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妙高山(日本百名山48座登頂) [日本百名山]

妙高山にトライする。前日、妙高高原のホテルに泊まり、5時にはホテルを発つ。笹ヶ峰のキャンプ場の駐車場に向かう。雨天の予報もあり、小雨が降っている中、キャンプ場の駐車場にはほとんど車がいない。準備をして6時頃に笹ヶ峰の登山口から出発する。最初はブナ林の木道を歩いて行く。緩やかに登っていくが、ほとんど難しいところはない。小雨が降っているがブナの木々がその勢いを柔らかくしてくれる。ほぼ1時間ぐらいで黒沢橋を渡る。そして、すぐに12曲りと呼ばれる急坂に届く。なかなかの急坂であるが、それを越えて、しばらく行くとさらに急坂に出る。こちらの方がむしろ12曲りよりも難敵だ。ただ、この頃になると雨足が弱くなってくるのが救いとなる。ここらへんは尾根道であるが、木々に覆われているので、そして、そもそも雲に覆われていて、ほとんど展望も得られない。

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<登山口>

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<黒沢橋>

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<黒沢の急流>

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<雲に覆われて展望は得られにくいが、雨足は弱い。雨に濡れたブナ林の緑が美しい>

坂が緩やかになってしばらく歩くと富士見平分岐に出る。ほぼ9時頃である。ここは、火打山方面と妙高山方面とにの分岐点である。右に折れて妙高山方面の道を行く。緩やかに高度を下げるような形で黒沢池のある湿原を歩いて行く。この湿原の淵を通る登山道は木道がしっかりと整備されていて歩きやすい。相変わらず、雲に覆われてはいるが、湿原は展望できるて、気持ちよく距離を稼ぐことができる。そして、この湿原と山の淵に黒沢池ヒュッテが建つ。ドーム型の特徴的な意匠が目を惹くこの山小屋を設計したのは、吉阪隆正氏である。ル・コルビュジエに師事した建築家として知られる氏であるが、大学時代は山岳部に所属し、大の登山家であった。その吉阪氏の設計なので、それは山小屋としても秀でた建築であるのは間違いない。この日はこの山小屋に泊まるので、入らない荷物をここに置かさせてもらい、妙高山の山頂へと向かう。黒沢池ヒュッテを発ったのは10時30分。黒沢池ヒュッテの東には大倉山が聳える。これを越えなくてはいけないのだが、じめじめした沢を登っていくので決して気持ちいい感じではない。この頃には雨も晴れたこともあり、虫が多い。大倉山乗越の峠に着いたのは30分後。

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<黒沢池のある湿原。気持ちが晴れるような気持ちよい景色の中を歩く>

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<40分ほど湿原を歩くと、黒沢池ヒュッテのユニークな意匠が姿を現す>

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<巨匠吉阪隆正のデザインによる建物である>

さて、それからは大倉山と妙高山の二つの山の狭間の谷に降りていかなくてはならないのだが、これがとんでもない難路であった。それは途中、崩落箇所が幾つかあり、しかも登山道にはクマザサの根が張っているのだが、これを踏むと横に滑るのだ。そして、滑る先は崖。後で、黒沢池ヒュッテの管理者に聞いたのだが、やはり、ここで滑り、滑落する人達は結構多く、そのたびにレスキューをしにいくのだそうだ。ある人の場合は、結局、それらのレスキュー隊でも脱出させられずに消防署に来てもらったケースもあるそうだ。めちゃくちゃ危ないな、と歩いていた時にも思っていたが、実際、滑落した人も少なくなく、そして滑落すると自力では脱出できない。ここを歩いていた時に、環境省はもっとしっかりと国立公園の登山道を整備しろ、と心の中で毒まいていたのだが、実際、この歩道は問題視されているらしく、今度、新しい登山道を整備する計画があるそうだ。ということで、妙高山に登山を考えている人は、この登山道が出来た後にチャレンジされるといいかと考える。そう思わせるぐらい、この大蔵乗越から長助池の現行のルートは歩いても楽しくないし、危険である。というか、このルートを取るぐらいなら、妙高高原スカイケーブルを用いたルートを取るべきであろう。

長助池分岐には、水が溢れていて気持ちいいのだが、生憎、蚊が多くいたこともあり、ゆっくりと休ませてはくれなかった。そこを12時過ぎに早々と立ち、妙高山を登り始める。妙高山は山頂が全方位とも崖のような急斜面であり、長助池分岐からもちょっと緩やかな沢のようなところを登ると、クライミングのような急登が現れる。妙高山は、映画「E.T.」で有名になったワイオミング州のデビルズ・タワーのような形状をしているので、最後の登りがまさに絶壁を登るような感じとなっているのだ。この急登は半端なく厳しく、息が上がり続け、途中、目の前が暗くなりそうな状態にもなる。相方がおらず、一人で登っていたら、とても登り切ることはできなかったであろう。呼吸のリズムを気にしながら、とりあえず気絶するようになることは避け、ゆっくりと一歩一歩進んでいく。すると、どうにか妙高山の山頂に到着することができた。到着時間は13時30分。

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<妙高山の北峰>

山頂はガスでほとんど何も見られない状況であるが、「天気とくらす」の予測ほど風は強くなかった。雨が降っていないことはせめてもの救いである。妙高山には二つの山頂がある。足はもうガクガクであったが、頑張って南峰へといく。途中、日本岩という巨岩があるロック・ガーデンのような場所がある。晴れていたら、さぞかし綺麗だろうが、こうガスが出ているとあまりその凄さが感じられない。

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<北峰と南峰の中間には巨岩がゴロゴロ転がっているロック・ガーデンのような場所がある>

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<妙高山南峰>

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<頂上からは絶景が望めるはずなのだが、ガスに覆われてほとんど何も見られない>

満身創痍に近かったので、頂上で10分間ほど横になって休憩を取る。そして、14時頃から下山を開始する。登りが厳しいということは、下りも厳しいということだ。それほどゆっくりと降りた積もりはないのだが、コースタイムより10分も遅く、長助池に到着する。ここの泉で顔を洗い、身体を冷やす。冷たい水を身体が喜ぶ。さて、ここから大倉乗越は登り。なんで、ここで登るのかと思うが、疲れ切った身体にむち打ち、また滑落しないよう気を張ってトラバースをする。この登山道は、繰り返しになるが、とても百名山の登山道と思えないほど酷い。ただ、後で黒沢池ヒュッテの管理者に聞いた話だが、ここらへんの登山道の管理はボランティア任せらしい。ボランティアは人手が足りず、また、重作業なのでなかなか管理ができないというのが実情らしい。例えば関温泉からのルートはクマザサに登山道が覆われ、道をみつけるのも難しいような状況だそうだ。多少、関温泉からのルートを考えていたこともあったので、つくづくそのルートを取らなくてよかった。

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<この日の登山で唯一の青空が見えた瞬間>

さて、大倉乗越を過ぎると、あとは下り。ただ、この下りも沢のような道を降りていくので気をつけないといけない。ゆっくりと慎重に降りていき、黒沢池ヒュッテに到着。到着したのは16時30分であった。今日はこちらで泊まる。コロナが感染拡大していることもあってか、宿泊者は私と同行者の二人だけ。管理人も我々も皆、ワクチンを二回接種しているので、まず安心だ。ということで、極めてコロナ・フリーな山小屋泊となった。コロナの山登りの必須品であるマイ・シーツを敷いて、夕ご飯のシチューを食べると、速攻で眠りに落ちる。明日は火打山である。

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