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ソウルを訪れ、なかなかのガストロミー都市であるな、と感心する。 [地球探訪記]

家族サービスでソウルを訪れた。三日間だけの滞在であるが、家族が食べたいものを食べるという基本、グルメ的なツアーとなった。備忘録も兼ねて、その食事録をここで披露させていただくことをお許し願いたい。
まずは一日目であるが、前日の夜遅くに南出門そばのホテルに到着したので、朝食はホテルそばの南出門市場そばのお店に適当に入った。何の事前情報もなかったのだが、ちょっとお店が清潔そうだったのでお腹が空いていたこともあって入ったのである。入ったら、どうも開業前だったようで、我々が入ったことに店員のおばさんは驚いていたが、そのまま入れさせてくれた。ここでは豆腐チゲと大きな水餃子のようなものを注文した。さて、それらを食べて美味しくて驚いた。水餃子もそうだが、豆腐チゲがもう絶品である。豆腐の美味しさが見事に出ている。これは、随分といい店に入ったようだ。店で働く人はシェフを含めて全員中年の女性である。名前がハングルなので読めないのが残念だが、ここはソウルで駐在していたら常連となりたいようなお店である。
お昼はスキップをして、早い夕食は鐘路区の参鶏湯の有名店「土俗村」を訪れる。人気店なので並ぶかなと危惧していたが、店が馬鹿でかいので、すぐ入れた。ちなみにメニューは4種類しかない。鳥が白肉か黒肉、また朝鮮人参を入れるか入れないかである。私は朝鮮人参を入れて黒肉の鳥にした。参鶏湯は日本でも食べたことがあり、結構、好みである。本場のも大変、美味しかったが、いかんせん、朝鮮人参の味が強烈だ。味を楽しみたいのであれば、朝鮮人参を入れない方がいいかもしれない。医食同源という言葉が頭に浮かぶ。食べると身体が健康になったような気がする。これで料金は3000円前後であるから、コスパは素晴らしいと言ってよいだろう。
二日目の朝食は明洞にある瑞源という鮑粥屋を訪れる。9時ぐらいに訪れたのだが、既に行列ができていた。行列に並んでいる多くのお客さんが外国人であったが、一部、韓国人の方もいた。ただ、この韓国人が地元の人か観光客かは私には区別がつかなかった。外国人の中でも、圧倒的に多いのは日本人だ。我々の後ろにも、娘二人とご両親という日本人の家族連れが並んでいたが、お父さんが「こんなに並んで美味いのか。素人が来るような店じゃないのか」とぶうぶう文句を言っていたが、最終的にはお父さんと一人の娘は待つのを止めて、お母さんともう一人の娘だけが並んだ。結果的には、このお父さんの判断は大間違いであった。というのも、ここの鮑粥、半端ではなくて美味しかったからである。しかも2000円ちょっと、という円安の日本でも考えられない破格のコストパフォーマンスである。再びソウルに来る機会があったら是非とも再訪したい美味しさである。
二日目の夕食は、サムギョプサル。これは肉好きの奥さんの強い要望で行った。インターネットでサムギョプサルの美味しいお店を検索したら、ホテルのすぐ目の前にあるお店が極めて高評価であったのでそこに行く。19時頃に訪れると、既に行列が出来ていた。15分ぐらい待って、席に案内される。サムギョプサルとキムチ・チゲ、冷麺などを注文する。サムギョプサルはなかなか美味しかったが、それほど感動するものでもなかった。ただ、キムチ・チゲはおそらく人生食べた中で最も美味しいか、と思うぐらいであった。これは、そんなにキムチ・チゲを食べたことがないからだと思うが、流石、現地で食べると美味しいなということを改めて認識させられた。料金も一人3000円ぐらいでリーズナブルである。
三日目の朝食は、次女が食べたいというのでキンパ。キンパとは太巻きみたいなものだ。さて、日本でも太巻きのお店を探すのが大変なように、韓国でもなかなかキンパのお店はない。ということで、普通の定食屋のようなお店に入り、キンパを注文する。まあ、可も無く不可も無し。
三日目の夕食はカムギャタン。初日の朝食で入ったお店がとても美味しかったので、ここは夕食でもまず美味いだろうと思い訪れる。注文したのはカムギャタン。カムギャタンは新大久保の松屋でしか食べたことがない私からすれば、驚くほど美味しかった。そして、三人で分けるほどの量である「中」サイズを注文しても4000円もしない。このコストパーフォーマンスは素晴らしすぎる。サービスもとても気持ち良く、ソウルに駐在することがあれば二日に一度は訪れたいようなお店であった。店名が韓国語でここでは紹介できないのが、心苦しい。

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<参鶏湯>

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<鮑粥>

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<サムギョプサル>

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<カムギャタン>

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韓国のソウルでワイヤーレス接続環境が優れていることに驚く! [グローバルな問題]

韓国のソウルに来ている。驚いたのはワイヤーレスの接続があちこちで出来て、しかも、その接続スピードが速いことだ。ストレスはほとんど感じられない。しかも、アクセスする際のログインの手続きなどをしなくてもよい。スターバックスとかでも、パスワード等いらずで即、アクセスできる。普段、私は新幹線をよく使うのだが、新幹線のワイヤーレス環境の悪さにストレスを強く感じていて、結局、自分の携帯でテザリングをしてしまう経験をたびたびしているものからすると、このソウルの接続環境はとても有り難い。
 よく考えたらワイヤーレスは社会インフラである。そのような社会インフラを効率よく使えるように整備できている都市と、そうでない都市とでは、長期的には相当、大きな競争力の差になるような印象を受ける。日本の都市はそもそもアクセス・スポットが少なく、アクセスできていてもスピードが遅い。もうとても先進国とは言えないんじゃないかな、とソウルにて思ったりする。

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ロック・バンド「カーズ」のリック・オケイセックのスーパー・モデルの奥さんの波瀾万丈の人生に胸が詰まる [ロック音楽]

1970年代後半から1980年代にかけて、時代を席巻した「ロックの殿堂入り」も果たした「カーズ」のリーダーであるリック・オケイセックの3番目の奥さんポーリーナ・ポリスコワ。チェコ生まれでスウェーデン育ち、15歳でパリでモデルの仕事を始め、19歳の時には中欧出身の女性としては初めて『スポーツ・イラストレーテッド』の水着特集のモデルとなる。22歳には映画『アンナ』でデビューも果たす。1988年には、エステ・ラウダーのモデルとして年間6億円(600万ドル)相当の契約を結ぶ。これは、当時のモデルとしては最高の契約額であった。このように彼女は、1980年代では最も有名なモデルの一人であった。
 1984年、彼女は「カーズ」のヒット曲「ドライブ」のMTVに出演したことがきっかけでリック・オケーセックと知り合う。彼女が19歳、オケーセックが40歳の時である。当時、オケーセックは二番目の奥さんと婚姻状態にあった。そして1989年にオケーセックと彼女は結婚し、二人の息子にも恵まれる。
 さて、しかし2017年にオケーセックと彼女は離婚する。ただ、これはポーリーナによれば、まったく自分に関心を示さないオケーセックに苛立ち、このままではお互いに不味いと考え、そんなに自分に関心がないのでれば離婚した方がいいのでは、と最後通牒を突きつけ状況の打開を図ろうとしたのだが、オケーセックはそのまま「そんなに僕が嫌なら離婚しよう」と返答したそうである。大きな精神的痛手を受けたポーリーナであるが、そのまま離婚手続きを進めた状況で同居をし、彼の世話もする。2019年9月にオケーセックは手術をするのであるが、その後、自宅で死亡する。死亡したオケーセックを発見したのもポーリーナである。そして、なんとオケーセックは手術前にポーリーナだけでなく、二人の間の子供にも一切、遺産を渡さないという内容に遺書を書き換えてしまったのである。この衝撃な事実は、オケーセックの弁護士によって発表され、世間に広く知られることになる。ポーリーナもオケーセックの裏切りに大きなダメージを受けるが、取材では「おそらく、弁護士に騙されただけであろう。そうでなければ35年も一緒にいた私があまりにも報われない」と述べている。オケーセックはもちろん、大きな財産も持っているが、ポーリーナも年間6億円の契約の仕事を8年ほど続け、その後も違う企業と大型モデル契約を結んでいる。しかし、ポーリーナはそれらのお金をオケーセックと一つの口座で管理をして、頓着しなかった。ポーリーナは、流石にこれは大失敗だったと取材でも後悔していたが、後の祭りである。
 さて、しかし、このような悲惨な目に遭って、一時期は自殺を真剣に考えたそうだが、現在のポーリーナの生き様は目を見張るほど素晴らしい。モデルという「美」を売り物にしてきた彼女だが、自然と年を取ることに極めて肯定的である。そして、非常に賢く、その人生観は心を打つし、学ぶところが多い。
 それに比して、リック・オケーセックの何たる駄目男ぶりであろうか。猜疑心が強く、愛されていることも理解できず、人を裏切ることでしか自分を正当化できない。あれだけの才能を持ち、あれだけの成功を得られたのに、まるでシェイクスピアに出てくる愚か者の如きである。本当に情けない。私も彼を反面教師として、残りの人生をしっかりとポーリーナのように過ごせるようにしていきたいと思う。

 この記事を書くうえで参考にした動画を以下、例示する。
https://www.youtube.com/watch?v=QPSipIITaVA
https://www.youtube.com/watch?v=2hQYVWs-CyI
https://www.youtube.com/watch?v=MXlKvewPpWA


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ベトナム・コーヒーは変わった味がする [B級グルメ雑感]

ベトナムは世界でコーヒーの生産量が二番目に多い国である。コーヒーといえば、ブラジル、そしてコロンビアだと勝手に思っていたのだが、いつの間にかコロンビアはインドネシアにまで抜かれて4位になっていた。ベトナムがコーヒーの生産量を大幅に伸ばしたのは1990年代であるそうだ。

そして、ベトナム・コーヒーなのだが、バニラの味がする。非常にユニークな味だ。そして、コーヒーはそうとう苦い。どうも、コンデンス・ミルクを加えているようだ。なぜ、ミルクではなくてコンデンス・ミルクかというと、コーヒーを作り始めた19世紀のベトナムはミルクを入手することが難しかったためである。個人的には、コーヒーはブラックが好きなので、このベトナム・コーヒーはあまり有り難くはない。

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上関町の中間貯蔵施設設置調査の受け入れは、同町の人口減少の歯止めにはならない [サステイナブルな問題]

ドキュメンタリー映画『祝の島』の舞台となった上関町の西哲夫町長は18日、中国電力から申し入れのあった使用済み核燃料の「中間貯蔵施設」設置に向けた調査について、受け入れを表明した。この件に関しては、報道するメディアによって、その記事の書き方が大きく異なるところが興味深い。
 例えば、これに賛成しているのは産経新聞。「国の原子力利用の基本である核燃料サイクルが未確立の現状において、中間貯蔵施設の持つ意味は非常に大きい。(中略)中間貯蔵施設は必要だ。」と書いている。それほど強い主張ではないが、特に地元では反対運動などがあったことを一切記していないのが読売新聞である。NHKや朝日新聞は反対派がいることを指摘。ただ、立場的には中立ではある。否定的な論調なのは東京新聞である。 
 さて、受け入れ表明を受けて、上関町では臨時議会が開催された。そこで西町長は次のように述べる。
「町の人口は年間で100人減少し、高齢化率も中国5県で一番高い状態だ。このままでは住民支援策も近い将来できなくなる。持続可能なふるさと上関町を次世代につなげることが私の使命で、中間貯蔵施設の調査を私としては受け入れる考えだが議員の意見をうかがい、総合的に判断したい」。続いて、無所属の柏田真一議員は「実現すれば工事の発注や物品購入、作業員の宿泊などの仕事が期待でき、町の経済効果が見込まれると期待している。町財政の現状を考えれば、調査・検討は早急に了承すべきだ」と賛成する考えを示した。古泉直紀議員は「本件について財源確保を目的とした地域振興策と認識して認識している。上関町のことを考えれば提案は大変魅力のあるものと考えている」と発言した。一方、無所属の清水康博議員は「核燃料サイクルが確立されていないにもかかわらず、よそから使用済み核燃料を持ってくることにかなりのリスクを感じる。なぜここまで住民の気持ちに寄り添わず、急ぎ足でことを進めようとしているのか全く理解できない」として反対の考えを強調した。意見を述べた議員10人のうち、明確に反対を表明したのは3人にしか過ぎなかった。
 朝日新聞が取材した記事からは、町内の女性(89歳)が「町に金がないんじゃけ、中間貯蔵施設はやったらええ」と話したことが紹介されている。「お金」がなければ、お金をくれる人に尻尾を振る。まるで乞食のような発想だ。記事から見る反対意見としては、上関町に隣接する山口県平生町の原真紀町議の「中国電力に上関町の振興策をオファーしたこと自体が間違いだ。このような施設ができれば、私たちが大切にしている海も変わってしまい、漁にも影響が出る」などがあった。
さて、これらの意見から上関町が置かれている状況が理解できる。上関町は人口が減少し、高齢化も進む。もし、中間貯蔵施設を持ってくることになれば、その工事のために経済効果が生じる。町としては、少しでも金が欲しい、それが多少、リスクがあっても貰えるのであればいいじゃないか、という姿勢である。
さて、しかし、人口減少が進んでいる町にお金を持ってくれば、それで人口減少は留まるのか。確かに工事をしている時は、工事関係者が町に来るかも知れないが、それは工事が終わったら去って行く。そもそも、この工事関係者は町に住むのか。近くの柳井市とかから通勤するのではないか。人口減少を止めるのであれば、他力依存的な経済政策ではなく、自立的な経済政策を模索するべきではないのか。例えば、北海道の猿払村、長野県の川上村、山形県の東根市のような競争力のある一次産業品を開発するとか、地元の資源を活かすようなアプローチを考えるべきではないのか。または、飛騨市や高山市のように地域通貨で地域の経済を回すという発想もあるだろう。安易に悪魔に魂を売るようなことで、果たして人口減少が留まるのかは、本当、真剣に考えるべきだと思う。
 上関町の祝島のある町民は、新聞の取材に次のように答えている。「私たちが知りたいのは、安全性と計画後の長期的な展望だ。目先の交付金で決めてはいけない。祝島は若い人たちが少しずつ増えているのに中間貯蔵施設ができたら人口は減ってしまう。町も財政難で行政サービスが立ちゆかなくなる、というのならば、何ができなくなるかをきちんと示したうえで、それから町の振興策を考えるべきだ」。
 上関町の周辺の自然は瀬戸内海を含めて豊穣で美しい。町はこの自然の恵みの中で持続可能な経済を考えるべきであり、それを未来永劫、使えなくなるような可能性を選択することは愚かであり、悲しいことである。しかも、そのような選択をしたとしても、町内の人口が増えるとは思えない。むしろ、町内にある祝島のように、その自然の豊かさから若者等がIターンで訪れている地域があるにも関わらず、今回の町長、そして町議会の判断は問題解決としてはずれているだけでなく、むしろ人口減少を促進させるであろう。なぜなら、このように地域に住むアホな政治、他力依存の姿勢こそが、若者を地域から流出させている一番の要因であるからだ。つまり、このような政治的判断をしてしまう地域政治こそが、地域の人口縮小の根源的には最も大きな原因である。これに気づかなければ、どんなにお金を持ってきても無駄である。というか、お金は重要ではあるが、より重要なのは、そのお金の獲得の仕方である。補助金をただもらうだけで、そこに住む人が豊かな生活、人生を送れるとは到底思えない。そこに人口縮小する地域はしっかりと目を向けるべきである。
 奇しくも、今日、放射性物質を含む水を太平洋に放出した。その結果、中国は日本の水産物の輸入を全面停止した。上関町も漁業こそが持続可能な経済をつくるうえでの基本であろう。どこでも立地できる中間貯蔵施設を金に目がくらんで誘致することは、それほど遠くない将来、致命的なダメージを地域に与える可能性がある。その時、そこは人口が減少どころか、誰も住めない町、地域になる。そういう可能性をイメージできず、それが地域の問題の解決には繋がらない今回のこのような判断をしたことは残念至極である。

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ダナンという都市のつまらなさの背景を考察する [都市デザイン]

ダナンは人口規模からすると、ベトナム第五の都市である(2022年)。私はホーチミンとハノイを訪れたことがあるが、それらの都市が擁する混乱や無秩序はなく、整序だった印象を受ける。道路は広幅員で、一方通行であり、渋滞もあまり見られない。歩くのは暑いのと、都市スケールがヒューマン・スケールを逸脱して大きいので、なかなか辛いが、ハノイのように危険を感じることは少ない。また、都市の歴史のようなものが感じられない。都市の「魂」のようなものが、ちょっと歩いただけだが、感じられない。そして、そのせいか、とてもつまらない都市のように感じる。ベトナム版のシンガポールみたいな感じだ。なんで、こんなニュータウンのようなアイデンティティが感じられない都市なのか。
 そこで人口の推移を見てみた。ダナンは1950年には63000人しか住んでいなかった。現在は119万人なので、この70年ちょっとで19倍ほど人口が増加したことが分かる。都市としては急激に膨張したことが分かる。すなわち、大都市としての歴史をハノイやホーチミンのように有していなかったのである。日本の政令都市でいえば、千葉市のようなものだろうか。ただ、その千葉市でも1950年には13万人以上の人口を擁していた。そのような背景から、大規模な道路などを新都市のようなノリで整備することができたのであろう。
 都市を都市たらしめている大きな要因は、人口規模である。しかし、人口規模が大きくなれば、都市になる訳ではない。そこには人口が集積することによっての交流、情報の交換などによって新たな価値を生み出すことが必要となる。そして、そのためには時間の積み重ねが不可欠である。ダナンにはこの時間の積み重ねが圧倒的に少ないのではないか。それが、この都市のつまらなさの背景にあるのではないか、と考察した。
 

タグ:ダナン
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ダナンは韓国人にとって、ドイツ人のマジョルカ島のような場所になっているようだ [グローバルな問題]

ダナンに来ている。ダナンには多くのハングル語がみられる。多くの店がハングル語の看板を掲げており、韓国人向けの焼き肉屋店のようなお店も多い。なんで、こんなにハングル語が氾濫しているのか。学会で一緒になった韓国人の先生に尋ねてみた。すると、韓国人にとってダナンを始めとしたベトナム全般の観光地が人気となっているようだ。ここ10年間ぐらいのことらしい。どうも、韓国人からすると、ベトナム人とは気性が合うようで、とても居心地がいいらしい。それは、多くのドイツ人がスペインのマジョルカ島に行くようなものですね、と言うと、そうそう、と反応した。
 韓国人とベトナム人の気性が合うというのは、ちょっと新鮮な意見ではあるが、日本人にとっての沖縄、サイパン、グアムのようなものなのかもしれない。韓国には、そういう亜熱帯のリゾートはないので、ダナンは需要に合うのかもしれない。とはいえ、ダナンも10年前はこんなに韓国人にとっての人気リゾートになるとは思わなかったであろう。まあ、ニセコもちょっと前までは、今のようにオーストラリア人に人気が出るとは思わなかったであろうから、ここらへんの観光の国際マーケットは結構、興味深い。

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ダナンは韓国人にとって、ドイツ人のマジョルカ島のような場所になっているようだ [都市デザイン]

ダナンに来ている。ダナンには多くのハングル語がみられる。多くの店がハングル語の看板を掲げており、韓国人向けの焼き肉屋店のようなお店も多い。なんで、こんなにハングル語が氾濫しているのか。学会で一緒になった韓国人の先生に尋ねてみた。すると、韓国人にとってダナンを始めとしたベトナム全般の観光地が人気となっているようだ。ここ10年間ぐらいのことらしい。どうも、韓国人からすると、ベトナム人とは気性が合うようで、とても居心地がいいらしい。それは、多くのドイツ人がスペインのマジョルカ島に行くようなものですね、と言うと、そうそう、と反応した。
 韓国人とベトナム人の気性が合うというのは、ちょっと新鮮な意見ではあるが、日本人にとっての沖縄、サイパン、グアムのようなものなのかもしれない。韓国には、そういう亜熱帯のリゾートはないので、ダナンは需要に合うのかもしれない。とはいえ、ダナンも10年前はこんなに韓国人にとっての人気リゾートになるとは思わなかったであろう。まあ、ニセコもちょっと前までは、今のようにオーストラリア人に人気が出るとは思わなかったであろうから、ここらへんの観光の国際マーケットは結構、興味深い。

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ダナンはくそ暑いが冷房がカフェやレストランにない [サステイナブルな問題]

ベトナムのダナンに来ている。日中は37度ぐらいにまで気温は上がり、相当、暑い。京都よりも東京よりも暑いと思う。さて、そういうこともあって街中を歩いていると暑さにやられてカフェに入ることになる。しかし、このカフェはオープン・カフェのような感じになっていて、冷房がない。扇風機があるし、日陰なので凌ぎやすくはあるが、それでも暑い。それでいて、別にそれなりに大丈夫である。確かに冷房のようにガツンと身体を冷やしてくれると身体は嬉しいかもしれないが、冷房がなくても大丈夫である。もちろん、冷たい飲み物を欲することになるので、カフェもそれで身体を冷やしてくれればという計算もあるかもしれない。
 さて、そしてこのようなカフェはSDGs的に正しいと思う。京都や東京よりも暑いダナンで出来ているので京都や東京でも出来ないことはないと思う。もちろん、そのためには現状よりも遥かにマイクロ・クライメートを意識した空間デザインをすることが必要であるとは思われるのだが、そもそもこういうことに日本人は長けていた筈である。格好付けだけのSDGsとか言っていないで、こういうのを実践するといいと思う。
 え?私ですか。私はちょっと暑さが苦手なので、それもあってSDGsを推奨していないのですよ。そして、コロナの時期を除いて、8月の東京にほとんどいたことがないです。

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ルールがしっかりしていないことで効率が悪化することをベトナムにて再確認する [グローバルな問題]

ベトナムはカオス的だ。このカオス的な状況を作り出しているのが社会の無秩序さである。人々が勝手に行動するので、あちらこちらで摩擦が生じる。その象徴が、交通整理である。信号がまず少ないので、もういつ車やオートバイが衝突してもおかしくない。実際、事故は多く、合計で1万8232件、死者数は8125人(2018年)。これは人口10万人当たり換算で9.02人となる。日本は2.94人なので3倍以上である。とはいえ、実際、ハノイの街を歩いていると3倍よりずっと多そうな気がする。ただ、統計的にはベトナムより事故死が多い国もあり、それはドミニカ共和国、サウジアラビア、タイだそうだ。タイとベトナムだと、歩行者の視点からだとずっとベトナムの方が、オートバイが多い分、危なそうな印象を受けるが、もしかしたら事故は多くても死亡には至らないのかもしれない。
この事故の多さの背景には、無免許運転が多いことや、違反行為にタイしての罰則が緩い、ことなどが挙げられる。その結果、ルールはあることはあるのだが、それらが守られない、というかルールを知らない人も多いのではないか。一方通行の逆走、赤信号の右折禁止のところでの右折、そもそも赤信号無視、などは日常茶飯事である。その結果が事故の多さ、歩くのが危険な環境をつくりだしている。
このような無秩序さは、飛行機に乗る時にも体験できる。前からだけでなく後ろからも乗らせるので、狭い機内の通路で後ろに行きたい人と前に行きたい人とがぶつかり、立ち往生をしてしまう。なぜ、ここで一方通行にしようと思わないのか。いや、これはベトナム以外の国(例えばブラジル)とかでもみられることだが、この秩序だって動くことで摩擦が回避できる、という簡単な事実がどうして理解できないのか。これは、おそらく自分が得をすれば周りに迷惑をかけてもいいというメンタリティが根底にあるからではないか、と思ったりもする。
ただ、ベトナム人の人達は結構、賢くて、信用できる印象を受けるので、しっかりとしたルールをつくり、それを守らせるようにすれば、それに対応すると思うのである。改めてルールづくりの重要さをベトナムにして再確認する。

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ダナンの空港でトランクを持ち忘れるという失態を犯す [地球探訪記]

早朝便でハノイからダナンに着く。バッゲージ・クレイムでトランクを取ったけど、その後、なぜかトランクをそこに置いたままで空港を出てタクシーを拾ってホテルに着いて、トランクがないことに気づいた。その時点では、タクシーを斡旋するおっさんにトランクを渡したのだけれど、おっさんがトランクに入れ忘れたのだろうと思っていた。そこで、タクシーのおばさん運転手に空港に戻ってもらい、探してもらった。おばさん運転手は警官などにも話をしてくれた。警官を含めて、おばさん運転手も、タクシーを斡旋するおっさんも英語がしゃべれなかったが、スマホに入っているソフトの翻訳機能を駆使して話をした。
 警官は防犯カメラをチェックしてくれたら、なんと、トランクを持たずに空港から出ている自分が写っていた。というか、なんでトランクを持たないで移動できたかが自分でも分からなく、自己不信に陥ったが、トランクはどうもバッゲージ・クレイムのところにある確率が高いことが分かった。そこで、バッゲージ・クレイムのところに入ろうとすると、警備員に入れないと言われる。しょうがないので警官のいるところに戻り、一緒に来てもらうようにする。そこで警官に説明してもらうと、警備員は私は入れないが、代わりにバッゲージ・クレイムのところに行ってもらい、ベトナム航空の職員に私のトランクを持ってきてもらった。そこで、無事にトランクを手に入れることができたのだが、私はこれまで50カ国以上は旅していて、結構、治安の悪いところも行っているのだが、実は、盗難に遭ったのはデュッセルドルフ中央駅で夜行列車を待っていた時と、学生時代のオーストラリア旅行とホーチミンの三回だけである。特にホーチミンはなぜか大勢のおばちゃんに取り囲まれて慌てていたら、カメラバックからレンズを取られたという集団的なスリ事件に遭遇している。したがって、ベトナムでは他国と比べても、スリとかに気をつけなくてはと注意しているのだが、100%自分のミスでトランクを忘れるとは、本当に情けない。とはいえ、半分以上諦めていたのだが、見事、取り戻すことができてそういう意味ではありがたい。特に、タクシーのおばさん運転手や、空港の人達が警官を含めてとても親切だったのはちょっと驚きだ。アメリカだったら、決してこうはならなかっただろうと思う。ベトナムの人達の情に触れて、それは嬉しくて有り難かった。

タグ:ダナン空港
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ハノイにてベトナムつけ麺を食べたら美味かった [B級グルメ雑感]

ハノイでの昼食は、ベトナム的な料理を食べたいと強く思い、「地球の歩き方」などを参照して、旧市街地にあるDac Kimという店を訪れた。ここは、ベトナムつけ麺であるブン・チャーで有名なお店である。1966年創業ということなので、なかなかの老舗だ。注文すると、大盛りの米麺である「ブン」と、肉団子、焼き肉、青パパイヤのスライスしたものが入ったヌックマムベースのたれ、さらに大量の香草が出てくる。このタレにブンを入れて食べるのだが、これがなかなか美味しいのだ。個人的には初めて食べたような味であるが、なかなか箸が進む。偶然、斜め前に日本人の中年男性が座ったのだが、お互い、「これは思ったより随分と美味しいですね」と意見が合った。
 米麺はなかなか美味しいと思う。なぜ、米余りの日本で普及しないのかが不思議だ。どんどん米麺にして消費するといいと思ったりもする。

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ハノイの旧市街地を訪れる [都市デザイン]

ハノイに来ている。というか、本当の用事は翌日にダナンである学会の参加なのだが、その前にハノイの都市計画を調べに一日滞在できるようにスケジュールをセッティングしたのである。日本の都市計画学会を通じて、ベトナムの都市計画学会にアポの依頼をしたのだが、ガン無視された。私は結構、司会等の仕事もするのだが、腹が立ったのでドタキャンをしたいくらいの気分である(いや、出来ませんと返事をくれるだけでもいいのだが)。とはいえ、日程は抑えてしまったので、とりあえず旧市街地に行く。ハノイは初めてだ。ホーチミンには二回ほど行ったことがあるので、そことの違いとかも感じられるかなと期待もしていた。
 さて、ハノイはオートバイに溢れていた。そして自動車も多い。正直言って、カオス状態である。これはホーチミンでも経験済みだが、もう20年以上も経っているのだが、相変わらずのオートバイの氾濫状況にちょっとびびる。旧市街地は道路幅が狭く、立派な街路樹が都市の森のような状況をつくっており、とてもアーバニティに溢れている。とても空間的にはヒューマン・スケールで素晴らしい。しかし、歩くための空間がなく、歩くのに本当に一苦労する。歩道はあるのだが、歩道空間はお店の売り物が置かれていたり、カフェのイートインのための椅子や机が置いてあったりする。そして、それらが置かれていないところはほとんど隙間がないようにオートバイが置かれている。結果、車道を歩かなくてはならない。歩道が歩道として利用されていないのだ(一部、例外的に歩けるところもある)。せっかくのアーバニティ溢れる素晴らしいヒューマン・スケールの空間がまったく台無しだ。というか、台無しだけならいいが、いつオートバイや自動車にはねられるかもしれなく、命が危ない。基本、河のようにオートバイは常に流れているので、この狭い道を横断することが命がけになる。さらに、一方通行のような気もするのだが、自動車はともかくそれを無視するオートバイが多い。交差点には信号がないのだが、たまにある。信号もいわゆる日本の左折(こちらでは右折になる)はどうも信号を無視していいのか、またそもそもオートバイは信号無視も多いので、それほど役には立たないが、それでもあった方が安心する。信号が有り難いと思ったのは生まれて初めてかも知れない。
旧市街地は「ハノイ36通り」とも呼ばれている。ここは、ハノイに都がおかれていた11〜19世紀にかけて商業地区として栄え、空間的にも機能的にも今日まで伝えている。同じ職種の工房や店舗が通りごとに集まり、通りごとにその性格が異なっていて興味深い。例えば、トゥオックバック通りは金物、ハンティエック通りはブリキ製品、ランオン通りは漢方薬などである。集積の経済の効果を経験的にもしっかりと理解していたということだろうか。この地区は都市計画的にも、保存地域に指定されており、許可無く取り壊しや建替ができない。これが、個性的な街並みを維持できている大きな要因であろう。
空間的にも、その豊穣なアイデンティティの維持といった点からも素晴らしい場所であるにも関わらず、モビリティのコントロール、特に歩行者の動線をしっかりと確保できていないことで、その魅力が十二分に発揮できていない。これらハノイ36地区から自動車をほぼ撤退させ、オートバイが通れる道を限定し、そして、それ以外を歩行者空間地区にすれば、この地区は素晴らしい空間としてさらに魅力を発現するだろう。それこそ、コペンハーゲンのストロイエに双肩するような都市空間になれる(もしかしたら上回れる)ようなポテンシャルを有していると感じる。それだけに、現行の状況はとてももったいないと思う。

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<歩道はあるけど、そこはオートバイが駐輪されていたり、お店の延長の机や椅子で人々が食事をしたりして歩けない。結局、危険を冒しながら車道を歩かなくてはいけない>

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「利益最大化」を実現するアパート経営の方程式 [書評]

この本は280ページ近くあるが、その内容は20ページに縮約できるだろう。同じことを何回も繰り返し述べており、その結果、著者が言いたいことは伝わるが、まどろこしい。読んでいる時間の無駄だ。方程式と言うと聞こえはいいが、X+7=10みたいな簡単な方程式である。収入から支出を引いたものが「利益」とかを方程式と言うのは、小学生レベルではないか。まあ、とはいえ、後半部分の「滞納」への対応、孤独死への対応、などという部分は多少参考になった。ネガティブなレビューを敢えて書く必要があるのか、という疑問も抱くが、流石に酷すぎる本かなと思うので書かせてもらう。


増補改訂版 空室率40%時代を生き抜く! 「利益最大化」を実現するアパート経営の方程式

増補改訂版 空室率40%時代を生き抜く! 「利益最大化」を実現するアパート経営の方程式

  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2021/06/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『リスペクト』 [映画批評]

「クイーン・オブ・ソウル」の異名を持つ伝説的なソウル・ミュージシャンであり、女性として初めて「ロックの殿堂入り」を果たしたことでも知られるアレサ・フランクリンの伝記映画。2021年の作品。彼女は「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で一位に選ばれている。
 CDは持っているので曲やその歌唱力は知っていたが、人間アレサ・フランクリンのことはほとんど知らなかったので大変、興味深く映画を観ることができた。まず、経済的には裕福な家庭に育ったことは知らなかったので驚きであった。しかし、それにも関わらず、12歳と15歳の時に違う相手と子供を出産することや、なかなかヒットに恵まれず、最初のヒット曲は白人のバック・ミュージシャンの元につくられたこと、旦那がもう典型的な駄目男であり彼女の才能を意図せずにだが潰そうと動いていたこと、アルコール依存症に陥っていたこと、など相当の波瀾万丈の人生を送っていたことが分かった。そういう意味で、アレサ・フランクリンという人を知るうえでは貴重な記録であるし、人物伝としても興味深い映像であると思う。
 ただ、主演のジェニファー・ハドソンはミスキャストであると思う。確かに、歌唱力は抜群であるので、そういう点で厳しいクライテリアをクリアしているのだが、彼女自身の個性があまりにも強い。同じ歌手を演じるということもあってか、アレサではなくハドソンの個性がどうしても前面に出てきてしまう。彼女のトレードマークの人を喰ったような表情などを観ると、アレサを演じていても、そこで演じているのはアレサではなくハドソンであるとしか思えない。あと、顔もちょっと違う。むしろ、母親を演じたオードラ・マクドナルドの方が遥かに適任だったかと思う。年齢は一回り違うのが映画においては不利だったのかもしれないが、ちょっと残念ではある。


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ハノイに来てアホなタクシーにストレスを覚える [地球探訪記]

ハノイに来た。ベトナムはホーチミンには二回ほど行ったことがあるが、ハノイは初めてだ。二回ほど来たが、二回ともまだ会社員時代の時だったから20年以上も前の話である。まず、ハノイの国際空港がとても近代的だったので驚いた。随分と、前回のベトナム訪問からベトナムも発展したのかなという印象を受ける。ホテルは空港のそばのを予約したつもりだったが、どうも3キロメートルは離れている。3キロの夜道は日本でも歩きたくない。ということで、タクシーで行くことにする。
 ベトナムのタクシーは20年前の感覚だと油断できない。空港でそのまま拾うとろくなことが起きない予感がするし、もう22時を回っているので、そういうトラブルは勘弁だ。ということで、空港のトラベル・センターのようなところに手配してもらい前払いのタクシーに乗ることにした。割高だが、保険のようなものだ。
 ということで、タクシーに乗ってホテルに向かったのだが、このタクシー運転手は酷かった。まず、全然、違うホテルに連れて行って、「ここだ」と言う。3キロどころか300メートルも走っていない。こちらは、またグーグル・マップで武装しているので、「全然、違う」といってグーグル・マップを示す。さて、ここで多くの日本人はこれで問題が解決したのだろうと思うだろうが、そうは問屋が卸さない。というのは、こちらのタクシー運転手は地図が読めない。ということを、私は若い時にクアラルンプールのタクシー運転手に都市の地図を書かせた研究をしたことがあるので知っているのだ。その調査から30年ぐらいは経つが、やはり彼も地図は読めなかった。したがって、Uターンして真っ直ぐ、と英語で説明するのだが、当然、英語は通じないので、身振り手振りで教える。この運転手はあまり納得できなかったようで、やたら電話をしたのだが、なんかホテルの名前は通じたので、どうにかたどり着くことができた。結構、ストレスを覚えて、怒りをぶつけたいのを我慢できた。まあ、怒るとこちらもダメージを受けるので。
 さて、ホテルはなんか場末のラブホテルのようなところだった。クーラーもなく、なんだかなあ、という感じである。

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槍ヶ岳(百名山61座登頂) [日本百名山]

登山者憧れの山、「いつかは槍ヶ岳」と合言葉のように呟かれる山、その槍ヶ岳に遂に挑戦することになった。個人的には最長歩行距離、最高標高差、さらに国内最高地点へのチャレンジでもある。私は太股の痙攣(ピキキ現象)、膝の痛み、高山病という三大ハンディを有しており、そもそも登山が向いていない体質だ。加えて、もう還暦を迎えた。その私が槍ヶ岳に挑戦することになったのは、それを一日遅らせるとそれだけ不利になるだろうという切迫感からだ。
最近、単独行が多いが、槍ヶ岳は会社時代の友人と二人で行くことにした。この友人は、もうベテランの域に達しており、パートナーとしては大変心強い。しかも、彼は松本にアパートを借りているので、前泊、後泊を彼の家でさせてもらった。前回、下山後、一挙に帰るのは体力的に厳しかったこともあったので後泊させてもらうことは有り難い。
さて、登山ルートであるが、一日目は上高地バスターミナルからインし、槍沢コースで槍沢ロッジにて一泊。そして、二日目に槍ヶ岳山荘にて荷物を置き、槍ヶ岳にチャレンジ。その後、槍ヶ岳山荘にて泊まり、三日目は飛騨沢コースを下り、新穂高温泉にてアウトというものにした。そのため、友人の車と私の車とをそれぞれ出し、まずは友人の車を新穂高温泉の無料駐車場に駐め、私の車で二人であかんだな駐車場まで移動。私の車はあかんだな駐車場にて駐車し、そこからバスで上高地バスターミナルにまで移動した。あかんだな駐車場は8時20分発のバスに乗ることができ、8時50分に上高地バスターミナルに到着する。
登山開始は9時ちょうど。すぐ河童橋に着く。穂高の山々の展望が素晴らしい。そこからは、梓川に沿って気持ちのよいカラマツ林の中を歩いて行く。明神を通過するのは9時50分。梓川の灰色がかったエメラルド・グリーンの色が美しい。そして、徳沢に到着するのが11時。ここのミチクサ食堂で、昼食を取る。私が注文したのは、窯焼きのピザ。取り立てて美味しくはないが、大自然の中なので、その見えないスパイスで美味しく感じられるので、お店的には得である。

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<河童橋の美しい景色を見ながら登山をスタートする>

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<いきなり美しい森の中を歩いて行く>

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<登山道は梓川に沿って設けられていて、気持ちがよい>

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<ミチクサ食堂>

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<ミチクサ食堂で注文したピザ>

さて、45分ぐらい休憩した後、また歩を進める。横尾山荘に到着したのは12時25分。ここはそのままスルーする。横尾まではほぼ平らな散歩道のようであったが、徐々に山道っぽくなってくる。槍ヶ岳が初めてその姿を現す槍見河原に到着したのは13時20分。そこから15分ぐらい歩くと一ノ沢に架かる木橋がある。この橋の麓でちょっと休憩をする。ここからは登りもだんだん増してくる。槍沢ロッジに到着したのは14時20分。一日目は登山道は極めて歩きやすく、ほどよい疲労感が溜まるぐらいであった。槍沢ロッジはなんと入浴ができる。15時から数時間だけだが、この入浴ができるというのは本当に有り難い。石鹸やシャンプーは使えないが、それでも疲れた筋肉をほぐすことができる。入浴後、夕食までに生ビールを飲む。生ビールは1000円と高額だが、溜まらなく美味い。生きていることが嬉しくなるような時間だ。夕食は17時からである。この宿はヘリコプターで物資が運ばれるので、夕食も豪華だ。唐揚げ、豆腐ハンバーグ、キャベツレタス、さつまいも、きんぴらゴボウ、ほうれん草と栄養のバランスも取れている。

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<横尾山荘>

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<槍見河原から槍ヶ岳を望む>

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<谷に流れ込む瀬が登山者の目を楽しませる>

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<一ノ沢>

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<槍沢ロッジ>

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<槍沢ロッジは清潔感のある山小屋。入浴もできるし、充電もできる>

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<槍沢ロッジでの夕食>

この日は夕食を取ったらすぐ18時ぐらいに寝る。さて、ここで3時ぐらいに起きられればいいのだが、起きたら0時ちょっと過ぎであった。これはロッジが暑すぎたからである。流石に早すぎるので、ふとんの中でもんもんと過ごす。3時ぐらいになると、さすがに人々が動き始め、4時頃には床を出る。パッキングを終えて5時の朝食後、5時30分に出発する。ちなみに朝食も塩鮭や海苔などもあって豪華であった。槍沢ロッジも既に標高が1820メートルあるのだが、これから槍ヶ岳山頂の3180メートルを目指さなくてはならない。これはなかなかの標高差だ。ということでゆっくりと登っていく。しばらく歩くとババ平というテント場に着く。ここらへんはずっと槍沢沿いに深い谷を登っていく。水俣乗越は6時40分。天狗原分岐は7時30分頃。この頃になると、随分と下山する登山者と道を譲り、譲られで登っていくことになる。インバウンドの登山者も多いが、台湾から来たと思しき中年の女性カップルがいきなり登っている私にリュックでぶつかってきた。思わず「痛い!」と言うと、後続の仲間の女性が私を睨んできた。どうも「登り優先」という認識を持っていないようだ。台湾の若い男性はそこらへんがしっかりと対応できているので、まあ、例外的なケースなのかもしれないが、不快な思いをする。

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<ババ平や槍沢ロッジから30分ぐらい歩いたところにある>

ジグザグのレキの坂道が続くが、それほど厳しくはない。ゆっくりと一歩一歩、確かめるように高度を上げていく。9時頃には目の前に槍ヶ岳が屹立するのが望め、登ろうという意思を強化させてくれる。坊主の岩には9時20分頃に到着。ちょっと休憩をして、山荘までの厳しい坂道を上がっていく。槍ヶ岳山荘に着いたのは11時10分。槍ヶ岳はもう目前に聳え立っている。この山荘からは、もう絶景をみることができる。

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<ジグザグのレキ道を登っていく>

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<槍ヶ岳が姿を現すと、スタミナ・ドリンクを飲んだように元気が出てくる>

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<とはいえ、最後の小一時間は標高も高いこともあり相当、厳しい>

さて、いつもは1000メートルを登ると太股の筋肉が痙攣するのがほぼ習慣となっているのだが、今回はまったくピキキの「ピ」の字もないように上手く登っていくことができた。昨日、ロッジで入浴して筋肉をしっかりと解せたからかもしれない。 
 山荘に荷物を置き、昼食を取り(レトルトのカレーライス)、軽装になって山頂を目指す。カメラも持って行くのを止めて、携帯のカメラで撮るようにする。山荘から山頂までは98メートル。これはほぼ垂直という感じで、はしごと鎖場を登っていく。ただ、個人的にははしごと鎖場はむしろ楽で、それらがない時に、しっかりとどこに足場とするのかを判断する方が難しかった。見るからに登山経験が浅い若者のグループが先に登っていたのでやたら時間がかかった。これは、山頂の面積が狭いので頂上にいられる人の数が限られているからだ。しかし、天気がよいので、待っているのはそれほど苦痛ではなく、寒くもなかった。とはいえ、天気が悪かったら、このはしご待ちなどは厳しいだろう。さて、山頂には山荘を発って30分ほどで到着。その展望は素晴らしいに尽きる。ただ、携帯カメラは画面が暗すぎて、操作をすることができず、頂上の写真は友人の携帯カメラで撮影してもらった。

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<槍ヶ岳山荘>

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<槍ヶ岳山荘から常念岳を望む>

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<岩にへばりついているように山頂を目指す登山者達>

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<山頂での記念写真>

 下りも前述した若者グループがぐずぐずしているので時間はかかった。まあ、しかし、他人のことはいえないが、登山経験が浅くて槍ヶ岳に来るのは無謀だと思う。今日のように天気がよければそれほど危険ではないかもしれないが、ちょっとでも条件が悪かったら結構、危ないと思う。
 さて、山荘に戻ったのは13時30分頃であった。夕食は17時ということもあり、どっと疲れも出てきたので一眠りをしてしまった。これがいけなかった。というのは、起きたら頭痛がしたからだ。これは高山病か?と心配になる。どうも、高度に慣れないうちに寝てしまうのは高山病になるから、してはいけないことのようだ。そうでなくても高山病になりやすい質なのに愚かである。しかし、深呼吸をゆっくりと何回かしたら徐々に治ってきた。友人が麦酒でも呑もうか、と言ってちょっと躊躇したが、どうもおしゃべりは高山病にはいいらしいので、ゆっくりと生ビールを飲むことにする。これは結果的に大丈夫であった。そして、夕食を食べて、ちょっと談話室で時間を潰し20時頃に就寝する。とはいえ、この日も1時前に起きてしまった。なんか睡眠のリズムが今ひとつになっている。
 4時頃に起床し、パッキングをして、明るくなってきた4時30分頃から日の出を見ようと外にでる。見事な朝焼けであるが、どうも槍ヶ岳が邪魔になってアングル的に日の出は見られないようだ。そばで立っているオジさんにそれを確認すると、「そればかりはしょうがない」と言われる。それで、山荘に戻ったのだが、実際は見られたようだ。こういう適当なことを言う輩には気をつけないといけない、ということを還暦になって再認識する。5時からは朝食。この山荘もヘリコプターで物資を運ぶだけあって贅沢だ。オクラ、焼き魚、ソーセージ、きんぴらゴボウ、卵焼き、お新香がつく。ここはご飯だけでなく、お味噌汁がお代わり自由なところが嬉しい。

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<徐々に明るくなってくる空に映える槍ヶ岳>

 5時40分には出発する。下りは飛騨沢コースを選んだ。常念岳や乗鞍、笠ヶ岳といった近場の山だけでなく、八ヶ岳や富士山までもを展望することができる。素晴らしい天気の中、標高を下げていく。キャンプ場の中を歩いて、少し行くと大喰岳と槍ヶ岳の鞍部にある飛騨乗越に着く。ここからは、レキの急坂をジグザグに下りていく。笠ヶ岳、さらには黒部五郎岳、白山を展望するという絶景の中をゆっくりと膝を痛めないように気をつけて下りていく。千丈沢乗越との分岐点は7時に通過する。そして、しばらく行くと飛騨沢が右手を流れ始める。その後は、樹林帯に入る。この樹林帯はずっと新穂高温泉まで続いていく。樹林帯の中は日影であり、その点ではとても有り難いが、展望も得られず、ひたすら歩いて行かなくてはならない。まあまあ、退屈である。とはいえ、集中を切らすと浮き石とかを踏んだり、濡れた岩で滑ったりするので油断はできない。

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<槍ヶ岳山荘からは富士山をも展望できた>

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<山荘からの笠ヶ岳の雄姿>

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<飛騨乗越から八ヶ岳を望む>

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<飛騨沢コースは途中から樹林帯をひたする歩くことになる>

 槍平に到着したのは9時ちょうど。ここでゆっくりと休む。槍平小屋ではコーヒー・バッグではあるがコーヒーを呑めたりするのは嬉しい。ここの標高は1990メートル。1000メートルは下りたが、さらに900メートルは下りなくてはならない。うーむ、なかなか厳しい。

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<槍平山荘>

 とはいえ、結果的に槍平小屋から新穂高温泉までの下りはそれほど厳しいと感じるものではなかった。ただ、疲労から踏ん張りが効かなくなっているので、その点だけが辛かった。時折、沢を越える時は気をつけないといけないが、それ以外は敢えて危険箇所はなかった。そして13時には穂高平小屋に到着する。ここで中華麺を食べる。中華麺は本当、チャーシューとメンマと葱という非常にシンプルなものだが、炭水化物を欲している身体には嬉しい。穂高平小屋からは近道があったが、あまり管理がされていないということと、5分ぐらいしか短縮できないということで、遠回りではあるが林道を歩いて戻る。新穂高温泉に到着したのは13時30分頃であった。新穂高温泉に置いてあった友人の自動車に同乗し、そのままあかんだな駐車場に行く。そこで自分の自動車を拾い、松本へ。槍ヶ岳に登頂し、無事に下山できた満足感が身体を包む。登山の醍醐味である。

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<幾つかの沢を越えて、新穂高温泉に向かう>

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<穂高平小屋での中華麺>

 さて、飛騨沢コースであるが、メリットとしては、槍沢コースに比べると標高差はあるが、距離は短い。また、バスに乗らずに自家用車のあるところまでそのまま下りることができるといった利点がある。加えて、槍沢コースに比べると登山者が圧倒的に少ない。これは、自分のペースで歩けるということだ。一方、デメリットとしては、槍沢コースに比べると圧倒的に歩きにくい。熊笹などの沿道の草木はある程度、手入れはされているが、それでもしょっちゅう身体に当たり、気になる。さらに景色は槍沢コースの方が圧倒的に優れている。水場も多く、歩いて楽しいのは圧倒的に槍沢コースの方だ。槍沢コースはしょっちゅう山小屋が出てくるのも嬉しい。ということで、特に登りは槍沢コースを行くのをお勧めする。ただ、下りは自家用車の駐車場に時間を気にしないでアプローチできるなど、状況に応じては選択肢に入れてもいいかもしれない。あと、登山ピーク時は槍沢コースの混み具合は相当、ストレスになるかもしれないので、こちらを選択肢に入れておいてもいいであろう。


<槍沢コース>
登山道整備度 ★★★★★ 素晴らしく歩きやすい。
岩場度 ★★★☆☆ 山荘直前ではなかなかの岩場を登らせられる。あと、槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳は岩場度は100%。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ まったくないと言ってよい。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ まったくない
虫うっとうしい度 ★★☆☆☆ 多少、虫はいる。
展望度 ★★★★★ 天気にもよるだろうが、素晴らしい展望が得られた。
駐車場アクセス度 ★★★★★ (駐車場へのアクセスは素晴らしい・・・あかんだな駐車場。ただ、そこからバスに乗って上高地バスターミナルにまで移動しなくてはならない)
トイレ充実度 ★★★★★ (コース沿いに多くの山荘、テント場があり、トイレには困らない)
下山後の温泉充実度 N/A (このコースでは下山しなかった)
安全度 ★★★★☆ 登山道は非常に安全で怪我をするようなところはないが、登山客が多く、またマナーをあまり理解していない素人登山者が外国人を含めて多いので、その点は問題。

<飛騨沢コース>
登山道整備度 ★★★☆☆ 登山道は整備されているが、多少、歩きにくいところが数カ所散見される。
岩場度 ★★★★☆ 下山直後はなかなかの岩場を下らせられる。
登山道ぬかるみ度 ★☆☆☆☆ 樹林帯に入った後、多少ある。
登山道笹度 ★★★☆☆ 樹林帯に入った後は、熊笹が結構、生えており歩きにくい箇所が数カ所ある。
虫うっとうしい度 ★★★☆☆ 樹林帯に入った後は、虫が多少、鬱陶しい。虫除けスプレーを使った。
展望度 ★★★☆☆ 樹林帯に入るまでは素晴らしいが、樹林帯に入ると、展望はあまり得られなくなる。
駐車場アクセス度 ★★★★★ (駐車場へのアクセスは文句なし。ただ、駐車場から登山口までは結構、距離がある)
トイレ充実度 ★★★☆☆ (コース沿いに幾つかの山荘、テント場があり、これらでトイレを使えるが、そうでないところは多少、困るかもしれない)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆  (新穂高温泉の温泉は相当、いいのではと個人的には考えている)
安全度 ★★★☆☆ 危険箇所は特にはないが、浮き石、濡石などで足を掬われる可能性がある。

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