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鈴木秀夫著『風土の構造』 [書評]

1975年に出版された本。私の手元にあるのは第七刷で1990年発行となっている。どんだけ積んでおいたのだろうか。今でも文庫本で手が入る。おそらく購入したきっかけは「風土」という言葉に惹かれたからであろう。さて、しかし、本の内容は気候学の本であった。気候によって風土や文化の様態に影響を与える、という事例や考えが述べられていて、とても刺激的で読んでいて飽きない。とはいえ、タイトルと本の内容には齟齬があるだろう。また、個人的には著者の研究に対する考え方が非常に参考になった。演繹的ではなく、帰納的なアプローチが必要である、という考えの説明は素晴らしい。何かの時に引用したい、と思わせた。


風土の構造 (講談社学術文庫)

風土の構造 (講談社学術文庫)

  • 作者: 鈴木 秀夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/11/08
  • メディア: 文庫



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Kotoko [映画批評]

いやあ、これは心底、酷い映画だ。まず、カメラワークがひどい。素人でももう少し、しっかりと撮影するだろう。演出も酷い。最初の女の子の踊りからして、どうにも出鱈目だ。いや、出鱈目な踊りというのも演出として意味があるのかな、と好意的に捉えようとしたのだが、そういう訳でもないようだ。これはCocco本人なのだろうか。そうであれば、他の踊りのシーンもそうだが、バレリーナとして大成できなかったことが理解できる。この映画は、狂気を描こうとしているのかもしれないが、それで何を見るものに訴えたいのか、そのメッセージは伝わらない。最後にCoccoの本当の息子が出てくるので、子育てと妄想に苦労した半生を訴えたいのかもしれない。しかし、好意を持ってくる田中への壮絶な暴力行為とか(どうもこれは妄想ではないようだ)を通じて、訴えるのは半端ないCocco演じる主人公の狂気である。そして、この狂気に共有する人はあまりいないと思う。
Coccoは凄い歌手だと思う。そして、いい曲を作る。天才的だと思う。しかし、この映画は彼女のいい側面を全く出してない。というか、この映画に出て、本人は何をしたかったのであろうか。もし、自分の内面等を表現したいのであれば、カメラワークとかシナリオとかは、もっとしっかりと考えた方が良かったのではないだろうか。ダンスの振り付けとかももっと考えるべきであっただろう。というか、ミュージシャンなのだから、音楽で表現をしていれば良かったのに、なぜ、映画のようなメディアに手を出したのであろうか。この映画を観たものが救われるのはCoccoが歌っている場面だけである。これが映画的に価値を持つとしたら、ノンフィクション的な事件がベースになっている時だけだと思う。監督や製作者、そしてCoccoにもマーケットを舐めるな、と言いたい。もしかしてヘロインでもやっているのか。まあ、私の意見などはどうでもいいだろうし、Coccoに関してはマーケットとかどうでもいいのだろうが。とはいえ、映画を観た後、Coccoの音楽はあまり自分には必要ないな、とも思わせられた。それが、もしかしたらこの映画の意図なのかもしれないな。

タグ:Cocco
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寺沢武一『ゴクウ』 [書評]

2023年9月に逝去された寺沢武一のハードボイルドSF漫画。1987年から『コミック・バーガー』にて連載された。左目の義眼に全てのコンピューターにアクセスすることができる端末が埋め込まれている探偵、風林寺悟空を主人公とする物語だ。寺沢武一の代表作である『コブラ』から緩さをそぎ取った、もう半端ないハードボイルドで画風も人間離れしたものとなっている。ある意味で『コブラ』という少年誌で妥協せざるを得なかった、作者がもう思う存分に自分が描きたいものを描ききったという印象を受ける。まだソ連を崩壊する前、インターネットが普及する前にこのようなストーリーの着想を得たということが驚きだ。天才、という言葉がふさわしいような漫画家であることをこの作品を通して改めて思う。


ゴクウ 1

ゴクウ 1

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2016/07/26
  • メディア: Kindle版




ゴクウ 2

ゴクウ 2

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2016/07/26
  • メディア: Kindle版




ゴクウ 3

ゴクウ 3

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2016/07/26
  • メディア: Kindle版



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James Kunstler『Home from Nowhere』 [書評]

1993年に出版した『Geography of Nowhere』で売れっ子になったKunstlerの1996年の著書。後半のFarmersの章以降は、ナルシズムプンプンな文体になって、ちょっと読み進めるのが辛くなるが、それ以外ではなかなか面白い本であるかと思う。特に、前半の著者の取材を主体として、プロジェクトの背景、それの顛末などを描く手法は、臨場感があって読み応えがある。文筆力は高いと思われる。ただ、この本を読むのであれば、『Geography of Nowhere』がずっとお勧めである。
 ちなみに最近になってKunstlerはトランプ支持者になり、コロナのワクチンも陰謀説を訴えたりするようになっている。この本の著者とは思えないような宗旨替えであろう。なぜなら、トランプこそKunstlerが糾弾するデベロッパーの代表格であり、なんで、そういうことが分からないのか不思議である。この本の最後では、生きていることを十二分に楽しんで、この世に生まれたことを感謝するような人生を送りたいのだ、と述べていたのだが、なんかどうなってしまったのか、と思わずにはいられない。というか、人生、なかなか厳しいものがあるのだな、と改めて思わせられる。

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九州大学の学生の父親刺殺事件を考える [その他]

九州大学の学生の父親刺殺事件の裁判での判決がおりた。懲役24年。事件が起きたのは今年(2023年)の9月である。被告人は小学校の時から、成績が悪いと暴力を受けていた。そして、暴力を受けながらも勉強を重ね、高校は県でトップの公立高校、そして大学は九州大学に合格した。暴力をこれだけ長期間、受けていたにもかかわらず超一流大学に合格した。さぞかし、父親も息子の合格を喜んだであろう。ところが、父親の暴力は九州大学に合格した後も続いたのである。被告人は公判で「心が、もうどうしょうもない状態で壊れそうになった」と述べたが、そりゃそうだろう。九州大学に合格するための暴力かと思えばある程度耐えられるが、合格した後も暴力を振るわれるというのは耐えがたい。これは、父親は息子の成長のために暴力を振るっていたのではなく、もう暴力をとりあえず振るいたいから振るっていたということだろうか。息子は建築士になりたいと思っていたのだが、「なれるわけないだろう」と否定していたそうだ。いやいや、九州大学に入ったなら、普通、建築士ぐらいなれます。この息子への否定は一体全体、何なのだろう。
 父親はスマホの待ち受け写真は息子のものにしていたらしいので、愛情がないという訳ではない。しかし、その愛情が極めて歪んだものとして表出されていた。父親は高卒で、自身の学歴を「九大を退学した」などと周囲に偽るほど劣等感を抱いていたそうだ。そのような劣等感を息子に持たせたくないということで暴力を通じての躾(?)をしていたのだが、逆に息子が九大に合格したので、今度は息子への劣等感が九大の合格後に暴力という形で爆発したのかもしれない。建築士に「なれるわけないだろう」との発言は、息子への劣等感が背景にあると考えると理解できる。
 基本、人を「学齢や名声、高い社会的地位」などの尺度で評価する価値観に父親はずっと囚われてしまっていたのであろう。父親はその尺度では負け組であった。その負け組に息子はさせないと思い、躾(?)をし、無事、勝ち組側に行けた息子の成長に喜ぶのかと思ったら、今度は、息子に強烈な劣等感を覚えてしまったのだろうか。
 私が通っていた高校は進学校であり、そのような価値観を持っている同窓生が多かった。というか、還暦を過ぎてもそういう価値観から逃れられなかったりする。同窓生が最近、亡くなったのだが、彼の葬列者数を自分達の知り合いの葬儀と比較して、その優劣(?)をSNSで話して盛り上がっている様子をみて、私は心底、ゾッとした。人生はそんな葬列者の数とか、学歴とか、社会的地位で良し悪しを決められるほど単純ではない。もっと奥が深い。だから、音楽とか小説とか映画などの芸術が必要なのだ(ちなみに、前述した高校の同窓生はその音楽もショパン・コンクールの順位とかで解釈したがる)。というか、この世に生まれ落ちた奇跡を、限られた時間の中で、思う存分、満喫するようにして生きればいいのだ。この父親も、自分は経済的な条件等から厳しかったのかもしれないが、子供たちにそのような機会を与えることはできた。しかし、九州大学に合格した後も暴力を振るうというのは、一体全体、この父親は息子にどうなって欲しかったのか。おそらく、九州大学に合格した時点で彼自身も子育ての目標を失ってしまったのかもしれない。建築士はいい仕事だと思う。その機会を提供することができれば、親としては立派な仕事をしたと言えるだろう。そもそも、子に恵まれてない人も多くいる。子供に恵まれただけでも、この父親は自分の人生を肯定できなかったのであろうか。あと、そもそも暴力はよくない。暴力で人をコントロールしようとする、という時点で「学齢や名声、高い社会的地位」以前に親としては失格である、ということは、この悲惨な事件から改めて社会としても共有できることができればな、と考える。

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「ローカル・キャピタル」を発現させ、育てるためには地方分権をより進めることが必要であろう [サステイナブルな問題]

『エコロジカル・デモクラシー』の著書であるランディ・ヘスターの講演を聴く。彼は豊かな地域をつくっていくうえでは、「ローカル・キャピタル」が不可欠であると指摘する。この「ローカル・キャピタル」を発現させるためには、ローカルがしっかりとした自治を行えるようにしないとならない。しかし、日本は21世紀においても中央政権がお金と制度を握っている。したがって、ローカル・キャピタルが蓄積できなければ、それを増やすこともできない。そこにあるにも関わらずだ。これは、よく考えたら当たり前のことで、例え中央政権がどんなに優秀だとしても、全国くまなく目配りをして、そのローカル・キャピタルをしっかりと見つけ、ましてやそれを育てるような政策を考えることは無理だ。それは、地元の人たちじゃないとできない。なぜなら、地元の人でないと地元に精通することは難しいからだ。その資源を見つけ、そのポテンシャルを活かすことを考えるには、時間と情熱が不可欠である。それは中央政権にはとても期待できないものである。何より、地元の人たちがすることで、その結果に責任を持つ。また、その過程でシビック・プライドのようなものが醸成される。
 そのように考えると、地域づくり、まちづくりにおいては地域分権をさらに強く進める必要があることが分かる。予算と制度を中央政府が握っている状況を打破し、「ローカル・キャピタル」を発現させ、それをしっかりと育てていくことが極めて重要であると考える。

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『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 [映画批評]

グレタ・ガーウィッグ監督とシアーシャ・ローナンのコンビの映画作品『レディ・バード』があまりにも素晴らしかったので、同コンビでつくられ、2019年に封切られた『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を観る。若草物語はこれまでも数回、映画化されているが、本作はその中でもベストだという評価もされている。実際、この映画は素晴らしく感動的な作品となっている。ガーウィッグ監督のシナリオがよいことは勿論だが、その素晴らしいシナリオに躍動感を吹き込んだシアーシャ・ローナンの演技が図抜けている。女性としての強さと弱さをここまで見事に表現できる女優はそうそういないであろう。長女役のエマ・ワトソンの存在感が消されてしまっている。いやはや、ガーウィッグ監督の他の作品もそうだが、シアーシャ・ローナンの他の出演作品も観たいと強く思わせる素晴らしい出来である。


ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語 ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語 ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2020/10/14
  • メディア: Blu-ray







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日本の市民参加はアメリカのそれより進んでいる?? [都市デザイン]

アメリカの市民参加をヘンリー・サノフとともに、広く一般化することに貢献したランディ・ヘスターの講演を東北大学で聴く。彼が日本や台湾と関心をもったきっかけは、1990年代にはアメリカの市民参加はほとんど制度側がコントロールをしていたのに対して、日本や台湾の方がずっと優れていたと感じたからだということを知る。そこで、彼は日本や台湾と一緒に市民参加の会議をすると、自分がいろいろと勉強できると感じたのである。つまり、これは、アメリカよりも日本や台湾の方が市民参加については1990年代には進んでいたということである。これは、なかなか衝撃的な意見であるが、以前も、伊藤滋先生(東大名誉教授)が、アメリカ人が日本に来たら、市民参加が民主主義的に行われているので驚いたのを知って、自分が驚いた、という話をしていたことを思い出させた。つまり、日本人はアメリカの市民参加という方法論を参考にしたのですが、本家がアリバイ的に使っていたのをくそ真面目に導入して、逆にしっかりした制度をつくってしまったのである。
 もちろん、これは一面的な見方である。市民参加という方法論をくそ真面目にやっている自治体もあるが、多くの場合はそれほどしっかりとされていない。特に、自治体規模やプロジェクト規模が大きくなれば、市民の声が全然、届かないのは神宮外苑の再開発のケースをみても明らかである。とはいえ、先進国から一生懸命、学んだと思ったら、そのオリジナルより上達してしまったというのはケーキやパン、自動車づくりだけではない。それじゃあ、なんでそれでまちづくりが上手くいかないのかというと、ボトムアップを政策に繋ぐチャンネルがないからだ。逆にいえば、いくら市民参加をしても、このチャンネルが不在であるので暖簾に腕押しになってしまっている。こういう勿体ない制度設計になっていることが、日本がなかなか袋小路を突破できない理由の一つかなと考えたりする。

タグ:市民参加
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原発被災地域のコミュニティ・デザインに参加して絶望的な無力感を覚える [サステイナブルな問題]

コミュニティ・デザインの国際サークルのイベントに参加する。会場は福島の原発被災エリアである。これらの地域の将来像をどのように考えればいいか、を日本人だけでなく、世界の人たちと検討するというイベントである。コミュニティ・デザインであるから、アプローチはボトムアップ型になる。あれだけの巨大な被災を受け、しかも大量な放射性物質に汚染された地域をボトムアップで再生させることは絶望的である。それは個人やコミュニティでどうこうできる状況ではないからだ。とはいえ、多くの地域で全域避難指示が解除され、人々は徐々にではあるが戻りつつある。そして、ようやくボトムアップ型での将来像を考える余裕ができるような状況になる。これは、このようなイベントが震災から12年経ったこの時期にようやく開催された理由である。
さて、しかし、その手法は「とりあえず考えなくてやっていくだけだ」というようなものだ。短期的にどうなるものではないので、長期的に楽観的にやっていくしかない。私もその地域、そしてそこで生活する人々へのエンパシーはあるが、どうしても絶望的な無力感を覚えてしまう。
なぜなら、このような悲劇を地域にもたらした巨大なる社会システムが今でも継続されているからだ。このようなコミュニティ・デザインの会議が開催され、その将来像を模索している中、また、放射性物質を含む水が太平洋に排出されている中、そのような事態をもたらした原因である原発依存のエネルギー・システムに回帰しようとしている。高浜原発をはじめとして多くの原発が最近、再稼働し始めている。福島から学ぶべきことは「ネバー・福島」である。このような悲劇は二度と起こしてはならない。
そして、そのためにはその要因となった原発依存型の社会から脱皮することである。北海道とほぼ同じ規模のデンマークはほぼ再生可能エネルギーでエネルギーを賄うことができている。福島の原発をきっかけに原発から脱却したドイツでは、再生可能エネルギーの割合は46%になっている(2022年)。その再生可能エネルギーへのシフトの道は決して平坦ではなく、いろいろと問題があるが、その道を目指すことで、初めて具体化することができる。それが必要条件である。日本は、目の前にこれだけ悲惨な現実があるのに、それから目を背け、同じ過ちを繰り返す条件を再び揃えつつある。そうであれば、いつまでも原発という「麻薬」から抜け出すことができない。しかも、その「麻薬」で快感を得られるのは、一部の電力会社関係者と政治家、そして地域の有力者ぐらいである。
この根源的なシステムを再構築しなくては、原発被災エリアにも希望をもたらすことはできない。同じ過ちを繰り返さない、ということでこのような悲劇を繰り返さない社会システムを新たに構築して、初めてこのような地域、そして日本の将来に展望が開ける。
私は、日本の将来展望が非常に暗いことが最近、気になっているが、これだけ世界に顰蹙を買うような大失態をしても、そのシステムを変えられない硬直性がその要因ではないか、と考えている。先週までドイツ、デンマークなど、新しいエネルギー・システムに積極的にシフトしていた国を訪れていたこともあって、このコミュニティ・デザインに参加していても、暗澹たる気持ちにさせられる。

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『レディ・バード』 [映画批評]

2017年のハリウッド映画。グレタ・ガーウィッグの監督デビュー作であるが、ロッテン・トマトの批評家支持率が196件目まで100%という極めて希有な作品である。そして、私が批評家でも100%支持するであろう。それぐらいの名作で、この監督の希有な才能を思い知らされる。ストーリーが非常にいいが、そのストーリーを見事に映像化させるのに貢献しているのは主人公を演じるシアーシャ・ローナンである。この自意識が強く、自分に誠実に生きようと藻掻くが、現実との軋轢、母親との対立とで自画が引き裂かれそうになるティーネイジャーの主人公を絶妙な見事さで演じている。高潔でもなく、ふしだらでもなく、不良でもなく、優等生でもない。つまり、9割のティーネイジャーが共感できるようなキャラクターを見事に演じきっている。しかも、自分に非常に正直で誠実である。そして、それが猛烈に観客に訴えかけ、主人公に肩入れさせる。まさに天才的な女優と才能溢れる監督とのコラボレーションが生んだ大傑作である。


レディ・バード [DVD]

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  • 出版社/メーカー: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
  • 発売日: 2019/07/03
  • メディア: DVD




レディ・バード [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
  • 発売日: 2019/07/03
  • メディア: Blu-ray



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『ディア・ハンター』 [映画批評]

1978年の映画。ペンシルヴェニアのロシア系移民の若者がベトナム戦争に行き、まったく人生が暗転しまう、という戦争の悲惨さを描いた映画。ロバート・デニーロが主演であるが、強烈な印象を与えるのはむしろ、デニーロの友人のクリストファー・ウォーケンと、若い時は相当の美貌だったんだということを改めて印象づけたメリル・ストリープである。
 さて、そのクリストファー・ウォーケンの印象的なシーンはロシアン・ルーレットをするところだが、このロシアン・ルーレットが行われたという事実はない、という。そういう意味では、相当ベトナム戦争が歪められて描いているかな、と思われるが、そもそもベトナム戦争を映画で取り上げたという点では強く評価できる。
 戦争の悲惨さを描いたという点では、アメリカ人に自分達の戦争に向き合わせるという役割を果たしたことは評価できるが、ロシアがウクライナに侵攻して両国の戦争をしている状況では、こういう映画を観ても辛い。ロシア人もしっかりとこういう映画で、もう少し、戦争の悲惨さとかを理解できていればよかったのに、もしかしたら観られないようになっているのかもしれない。ロシアのプーチンも、アメリカのトランプも民衆が馬鹿だからああいう指導者が現れる。アメリカ人も『ディア・ハンター』を観て、トランプに投票するような人は少ないだろうから、まあ、せっかくこういう作品にアクセスできてもアクセスしないとまったく意味が無いということだろう。改めて、映画や小説などの重要さを知る。
 さて、この映画を観ていて非常に不思議だったのは、ペンシルヴェニアの若者達が鹿狩りに行く山々が、まったくもってアメリカ東部にはない風景だったことだ。こんな山々はロッキー山脈とかでないとないよな、と思って調べたらワシントン州の山々だそうだ。まあ、確かにオリンピック山地とかの風景を彷彿とさせる。
 あと、このまったくもって悲惨なストーリーの映画に素晴らしい叙情性を与えているのは、主題曲のCavatinaである。この曲は、この映画に芸術性を付加することに著しく貢献している。


ディア・ハンター 4Kデジタル修復版 スペシャル・エディション【2枚組】 [Blu-ray]

ディア・ハンター 4Kデジタル修復版 スペシャル・エディション【2枚組】 [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2019/03/22
  • メディア: Blu-ray




ディア・ハンター [DVD]

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  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2018/06/29
  • メディア: DVD




ディア・ハンター デジタル・ニューマスター版 【プレミアム・ベスト・コレクション 800】 [DVD]

ディア・ハンター デジタル・ニューマスター版 【プレミアム・ベスト・コレクション 800】 [DVD]

  • 出版社/メーカー: UPJ/ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2009/07/08
  • メディア: DVD



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『カジノ』 [映画批評]

1995年のハリウッド映画『カジノ』を機内で観る。ロバート・デニーロとシャロン・ストーンが主演ということと、マーティン・スコセッシが監督であるから、それなりの作品だろうと思ったが、ラスベガスを舞台にした、ただの三流ギャング映画であった。このようなギャング映画の最高峰は『ゴッド・ファーザー』かと思うが、それの主演を務めたロバート・デニーロが演じても救えないほどの、プロットのくだらなさ。主人公だけでなく、誰一人として演者に思いを寄せることができないリアリティのなさ。ギャング映画が成立する重要な要件は、ギャングというまったく普通の生活から離れた世界において生きる人たちも我々と同じ人間なんだと思わせるところが味噌であると思うが、この映画に出てくる人たちは、お金や財産、美女への極度に執着し、人を殺すことに躊躇いのない、ただの異常な人たちである。3時間ぐらいの作品を最後まで観られたのは、さすがに少しは心を打つような展開があるだろうと期待したからであったが、その期待はまったく肩透かしに喰らった。ロバート・デニーロの演技、シャロン・ストーンの美貌でもフォローできない、観てもほとんど時間の無駄のような映画であった。
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『ブライズメイズ』 [映画批評]

2011年のハリウッド映画を観る。サタデイ・ナイト・ライブでおなじみのクリステン・ウィグが脚本・主演の超絶どたばた映画。他もサタデイ・ナイト・ライブでの仲間であるマヤ・ルードルフ、メリッサ・マッカーシーが脇をしっかりと固める。まあ、もう人生つまらなくて何もやる気がない時の時間つぶしには結構、いい映画であると思われる。日本の女性芸人も相当、下品なネタを多く持っていると思うが、さすがにスカトロ系は多くないと思う。しかし、この映画では、なかなか強烈なシーンが観られる。笑うというよりかは、そこまでやるか、といった感じではあるが。あと、まあ時間つぶしと書いたが、マッカーシーが主人公のウィグを立て直すところのシーンはちょっとよい。ということで、観て損はしないかなあ。アメリカ人女性も生きるのはなかなか大変なんだな、ということはよく伝わる。


ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
  • 発売日: 2013/06/05
  • メディア: DVD




ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
  • 発売日: 2013/06/05
  • メディア: Blu-ray



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名刺の意義をちょっと考える [その他]

イエテボリ市の市役所を訪れる。名刺交換をしようとして、名刺を渡したのだが、イエテボリ市役所ではもう、名刺をつくっていないそうだ。我々の取材に応じた市役所の職員は、名刺を交換する慣習が好きだったので、それは残念に感じているそうだが、市役所での発注は極めて厳しくなっているようだ。
名刺は、その管理はちょっと面倒かもしれないが便利である。そこには、連絡を後日、するための情報が記されている。インターネットで情報は随分と伝わりやすくはなっているが、名刺のやり取りすることは、実際、自分が会ったことの記録にもなる。それは記憶装置としての役割も担っている。
名刺に関しては、企業で共有するようなシステムがつくられていたりするが、そうすると記憶装置としての役割が失われる。名刺が人々との出会いの記録である、ということの価値が理解されていない人が開発したシステムなのであろう。
話は横に逸れてしまったが、イエテボリ市の職人とのやり取りで名刺の意義をちょっと考えたりしたので、ここに記させてもらう。

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デンマークのエネルギー政策の歴史 [サステイナブルな問題]

 デンマークのエネルギーの歴史。1972年は、デンマークは中東の石油に頼りすぎで、エネルギーの自給率が5%であった。そのような中、オイルショックを受け、日曜日には車を運転してはいけないみたいなルールができる。そこでエネルギーの自給を考え、原発がその候補となった。そして、原発を15基つくる計画も策定される。しかし、原発はいろいろと分からないことが多いので、ちょっと調査をする時間をくれ、と言う動きがでてきた。政府は、ちょうど北海油田が出たこともあって、いいよ、といってモラトリウムを設ける。その間、スリーマイル島の事故などが起きたりもして、原発で大丈夫か、という気持ちも広がる。そして、調査結果を示し、原発のメリット・デメリットを提示する。それに基づいて、住民にどうする?と問いかけた結果、原発はつくらない、という道を選ぶことになる。1985年の話である。そして、その後、風力発電を中心に再生可能エネルギーでやっていくことに舵を切る。現在、風力発電は全エネルギーの5割を賄っている。風力発電が多いロラン島は、エネルギー自給率は800%にまで及んでいる。
 デンマークのエネルギーの自給率は1997年に完全自給を達成したのだが、今は、北海油田はこれ以上、掘らないということにしたので現時点では60%になっている。ちなみに日本は11%である。
 デンマークが原発を選ばなかったことで後悔をしている人はいないと思われる。なぜなら風力発電の方が、発電コストが低いからである。そして、何より放射性廃棄物の処理を考えなくてもよい。1995年に国民が賢明な判断をしたことで、大きく、その後の国のトラジャクトリーが変わり、その結果、現在のデンマークの強靱さがつくられていく。デンマークの今の豊かさや、幸福満足度は一朝一夕につくられたものではないのだ。

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データで見るデンマーク [グローバルな問題]

デンマークに来ている。デンマークについて、改めて統計的な特徴を整理すると、デンマークは人口が592万人。これは兵庫県ぐらいの規模である。ただし、一人当たりのGDPだとデンマークは66000ドル、日本だと34000ドルということで、日本の二倍近い。これは、凄い差である。幸福度ランキングに関して、デンマークはフィンランドに次いで2位、日本は第47位。腐敗認識指数はデンマーク1位、日本は8位。世界報道自由度ランキングに関しては、デンマークは3位、日本は68位。まあ、このようにデータで比較すると、日本はデンマークに比べると、なかなか厳しいところがある。
 デンマークの社会を簡単に整理すると「高福祉高負担」。税金の負担は大きい。所得税は52%以下(日本は45%以下)、消費税は25%(日本は10%)、法人税は22%(これは日本の23%より低い)。もう、これでもか、と言われるほどの税金の高さである。ということで、社会の基底として、社会主義的な公平性がある。社会のヒエラルキーも低いことと、シェア志向が高い。すなわち、一人勝ちをする社会ではないということである。これは、アメリカとはまさに真逆である。日本はアメリカほどではないが、デンマークに比べれば、はるかにアメリカ的な競争社会、ウィンナー・ゲット・オール的な社会ではないかなと思う。
 さて、これは第三者的にみれば素晴らしいが、なかなか実際、そこで生活すると難しいのではないか、とも考える。まず、政治家や行政が信頼できないといけない。私は、行政の職員はある程度、信頼できるが、政治家は信頼できない。特に現状の国会議員のような人達に税金を托すことには強烈な抵抗を覚える。ここらへんをしっかりと変更しないと、いたずらにデンマークに憧れても、なかなかデンマークのようになるのは厳しいであろう。

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ドイツのエネルギー最新事情 [サステイナブルな問題]

 ドイツに来ている。現地でドイツのエネルギーの状況の話を聞いた。ドイツは再エネに邁進しているイメージがあった。現時点でも再エネが総使用料に占める割合は42%である。随分と高い。しかし、ドイツは一貫して再エネ電力はあまり支援されておらず、なかなか普及は計画通りには進んでいないそうだ。ドイツは約束通り、2022年に最後の原発を停止した。しかし、原発は止めたのはいいけど、再エネはあまり普及してないじゃないか、との批判をされているそうだ。いろいろと難しいが、それじゃあ原発を再稼働という話にはならない。原発は過去のものだから、日本でいう石炭ようなものとして位置づけられている。
 私はしかし、原発を止めてしまえば、必要は発明の母、ではないがその代替を考えせざるを得ないので、どうにかこの問題は解決されると思われる。そして、そのような政策的判断を重ねていくことで、状況はどんどんと改善されていくであろう。いつまでも原発に拘泥して、再稼働をしているような国は、いつまでも旧型の安全上にも経済上でも効率の悪いシステムに依存していかなくてはいけない。これは、将来的な経済発展の可能性を摘んでいる。ドイツと日本はこれからもどんどんと差が開いていくであろう。

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世界の都市の運賃収支率のデータをみて、改めて日本の大都市はマイケル・ジョーダン並の優等生であることを知る。 [グローバルな問題]

流通経済大学の板谷和也先生の講演を聴いた。そこで非常に興味深いデータを知ったので、ここで共有したい。2000年の都市の公共交通の運賃収支率のデータである。まず、日本の三大都市は東京が120.9%、大阪が127.1%、名古屋が113.4%である。100%以上が黒字となるので、すべてが黒字である。
 さて、フランスではどうか。パリが45.5%、リヨンが39.4%。相当、悪い数字だ。私が調べた日本のモノレールの中で一番、運賃収支率が悪かった愛知県の桃花台のモノレール(その後、廃線になった)が33%ぐらいだったので、都市全体の数字として捉えるとこれは相当、悪い。
 それではドイツではどうか。これは、ベルリンで42.6%、ハンブルグで57.8%、シュツットガルトで 61.2%である。フランスよりはちょっといいが、それでも相当の低さである。ちなみに、私が以前、調べた時はフライブルクがドイツの中では最も運賃収支率はよかったが、それでも8割ぐらいであった。同じドイツ語圏のチューリッヒは50%である。
 ヨーロッパの中では一番、高いのはイギリスで、ロンドンが81.2%、マンチェスターが96%である。マンチェスターの高さはちょっと驚きであるが、それでも100%には及ばない。
 これらのデータから分かるのは、公共事業で採算性を求める日本の政策方針がいかに国際的にはナンセンスであるということである。留萌本線、三江線などのローカル線を採算性が取れないという理由で廃線にしてきたが、このような拙速な判断を繰り返していると、地方の衰退は加速していく。私としては、地方を衰退させるためにローカル線を廃線にしているのではないか、とみているぐらいである。というのは、地方の活力を維持させるためにはローカル線という社会基盤は必要不可欠のものであると考えるからである。もちろん、利用者負担ではないような維持政策を考えることは極めて重要であることは言うまでもない。

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OECDの土地価格推移のデータをみて日本のあまりの落ち込みように驚く。 [グローバルな問題]

OECDが住宅価格の増減率、1995年を起点として示したグラフがある。イギリス、フランス、スペイン、アメリカ合衆国、ドイツ、そして日本の比較をしているグラフで、下に示している。このグラフをみて驚いた。1995年から住宅価格が下がっているのは日本だけである。いや、正確にはドイツも2010年ぐらいまでは日本ほどではないが低下傾向にあったが、2010年からは大幅に上昇し始めている。もちろん、日本は1980年代後半ではバブルで随分と土地価格は高騰したので、その反動が続いていたという解釈をするべきなのだろうが、それでもこの停滞はちょっと興味深い。いや、地価が高騰することは決して好ましいことではないと思っているが、随分と停滞している。というか、逆にイギリスとかこの25年で2倍以上も高騰して大丈夫なのか。フランスも高すぎる。また、リーマン・ショックの大元のアメリカがそれほどダメージを受けてないのに比してスペインのダメージの大きさは興味深い。不動産業界的にはまさに失われた25年といえるであろう。それが必ずしも悪いとは思わないですが・・。

土地価格推移.png
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