ハイルブロンを訪れ、なぜ人口12万6000人でトラムが新設できるかを考察してみる [サステイナブルな問題]
さて、そんなハイルブロンになぜ、訪れたかというと、この都市が2001年に中央駅から新たにトラムを新設したからである。このトラムは、カールスルーエ・モデルのトラム・トレイン・システムに組み込まれており、一部の列車は、そのままカールスルーエまでも運転される。ハイルブロンも1955年まではトラムが走っていたので、廃線してから46年後に復活させたということになる。驚きだ!さらに2005年、2013年とハイルブロンはトラム路線を延長させている。この延長は乗客数が想定よりも多かったということで計画されたとのことだが、人口12万6000人で、広域圏人口もほとんどない都市では、日本では考えられない快挙であるかと思われる。実際、中央駅からトラムで二駅ほどいった都心部の市役所前に行ったのだが、なんと、この市役所駅を挟んだ400メートルぐらいの区間がトランジット・モールになっており、自動車は通行できないようになっていた。その結果、都心部は結構、賑わいがあり、月曜日の午後で雨も降っていたにも関わらず、多くの人が集っていた。日本の都市で人口が12万クラスの都市で、この賑わいはちょっと驚きだ。もちろん、トラムが走っていて、トランジット・モールがあることはもっと驚きであるが。なんたって、日本は京都という150万都市の大観光都市でも、トランジット・モールはもちろん、トラムの復活もできないからだ。何なんだろうなあ、この違い。
大きくは三つ、日本ができない理由があると思われる。一つ目は、公共交通を採算事業であると捉えていること。ハイルブロンのデータは分からないが、これは大赤字事業である。そもそも、ドイツのトラムで黒字の都市は一つもない。バーデン・ヴュルテンベルク州最大のシュツットガルトであっても、赤字率は50%ぐらいだ。人口も遥かに少なく、ネットワークも比較にならないほどしょぼいハイルブロンでは、おそらくシュツットガルトよりも低いだろうから、日本では許されないレベルであろう。しかし、道路事業は超絶、ど赤字でも平気なのに公共交通事業だと急に採算性の話を持ってくる日本は、はっきりいって公共事業においての公共交通差別であり、まったく頓珍漢だ。両方ともモビリティを人々に提供する社会基盤であるにも関わらずだ。ちなみに、こんな発想を持ち出す国は日本以外だと、公共交通を共産主義だと思う一部の右翼思想の人がいるアメリカぐらいである(そのアメリカでも公共交通大好きのピート・ブティジェッジが運輸長官になっているので、状況は変わりつつある)。二つ目は、地方分権が徹底できないこと。これは連邦制のドイツと中央集権の日本との大きな制度上の違いであり、そのため地方自治体の裁量が日本はドイツに比して遥かに小さい。日本の方が人口もドイツの1.5倍はあるのに、そして、自治体の職員も優秀であるのに、中央集権の役人たちが勝手に全国一律のルールをつくってしまう。結果、その地域に応じた交通政策を策定できなくなってしまう。本当、道州制の導入を本気でそろそろ考えた方がいいかと思う。三つ目は、これは不思議なのだが、自動車への偏愛である。これに関しては、最近の若者はちょっと価値観が変わってきているかな、と思うが地方の若者は自動車なくしては生活あり得ない、と今でも言う。まあ、そのような考え方の人がほとんどだとトラムの導入はなかなか厳しいものがあるだろう。ただ、自動車は都心部の集積や賑わいをつくらない。その結果、地方都市と大都市との差はさらに大きくなって、自動車社会が嫌な人や、自動車に乗らなくてもいいような選択肢がある大都市へと移り住んでしまう。いや、自動車に固執するのはいいが「自動車捨てますか、地方捨てますか」という状況になっていることを自覚してもいいかと思う。なぜなら、今後、ガソリン代も高騰し、自動車という交通手段がそうそう長く生き残っていくとは思えないからだ。ドイツの脱自動車的な活動の熱情をみるにつけ、そう思う。
上記のように捉えると、一つ目は価値観の問題だから変えればいいだけだ。二つ目は制度の問題だからこれも変えればいいだけだ。意外と三つ目が一番のハードルかなと思ったりもするが、これもしっかりとその弊害を話すことで状況を突破できるかもしれない。私は人口12万ぐらいの都市でトラムのようなモビリティ手段が提供できていて、その結果、都心部に賑わいが日本の都市でももたらされることを望むものである。日本の都市はそもそも、とてもコンパクトであるし、その文化もとてもアーバニティと相性があるものなので、上手くやればとても魅力的な都市空間ができることを疑っていない。松本市や長野市、金沢市など、上手く既存のトラム的鉄道とJRとかと連携することで、その魅力は大きく向上されると思うのだが、どうだろうか?
ちなみにハイルブロンは、周辺に大都市もない地方都市であり、人口も2001年の120,163人から2011年は116,059人へと減少していたが、2021年には125,613人と人口は減少から増加へと転換している。もちろん、トラムの延長以外の要因もあるかとは思うが、社会基盤をしっかりと整備し、モビリティ、そして都心部の歩行アメニティが改善され、賑わいも生じれば、人々はその都市の将来に希望が持てるようになる。その都市の将来に希望が持てれば人はそれほどその都市から出ることはない。希望が持てないから、人は地方都市から大都市へと脱出するのだ。人口減少時代の地方都市に求められる政策は、未来への希望をしっかりと提示できることではないだろうか。赤字だからローカル線を廃線するような地域にどんな若者が未来を描けるというのであろうか。ハイルブロンの体験は、そういうことを我々に示唆していると思われる。
【中央駅に隣接してつくられたトラムの停留所】
【市役所前はトランジット・モールになっており、自動車の通行が禁止されている】
【市役所前のトランジット・モールを走るトラム】
CNNの北朝鮮ルポルタージュは一見の価値がある [グローバルな問題]
あとこの番組でロケされた長白山は相当、美しい。いつか機会があれば(あるのか、そんなものが。ただ大学院生が中国側の吉林省の出身なので、可能性はゼロではない)、行ってみたいものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=NyugVyGlWTw
ウクライナの男性(60歳以下)は国から出ることができない [グローバルな問題]
さて、しかし、このような野蛮な国が隣国であるという点では、日本もウクライナと同じである。ロシアのような掟破りな国と国境を接していることをしっかりと肝に銘じて、軍事力ではない国力をつけて、ロシアが何か無茶をしようとした時に対応できるようにしておかなくてはならない。まず、第一に二世、三世議員が跋扈している政治状況を変えないと駄目だろう。政治力だけで比較すると、まさにメイジャー・リーグとリトル・リーグぐらいの違いがあるからだ。
同じ研究室の同僚の家族がこのような悲惨な状況に置かれているのを目の当たりにすると、このウクライナ侵略戦争の非業さが心に染みる。
カールスルーエの南にあるエトリンゲンという町を訪れる [ドイツ便り]
そういう経緯があったからだと思うが、エトリンゲン駅舎はとても立派である。土曜日の夕方なので駅舎内の店舗とかは閉まっていたが、ちょっとしたコミュニティ・ハブのような役割も担っているのではとの印象を覚える。また、駅前にはなかなか広大の広場のような芝生空間がある。この町の人にとって、この駅は宝物のようなものではないかと推察する。まあ、感想だらけで申し訳ないが、駅からは黒い森(シュヴァルツヴァルト)の丘へのハイキング・コース(標高はなんと400メートル弱。日本とはここらへんは大きく違う)もあったりして、いい感じの町である。
【エトリンゲン駅舎とその前にある芝生の広場】
【エトリンゲン駅】
【エトリンゲン市の旧市場】
【エトリンゲン旧市街地は細い路地によって構成されている】
ドイツの公共交通はこの20年で相当、改善されている [サステイナブルな問題]
私が現在、住んでいるベルリンでもドイツ鉄道はともかく、地下鉄とバスのサービスはとても優れていて、大学のある京都はもちろんのこと、東京とも遜色はない。いや、地下鉄の車両はオンボロであるし、駅も遥かに汚く、そういったインフラのレベルは低い。ただ、サービスというソフト面だけみれば、相当、レベルが高く、自動車の必要性はほとんど感じない。ここでサービスのことをもう少し具体的に説明すると、まず運行頻度である。平日はほぼ5分間隔で走っている。週末は10分間隔ぐらいになるが、それでも使い勝手は悪くない。そして、地下鉄のホームやバスの停留所では、どの程度で次の列車、バスが来るかをしっかりと電光掲示板で明示してくれるのでストレスがない(これは、私がよく利用する京阪電鉄とは大きな違いである)。また、地下鉄では次の駅で乗換をするバスが何時に出発するかをしっかりと車両の電光掲示板で明示してくれるので(そのような電光掲示板がない古い車両ではできていないが)、地下鉄からバスへと乗換をするインセンティブを提供してくれる。そういった点で、意外なことに京都などより遥かにベルリンの方が公共交通を移動手段として信頼できるのである。
これは、14年前のデュッセルドルフでは感じたことがなかった。もちろん、デュッセルドルフとベルリンとの違いというのはあるかもしれないが、ここ10年間ぐらいでドイツの都市の公共交通事情は相当、改善されているような印象を受ける。ベルリンの場合は、確か2015年頃にモビリティ法を制定したので、それで大きく改善されているということはあるかもしれない。
私は今、この記事をカールスルーエで書いているのだが、カールスルーエはそうでなくても相当、便利であった公共交通が、さらに地下路線を整備し、トラム・ラインのネットワークを充実させたことで、より利便性を高めている。
カールスルーエは2001年の27万9000人の人口が2021年には30万6000人まで増加している。これは20年で9.6%も人口が増加したことで、これはドイツ平均の2.1%より遥かに大きい。この増加した要因の一つに、優れたモビリティというのはあるかと思われる。モビリティは都市のインフラ基盤として相当、重要な意味を持つからだ。
ドイツのアンペルマン [ドイツ便り]
このアンペルマンであるが、デザインしたのはカール・ペグラウという旧東ドイツの心理学者である。当時、東西ベルリンに壁がつくられた直後であったが、交通事故の多さが大きな社会的問題となっていた。それまで自動車用の信号機はあっても、歩行者用の信号機はなかったのである。そこで歩行者用の信号機をつくるのと同時に、人々はただの信号機よりもシンボルがあった方が注意喚起をするという心理学的な研究成果を活かして、信号機に人型のシンボルを描いたのである。1961年には、このデザインをベルリン市にプレゼンする。そして、1969年にはベルリン市にて、これらのデザインがされた信号機が設置されたることになる。この信号機は効果があることが判明し、その後、旧東ドイツ全土にて設置されるようになる。
アンペルマンは旧東ドイツでは極めて好意的に捉えられ、フリードリッヒ・ロチョウ氏は子ども向けの交通安全の映画にてアンペルマンを登場させ、彼らに道路での危険な状況を指摘する役割を担わせた。この映画を観た後、子どもたちはアンペルマンのバッジやキーホルダーなどのグッズをもらったのである。これが、最初のアンペルマン・グッズであろうと考えられている。
1989年にドイツが再統一された後、信号機も西側のものに置き換わった。しかし、しばらく経った1996年に工業デザイナーのマーカス・ヘックハウゼンが、旧東ドイツの撤去されたアンペルマン信号機を使って、新しい電灯をつくりはじめた。これがメディアの注目を集め、人々は旧東ドイツのものでも旧西ドイツより優れたものがあり、それを全て撤去してしまうのは間違いがあることに気づかされたのである。そして、アンペルマンの保全活動をつくる委員会が設置されて、彼らは結果的に復活することになる。現在は、アンペルマンは大通りではなく、あまり交通量が多くない道に設置されている。さらに、旧西ドイツの街でもアンペルマンを設置する自治体も出てきた。したがって、アンペルマンの有無で旧東ドイツであったか旧西ドイツであったかを判断することも、今ではできなくなっている。
【アンペルマン:ヴェロニゲローデにて】
ドイツの自転車都市エアランゲンに行き、ちょっと失望する [都市デザイン]
それはともかくとして、ドイツを代表する自転車都市としては、一般的にミュンスターとエアランゲンが知られている。ミュンスターの自転車利用状況に関しては、このブログでも記述したことがある(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2009-08-28)のだが、城壁跡地を自転車専用道路にしたり、駅前に駐輪場を兼ねる自転車修理センター、レンタル・センターなども設置したりして、なかなか自転車都市の看板に偽りなし、といった好印象を抱いていた。
そこで、このミュンスターと並び称されることが多いエアランゲン(日本でも結構、紹介されている)なので、大きな期待を抱いて訪れたのだが、それはちょっと失望に変わった。もちろん、駅前を中心にちょこっと歩いただけなので、誤解をしているところもあるかもしれない。あくまでも駅前周辺を見ての印象ということで、最初にお断りをさせていただきたい。
まず、エアランゲンはそれほど大きな都市ではない。自治体の人口は11万7000人ぐらいである。アメリカだとコロラド州のボルダー市、ドイツだとコットブス市と同じぐらいの規模である。また、ミュンスターやアメリカのデービスのような自転車都市と同じように大学都市である。
自転車都市としての歩みは1970年代から始まっているので、おそらくデンマークのようにオイル・ショックが契機となっている可能性が高い。当時のハールヴェグ市長が推進役となって歩道に自転車専用レーンを設置するようにしたそうである。
ただ、私はあくまで駅前周辺しか歩かなかったのでこの自転車専用レーンを確認することはできなかった。代わりに目にしたのは、駅前に放置されていた大量の自転車である。駐輪場はしっかりと整備がされているのだが、それだけでは収容しきれていないようである。ただ、駅前にこれだけ自転車が駐輪されているのは、サイクル・アンド・ライドといった自転車と公共交通を連携した移動が一般的にされているということで、それはそれで優れていることかな、と思ったりもする。
実際、自転車の利用者は多く、全交通における自転車の分担率は23%、市内に限れば34%にも達する。ミュンスターは通勤交通では、全体でも47%に達するので、そういう意味ではドイツの自転車都市の冠はミュンスターのものかなと思ったりもするが、ただ23%と言う数字は相当、高いことは確かだ。
そして、私は確認することはできなかったが、エアランゲンには自転車専用レーンは確かに整備されており、現時点で10の通りにある整備されているようだ。ただ、駅前へアクセスする道路で整備されているものは皆無であった。あまり利用されているところでは整備できていないような印象も受ける。
ということで、30分ぐらいの滞在時間しかないのにいい加減なことを言うのは憚られるが、自転車都市エアランゲンというのは、自転車利用者が多いということであって、政策的に優れたことをした結果とはあまり関係がないのかな、との印象を受けた。まあ、この印象が事実とズレている可能性は決して低くないが、もし、そのような事実が判明されたら、またこのブログにて記したいと思う。
【エアランゲン中央駅前に放置されたままになっている自転車。これは万国共通的に美しい景観とはいえない・・・これに関してはミュンスターが駅前に地下駐輪場を設けたのとは異なっている】
【一応、駅にはいくつかの駐輪場が整備されているが、需要の方が多いようだ】
【駅に向かう道に自転車専用レーンは見つけられなかった・・・ミュンスターだけでなくフライブルクや他のドイツの都市でも、ここらへんはもっと整備されているように思われる】
日本の農村はなぜ美しくないのか? [都市デザイン]
つまり、日本の農村景観は、そもそもは美しかったのである。それを、戦後の経済成長下で醜悪にさせてしまったのであって、元々はヨーロッパの農村と比べてもまったく遜色がなかったのである。したがって、ヨーロッパの農村を研究することには、それなりに意味はあると思うが、ヨーロッパの農村の美しさの構成要素などを研究するのは、日本の農村を美しくするうえでは意味はないと思う。というよりかは、日本の農村がなぜ醜悪になったのか、なぜヨーロッパの農村は醜悪にならなかったのか、その背景となった政策や社会動向変化を比較研究することが重要なのではないか、と思うのである。
基本、日本の農村を醜悪にさせたのは、公共施設や道路である。特に道路の問題は深刻だ。下にイギリス、ドイツ、日本の農村景観の道路の写真をアップするが、どうみても日本の農村の道路はオーバースペックで周囲と合わない。もちろん、日本でも大内宿などは道路からアスファルトを剥がして周囲の景観と合わせているので、日本人がそういうのに無関心ではないことは明らかだ。ただ、そういう工夫が大内宿などの特殊ケースに留まっているのが、欧州の農村などとの大きな違いであろう。日本の農村は美しくないのではなく、美しかったのを醜悪にしたのである。それは、昔の姿に戻した大内宿がその美しさを復活させたことからも明らかであろう。その点をしっかりと認識してもらい、間違っても、ヨーロッパ風の農村をつくるような愚を犯してほしくないものである。農村の美しさは、その風土の美しさである。風土をしっかりと理解することが、美しい農村をつくるうえでの最重要事項であると思われる。
【ドイツ:バイエルン州南部の道路】
【イギリス:ホーリーヘッドの道路】
【日本:群馬県の上野村の道路】
【日本:福島県の大内宿の道路(街並み)】
寺沢武一『コブラ』 [書評]
私はもちろん、これらの作品に多くの感銘を覚えたものであるが、その中でも今なお読んでいて興奮のようなものを覚えるのは寺沢武一の『コブラ』である。その壮大なる宇宙観がとてつもない魅力であるが、画力が人間の能力を超えるようなレベルにあり、その味方、敵方、地球人、宇宙人、動物、植物を含むキャラクターのデザインが素晴らしいのも魅力である。『コブラ』はアメリカン・コミック風のコマ割りとなっており、また、登場する女性陣は『バーバレラ』でのジェーン・フォンダ風であったりと、またスタートレックやスターウォーズからの影響もあるとは思われるが、前述した『コブラ』のキャラクター・デザインに比べると、スターウォーズやスタートレックなどのキャラは幼稚で洗練されていないものに思えてしまう。私は、あまりスターウォーズが好きでないのだが、それは『コブラ』や円谷プロの影響があると思われる。これらの作品の宇宙人に比べると、スターウォーズの宇宙人とかが格好悪すぎるからだ。同じことはアベンジャー・シリーズにも言える。『コブラ』はそういう意味で宇宙ファンタジーものとしては、世界一のレベルにもあるのではないかと思ったりする。
さて、もう一つ『コブラ』の特徴としては、そのアーカイブがしっかりと系統だって整理されていないことである。これは、連載していた雑誌が変わったりしたこともある。少年ジャンプにて掲載されていた作品は全て12巻からなる復刻版にて読むことができる。それ以外の作品はフルカラー・フルCGコミックにてある程度、補塡されるが、全てではない。とても残念なことである。
あと、私も知らなかったのだが、『コブラ』の作者である寺沢武一は今年の9月8日、68歳で亡くなられた。是非とも、寺沢武一作品全集などを刊行していただき、コブラのアーカイブがしっかりしていない点なども整理していただければ大変有り難い。
COBRA vol.1 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/10/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.2 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/10/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.3 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/10/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.4 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/10/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.5 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/11/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.6 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/11/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.7 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/11/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.8 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/11/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.9 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.10 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.11 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: Kindle版
COBRA vol.12 COBRA THE SPACE PIRATE
- 作者: 寺沢武一
- 出版社/メーカー: アールテクニカ
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: Kindle版
ドイツのやる気のまったくなく、無礼なカフェ店員に殴りたい衝動を覚える [ドイツ便り]
ドイツ旅行ではエアビーエヌビーに気をつけろ! [ドイツ便り]
ということで急いで管理人に連絡すると「ちょっと確認してから電話するので待っていて」と言われる。そこで3分ほど待つと電話が来て「鍵の管理をしている女性は、間違いなく入れていると言ってる。本当に鍵はないのか?部屋は間違ってないのか」と言うので、部屋は間違ってないし、我々は寒空の下、一刻も早く部屋に入りたいので、デタラメを言うような余裕はない」と答えると、「分かった。ただ、そこまで25分ぐらいかかるので待っててくれ」と言われる。「了解、早く来てね」と言って電話を切って、寒空の下、25分ほど待つと果たして管理人はやってきた。「子どもの誕生会だったので、ちょっと対応が悪くて申し訳ない」と管理人は謝り、てきぱきと対応してくれて、若干のディスカント・サービスまでしてくれた。
まあ、寒い中、待っているのは辛かったが、宿自体はとてもよく、そこで夕食も朝食もしっかりと自炊できるだけの設備が整っており、コスパも悪くなかったので不満はないのだが、これは管理人が危機にしっかりと対応してくれたからだ。その点は、ドイツでは必ずしも期待できる訳ではないので、やはりエアビーエヌビーを使う際には、相当、留意した方がいいと今回も思わされた次第である。
ドイツ旅行ではコイン・ロッカーに気をつけろ! [ドイツ便り]
【問題のロッカーは蒸気機関車の写真が貼られている右から二段目、上から二段目のものである】
一条ゆかり『有閑倶楽部』 [書評]
これが連載されていたバブルの頃の世相も反映させており、バブルならではのハチャメチャさは、これからバブル時代を考証するうえでも役立つような内容であろう。バブル時代は、皆、この主人公たちのようなライフスタイルを送りたかったのではないだろうか。楽しく、信頼できる仲間たちと、数々のチャレンジを知恵と勇気と優しさで克服していく。
個人的に気になるのは、ちょっと面食い的価値観が絶対視されていること。しかし、これは当時の時代の空気であって、今の時代では受け入れにくいような、ちょっと記号消費的な価値観がバブル時代を覆っていたのだな、ということを逆に伝えてくれる。こういう漫画が描かれた時代に生きていたことをちょっと嬉しく思わせるような肯定的な気分にさせてくれる、愉快痛快な作品である。
有閑倶楽部 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 2 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 4 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 5 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 6 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 7 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 8 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
- メディア: Kindle版
有閑倶楽部 9 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
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有閑倶楽部 10 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
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有閑倶楽部 11 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
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- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
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有閑倶楽部 12 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
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有閑倶楽部 13 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
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有閑倶楽部 14 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
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有閑倶楽部 15 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
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有閑倶楽部 16 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)
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- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/29
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南アフリカの研究者とトレバー・ノアの話をしたが、相手はそれほど乗ってこなかった [グローバルな問題]
さて、しかし、このトレバー・ノアの素晴らしさを共有してくれる日本人はほとんど滅多にいない。というのも英語のユーチューブを好き好んで毎日、観るような日本人は私の周りにもいないからだ。したがって、私のトレバー・ノアへの愛はほとんど誰にも語ることができず、自分の中にて沈殿していた。そういう状況であったので、南アフリカ人と出会ったので、もう私のトレバー・ノアの愛情をこの人にぶちまけてしまった。「トレバー、最高!」みたいな感じで。
すると、この南アフリカ人は、最初は愛想で「分かる、分かる」と頷いてくれていたのだが、あまり私がひつこいので、「まあ、ちょっと南アフリカだと食傷気味だけど」みたいなことを言われてしまった。まあ、おそらく私以外でも「南アフリカ=トレバー・ノア」みたいな人が多いのだろう。したがって、外国に行くと、同じようなことを言われてしまっているのではないだろうか。まあ、私の南アフリカ像も、ほぼトレバー・ノアでつくられてしまっているからな。私も、これまで随分と溜めてきたトレバー愛が結構、発散できたので、これ以降はちょっと気をつけなくては、と少し、反省した。日本人も大谷の話題ばかりを振られたら嫌になるかもしれないしな・・・いや、どうかな?けっこう嬉しいかも。
ドイツの物価(1)-2023年11月 [ドイツ便り]
・ズッキーニ:1キログラムあたり5.99ユーロで、比較的大きなズッキーニということもあって一本2.84ユーロ。
・赤パプリカ:1キログラムあたり11.90ユーロで、比較的大きなパプリカということもあって一個2.90ユーロ。
・キノコ:1キログラムあたり9.90ユーロで、比較的小さいキノコを二つで0.67ユーロ。
・卵6個で2.79ユーロ。
・洋梨一個で2.10ユーロ。
・ミルクが一リットルで1.79ユーロ。
・チーズが1キログラムあたり21.90ユーロで、4.38ユーロ。
結構、野菜とか果物は日本の方が高いというイメージを持っていたが、必ずしもそうでないことがわかる。赤パプリカが1個500円、ズッキーニが一本500円って日本でも随分と高いかと思う。洋梨も400円ぐらいだ。うん、日本の方が安いな。
ただ、この後、肉屋で牛肉を買ったら、300グラムちょっとで6ユーロ。これは、流石にまだ日本の方が高い。
渡辺克義『物語ポーランドの歴史』 [書評]
物語 ポーランドの歴史 - 東欧の「大国」の苦難と再生 (中公新書)
- 作者: 渡辺 克義
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2017/07/19
- メディア: 新書
乾正雄『夜は暗くてはいけないか』 [書評]
ベルリンの水道水は不味い? [ドイツ便り]
キュリー博物館で考える [原発問題]
また、放射能は発見された当時は万能薬のように思われていて、もう、色々な病気の治療に使われたことが分かりました。まあ、化粧品とかでも使われていて、それは高額だったので金持ちしか使えなかったのですが、多くの使用者がその後、皮膚癌で亡くなります。
マリーも放射能の長年の被曝が原因で亡くなったのですが、彼女の共同研究者も多くがそれを原因として亡くなります。科学を進歩させた偉大なる功績は、このような研究者の犠牲のうえに積み重ねられてきた訳です。我々としては、先人の貴重な犠牲から、その危険性をしっかりと認識し、それと上手く付き合って社会を営んでいくことが重要だということを改めて学びました。原子力発電の再稼働に突き進んでいる政治家とか電力会社とかは、その危険性に対して、もっと謙虚にならなくてはいけないと再確認しました。
九州電力の池辺社長は11月7日に鹿児島県知事を訪問して、「原子力発電所の安全に万全を期す」と述べたそうですが、基本、その安全を脅かすのは阿蘇山や霧島岳、桜島の火山群であって、九州電力が「安全に万全を期する」ことができるような代物では全くないわけです。人災で事故が起きることはないでしょうが、福島原発の事故もそうでしたが、天災で事故は起きるのです。特に「火の国」九州はその危険性が高くて、安全とかを安易に述べられるような状況では全くない訳です。日本は狭い国土ですが、地球上の10分の1の地震が起きるところなのです。そして、日本の中でも九州は特に多い。別府温泉なんて、アイスランドが見劣りするぐらいの温泉地です。そういうところで原発を稼働させるのに「安全に万全を期する」ことができる訳がない。ちょっとキュリー夫人から話が発展し過ぎましたが、そういうことをしっかりと次代の人間が理解しないと、キュリー夫人も浮かばれません。
前田愛『都市空間のなかの文学』 [書評]
ワルシャワ発ベルリン行きの列車が二時間遅れる [地球探訪記]
ポーランドの地方都市の公園で公共が提供しているワイファイ・サービスに接続する [都市デザイン]
「旅行嫌い」の人たちに反論してみる [地球探訪記]
興味深い指摘ではあるし、町田氏のような作家であれば、そういう考えもあるかな、と思ったりする。自分の生活がめちゃくちゃ刺激的で、もう日々の生活で消化できないぐらいの情報量が入ってきて、それへの対応で楽しくてしょうがない、というような人にとっては何でわざわざ旅行に行かなくてはいけないのだろう、と思うのは想像することができる。
ただ、この記事を書いた朝日新聞の記者までも「納得」と記事をまとめていたり、コメントプラスでサンキューたつおが「鋭い指摘」とか書いていたりするのには、おいおいおい、と思わずにはいられない。そこで私の考えを披露してみたい。
まず、一点目の「旅行の準備が面倒」という点であるが、ネットがこれだけ発展した今、そんな準備は全然、面倒じゃあない。これが面倒であれば、ちょっとした事務の仕事もすることができないのじゃないか。朝日新聞の記者とかもサラリーマンなので、こんなことでも面倒であれば、ちょっと余計なお世話だが本当に心配だ。私ならまず絶対、採用しないだろう。なぜなら、旅行の準備ではなく、その後の清算事務の方がよほど面倒であるからだ。ホテルや飛行機、列車の予約は簡単だ。その後の清算事務や出張報告書を書くことは本当、面倒だ。私はそういうのが苦手なので苦痛である。したがって、清算事務が面倒なので出張旅行に行きたくないというのなら、まだ分かるが、旅行の準備が面倒?というのは、社会人として致命的に問題があると思う。しかも新聞記者である。情報が取れそうであれば、どこにでも出かけていくのがほぼ本能のようでないと不味いのじゃあないか。
私は大きく括ればジャーナリストであるかな、とも思うが、そのためには情報収集のためにあちらこちらに行きまくるようにしている。現場で得られる情報が何しろ、一番、情報の質が高かったりするからだ。それでも、新聞記者のような貪欲さがないな、と反省したりすることがあるのだが、旅行の準備が面倒?これは新聞記者に向いてないということじゃないのか。
あと、旅行が記号消費化しているという側面は確かにあるが、それが嫌であれば、別に旅行に行っても記号消費しなくてもよいだけの話だ。というか、旅行を記号消費として捉えている時点で、もうそういう「旅」素人と議論をする必要もないかな、と思ったりもするのだが、私の場合は、旅行が「仕入作業」に近いので、それは生産する素材のインプットであったりする。もちろん、旅行はそれが与えてくれる刺激や環境変化によって自分自身をも変えさせてくれる。それは自分の器を大きくさせてくれるような変化である。すなわち、自分が生産するために、自分の器を広げて、そこに材料を仕入れるといったような作業が旅行なのだ。確かに先日、高校時代の友人がベルリンに来て、一緒にベルリン歩きをしたが、まあまあ記号消費的な観光をした。国会議事堂、ブランデンブルク門、ホロコースト記念碑、ポツダム広場、アレキサンダー広場、ベルリンの壁、ハッケシェ・ヘーフェ、チェックポイント・チャーリー、ユダヤ博物館を回ったのである。これらランドマークを巡って、そこで写真を撮影して、ただスタンプ・ラリーのように観光記号を消費しただけじゃないか、という批判はあるかもしれないが、この友人は「ベルリンは思ったより大都市じゃないんだ。ベルリンには高い建物が少ないんだ。ウンテル・デン・リンデンは森鴎外の「舞姫」に出てきたあの通りか。ユダヤ人をベルリンは随分と受け入れてきた過去があったから、それの反動のナチの台頭か。」など、いろいろと気付きもあったようだ。そういう気付きは必ずしも、ただの消費とは言えないのではないか、と思うのである。
私も、今、この記事を、ポーランドを一人旅している最中に列車内で書いているのだが、ワルシャワの王宮の復元を目の当たりにして、ポーランド人の自らのアイデンティティへの執念の凄さにもう驚いたり、ワルシャワ博物館では、第二次世界大戦で破壊された旧市街地の状況をみて愕然としたり、マリア・キュリー博物館では、彼女の家族がほぼ全員、とびきり優秀であったことを知ったり、彼女のロマンスを知ったりと、はたまたワルシャワ蜂起で支援するといったロシアが裏切ることで、蜂起が失敗して皆殺しにされて、やはりロシア人は信じられないな、と思えば、ポーランド分割を正当化する論文を最近、ロシア人が書いているのを知って、やはりロシアという国は人類的に問題だな、という考えをもったりして、ポーランドを旅する前の自分よりずっと賢く、幅も広くなっていると思うのだ。
まあ、私は町田氏に比べると、日々の生活に大した刺激もないので、そういう旅行に行って補っているというところがあるかもしれないが、それをドライブさせているのは間違いなく知的好奇心である。世の中のことを知りたい、という気持ちが旅行に行かせているのである。
一条ゆかりの『有閑倶楽部』の面々は、しょっちゅう旅行に行く。まあ、作家にとってネタがつくりやすいというのもあるが、彼ら・彼女らは旅行が与えてくれる刺激が人生を楽しませてくれるということを分かっているからじゃあないのか。確かに、旅行に行かないと日々の人生がつまらないのに問題があるんじゃないの、という指摘は一理あるかなとは思うが、それは町田康のような破天荒な人生を歩んでいる人だからこそ、その発言に重みがあるのであって、新聞記者が主張するのは違うかなと思う。中田英寿のように「人生は旅だ」という意見は違うとは思うが、非日常の刺激を得て、自分の視野を広げ、より多くの知識を知るためにも旅というのは極めて重要かなと思うのだ。
もちろん、人によって考え方が違うのはあるかなと思う。私は例えばカレーのルーは使わないし、電子レンジも使わなければ、冷凍食品も食べない。これは、料理が面倒な人には理解できないことかなとも思う。私はどうせなら美味しい料理が食べたいし、美味しい料理を知りたいし、そのために時間をかけたりすることが面倒だとは思わないからだ。むしろ、不味い料理を食べた方が、貴重な時間を損したと思う。同じことが旅行にも言えると思う。私はいろいろなところに行って、刺激を受けて、自分の脳味噌を拡張させていき、より多面的に物事を捉え、考えられる人になりたいとこの年になっても思っている。そのためには、旅行に出かけることはとても有効なのだ。そういう意味で、「人生は旅だ」とは言わないが、旅は人生を豊かにしてくれる、とは言いたいとは思う。もちろん、豊かな人生を送るのが面倒な人はそういうように生きられればいいし、そういう人にとやかく言う資格はないかなと思う。余計なお世話的な意見を言っているかもしれない。
ワルシャワからウッチに鉄道で行こうとして混乱する [地球探訪記]
ここでチケットを買ったら9時58分発の列車のチケットを売ってくれた。さて、いろいろと整理はされていないのだが、なんか列車の運営主体が少なくとも3つあることが分かった。私が乗った列車はLKAという会社が運営しているもので、他にもIC(これは普通にポーランド国鉄か・・・ドイツだとIntercityの略ではあるので運営会社ではないのだが)とKMがある。おそらく上下分離をしているのであろう。いや、大外しをしていたら申し訳ないが。あと、てっきり始発かと思っていたが、始発ではなかった。始発ではないとすると、これは中央駅も通っているかと思うのだが、そうするとなぜ、中央駅の切符売り場では売ってくれなかったのだろう。ちなみに、この列車は全席指定ではなかったので、別に満席というようなことは無いはずである。列車もそこそこ空いていたし。なんか理由があるのだろうけど謎だ。
列車は結構な高速で走って行き、ポーランドの牧歌的な田園風景の中を疾走していった。なかなか列車移動は快適であった。ウッチには時間通りに到着した。
ポーランド人は交通規則を守る? [地球探訪記]
ワルシャワ [地球探訪記]
ポーランドは国として長い歴史を有していることもあり、ポツナン、クラカウ、ブロツワフ、ダンツィヒなど歴史ある都市が多い。ワルシャワはそういう都市と比べると、遥かに歴史が浅い。そもそもは小さな漁村であり、その名前が文献に初めて載るのは1313年である。そして、大聖堂が建つなど徐々に都市としての様相を整えつつあったが、大きな転機となったのは16世紀にジグムント3世がポーランドの首都をクラカウからワルシャワに移転することを決めてからである。この移転はクラクフの王が居住していた城で大火災が起きたことが契機であり、当時、スウェーデン王も狙っていたジグムントはクラクフに比べて、よりスウェーデンに近く、また居住するのに適切な城郭のあったワルシャワに目を付けたのである。
18世紀のワルシャワは、ポーランドの繁栄の恩恵を被り、「北のパリ」と呼ばれるほど文化・経済が発展していく。しかし、1795年にポーランドの土地はプロシア、ロシア、オーストリアに分割され、クラクフはオーストリア、ワルシャワやダンツィヒはプロシアに属することになる。ちなみに、今のベラルーシのミンスクなども分割前はポーランドの領土であった。その後、ナポレオンによってプロシア、ロシア、オーストリアが蹴散らされ、ワルシャワ公国の首都となる。しかし、1815年にナポレオンが敗走し、ワルシャワはロシア帝国の支配下に陥る。ただし、19世紀後半にはロシア人の市長ソクラテス・スターリンキヴィッツのもとに上水道・下水道が整備され、トラムの近代化、街灯の整備などが遂行され、ワルシャワは発展していく。その結果、1850年から1882年の期間にワルシャワの人口は134%も増加し、38万3000人の人口を擁することになる。この人口は1897年には62万6000人にまで膨れ上がる。これは、ロシアの中ではセイント・ピータースバーグ、モスクワに次ぐ多さであった。そして、第一次世界大戦終戦で、ドイツとオーストリアが敗戦国となったため、ポーランドは独立し、ワルシャワが再びポーランドの首都となる。
ただし、1939年に再びドイツの侵攻を受け、ドイツの占領下に入る。そして、終戦も間近になってヒットラーはワルシャワの総破壊を命じ、その結果、ワルシャワの85%は破壊され、歴史地区や王宮もその犠牲となった。
第二次世界大戦、ワルシャワはまさに廃墟から復活の道を歩み始める。住宅不足のためにプレハブ式の集合団地が多くつくられ、数少ない19世紀から戦災を回避できた建物群も社会主義の考えのもとに撤去された。石畳の道はアスファルト舗装され、道幅は大幅に広幅員となった。歴史ある通りもこの社会主義時代に再開発で随分と失われた。一方で、王宮や歴史地区は元の姿に限りなく戻すために、作り直していく。ここらへんの考え方は、社会主義的でなく、なぜそのように取り組んだのかは興味深い。
ワルシャワの最初の地下鉄が通ったのは1995年と随分、最近である。その後、二本目が2015年に開業している。公共交通をどんどん発展させているのが、今のヨーロッパの都市である。日本は逆行している。この点は本当、面白い。
ポーランドは2004年に欧州連合に加盟するが、それ以来、ワルシャワは経済発展を謳歌している。人口も1990年の166万人から2022年には186万人まで増えている。もちろん、この増加には、ロシア・ウクライナ戦争によるウクライナ難民の増加が寄与している。
ワルシャワ行きの列車がキャンセルされた・・・がめげずに到着することができた [地球探訪記]
などと考えているうちにフランクフルトに着いた。フランクフルトといってもオデールの方でマインの方ではない。ホームの隣にしっかりとワルシャワ行きの列車が待っていた。ということで、無事に乗ることができた。一応、指定席を確保しているのだが、そのまま指定の状況になっているのだろうか。まあ、これもそのうちすぐに分かる。
ワルシャワ行きの列車はがら空き。多くの人が旅行をキャンセルしたと思われる。私は3人掛けの真ん中、後ろ向きというほぼ最悪の席であったが、それは、これがほぼ満席であった、ということを暗示している。ちなみに指定席はそのまま有効であった。6人掛けのボックス・シートに私とアゼルバイジャンからの若者の二人だけ。
ワルシャワまでは5時間30分かかるのと到着時間で19時30分と遅いので、食堂車で食事をする。ポーランドの列車の食堂車はどうもキッチンがついているようで、そこで調理をするので美味いのだ、という情報をドイツの知人から聞いたからだ。果たして、鶏料理を注文したが、なかなか悪くなかった。いや、食堂車ということを考えると、相当美味しいかもしれない。ビールを呑んでほろ酔い気分になって、アベルバイジャンの若者と話をしていたらワルシャワに無事、到着した。時間通りである。
ワルシャワには以前、2009年に当時、住んでいたデュッセルドルフから夜行列車で向かおうとしたことがある。そして中央駅で列車を待っている時、ちょっとホームにある時刻表をみていた瞬間に、スーツケースが消えていた。まさに「マジック」という感じであった。それで、もうその時はワルシャワに行くのは断念して、真夜中に警察署に行って盗難届を出したという苦い思い出がある。スーツケースの中には、交換用のレンズが入っていた。あと、スーツケース自体がいい値段をした。ということで、なかなか縁のないワルシャワであるが、今回も列車が運行中止になった時は「またか!」と思わせられた。ただし、ホテルのキャンセル料がかかるので、本当、頑張って行くようにしてよかった。
埼玉県の「子どもだけで留守番禁止」条例改正案からみる、議員の馬鹿さ加減 [都市デザイン]
これらがなぜ、虐待であるかが分からない。「子どもだけで公園で遊ぶ」、というのは私の子ども時代の素晴らしいよい思い出である。缶蹴りとか鬼ごっことか、似たような年齢の子と公園で楽しんでいた。ここに親というか大人が入ってくると、随分と水を差されたような気分になったものである。そこでつくられたのは子どもだけの世界で、そこで私は随分と社会化されたと思う。ドラえもんでのび太やジャイアンが空き地で遊んでいるが、埼玉県の条例ができたら、ドラえもんの物語も成立しないな。
次の「子どもだけでおつかいに行かせる」というのも、素晴らしくワクワクした体験であった。いわゆる「初めてのおつかい」・・・私は家のそばのパン屋におそらく幼稚園の年長ぐらいの時に行ったと思うのだが、その時は「親から頼まれた」という事実に意気揚々として、無事に買い物が出来て褒められた時は、大いなる達成感を覚えた。こういうハードルを一つ一つクリアしていき、子どもは徐々に社会化していくのである。このような機会を政治家が奪うのはとんでもなくけしからんことだと強く思う。
三番目の「高校生のきょうだいに子どもを預けて外出する」というのは、ちょっと何が悪いかは不明だが、アメリカなどでは高校生の一番のアルバイトはベイビー・シッターである。この条例ができたらベイビー・シッターも出来なくなってしまい、高校生が気軽にできるアルバイトがなくなる。あと、子どもは高校生ぐらいの準大人が大好きだ。これらのお兄さん、お姉さんから子どもが多くを学ぶというのは、例えば世田谷区のプレイ・パークなどをみても明らかである。これじゃあ、埼玉県じゃあプレイパークも出来ないな。
このように上記の3点をみても、まったくもって子どもにとってマイナスな改正案であるが、実際、これらが施行されたら親、特に母親はたまったものじゃない。こんな条例が成立したら、まともに働けないし、子どもがさらに負担となる。子どもを産みたい気持ちをさらに削ぐような愚策である。少子化が問題となっている今、むしろ、母親(父親も含む)の負担を減らすような政策こそ進めなくてはいけないのに、まったく逆行している。
このような改正案を出そうとしている議員が多い埼玉県は、とんでもない自治体だなと思うのと同時に、そもそも、なんでこんな改正案が出てきたのだろうか。
どうもそのきっかけは、「保育園バスなどの置き去り事故が相次いだ」ことを受けてだそうだが、そうであれば、なぜ置き去り事故が起きたのか、また置き去りについての罰則を強化させればいいだけである。なんで、そういう発想にならないのか。
また、改正案は自民党県議団でプロジェクト・チームを設置しまとめたそうだが、この58人のうち女性は3人だけである。この団長の田村琢実というのが、どうも首謀者に近いようだが、彼には子どもはいない。そりゃ、そうだ。子どもがいたら、こんな改正案がおかしいことぐらいすぐ分かる。1971年のさいたま市生まれ、ということだから、1963年に池袋のそばで私がしたような子どもだけの公園遊び、みたいな経験には乏しかったのであろうか。こういう遊びは意外と都会の方ができたりするから。ベイビー・シッターのようなアルバイトも高校生時代にしてなかったのだろうな。
ちなみに、私は小学校4年生からアメリカのロスアンジェルスで暮らしていたが、よく友達と一緒にお姉さんにベビーシッターをしてもらっていた。彼女には母親はアルバイト代を渡していたと思おう。4つぐらい上で、子供心になんかうれし恥ずかしいような気持ちになった。自分も中学校一年の時に、ベイビー・シッターのアルバイトをしていた。まあ、知り合いの子どもと一緒にテレビを見たり、トランプをしたりするようなものであったが。子供たちには慕われていたのと、小遣いが少しもらえたので嫌な体験ではなかった。もちろん、アメリカと日本では一緒に出来ないが、このプロジェクト・チームでは、アメリカでは子供たちで登下校をさせない、という発言があったそうなのでちょっと付け加えさせてもらった。また、アメリカでは子供たちだけで登下校する場合はある。私はロスアンジェルスの郊外というアメリカでも自動車化が進んでいるところに住んでいたけど、登下校は歩いてたし、友達もそうだった。友達が家まで迎えに来てくれていた。そして、そのような傾向は歩いて行ける範囲で住んでいる児童は今でもやっている。もちろん、当時でも自動車で送ってもらう子たちもいたけど、それが100%ではない。ただ、アメリカは治安が悪いので、私も結構な頻度でカツアゲ少年とは出会う。私も結構、会った。しかし、それをうまく回避するために知恵を使ったことはその後の人生で多少は約に立っているかとも思う。基本、学校と家の間を歩くと、道ばたの花とか木とかと親しめるし、周りの人たちも知ったりする。私が都市に興味を持たせてくれたのは、この時の経験が大きいと思う。本当、親が放っておいてくれて、そういう面では幸せであった。
このように考えると、このプロジェクト・チームのメンバーは、おそらく相当、頭が悪いと思われる。つまり、何が欠けているかというと、問題(この場合は、置き去り事故)が起きたことを受けた後の背景・要因の分析、そして、それらを解決するために何をすればいいのかの政策論での検討、である。田村団長のコメントなどをみると、彼に欠けているのは、上記の分析・検討をするための頭脳だけでなく、周りの状況をしっかりと把握しようとする謙虚さ、であると思われる。ただ、彼はプーチンではない。彼は公正なる選挙で選ばれている県会議員である。そのように考えると、その責は埼玉県にある。ダサいの語源が埼玉であることを思い出すような改正案であった。まあ、却下されてよかった。これは、母親はもちろんであるが子どもにとっても、とてもよかった。というかジェイン・ジェイコブスの本とか、ヤン・ゲールの本とか、拙著(『若者のためのまちづくり』岩波書店)などを埼玉県民は読んで欲しい。
ベルリンのアパート管理会社との行き違い [ドイツ便り]
もう、しょうがないので大学の事務に苦情を言ってもらったら流石にビビって、もう既に渡している、と言う。いや、渡してもらってないから、ということも同僚や秘書、そして大学の事務の方々と共有して交渉したら、どうも、アパートの管理人が私に渡し忘れていたことが発覚した。もう、25日もこの管理人は書類をどっかに放っておいたのだ。めちゃくちゃ、けしからんな、と思ったのだが、わびの言葉は一言も無し。とはいえ、問題は一件落着です。とはいえ、これははじめの一歩にしか過ぎませんが、いろいろと大変です。
こんな仕事が出来ない国と比べて、人口当たりのGDPが2/3の日本って何なんだろう、と痛切に感じますね。ただ、圧倒的に政治家のレベルは、日本は低いと思います。国のことより、自分、そして自分の選挙基盤のことばかり考えているからね。この経済がグローバル化している中、そういう発想だけで政治をしていたら、どんなに国民が優秀で頑張っていても、国の競争には負けることが、ドイツにいると痛切に感じます。
ポツダムを訪れる [都市デザイン]
郊外鉄道であるSバーンはベルリンの郊外住宅地であるグリュネヴァルトを過ぎると広大な森の中を走って行く。アウトバーンが並行に走っていて、しばらく駅もない。これは、ちょっとしたグリーンベルトのようなものかもしれない。
さて、ポツダムは極めて変わった都市である。というのも、ベルリンという大都市の郊外都市として位置づけられているにも関わらず、ブランデンブルク州の州都であるからだ。州都であるのに、隣にベルリン州があってベルリン市があるために、なんか存在感が薄い。ちなみにポツダム市の人口は18万人ぐらいで、ベルリンの10分の1にも満たない。そのくせ、ブランデンブルク州では人口が一番多いのだ(というか、ブランデンブルク州の都市、小さすぎないか)。さらにプロシアの都であり、王宮は世界遺産に指定されている。都市としての歴史も1000年以上あり、新参者のベルリンに比べると古参である。そういう意味では、むしろベルリンより格が高い。地理的にもまったく平坦な湿地跡につくったベルリンに比べると、多少、丘陵があったりして、そういう意味でも豊かである。
ポツダムに訪れるのはおそらく4回目である。2006年と2011年に訪れた時の写真は、私の写真ストックにあるのだが、もう一回、雨の中、ブランデンブルク州の役所に取材に訪れた時がある。このときは、ベルリンから慌てて自動車で往復したのと、また、雨が降っていたので写真をまったく撮影しなかったように覚えている。さて、ポツダムはいいイメージがまったくない。東ドイツ時代に建てられた集合住宅のプラッテンバウがポツポツと建っていて都市のオリエンテーションも分かりにくく、なんか陰鬱なイメージを抱いていた。もちろん、サンスーシ宮殿は流石にゴージャスだとは思ったが、それ以外にはいいイメージがなかった。今回、中央駅に訪れて驚いたのは、おそらく10年以上ぶりということもあるかもしれないが、相当、改善されている、というか見違えるようによくなっていた。前回、訪れた時に工事中であったものが、結構、具体化されたという感じであろうか。特に聖ニコライ教会の周辺のアルト・マルクト辺りは見違えるようである。トラムも東ドイツ時代のものが随分とアップグレードされたようで、都市に彩りを与えている。
思っていたより随分と興味深く、今回は偵察という感じであったが、これからもう少し、しっかりと調査をしたいと思わせられた。今ひとつであったものを、都市デザイン、都市計画の力で改善させていく。この点においては、ドイツは優れているとつくづく思っていたが、それを強烈に再確認させてくれたポツダム訪問であった。