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大阪駅になぜ新幹線はこないのか理解できない [都市デザイン]

関西で仕事をするようになって、つくづく不思議に思うのは、大阪駅に新幹線が延伸されていないことである。新大阪駅から大阪駅までわずか3.5キロメートル。線形的にも大阪駅に入ることは、まったく問題がない。東京側(東側)からもそうだが、神戸側(西側)でも問題がない。というか、西側は新大阪駅に接続すると不自然に90度ぐらい曲がる。しかも新大阪駅が終点の新幹線が多いので、それらの列車を新大阪で停車させるよりも、大阪駅まで伸ばした方が、停車時間も長く取れるし、利便性も高くなるだろう。何より、大阪の人には便利だ。大阪には阪急、阪神のターミナルもあるし、阪和線との接続もいい。新大阪駅は東京でいうと上野駅みたいな感じで、不便である。
 大阪駅周辺に土地がない、というような事情があれば分かるが、どでかい空き地がある。ここをなぜ、新幹線、リニアのターミナルにできないのか。東京であれば100%するであろう。というか、実際、すべての新幹線は東京を発着駅としている。その利便性の高さと都市としての象徴としての新幹線を、東京の人はよく理解しているのだ。それはJR的にも利益をもたらすであろう。東京は、東京駅をすべての新幹線の発着駅にするだけでなく、周辺の駅もほぼすべて停車させている。上野駅は通過するものも数本あるが、品川駅だけでなく、大宮駅、新横浜駅までもすべての新幹線を停車させている。東京に近づくと、すべての新幹線はこだまのようになるのだ。速さを利便性で犠牲にしている。
 大阪が首都であれば、まず間違いなく、新幹線は大阪駅に止めるようにするだろう。それは、新幹線が大阪の発展に寄与することをよく理解しているからだ。そして、JR東日本であれば、おそらくそういう判断をするであろう。JR西日本は、そういう経営センスが残念ながら欠けているとしか思えない。まあ、みずほのデザインの格好悪さをみても、そういうセンスがないことはよく分かる。
 この大阪駅に新幹線を延伸させないのは、もう東京の政治家や官僚達のいじめなのではないかとさえ思うのだが、大阪駅になぜ新幹線を延伸しないのかを、以前、知り合いのJR西日本の社員に問いただしたことがある。その答えが「淀川を越えるのにお金がかかりすぎる」ということであった。はああ。リニア新幹線は品川駅から神奈川駅まで33キロもトンネルを掘るんだぞ。というか、JR西日本でも北陸新幹線で京都駅から小浜駅まで60キロ弱がトンネルだ。大阪駅から新大阪駅までわずか3.5キロメートルだ。というか、現行のJRの路線の上部を走らせればいいだけだろう。東京―上野間のように。
 大阪駅に新幹線を持ってくるのは、都市計画の基本中の基本のようなもので、それを実行しないことの合理的説明はできない。というか、それによって、大阪の経済も劇的に改善される。まあ、経済的に浮揚することをしたくないなら別だが、こんな簡単なことは、するべきであろう。というか、あれだけの広大な土地が駅前にあって出来ないのであれば、それは100年ぐらいは呪われるぐらいの致命的な判断ミスとなる。JR西日本がやりたくないなら、大阪市や大阪府がやるべきようなことかとさえ思う。

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京都サービスが悪すぎるだろうシリーズ(7) [京都生活]

家から2分ぐらいのところにある人気の居酒屋を同僚と訪れる。水曜日の9時過ぎ。「予約してないけど入れます」と関東弁でお願いすると、ちょっと躊躇しつつも「すいません、席が埋まってまして」と断られる。まあ、人気店なのでしょうがないな、と思い「すいません、今度は予約してきてから来ますね」と言って去ろうとすると、「あ、すいません。狭いですがテーブルだったら空いていますから」と言われて、二人のテーブルに案内される。「今度は予約してきてから」が効いたのだな、と納得。とはいえ、「狭いテーブルなのに申し訳ありません」と何度も言われると、結構、追い出そうとしたことを気にしているのかなと思ったりもする。お勘定の時、「お車呼びます」と言われたので、そのときは自信を持って「隣の通りに住んでいるので」と堂々と言うと、「本当、テーブルが空いているのを忘れてすいませんでした」と丁寧に謝れる。まあ、関東からの観光客と誤解したんだな、と再度、確認する。いや、別に入れて美味しい食事とお酒にありつけたからいいけど、本当、京都の店は客を見るな、とつくづくと思う。ちなみに、この店の請求額は納得のお値段であった。というか、いい店に入れてラッキーだった。
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日本の人口減少について考察する [サステイナブルな問題]

国際日本文化研究センターで「縮小社会の文化創造」の研究グループの研究員を3年間ほどしてきて、先日、その集大成を京都国際マンガミュージアムで展示をし、またシンポジウムも開催した。
 この研究グループの研究の視点は、文化芸術や福祉だったりして、私のディシプリンとは違うのでたいへん興味深かった。その研究を経て、自分なりに改めて理解したことは次のようなことである。
 縮小問題というのは、日本人の人口が縮小するという問題であり、これは極めて地域限定的な問題である。世界の人口は今でも増加しており、むしろ人口増加が人類的な課題である。そういう観点からすると、むしろ日本において人口が減少しているのは、地球上のバランスを考えると喜ばしい。というか、すべての国が減少を嫌がり、増加しようとすれば、そのうち人類が依存する地球の資源はなくなってしまう。そうでなくても、エコロジカル・フットプリントという考え方では、アメリカ人と同じようなライフスタイルを前人類がしようとすれば、地球があと2つ必要なのだ。地球という閉じた環境系の中で人類が生き延びるのであれば、どこかが成長するのであれば、どこかがそれを相殺するように減少しなければ、人類は滅びてしまう。「共有地の悲劇」の地球版だ
さて、しかし日本人の人口減少は、日本人にとっては大きな問題であるように捉えられている印象も受ける。それはどうしてか。まず合計特殊出生率が再生産の基準を大きく下回っていることもあり、そのうち「日本が消滅する」と指摘する人がいる(例えば朝比奈一郎、イーロン・マスクなどである)。しかし、「日本が消滅する」の日本って、一体何なのか。日本という国土は合計特殊出生率の低さでは消滅しない。それが消滅するのは、「日本人」が地球上からいなくなるということだが、ここで考えなくてはいけないことは「日本人」とは何かということだ。
 「日本人」は日本民族であるという考え方に則ったとしても、それはそもそも弥生民族、縄文民族の混血である。そう考えると、「日本人」という血統に拘ることはあまり意味がないことが分かる。そもそも、犬じゃああるまいし、血統を意識する必要もほとんどないと思われる。
 そもそも、人々が思っている多くの「日本人」が混血である。ローラはインドの血が半分入っていて、日本人の血は1/4だが、「日本人」であろう。ドナルド・キーンは「日本人」の血が一滴も入っていないが「日本人」であろう。というか、多くの「100%純血」(ということがどういうことか、科学的には分からないが)の「日本人」より「日本人」であると思う。逆にいえば大坂なおみは「日本人」より「アメリカ人」である。国籍は「日本人」かもしれないが、3歳からアメリカに住んでいるし、英語の方が日本語よりはるかに堪能である。
 そのように考えると、「日本人」の血統のようなものと「日本人」とは違う。すなわち、地球上から消滅して困るのは「日本人」の血統のようなものではなく、ドナルド・キーンなども含む「日本人」というものであるということだ。さて、それでは、そのような「日本人」が地球上から消滅すると何が困るのであろうか。
 まず考えられるのは日本語である。日本語というのは、日本人しか使用していない言語であるため、「日本人」が消滅すると、日本語を未来に継承する役割を担う人達がいなくなる。これは人類的には損失が大きいと思われる。なぜなら、日本語はそれによる文学を長い期間、生み出してきたからである。このような言語は、それほど多くない。そのような文学は日本語を使う人がなくなると忘れ去られる可能性は大きい。これは未来の人類にとってはもったいないことだ。
 あと、日本料理や日本酒などの日本のユニークな生活文化の未来への継承者もゼロとはいわないが、相当、少なくなるであろう。
 すなわち、人類の多様性の一部を構成するグループがいなくなることによる人類の損失は大きいと思われるのだ。ただし、それらを継承するのは「日本人」の血を引き継いでいる必要性はゼロである。上記の文化を継承してくれるものが消滅するのは、いろいろと人類的観点からも損失があるが、そのような人が存在していれば構わない。それは、祖先が日本人である必要はゼロだ。ドナルド・キーンがまさに「日本人」であるというのは、そういう意味からである。
 そのように考えると、人類的には、それだけのマスが次世代にも存在し続ければ問題がなく、日本という限られた地域経済を維持するために、日本人の数を確保させようとすることは、極めて短期的な視野でものごとを捉えすぎである。そもそも、日本はヨーロッパ大陸で一番、人口が多いドイツ(ロシアを除く)と同じ国土であるのに、人口は1.5倍も多いことから分かるように、人口は国土に比して、多すぎるのだ。しかも、ドイツと違って、東京や大阪といった大都市圏に人口の偏りが甚だしい状況になっているのが問題なのだ。
 そして、日本の人口が少なくなり、エコロジカル・フットプリント的にも日本列島の国土と同じぐらいの規模(すなわち、サステイナブルであるということ)にまで落ち着けば、必然的に人口は、それ以上は減らなくなると思われる。成長曲線は一次線形ではなくロジスティック・カーブを描く。縮小曲線もロジスティック・カーブを描くと考える方が妥当である。
 ということで、地球的規模でみれば、日本の人口減少などは問題どころか、むしろ解決策であり、さらに、日本の立場から考えても、守らなくてはならないのは国民の数というよりかは、日本の言語を含む文化を次世代に継承する人達の確保ということが、国際日本文化研究センターの研究を通じて理解したことである。

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開聞岳(日本百名山53座登頂) [日本百名山]

開聞岳に登る。前泊は「民宿かいもん」に宿泊したのだが、この民宿は口コミの評判の高さ通りに素晴らしい民宿であった。まあ、その素晴らしさは、ホスピタリティと食事の美味しさにある。朝は4時30分から起きてもらい、珈琲にサンドイッチまでつくってくれていた。ちなみに、朝食はお弁当としておにぎりを3つも予めつくってもらっていたにも関わらずである。

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<登山全日に民宿かいもんから開聞岳を見る。この日は山頂が見えた>

開聞岳の登山口までは、「民宿かいもん」からも歩いて15分ぐらいかと思うが、この15分間が結構、負担になるかもしれないのでレンタカーで最寄りの駐車場まで行く。駐車場に車を駐めて出発したのは5時30分。日は昇っているが、曇っていることもあってそれほど明るくない。駐車場からは山頂が雲で覆われている開聞岳が見える。この雲がいなくなれば開聞岳山頂からは360度の大展望が得られる筈だ。淡い期待をもって登り始める。駐車場から登山口の二合目までは、まあまあ歩く。

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<登山口からは山容がはっきりと見られた。ただし、山頂は雲がかかっている>

登山口からは、亜熱帯のような森の中を歩いて行く。しばらくすると他の道との交差点に着く。ここが2.5合目だ。そこから森は鬱蒼としてきて、昼なお暗いような感じになってくる。朝が早くて曇っていることもあり、ここでヘッドランプを点ける。3合目についたのは6時。森はさらに深くなっていく。ただ、登山道は整備されていて歩きやすい。4合目についたのは6時20分。ほぼコースタイム通り。そして5合目が6時30分。ここからは海が展望でき、なかなかの景色を楽しむことができる。しかし、結果的にはここが今回の登山で唯一、楽しめた展望であった。

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<登山口からの登山道はよく整備されていて歩きやすい>

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<徐々に森が暗くなっていく。懐中電灯をとりあえず点けて進む>

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<五合目までは坂も緩やかで、木段も整備されていて極めて歩きやすい>

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<五合目からは展望が得られる。しかし、これが結果的には最後の展望であった>

6合目は6時50分。登山路はここらへんから険しくなっていき、それまでは快適であったのが、急に岩場の激しいルートになる。7合目は7時5分。そこからは太平洋が展望できる筈だが、雲の隙間に色で海が判別できるような感じ。もう、雲の傘の中に入ってしまっている。その先は、もう完全な岩場で、ストックはむしろ邪魔。今回は手袋を忘れてしまったのだが、これは大失敗である。ちょっと油断をしたら、濡れた岩に滑って右手を思い切り岩にぶつける。瞬間、手の指を骨折したかと冷や汗をかいたが、どうにか打撲だけで済んだようだ。冷却スプレーを持ってきていたので助かった。ここまで登り詰めで、自分が思っていたより足にきていたようだ。5合目を越えた後は、ほとんど急な坂道なので、筋肉は相当張っていたようだ。もう、この天候だと山頂で展望も得られないし、下山するかと思ったが、あと少しなので頑張って登り続ける。8号目は7時35分。九号目は7時50分。山頂そばの御岳神社に着いたのが8時10分。山頂は8時15分。猛烈な風が吹いていて、体感温度は相当、低い。岩場の陰で風をしのぎ、おにぎりを食べる。視界は悲しいほどゼロ。山頂にはもう一人、地元のおばさんがいた。彼女はもう何回も開聞岳には登っているそうだが、実は屋久島が見えたことはまだないそうである。意外と屋久島は、遠いことを知る。もっと、ずっと近いのかと思っていた。

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<五合目を過ぎると登山道は岩だらけになる。ストックは使えず、手袋は必須であったが、私は手袋を忘れて苦労した>

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<晴れていたら見事な海が望めたろうが、まったくそれは期待外れに終わった>

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<山頂に近づくほど岩は厳しくなる。足下に気をつけないと怪我をする。私も危ない思いをした>

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<山頂そばの御岳神社>

 展望も得られず、あと風を凌いではいても猛烈に寒くなってきたので、そそくさと下山する。8時30分には下山開始である。右手は相変わらず痛いので、丁寧にゆっくりと降りていく。9合目は8時50分。5合目は10時。5合目は行きよりもさらに展望が開け、とてもいい感じである。結局、今回の登山で得られた展望は往復の5合目のそれだけであった。ちょっと悔しい。悔しいといえば、5合目辺りから天気がどんどんとよくなったことである。思わず、登り直そうかと思ったぐらいであるが、流石にそれは右手が痛いのと、仕事が溜まっているので諦めた。登山口に戻ったのは10時50分。往復で5時間20分の登山であった。温泉は山川町の「たまてばこ温泉」に行ったのだが、これは素晴らしくよかった。露天風呂から得られる景観としては、個人的にはベストであった。ここは大のお勧めだ。ここからは開聞岳も見られるのだが、温泉から出る時(12時過ぎ)まではまだ雲が帽子のように開聞岳の山頂にちょこっと乗っていた。登り直さなくてよかったと思いつつ、鹿児島駅方面に向かった。

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<山頂はまったく視界が得られず、また激しい風が吹いていて体感温度は相当、低かった>

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<写真ではあまり分からないかもしれないが、風はなかなか激しかった>

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<五合目までに戻ってようやく展望が得られた。池田湖もみられる>

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<五合目から指宿方面を展望する>

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<登山口に戻ったら、見事な晴天になっていた>

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<ただし、山頂は相変わらず雲に覆われていた>

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<たまてばこ温泉に浸かった時点も、まだ山頂は雲に覆われていた>

登山道整備度 ★★★☆☆ (5合目までは素晴らしい。その後の岩場は険しい)
岩場度 ★★★★☆ (ストックは使えない。手袋必須)
登山道ぬかるみ度 ★☆☆☆☆ (濡れてはいるのだがぬかるみはそれほどない)
虫うっとうしい度 ★☆☆☆☆ (虫が鬱陶しいことはまったくなかった)
展望度 ★★★★☆ (本来は素晴らしい展望が得られるはず。ただ、山は木に覆われているので、登山道からの展望はそれほど得られない)
駐車場アクセス度 ★★★★☆ (駐車場から登山口までちょっとあるが、非常に多くの台数が駐められる)
トイレ充実度 ★☆☆☆☆ (登山口にあるのみ)
下山後の温泉充実度 ★★★★★ (素晴らしすぎる)
安全度 ★★☆☆☆ (低山ではあるが、岩場が多く、また崖を歩いて行くので遭難者が多いのは頷ける)

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