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御岳山(日本百名山51座登頂) [日本百名山]

御岳山にチャレンジする。御岳山は2014年9月の噴火以降、登山ルートが立ち入り規制されたが、最近、緩和された。ということで、どうせ登るのであれば最高峰の剣ヶ峰に行こうと考える。ただ、どの登山道の規制が緩和されたのかがよく分からなかった。そこで、前泊した木曽福島のホテルの受け付けのお兄さんに尋ねると、よく理解しておらず、とりあえず御岳ロープウェイのルートがいいんじゃないですかと答える。御岳ロープウェイ は始発が7時。ただ、それよりは田ノ原ルートの方がいいだろうな、と思っていた。さて、ホテルは当日、予約したのでもう夕食は用意できない、ということなので木曽福島の街中にでる。どうも「くるまや」という蕎麦屋が有名のようなので、そこに行こうとするともう閉まっていた。仕方がないので、そばの「たちばな」という居酒屋に入る。長野県はどうも非常事態宣言に指定されていないそうで、お酒が飲めるので、久し振りに居酒屋で日本酒を飲む。さて、そこでダメ元でお店の人に御岳山の登山ルートを尋ねると、なんとご主人はメチャクチャ詳しくて、田ノ原ルートからだと王滝までは行けるが、その先は通行できないと教えてくれる。これは、ホームページとかを熟読すれば分かったことだが、私はよく読み取れていなかった。田ノ原ルートで行こうと思っていたので、この情報はメチャクチャ助かる。さらに、ロープウェイで行くのもいいが、黒沢口6合目までは車で行くことが出来、そこから50分ぐらいでロープウェイの山頂駅からのルートと合流すると教えてくれる。7時にロープウェイの駐車場に行くのは日の出が5時30分ということを考えると勿体ない。起床時間にも依るが、黒沢口6合目か御岳ロープウェイで登ることを決める。このご主人は拡大した地図まで渡してくれた。
 翌日は2時前ぐらいに起床する。ちょっと早すぎたので布団でゴロゴロしていたが4時には床から出て4時45分ぐらいに宿を出る。ここから黒沢口6合目までは26キロメートル。途中、セブンイレブンに寄り、朝食のサンドイッチと昼食のおにぎりを購入する。黒沢口6合目までの道のりはなかなかの山道で結局、思ったよりも遅く6時頃に到着してしまった。ここは相当、駐車場の台数には余裕があるのだが、結構、埋まっていた。穴場のルートなのかなと思っていたが、大間違いだ。御岳山、私が思っていたよりはるかに人気のあるルートなのではないかと思われる。駐車場には駐まれたが、もう既に日は出ており、もう少し早く宿を出ていればよかったと後悔する。
 登山の準備をして出発したのは6時10分。登山道はしっかりと整備されており、歩きやすい。昨日までの雨で泥濘んではいるが、木の階段が組まれているので苦ではない。登山ではこの泥濘道に手こずることが多いので、これは有り難い。さて、出発地点は1800メートルとそれほど高くはないが、それでも高山病気質の私はあまり気分がよくない。高山病を発症したら元も子もないので、通常のゆっくりペースをさらにゆっくりさせて、どんどん後続に追い越されても、一歩一歩噛みしめるように歩いて行く。黒沢口ルート、傾斜はなかなか急なので楽なルートではない。御岳ロープウェイとの合流点には7時に着く。御岳ロープウェイ組よりは早い到達時間であるが、それほどのアドバンテージでもない。その後のルートもしっかりと整備はされていて歩きやすいが、なかなかの斜面である。ただ、ところどころで気の合間から見られる中央アルプスの山々の美しさに癒やされる。7時45分に後続にどんどん追い越されていく。尋ねると、ロープウェイ組であった。たったの45分のアドバンテージのために300メートル余計に登ったのかと思うと、もっと早く起きていけばと思わずにはいられない。ロープウェイ組はまだ歩き始めということもあって元気に登っていく。8合目に到着したのは8時。ここには山荘があって、食事が取れる。というか、7合目にも山荘があり、8合目にも9合目にも山荘があって、そういう意味では登山をするうえでのサポート・サービスが充実した山であるといえよう。

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<黒沢口6合目の駐車場は相当の台数が駐められる。この写真以外にも2箇所ある。ただ、6時前でも相当数、既に駐車していた>

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<黒沢口6合目の入り口>

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<気持ちのよい森の中を歩いて行く。登山道はしっかりと整備されていて快適だ>

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<朝日の中を歩いて行くのは登山の醍醐味の一つであろう>

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<八合目になると途端に展望が開ける>

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<八合目からちょっと登ったところからの素晴らしい展望。左に見えるのが乗鞍岳だ>

 8合目から上は灌木しか生えていない。もう既に紅葉が始まっていて、その色彩が美しく晴れやかな気分となる。8号目からは木曽アルプス、南アルプス、先週登った乗鞍岳、北アルプスが展望できる。非常に豪華な景観を望める。8号目からは登山道にレキが目立つが登山上がしっかりと整備されているので歩きやすい。しかも急斜面ではあるが、鎖場や梯子はまったくない。この歩きやすさはこの御岳登山の魅力の一つといってもいいであろう。これは人気がある訳だと納得する。石室山荘の手前で森林限界。これから先はもう岩の世界である。十勝岳とか霧島岳(韓国岳)の火山もそうだが、日本の山の山頂の多くがまるでイメージとする火星のような荒廃した景観であるということは登山をするまで知らなかったことである。

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<レキの登山道だがしっかりと整備されており歩きやすい>

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<既に紅葉が始まっている>

 9号目の手前にある石室山荘に到着したのは9時20分。ここでおにぎりなど簡単にエネルギーを吸収し、長袖のシャツや虫除けなどこれからの山頂アタックに不要なものをここに預けさせてもらう。こういうサービスをしてくれる山荘があるのは本当、有り難い。ここで2014年に亡くなられた方々への供養の気持ちを込めて、好きではないヘルメットを被る。ヘルメットは御岳山登山のために今回、初めて買ったものである。さて、随分と身軽になったので足取りも軽く、山頂を目指す。二ノ池を通過するのが10時ぐらい。私が写真でみた二ノ池は青かったが、今日の二ノ池は白濁した色であった。2014年からこのような色のままなのかもしれない。さて、そこから先は、もう私の苦手のレキの登山道なのかなと思っていたら、難しいところは、しっかりと階段状の木道が整備されていて歩きやすい。そして、何より展望が別格によい。嬉しい気持ちになりながら標高を稼いでいく。ゆっくりと疲れないように歩いていたこともあって高山病にもならずに済みそうだ。

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<石室山荘。ここまでの登山の疲れを取るのにうってつけの場所に建っている>

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<九合目から上はまったくもってぺんぺん草も生えない荒野のような道を行く>

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<二ノ池>

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<苦手なレキの登山道だが、しっかりとこのような木の階段が設置されているのでとても歩きやすい。いい登山道だ>

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<頂上手前。2014年の事故以降につくられた避難場所。ちょっとデザインが今一つ>

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<頂上にはこの80段ほどの階段を登らなくては成らない。最後の試練>

 山頂に着いたのは10時20分。最後に80段ぐらいの階段を登らさせられる。山頂からは乗鞍岳、北アルプス、八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、そして恵那山までもが展望できる。天気に恵まれたこともあって、素晴らしい景色を楽しむことができた。つくづく、登山は天気によってその体験が大きく左右されることを痛感する。今日は大当たりであった(いや、晴れということが分かったので登ったということもあるが)。
 山頂ではインスタント・ラーメンを食べる。いつもは普通のカップヌードルなのだが、今日は趣向を変えたものを買ったら「激辛インスタント・ラーメン」であった。京都の一乗寺にある「極鶏ラーメン」をモデルにしたものだが、そもそも当たり前だが麺が違うし、味も全然、違う。それはいいが、この激辛というのは登山には極めて不適切だ。お腹を壊したらどうする、と思いつつ悔しいので食べる。
11時15分頃に下山を開始する。登山計画書では30分休憩だが、どうも自分は60分は休憩を取りたいタイプのようだ。これからは登山計画でも60分間の休憩時間としておこう。今回は1300メートルの登山であったが、太股が攣りそうなこともなく、結構、順調に上がってこれた。とはいえ、下りでは膝を痛める可能性があるので、慎重にゆっくりペースで降りて行く。12時頃に石室山荘に到着。荷物を受け取り、300円のオロナミンCを飲んで8号目に向かう。結構、膝は痛むので、随時、休んでマッサージをする。8号目の到着は13時。コースタイムを大きく上回る時間である。というか、自分はこの下りが人より時間がかかることを改めて認識する。そして、7号目の力餅のある行場山荘に着いたのは13時50分。せっかくなので「力餅(ぜんざい)」を食べて休む。500円だが、疲れた身体にぜんざいの甘さとお餅のもちもち感が嬉しい。お店を出たのは14時ちょっと過ぎ。そして、最後の力を振り絞って黒沢口6合目に着く。到着時間は14時40分。下りに時間を取られたが、それでも膝も痛くはなく、太股も一度も痙攣しなかったこと、さらには尻餅をつかなかったことはちょっとした成果である。
 帰りは木曽福島の街並みを見学し、一挙に東京まで戻る。連休の合間ではあったが、中央高速で25キロの渋滞に遭い、家に着いたのは23時近くであった。

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<山頂から二ノ池方面を望む>


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<山頂から木曽山脈の方を望む。右手には王滝方面の登山口が見える>

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<連休中ということもあって多くの登山客が登っていた>

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<行場山荘の力餅。疲れた身体にはじんとくる美味しさだ>

登山道整備度 ★★★★★ (難しいところには階段が整備されていて、非常によい)
岩場度 ☆☆☆☆☆ (手を使って登らなくてはいけないところはほとんどない) 
登山道ぬかるみ度 ★★☆☆☆ (8合目までは多少、ぬかるんでいる)
虫うっとうしい度 ★☆☆☆☆ (虫が鬱陶しいことはほとんどない)
展望度 ★★★★★ (絶景)
駐車場アクセス度 ★★★★★ 
トイレ充実度 ★★★☆☆ 
下山後の温泉充実度 ★★☆☆☆ 
安全度 ★★☆☆☆ (登山道がしっかりしているので、安全)
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乗鞍岳(日本百名山50座登頂) [日本百名山]

乗鞍岳にチャレンジする。これまで乗鞍岳には二度チャレンジしたことがある。一度目は畳平までは辿り着いたが、あまりのガスと高山病のような症状がでたので諦めた。二度目は雨で畳平まで行くバスに乗ることさえしなかった。乗鞍岳は百名山の中では、そうとう登頂が楽な山と知られている。しかし、私にとってはなかなか手強い存在であった。その手強さの一番の要員は私が高山病になりやすいということがある。最初にトライしたのは、松本で宿泊して、そのままバスターミナルに向かったので、いきなり短時間で2000メートルも登ることになった。そして、おそらく寝不足でもあったかと思う。そういう失敗をしたので、今回の前泊は乗鞍高原にて行った。乗鞍高原だと、それでもう標高は1600メートルもある。少しでも高さに慣れた方がよい。

寝不足も大敵ということで、20時頃には就寝する。しかし、2時ちょっと過ぎには目が覚める。始発バスは6時10分で、それに乗る計画だったが、こんなに早く目が覚めたなら、4時10分とかの来光バスにも乗れる。それに乗ろうかと調べたら、前日の18時までに予約をしておかないといけないらしい。残念だが諦める。普通の月曜日だというのに、5時30分には結構、多くの人がいた。その前日の日曜日だったら、相当、人がいたであろう。コロナなのに、あまり人は行動を抑制していないようだ。って、人のことは言えない。バスは時間通り出発し、6時55分頃に畳平に到着。なんと気温は6度。相当、寒い。ちょっと高山病的な気分のよくなさはあるが、まあ、これぐらいなら大丈夫。大事をとってゆっくりと進んでいく。天気は最高によい。まさに三度目の正直。

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(バスターミナルからも剣が峰が見える。三度目の挑戦で初めての晴天)

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(9月13日であるにも関わらず、畳平は6度という寒さ)

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(畳平からの登山口の入り口)

お花畑を右手に見つつ、歩を進めると砂利道の車道に出る。これは歩くのは楽だが、味気ない。ただ、そこから左手に広がる展望は素晴らしいの一言につきる。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳とが見える。しばらく歩くと、肩の小屋に着く。時間的には7時40分。ここからは、登山道。レキが多い登山道で、ハイキングというよりかは登山という気分にさせられる。剣ヶ峰への登山道自体は、典型的な火山登山で、レキと低木で景観的には目を楽しませるものがないが、展望はもう特別に素晴らしい。雨や霧の日ではなく、この晴れの日に登山できたことはラッキーだ(いや、三回目にしてようやく晴れたというのが実態だが)。

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(登山始めは右手に花畑をみながら歩いて行く)

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(砂利道の車道を歩いて行く。素っ気ない登山道だが展望は素晴らしい)

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(肩の小屋からは本格的な登山道が始まる)

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(振り返ると北アルプスの素晴らしい展望が広がっている)

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(百名山としては簡単に登れるといわれる乗鞍岳であるが、このレキを登っていくのは簡単ではない)

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(乗鞍岳も火山であるのだな、ということがこの無味乾燥な登山道から理解できる)

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(権現池の向こうには白山がみられる)

頂上小屋に着いたのは8時30分。ここでは珈琲も飲める。私はドリップ式の珈琲をもってきたのでここのは飲まなかったが、軽い荷物で上がっても肩の小屋では食事もできるし、頂上小屋では珈琲も飲める。なかなか充実したサービスが提供されている。この小屋からの展望も素晴らしいの一言で、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳ともう絶景を楽しめる。とはいえ、頂上はさらにいいだろうと20分ほど登ると頂上に着いた。頂上からはまさに360度の大展望が得られる。富士山が北岳の左側にちょこっと覗くように顔を出している。ちっちゃい、それほど威厳もないような富士山ではあるが、富士山が見えると見えないとでえらく得した感が違う。全然活躍しない大谷翔平でも、試合に出ているのを見ると嬉しいのとかと感覚は近いのかもしれない。ここでカップ麺を食べ、珈琲を飲み、帰路に着く。下り始めたのは9時30分ぐらいだ。

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(頂上小屋では珈琲を飲むことができる)

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(頂上小屋から南アルプスを展望する)

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(御岳山も見ることができる)

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(頂上から南アルプス方面を展望する)

下りは比較的早めのペースで降りて行った。これはバスが一時間に一本しか走っていないからで、10時05分は無理だが、その次には乗りたかったからである。そのためにはコースタイム通りで下山しないといけない。今回はストックを敢えてもたずに登山をしたが、膝にくることもなく、太股の筋肉にも特にハリは出来ず、無事に11時頃には下山することができた。11時05分発のバスに乗って、バスターミナルに戻ったのは11時50分。宿泊した宿が帰りに温泉に寄っていいと言ってくれたのでお言葉に甘えて行く。記念すべき百名山の50座目は、特に危険もなく、楽しい登山であった。

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(下山もずっと素晴らしい展望を楽しむことができる。これは乗鞍岳登山の魅力である。ただし、晴れていないといけないが)
タグ:乗鞍岳
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テキサス州の中絶禁止法からみられるアメリカの吐き気がするような矛盾 [トランプのアメリカ]

9月1日、アメリカのテキサス州で妊娠6週目以降の中絶を禁止する州法が施行された。妊娠6週間というのは、多くの女性が妊娠をまだ自覚していない時期であり、この州法によって実質的にほとんどの女性が中絶を受けられなくなる。この法律の女性へ対する人権侵害は甚だしいが、事態をさらに悪化させているのは権利擁護団体などが連邦最高裁に差し止めを求めたが、最高裁は5対4でその請求を退けたことである。ちなみに、退けた5人のうち3人が、トランプが指名した判事である。

この中絶禁止法の卑劣なところは「私的訴権」を認めていることであり、つまり、被害を受けていない人でも、同法に基づいた訴追が可能になることである。これは、余計なお世話的な民事訴訟を中絶反対者が起こすことができるということであり、これによって中絶を行う医師だけでなく、当事者の家族までもが訴えられる可能性がでてくる。これによって、強姦や近親相姦による妊娠でも中絶を認められなくなる。

ここで本当、摩訶不思議というか酷いなと思うのは、銃の保有や、それこそコロナ禍でのマスクをしないことなどの「自由」を強く訴えるくせに、他人が強姦されて妊娠した子供を堕胎することも許さない、それどころか堕胎しなさいといった母親までを訴えようとする、この心の狭さというか残酷さである。これがキリスト教の教えというのであれば、そんな人を不幸にする宗教はいらない。自分のことならまだしも、他人が自分の身体をどうこうしようとそれは勝手であろう。道ばたで泥棒に襲われても助けようとしない人がほとんどのアメリカ人(いや、そういう意味では日本人もそうだが)が、なぜ、他人が堕胎することを法律でも規制させようするのかが分からない。まさにカルト宗教国家のようである。イスラム国を非難できないよ。

しかも、そのようなカルト的異常性を正せない連邦最高裁。こんな国が、本当、日本の同盟国なのか。こんな国の同盟国である日本の将来が本当、心配である。

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地方都市でのおばあちゃんカルテットとの会話 [サステイナブルな問題]

豊岡市にておばあちゃんが集うサードプレイスがあることを市役所の職員から聞く。それは、市役所が設置した「豊岡市立 加陽水辺公園交流館」である。この施設は、コウノトリ関連の資料館という位置づけであるのだが、おばちゃんがたわいのないお話をするような場所となっている。珈琲なども出してもらえ(100円は支払う)、なかなか居心地がよい。私は、豊岡市の知りあいに付き合ってもらい、いきなり話に加わらせてもらった。本当はその会話を動画でも撮影したかったのだが、それは断られた。

さて、人口が縮小するおばあちゃんの暮らしはどのような状況なのであろうか。現状では、車が運転できているので問題がないそうだ。買物とかでも特に不便はないそうだ。とはいえ、空き家が増えているので寂しいとは言う。空き家はもうあっという間に草ボウボウとなる。売りたくても売れないそうだ。とはいいつつ、郊外には新築が建設されている。なんで、空き家がこんなにあるのに、新築が建つんだろうという意見に皆、不思議そうにそうだな、と頷く。

四人のうち三人は年金暮らし。ただ、一人は農家のおばあちゃんで80歳ぐらいなのだが、年金では暮らせないとのこと。これは、他の三人が厚生年金であるのだが、このおばあちゃんだけ国民年金だからだそうだ。国民年金だと月額5万円ちょっとしかもらえない。しかも、このおばあちゃんは農家で農地を人に貸しているのだが、一反4000円で貸しているそうだ。しかし、この農地をもっているので水利権のお金を払わなくてはならない。これで、ほぼ農地をもっていることで賃貸料を受け取っても月額2万円ほどの赤字になるそうだ。それに、さらに集落内での付き合いがある。とても5万円ではやっていけないそうだ。できれば売りたいのだが、買い手がいない。ある意味、不良債権ではある。国民年金だけでは不足なので、市役所からの委託の仕事をしている。

このおばあちゃんは今、とても元気だが、倒れて例えば介護付き施設に入ると月15万円かかるという。さらにおむつ代などを考慮すると、月20万円ぐらい必要となる。子供は3人いるけど、3人に負担をお願いしたら一人6万円強。とてもそのような迷惑はかけられないし、かけたくない。子供には迷惑かけたくない。ぼっくりと死ぬのが理想、という。この意見に関しては、皆が合意(お一人は家族はいなかった)。

この30年間ぐらいの大きな変化としては、全般的に世知辛くなっている、という。昔はもっと大らかだったけど、今は、訴えられたりすることが怖くて不便になっている。例えば、以前だったら近所の人の車に平気で乗れたのが、最近だと事故を起こして訴えられたりしたらたまらない、と乗せてもらえにくくなっている。学校の先生とかも指導を厳しくしたりすると訴えられたりするので臆病になっている。ストレスが高まって大変だと思うと指摘する。

全般的にコミュニティの紐帯は弱まっているという認識はもっている。若者に対しては、「若者の意見は状況を理解していないくて、聞くに値しない」という意見と、「若者の意見もなかなか傾聴に値する」という意見とに分かれた。どちらの意見もなるほどと思うところはあるが、若者に豊岡にいてもらうためには、ある程度、若者の意見を尊重しないと厳しいかなとも思ったりもする。

祭り等の地域行事に関しては、伝統的な慣習が次々となくなっていると指摘される。これは「村」によって違いがあり、皆がそうだという訳ではなかったが、祭りなどの行事がある時は幹事役の家が、お酒代は出すという慣習があったが、若い人が幹事をした時、そんなことはしないと指摘し、それからそういう慣習はなくなった。およそ20年ぐらい前の出来事である。昔は、分限者(お金持ち)が負担するという不文律があったが、今ではそういうのは古くさい習慣として過去のものとなってしまっている(うちの村はそうではない、という指摘もある)

高齢者のコミュニティとしては、グランド・ゴルフなどがある。これらのイベントの連絡は携帯電話。携帯電話がないと生きていくのは難しい、という。携帯電話の扱いは難しいのでは?との質問には「ボケ防止」と明るく答える。グランド・ゴルフは朝8時とかから始まり、午前中で終わる。

また、「村」のコミュニティはよそ者の意見はなかなか受け入れてもらえない、との指摘もあった。伝統的な行事を引き継ぐときも、よそから移住したものではなく、昔からその「村」に暮らしてきた人達に引き継ぐ。ただ、最近ではそうも行っていられなくなってきたので、昔ほど極端ではなくなっているという。

このような話を1時間以上にわたって聞かせてもらった。豊岡市という地方都市において高齢者の暮らしは結構、大変なのではと思ったりしたが意外とそうではなかった。むしろ、都会で暮らしている人達より孤独でないのかもしれない。これは、都会であればコミュニティがある訳ではないからだ。ただ、高齢化という問題において、生き延びていくお金、というのは深刻であることは改めて確認させられた。

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豊岡市のふれあい公設市場のおばちゃんとの対話から、中心市街地の蘇生策を考える [都市デザイン]

豊岡市の市役所のすぐそばに「ふれあい公設市場」がある。南北に約70メートルほどで、豊岡市の目抜き通りである大開通りと生田通りに面してた常設アーケードである。木造市場としては、日本で最も古いという指摘もあるそうだ。ここは2003年4月に市の助成を受けた豊岡商工会議所が、全店舗に庇をとりつけて「町家風」に改装した。この時、「公設市場」を「ふれあい公設市場」と改名している。

さて、9月のある金曜日のお昼頃に訪れた。大開通りのほとんどのお店がシャッターを閉めている。そういう中、まだ多少、画期のようなものを感じるのがこの「ふれあい公設市場」である。ということで中に引き込まれるように入る。商工会議所のデータだと14店がまだ営業しているとのことだ。そこで天ぷら屋さんをしているお店のおばさんにお話を聞く。

どのくらい営業されているのですか?
「私は二代目。ここに嫁に来てから、こちらで営業をしている。もう50年以上はしているかな。」

何時から営業しているのですか?
「コロッケをつくるのに5時に起きる。店に来るのは9時。9時から揚げ始める。店を閉めるのは大体14時頃か、売り切れたら。」

商店街は随分とシャッターが降りていますが、どうして?
「買物客が減ったというのもあるが、後継者がいない。後継者がいなくて、閉めてしまう。うちもそう。子供達はもうこのお店を継ぐ気持ちはない。誰かが買ってくれたり、借りてくれたらいいのだけど、買い手がいない。」

随分とお洒落ですが、人は来ないのですか?
「町家風に改装した当時は、結構、人が来た。写真を撮る人なども多くいた。しかし、コロナなどもあり、全然、人通りはなくなった。そのちょっと前からお店が随分と飲み屋へと変わっていった」

ここで、公設市場の他のお店を経営している人が話に入ってくる。この人はお喋りで、いろいろと話をしてくれる。

二階はどのように使われていますか?
「結構、住んでいる人も多い。私は通っているけど。飲み屋はお客さんのための座敷とかとして使っている。二階は結構、広い。」

商店街に来ていた人はどこで今、野菜などの買物をしているのですか。
「駅前のアイティとかに行っていると思う。随分と不便になった。」

商店街がこんなに元気がなくなったのはどうして?
「病院が移転したことが何よりも大きい。病院は大開通りの駅と反対側にあり、それによって多くの人がここらへんも歩いたりしていた。大開通りには駅から病院に行くバスに乗る人も多かった。この病院を移転させたことで、ここらへんから活気がなくなった。今、新しい病院のあたりはお店も増えて賑わっている。」

何が豊岡市の衰退をもたらしたのでしょう。
「一番、悪いのは今井(元市長)。彼の時代に急に悪くなった。病院を移転する計画を描いたのも今井。彼の政策で、中心市街地がガラガラとなった。しかし、その後の中貝も全然、ダメ」

中貝市長は評判がいいと思うのですが。
「マスコミに出ていたりするのでそう思われているかもしれない。コウノトリ、コウノトリといっても我々の生活とは全然、関係ない。今の市長はちょっとよく分からない。豊岡の人ではないし(豊岡市の人ではあるが旧日高郡ではある)」

お礼を述べて、コロッケを2個購入する。コロッケは一個120円。妙に甘い。砂糖が入っているのだろうか。それともジャガイモの甘さか。ジャガイモの甘さであれば、なかなか美味しいコロッケだ。おばちゃんの重ねた時間が、ちょっと沁みていると書いたら、感傷的に過ぎるだろうか。

なかなか、地方都市の活性化策の難しさを感じる対話というか取材であった。印象的だったのが、中心地から病院を郊外に移転したことがいけないという指摘である。一般のおばちゃんも鋭く、問題の要因を理解していると認識した。人口9万人ぐらいの都市で、中心市街地にある集客的施設を郊外に移転させると、中心市街地が衰退することを引き起こすだけだ。どうもこの病院跡地は、想定したよりもはるかに安い値段でしか売却することができず、そういう点でも大失敗だと思われるのだが、こういう政策を展開していた反省が、コンパクト・シティの重要性を認識させているのだろうか。そうであればいいのだが。大学もそうだが、郊外に移してしまった病院、市役所などを積極的に都心に回帰させるという政策を展開することで、地方都市の中心市街地を多少は活性化することができるのではないだろうか。死に瀕している地方都市の中心市街地は、本当に息の根が止まる前に、そこらへんに手をつけるべきではないか、ということを商店街のおばちゃん達とのお話から思ったりした。

おばちゃんのお話は動画撮影したいぐらいだったのですが、断られてしまったので、私の文章でのみ紹介させてもらう。

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