気になる。2017年は、前年から一転して、イエス、カンサス、ゴング、レイ・ウィルソンといったなかなか豪華なメンツを揃えている。他にもマイク・ポートノイス・シャタード・フォートレス(アメリカ)、クリス・トンプソンが出演している。2018年はキャメル、リバーサイド、ビッグ・ビッグ・トレイン、スティーブ・ホガースなどを揃える。2019年はニック・メイソン、タンジェリン・ドリーム、スティーブ・ヒレッジ、ラズーリ、IQ、アナセマなどが出演する。そこそこ渋いメンツであるが、集客力に関してはちょっと疑わしい。そして、コロナ禍の2020年と2021年はキャンセルとなり、2022年はスティーブ・ハケット、PFM、ルネッサンスという昔の大御所、それに加えてペンドラゴン、コロシアム、ムーン・サファリなどが出演する。そして2023年はニック・メイソン、ザ・ミュージカルボックス、レプロウス(ノルウェイ)という今ひとつのメインアクトに私もほとんど知らないミュージシャンばかりが出演した。唯一、ウィッシュボーン・アッシュが参加していたのは興味深いが、全般的に翌年、このイベントを閉じることに繋がる集客だったのではないかと邪推する。ということで最後の2024年を迎える訳であるが、これはメインアクトがリバーサイド、スティーブ・ハケット、ビッグ・ビッグ・トレインで、それに色を添えたのがアリーナ、ペンドラゴン、スティーブ・ロザリー・バンド、ザ・フラワーキングス、ラズーリ、ビアード・フィッシュ、カルナータカ等であった。特に最後の年ということで、特別に豪勢という訳ではないかもしれないが、昨年に比べると遥かにレベルアップされていたメンツを揃えることに成功した。
3日間での通しのチケットの値段は240ユーロ。会場のローレライ野外音楽堂はライン川の有名なローレライの岩の上の台地にあり、そこからのライン川の眺めは素晴らしい、の一言である。収容力は15000人で、つくられたのはナチス時代であり、集団イベントのためだったらしい。
【会場からは素晴らしいライン川の眺めが得られる】
【収容能力15000人のこの会場はナチス時代の集会用に1930年代につくられた】
初年度の2006年に出演したのはフィッシュ(元マリリオン)、シルヴァン(ドイツ)、ジェネシスのトリビュート・バンドであるセコンド・アウト、そしてモストリー・オータム(イギリス)の4バンドであった。まあ、プログレッシブ・ロック・ファンでもなかなか行きたいとは思わないようなメンツであったと言うことは否定できないであろう。しかし、2007年は随分とメンツは魅力的になり、ジェスロ・タル、エイジャという集客力のあるバンドに加え、ペンドラゴン、フィッシュ、IQなど計7バンドが参加し、フェスも二日にまたがった。2008年からは3日間となり、バークレイ・ジャイムス・ハーヴェスト、ロジャー・ホッジソン、タンジェリン・ドリーム、フィッシュ、イット・バイツ、レイ・ウィルソン、ザ・フラワー・キング、マジェンタなど、相当、魅力的なメンツを揃えたイベントへと成長する。2009年からは開園日は二日間に戻るが、スティーブ・ハケット・バンド、アリーナ、ラズーリ、ペンドラゴン、リバーサイドといった2024年と似たメンツに加え、エージェント・オブ・マーシーが出演するなど濃いメンツを揃えることに成功した。2010年はマリリオン、シルヴァン、ザ・エニッド等が出演。2011年はドリーム・シアター、リバーサイド、アナセマ、ムーン・サファリ、IQ等が出演。2012年はスティーブ・ハケット・バンド、サーガ、アリーナ、ザ・フラワー・キング、ラズーリ、シルヴァン等が出演。2013年はスティーブン・ウィルソン、オペス、マグマ、キャラヴァンなどが出演するが、ちょっとメインアクトが弱くなった印象を受ける。2014年はマリリオン、トランスアトランティックがメインアクトで、他にはIQやアナセマなどが出演する。2015年からは再び3日に戻り、キャメル、フィッシュ、スティーブ・ハケットがトリを務める。他にはザ・エニッド、シルヴァン、リバーサイド、ラズーリ、ペンドラゴン、ビアード・フィッシュなどが出演する。これはなかなか素晴らしいメンツを揃えることに成功したのかなとの印象を受ける。2016年はホークウィンド(イギリス)、スポックス・ビアード(アメリカ)、ザ・ミュージカルボックス(カナダ)がメインアクトで、私はこれらをよく知らない。いや、ザ・ミュージカルボックスがジェネシスのトリビュート・バンドであることは知っているのだが、残りの二つのバンドは寡聞にして知っていない。他の出演者であるフォーカス、カール・パーマーは昔取った杵柄、で流石に知っているが、他は知らず、この年は人を集められたのか、ちょっと気になる。2017年は、前年から一転して、イエス、カンサス、ゴング、レイ・ウィルソンといったなかなか豪華なメンツを揃えている。他にもマイク・ポートノイス・シャタード・フォートレス(アメリカ)、クリス・トンプソンが出演している。2018年はキャメル、リバーサイド、ビッグ・ビッグ・トレイン、スティーブ・ホガースなどを揃える。2019年はニック・メイソン、タンジェリン・ドリーム、スティーブ・ヒレッジ、ラズーリ、IQ、アナセマなどが出演する。そこそこ渋いメンツであるが、集客力に関してはちょっと疑わしい。そして、コロナ禍の2020年と2021年はキャンセルとなり、2022年はスティーブ・ハケット、PFM、ルネッサンスという昔の大御所、それに加えてペンドラゴン、コロシアム、ムーン・サファリなどが出演する。そして2023年はニック・メイソン、ザ・ミュージカルボックス、レプロウス(ノルウェイ)という今ひとつのメインアクトに私もほとんど知らないミュージシャンばかりが出演した。唯一、ウィッシュボーン・アッシュが参加していたのは興味深いが、全般的に翌年、このイベントを閉じることに繋がる集客だったのではないかと邪推する。ということで最後の2024年を迎える訳であるが、これはメインアクトがリバーサイド、スティーブ・ハケット、ビッグ・ビッグ・トレインで、それに色を添えたのがアリーナ、ペンドラゴン、スティーブ・ロザリー・バンド、ザ・フラワーキングス、ラズーリ、ビアード・フィッシュ、カルナータカ等であった。特に最後の年ということで、特別に豪勢という訳ではないかもしれないが、昨年に比べると遥かにレベルアップされていたメンツを揃えることに成功した。
3日間での通しのチケットの値段は240ユーロ。会場のローレライ野外音楽堂はライン川の有名なローレライの岩の上の台地にあり、そこからのライン川の眺めは素晴らしい、の一言である。収容力は15000人で、つくられたのはナチス時代であり、集団イベントのためだったらしい。
【会場からは素晴らしいライン川の眺めが得られる】
【収容能力15000人のこの会場はナチス時代の集会用に1930年代につくられた】
ドイツのローレライで開催されたプログフェスト2024に行く:三日目(3) [ロック音楽]
プログフェスト2024の最終日は、お昼はちょっとマルクスブルク城まで足を延ばした。マルクスブルク城は800年の歴史をもち、ライン地方では中世の名残を今に伝える唯一のお城である。その理由はしっかりと調べてないが、とてつもなく急峻な山の上に立っているからではないだろうか。本気で兵糧攻めなどをする執念がなければ、なかなかこのお城を攻めることは大変なのではないかと思われる。さて、この日は16時頃会場に着く。若干、寝不足が続いていたので、この日は芝生に横になって演奏を聴きながら仮眠を取る。そして、フラワー・キングから真剣に前の方に移動して観るようにした。フラワー・キングはキーボードのミディの不具合で演奏開始が30分ほど遅れて、結局、30分間ほど演奏時間が短縮された。しかし、本番でプロでもこんなことが起きるのか、と驚く。フラワー・キングといったらスウェーデン・プログレの雄かと思うのだが、しかし、本番直前で音が出なくなるとは。結局、キーボードを交換して演奏を開始したので、キーボードの方に問題があったということか。次のスティーブ・ロザリー・バンドは最初の数曲を除くと、ほぼマリリオンの代表曲を演奏した。いきなりケイリーを演奏した時は、それほどマリリオンのファンではない私でも興奮した。前日のスティーブ・ハケット・バンドと同様に昔のバンドの代表曲を現在に再現するというコンセプト。マリリオン・ファンにとっては堪らないだろう。そして、大トリのビッグ・ビッグ・トレインであるが、期待をしていたのだが、非常に今ひとつな印象。まず、ボーカルのピッチがずれている。しかも、コーラスが多用されるので目立つ。加てえて、ドラムとベースが合っていない。同行していたスーパー・ギタリストも同様の意見で、雨が降ってきたこともあって途中で帰路につく。雨はその後、酷くなり、早めに退却してよかった。最後のビッグ・ビッグ・トレインが今ひとつだったのは残念であったが、それでも全般的には極めて貴重なプログフェスの3日間であった。私のプログレシッブ・ロックのリテラシーは大きく高まったと思われる。
【フラワー・キングは機材の故障もあり、ステージ上でメンバーが対策をしているところ。プロでもこういうことはあるんだな】
【スティーブ・ロザリー・バンド。ロック・ミュージシャンらしくない風貌のメンツが揃っているが、その演奏レベルはさすがの一言】
【フラワー・キングは機材の故障もあり、ステージ上でメンバーが対策をしているところ。プロでもこういうことはあるんだな】
【スティーブ・ロザリー・バンド。ロック・ミュージシャンらしくない風貌のメンツが揃っているが、その演奏レベルはさすがの一言】
ドイツのローレライで開催されたプログフェスト2024に行く:二日目(2) [ロック音楽]
翌日は、お昼はリューデスハイムの町中をいろいろと散歩し、それから車で会場方面へ移動し、お昼ご飯をローレライの町で取り、会場へ向かう。今日はカルナータカ、ペンドラゴン、スティーブ・ハケット・バンドが見所である。この日はカルナータカとスティーブ・ハケットのサイン会には並び、購入したTシャツにサインをもらった。私は15歳からジェネシスのファンであるので、もうスティーブ・ハケットのギターとは46年以上親しんでいるものであり、コンサートも数回、行ったことがあるが、至近距離で遭ったのは初めて。ただ、ツーショットもお話をするのも禁止といった雰囲気だったので(長蛇の列が出来ていたのでそれは理解できる)、まあ物理的に接近できた、というぐらいの収穫でしかなかった。カルナータカはギターとドラムスがサポートで思いが薄いのか、今ひとつであった。特にギターはケーブルが抜けるのを防止するためストラップに回す、という素人でも常識のことをしておらず、これは不可思議であった。これは、私がやってもバンド・メンバーのベーシストとかが発狂するようにして注意をするので、何でプロなのに、と思った次第である。確かに、彼がソロでステージ前に出てきた時はケーブル踏んで抜けたらどうしよう、とハラハラしていた。彼はまた、やたらにチューニングをする。しかも曲が演奏中でギターが弾いていない時もしているので、それも本当に気になった。曲の合間とかのチューニングはいいが、曲の演奏中でチューニングはとても目立つし、格好悪い。これも他山の石にしよう、と思った次第である。ペンドラゴンは流石のギターの美しさ。同行していたギタリストはペンドラゴンのギタリストと知り合いで、いろいろとギター談義をその後、したのだが、ラットのファズとチューブ・スクリーマーとかを使って音作りをしているらしい。え、マジですか、と思った。弘法筆を選ばず、というか、そんなシンプルな音作りであの素晴らしい音を奏でられるのか。そして、スティーブ・ハケット・バンド。最初の数曲はハケットの曲からであったが、4曲目ぐらいから「眩惑のブロードウェイ」。そして、そのアルバムから選ばれた曲を幾つか演奏した。ただ、私はレンタカーでトラブルがあってレスキューの人に来てもらっていたこともあり、ちょっと中座をする。ItやLamia, Cinema Showを演奏するのが駐車場まで聞こえてきたが、しっかりと見ることはできず、レンタカーの修理が終わって、会場に戻った時はアンコールが始まる時であった。ただし、人が移動したこともあり、最前列に行くことができた。そして、Firth of FifthとLos Endosのハケット・バンド・バージョンを観ることができた。この日は、駐車場の混乱もなく、初日より早く宿に戻ることができた。
【カルナータカ】
【スティーブ・ハケット・バンド】
【カルナータカ】
【スティーブ・ハケット・バンド】
ドイツのローレライで開催されたプログフェスト2024に行く:初日(1) [ロック音楽]
ドイツのローレライで2024年7月19日から21日まで3日間で開催されたプログフェスト2024に行く。会場はローレライ野外音楽劇場である。多くの人は会場そばのキャンプ場でキャンプをしていたようだが、高齢の私は知り合いのアメリカ・バンド、フレンチTVのギタリスト(日本人)と一緒にリューデスハイムの宿に18日にチェックインをする。ただ、ベルリン市役所の移民局から19日に呼び出されたので、チェックイン後、即座にベルリンに戻って、19日に再び会場に戻ってきたので、19日に到着したのはトリ前のアリーナが演奏する直前であった。しかし、この日はトリのリバーサイドを最前列で観ることができて、とてもよかった。リバーサイドのライブが終了したのは午前1時。駐車場のチケットが見当たらず、出るのに一悶着あったのだが、運転席の下に落ちていることが分かり、無事に出ることができる。リューデスハイムの宿まではライン川沿いの道を行く。およそ40分の行程であった。
【リバーサイドのライブ】
【リバーサイドのライブ】
ドイツのいいところは治安のいいところ [ドイツ便り]
さて、いろいろとドイツの悪口ばかり書いている私であるが、ドイツには他のヨーロッパ諸国に比べて優れているところもある。その筆頭は治安がいいところである。フランスは料理は美味しいし(といっても日本には劣るとは思う)、人々は人懐っこいし、サービスもドイツよりはいいし、取材にも応じてくれるし、なかなか個人的にはいい国であると思う。しかし、治安が悪い。私も実はパスポートをパリで掏られたことがある。シャルル・ド・ゴール行きの列車内で、ここはそもそもそういう評判はあったのだが、あまり気にせず使っていた。しかし、その日は日本のラッシュアワー並みの混み具合で、私はパスポートを小さな袋に入れていたので財布と間違えられたのであろう。袋ごと盗られてしまった。こういうことがドイツではゼロであるとは言わないが、非常に少ないと思う。
ドイツの鉄道は改札がないので、無賃乗車をしようと思えばできるが、ほとんどの人がしていないと思う。これはドイツ・チケットという乗り放題チケットが月額で49ユーロ(9000円ぐらい)で購入できるということもあるが、そういうキセル的なことが嫌いだというメンタリティに依ると思っている。レストランでも、後精算だが、皆、しっかりと払う。払いたくてもウエイター(ウエイトレス)がまったく無視をしていてもだ(私とかは、あまりにも無視されるとそのまま払わず出て行きたくなる衝動を抑えるのが大変だ)。一度、イタリアの警察官とドイツで食事をした時、イタリアだったらほとんどが払わずに出て行く!とドイツのシステムに驚いたことに、私はとても驚いたことがある。
治安が悪いことの経済的マイナスはとてつもなく大きいと思う。人が泥棒だという前提でみていると、人と協働することは大変だ。公共交通も乗らずに自動車を乗りたくなる。ちなみに、私はパスポートを掏られてからはシャルル・ド・ゴール空港はバスで行くようになったが、このバスも結構、乗り心地が悪くて大変だ。ということで、この治安がいい、というか人は泥棒ではない、と思って暮らせるのは、ドイツのとてもいいところだと思う。サービスの悪さとか、いろいろと腹が立つことが多いが、防犯にお金とエネルギーをそんなにかけずに済むというのは、ドイツの優れたところではないだろうか・・・とか書いた後、酷い目に遭わないといいのだけど。
ドイツの鉄道は改札がないので、無賃乗車をしようと思えばできるが、ほとんどの人がしていないと思う。これはドイツ・チケットという乗り放題チケットが月額で49ユーロ(9000円ぐらい)で購入できるということもあるが、そういうキセル的なことが嫌いだというメンタリティに依ると思っている。レストランでも、後精算だが、皆、しっかりと払う。払いたくてもウエイター(ウエイトレス)がまったく無視をしていてもだ(私とかは、あまりにも無視されるとそのまま払わず出て行きたくなる衝動を抑えるのが大変だ)。一度、イタリアの警察官とドイツで食事をした時、イタリアだったらほとんどが払わずに出て行く!とドイツのシステムに驚いたことに、私はとても驚いたことがある。
治安が悪いことの経済的マイナスはとてつもなく大きいと思う。人が泥棒だという前提でみていると、人と協働することは大変だ。公共交通も乗らずに自動車を乗りたくなる。ちなみに、私はパスポートを掏られてからはシャルル・ド・ゴール空港はバスで行くようになったが、このバスも結構、乗り心地が悪くて大変だ。ということで、この治安がいい、というか人は泥棒ではない、と思って暮らせるのは、ドイツのとてもいいところだと思う。サービスの悪さとか、いろいろと腹が立つことが多いが、防犯にお金とエネルギーをそんなにかけずに済むというのは、ドイツの優れたところではないだろうか・・・とか書いた後、酷い目に遭わないといいのだけど。
ドイツの運輸・交通のインフラが機能不全に陥っているのは人のやる気を削ぐと思う [ドイツ便り]
ドイツに住んでいてつくづく嫌になるのは、郵送・交通のインフラが機能不全に陥っていることである。まあ、これは他のヨーロッパ諸国も似たようなものという指摘もあるが、とりあえず私はヨーロッパではドイツにしか住んだことがないので、ドイツに関して述べる。運輸・交通のインフラがしっかりと機能しないと、まず移動をすることを敬遠するようになる。なぜなら、インフラの機能不全で誰が被害を被るかというと移動者だからだ。これは、ずばり金銭的な懲罰として戻ってくる。つまり、移動をすることによる金銭的なリスクが高すぎるのだ。これは日本とは考えられないくらいの大きな差である。日本は交通インフラがしっかりしているので、自動車での移動は別として、そのリスクは小さい。例えば、私は東京と京都をしょっちゅう行き来している生活をしているが、私のようなライフスタイルはドイツでは不可能に近い。しょっちゅう休講になってしまい、そうでなくても低い信頼をさらに失うであろう。結果、東京ではなく、京都に定住することになるだろう。
そのように書いていて、実はドイツの大学でも家は別の都市という人は少なくない。そのようなライフスタイルが成立するとはとても思えないが、やっている人は少なくない。凄いストレスであるのと、仕事の生産性はおそらく相当落ちるであろう。というのも、この時間通りに走れない列車を使っていて、どういうことが起きるかというと、やる気を失うのである。仕事のやる気がどんどんと削がれていく。まあ、これはもちろん業種にもよるが、何か自分だけ時間に追われて仕事をしていることが馬鹿げたような気分になっていくのである。同様のことは郵送サービスにも言える。交通・郵送は人の交流を、コミュニケーションを促す。これがしっかりと機能しないと、そのコミュニケーションをしようというか、協働して仕事をしようという熱意を削ぐ。ドイツに住んでいて、一部の人を除くと、学生を含み、何かアパシー的なものを感じてしょうがなかったのだが、それは、この社会システムに依るのではないか、と最近、思っている。
日本の生産性の低さはとても気になるが、社会システム的にはその条件はヨーロッパのおそらくどんな国より優れているのではないか、というのが最近の私の見解である。
そのように書いていて、実はドイツの大学でも家は別の都市という人は少なくない。そのようなライフスタイルが成立するとはとても思えないが、やっている人は少なくない。凄いストレスであるのと、仕事の生産性はおそらく相当落ちるであろう。というのも、この時間通りに走れない列車を使っていて、どういうことが起きるかというと、やる気を失うのである。仕事のやる気がどんどんと削がれていく。まあ、これはもちろん業種にもよるが、何か自分だけ時間に追われて仕事をしていることが馬鹿げたような気分になっていくのである。同様のことは郵送サービスにも言える。交通・郵送は人の交流を、コミュニケーションを促す。これがしっかりと機能しないと、そのコミュニケーションをしようというか、協働して仕事をしようという熱意を削ぐ。ドイツに住んでいて、一部の人を除くと、学生を含み、何かアパシー的なものを感じてしょうがなかったのだが、それは、この社会システムに依るのではないか、と最近、思っている。
日本の生産性の低さはとても気になるが、社会システム的にはその条件はヨーロッパのおそらくどんな国より優れているのではないか、というのが最近の私の見解である。
タグ:ドイツ
ドイツ鉄道は当日にチケットを買おうとすると値段が増額している [ドイツ便り]
ドイツ鉄道でハノーファーからベルリンに戻らなくてはならない。昨晩、ダイヤをチェックすると同時に金額もチェックする。59ユーロか69ユーロである。69ユーロの列車が私的には一番よかったのだが、ちょっと翌日、起きる時間と相談して考えようとその日は寝る。さて、そして、今朝、起きてチェックしたら軒並み84ユーロになっている。59ユーロのものであれば25ユーロ(4500円増し)である。なんだ、なんだという感じだ。まあ、ただ需要に応じて値段を変えるということはあってもいいかと思うが、まったくもって時間通りに走れない鉄道会社が時間によって料金を変える資格はないと思う。というのは、その時間で走るという価値を購入しているのに、それに見合った価値を提供できていないからだ。こういう、人に厳しく、自分に甘い、というのはドイツの体質かとは思うが、本当、嫌になっちゃうなあ。
タグ:ドイツ鉄道
縮小都市御三家「シュヴェート」を訪れる [サステイナブルな問題]
シュヴェートを訪れる。ブランデンブルク州の北東、ポーランド国境のオーデル川沿いにある町を訪れる。ここは、旧東ドイツに計画的な産業都市として位置づけられた。同様に産業都市として位置づけられたホイヤスヴェルダ、アイゼンヒュッテンシュタットとともに「縮小都市御三家」と私は勝手に名付けている。しかし、小さな集落しかないところに巨大な製鉄所をつくったアイゼンヒュッテンシュタットや、小さな村落のところに巨大な褐炭コンビナートをつくったホイヤスヴェルダとは異なり、シュヴェートは13世紀頃から人が住み始め、15世紀には町としての権限が与えられているなど、それなりに発展をしてきた。
第二次世界大戦の後半、シュヴェートは大きな爆撃を幾つか受け、シュヴェート城を含め町の85%が破壊された。第二次世界大戦終戦後直前に、この町はソ連の支配下になった。旧東ドイツ政府はここにドイツ最大の石油精製所を設け、それをロシアのパイプライン・ネットワークと繋げた。この石油精製所は年間2000万立法メートルの水を必要とするため、オーデル川沿いのこの町は立地条件を満たしていたと考えられる。さらに、シュヴェートの北部に巨大な製紙工場を建設した。
旧東ドイツ時代は、この町に移動することが奨励され、これらの精製所、工場に働くために外部から来た人達のためにプラッテンバウ団地が多くつくられ、それは全住宅の9%までを占めることになった。
その人口のピークは1985年で54142人。再統一直後の1990年は53628人であったが、直後から急激に人口が減少し始め、2015年からはその減少は緩やかになり始めているが、それでも減少は続き、2020年には1985年の54%の29433人ほどまで減少する。
空き家率の状況であるが、一番深刻だったのは2002年で既に47%に達していたのはアム・ヴァルトラント地区である。この高さは既に、倒壊事業に手が付けられていたということもある。同地区の空き家率は1998年に28.3%であったが、2008年は倒壊事業によって3.9%にまで減少し、2022年は1.8%にまで減る。タルサンド地区は1998年で21%であったが2008年には1.7%で、2022年は2.1%。タルサンド地区のそばにあるカスタニアン地区は1998年で9.4%であったのが、2008年には17.4%まで増え、その後、2020年には0.9%にまで減少する(筆者の取材調査による)。
これによって1000戸が倒壊される。それ以外にも再開発(Sanierungsgebiet)関連の予算で482戸、ブランデンブルク州の予算で264戸、さらに2002年という早い時点でシュタットウンバウ・オスト・プログラムの予算で356戸を、シュタットウンバウ・オスト・プログラムが本格的に展開する2003年より前に倒壊している。倒壊事業のまさにパイオニアのような自治体であった。シュタットウンバウ・オスト・プログラムで6316戸数を倒壊している。シュタットウンバウ・オスト・プログラムが終了した後は、新たなシュタットウンバウ・プログラムで倒壊はせずに減築的対応で住宅市場の供給過多、そして、需給とのミスマッチに対応している。
地区別にみると、アム・ヴァルトラントで約6000戸と大多数を撤去している。ここは現在、その3/4が森林に戻され、残ったものも低密度化が図られている。これらの倒壊とリニューアルに合わせて、シュヴェート市は道路や広場の改善を行う。実際、現在、この町を訪れると、その公共空間が随分といい状態にあるのを確認することができる。これらのリフォームは倒壊事業を行う以前から既に行われていたが、この倒壊事業という都市にとって短期的には心理的にマイナスをもたらす事業と、公共空間のアップグレードという心理的にプラスをもたらす事業を平行に実施したことで、縮小に対してそれほど市民が悲観的に陥ることを回避した。これは社会減を少なくする効果をもたらしたのではないかと推察される。
私は2006年に訪れたことがあるが、その時は、縮小御三家の中でも最も悲惨だな、という印象を受けた。ただ、その時は4月の曇った日であったので、それが印象に強く影響を与えた可能性は高い。それから、18年経ち、シュヴェートは縮小から脱却したかのような印象を受ける。現在でも人口は減少しているが、その減少率は随分と低くなっている。これまでの縮小対策が功を奏している印象を受けた。
【2006年に訪れた時のシュヴェートは、空き家だらけの団地が亡霊のように建っていたのが印象に残っている】
【2024年のシュヴェートは、2006年から随分と改善されている】
シュヴェートは、倒壊事業はもう終了したと考えている。これからは、いかに人々のニーズに既存の住宅が応えることができるかが課題となっている。
(この原稿は私が管理している「シュリンキング・シティ研究会」でも掲載しています)
第二次世界大戦の後半、シュヴェートは大きな爆撃を幾つか受け、シュヴェート城を含め町の85%が破壊された。第二次世界大戦終戦後直前に、この町はソ連の支配下になった。旧東ドイツ政府はここにドイツ最大の石油精製所を設け、それをロシアのパイプライン・ネットワークと繋げた。この石油精製所は年間2000万立法メートルの水を必要とするため、オーデル川沿いのこの町は立地条件を満たしていたと考えられる。さらに、シュヴェートの北部に巨大な製紙工場を建設した。
旧東ドイツ時代は、この町に移動することが奨励され、これらの精製所、工場に働くために外部から来た人達のためにプラッテンバウ団地が多くつくられ、それは全住宅の9%までを占めることになった。
その人口のピークは1985年で54142人。再統一直後の1990年は53628人であったが、直後から急激に人口が減少し始め、2015年からはその減少は緩やかになり始めているが、それでも減少は続き、2020年には1985年の54%の29433人ほどまで減少する。
空き家率の状況であるが、一番深刻だったのは2002年で既に47%に達していたのはアム・ヴァルトラント地区である。この高さは既に、倒壊事業に手が付けられていたということもある。同地区の空き家率は1998年に28.3%であったが、2008年は倒壊事業によって3.9%にまで減少し、2022年は1.8%にまで減る。タルサンド地区は1998年で21%であったが2008年には1.7%で、2022年は2.1%。タルサンド地区のそばにあるカスタニアン地区は1998年で9.4%であったのが、2008年には17.4%まで増え、その後、2020年には0.9%にまで減少する(筆者の取材調査による)。
これによって1000戸が倒壊される。それ以外にも再開発(Sanierungsgebiet)関連の予算で482戸、ブランデンブルク州の予算で264戸、さらに2002年という早い時点でシュタットウンバウ・オスト・プログラムの予算で356戸を、シュタットウンバウ・オスト・プログラムが本格的に展開する2003年より前に倒壊している。倒壊事業のまさにパイオニアのような自治体であった。シュタットウンバウ・オスト・プログラムで6316戸数を倒壊している。シュタットウンバウ・オスト・プログラムが終了した後は、新たなシュタットウンバウ・プログラムで倒壊はせずに減築的対応で住宅市場の供給過多、そして、需給とのミスマッチに対応している。
地区別にみると、アム・ヴァルトラントで約6000戸と大多数を撤去している。ここは現在、その3/4が森林に戻され、残ったものも低密度化が図られている。これらの倒壊とリニューアルに合わせて、シュヴェート市は道路や広場の改善を行う。実際、現在、この町を訪れると、その公共空間が随分といい状態にあるのを確認することができる。これらのリフォームは倒壊事業を行う以前から既に行われていたが、この倒壊事業という都市にとって短期的には心理的にマイナスをもたらす事業と、公共空間のアップグレードという心理的にプラスをもたらす事業を平行に実施したことで、縮小に対してそれほど市民が悲観的に陥ることを回避した。これは社会減を少なくする効果をもたらしたのではないかと推察される。
私は2006年に訪れたことがあるが、その時は、縮小御三家の中でも最も悲惨だな、という印象を受けた。ただ、その時は4月の曇った日であったので、それが印象に強く影響を与えた可能性は高い。それから、18年経ち、シュヴェートは縮小から脱却したかのような印象を受ける。現在でも人口は減少しているが、その減少率は随分と低くなっている。これまでの縮小対策が功を奏している印象を受けた。
【2006年に訪れた時のシュヴェートは、空き家だらけの団地が亡霊のように建っていたのが印象に残っている】
【2024年のシュヴェートは、2006年から随分と改善されている】
シュヴェートは、倒壊事業はもう終了したと考えている。これからは、いかに人々のニーズに既存の住宅が応えることができるかが課題となっている。
(この原稿は私が管理している「シュリンキング・シティ研究会」でも掲載しています)
ツヴィカウのヘビー・レイルのトラム乗り入れ [ドイツ便り]
ツヴィカウはシュタット・ハレの駅から都心部のセントラム駅までの区間、ヘビー・レイル、いわゆる普通の郊外鉄道がトラムの路線に乗り入れている。そのため、線路はトラム用とヘビー・レイル用が併設されている。ヘビー・レイルとライト・レール(トラム)の相互乗り入れはカールスルーエにおいて始められて、カッセル市なども導入しているが、これらはトラムがヘビー・レイルの路線に乗り入れるのであって逆はない。しかし、ツヴィカウはヘビー・レイルがトラム路線に乗り入れて、トラムがヘビー・レイルに乗り入れる訳ではないのだ。おそらく、その理由はトラムの長所である交通頻度の高さが、ツヴィカウ程度の都市規模で、公共交通需要が多くない都市では活かされないからだと思うのだが、これはあくまで私の推測なので他に理由があるのかもしれない。
ちなみに、ツヴィカウはこのセントラム駅という市街地の真ん中にある駅以外に、中央駅(ハプトバンノフ)が町外れにある。この中央駅は多くの都市間鉄道の発着駅となっているのだが、この駅と都心部を結ぶトラムは走っていない。線路は残っているので、昔は走っていたのだと推察される。一応、バスが走っているが、バスはトラムと違ってどこを走るかがよく分からないのでよそ者には本当、使い勝手が悪い。
ちなみに、ツヴィカウはこのセントラム駅という市街地の真ん中にある駅以外に、中央駅(ハプトバンノフ)が町外れにある。この中央駅は多くの都市間鉄道の発着駅となっているのだが、この駅と都心部を結ぶトラムは走っていない。線路は残っているので、昔は走っていたのだと推察される。一応、バスが走っているが、バスはトラムと違ってどこを走るかがよく分からないのでよそ者には本当、使い勝手が悪い。