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ニュータウンにコミュニティ性を加えるための処方箋 [都市デザイン]

ニュータウンがつくられてから、早いところではもう50年以上が経つ。つまり、ニュータウンで生まれた人も、もう人によっては50歳を越えるということだ。これは、もうニュータウンともいえない。さて、ニュータウンはその地縁がない人達が寄せ集まって生活をするようになったため、コミュニティを新たに形成しなくてはならない。ただ、このコミュニティというのは聞こえはいいが煩わしい。家族でさえ煩わしいのであるから、他人と一緒にコミュニティをつくりあげるというのはなかなか言うは易く行うは難しだ。
 さて、しかし、コミュニティのネットワークが弱いと防災面や防犯面で脆弱である。それでは、どのようにすればいいのか。このことに関して、ランドスケープ・アーキテクトの祐乗坊さんのお話を聞かせて頂き、大変、示唆に富むことを仰っていたので、ここに共有させてもらう

「町を手垢で汚す」・・手垢を街につけることが重要。自分の記憶を街に織り込む。団地の空いているところに好きな花を植えるなどして、町のどっかに自分のアイデンティティを刷り込んでいく。そうすると、気になるところが増えていく。そういう意識をもって町に手垢をつけていかないと、縁も地縁もない町をふるさとにすることは出来ない。ニュータウンに住むということは、そのような自分の記憶を織り込むようなことを意識しないと、なかなかコミュニティ性をもたせることは難しい。

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火打山(日本百名山49座登頂) [日本百名山]

前日の妙高山に次いで、火打山にチャレンジする。黒沢池ヒュッテの朝食を4時30分にとり、5時30分に出発。ちなみに朝食はクレープにジャム、ツナ缶、缶詰の桜桃、スープに珈琲であった。ヒュッテは冷蔵庫が使えないのでそのようなメニューとなる。珈琲が美味しい。さて、今日は昨日とは打って変わった好天気である。「天気とくらす」での予報は、火打山は「C評価(登山に適していない)」であったが、今日は千載一遇の登山日和である。ここらへんの予報はなかなか当たらないと改めて思う。

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<茶臼山の登山道から後ろを振り返ると昨日はみられなかった妙高山がその姿を現していた>

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<茶臼山の登山道は尾根道なので、左手には日本海が見られる>

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<雷菱の印象的な赤い壁を望む>

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<登山道の両側はクマザサが群生している>

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<高谷池の湿原>

さて黒沢池からは茶臼山を乗り越えて高谷池ヒュッテに向かうことになる。この茶臼山はいっきなり結構の登りがあるので起きたばかりの身体には結構、負荷がある。振り返ると昨日はまったくその姿をみられなかった妙高山がその雄壮たる姿を現している。日本海も見られ、この尾根道は気持ちがよい。さて、ただ茶臼山の山頂からは木に邪魔され展望が得られない。茶臼山の山頂から写真を撮ろうと考えないで、その手前で撮ることをお勧めする。さらに、茶臼山から東側(黒沢池ヒュッテ側)は比較的、クマザサが刈られていて歩きやすいが、高谷池ヒュッテ側はそこらへんが管理されず、歩きにくい。特にヒュッテに近いところは、沢を降りる形になるが、岩と泥の中を歩いて行くのは結構、しんどいものがあった。

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<火打山をバックにした高谷池>

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<高谷池ヒュッテ>

さて、高谷池ヒュッテには7時ちょっと前に着く。荷物を置き、身軽になって再チャレンジする。高谷池ヒュッテは目の前に高谷池の湿原が広がり、早朝の光の中、高山湿原の素晴らしさを身体全体で感じる。晴れていると本当に、高山湿原は素晴らしい。高谷池ヒュッテからは火打山の壮麗なる姿が高谷池の向こう側に見える。妙高山のような特異な形状ではなく、円錐型の山らしい形をした山である。火打山、影火打山、焼山の山塊をバックにした、この湿原は極めてフォトジェニックで素晴らしい。昨日の雨で空のホコリが流されたからだと思われるが、早朝の光が、山、池、樹木を素晴らしい色で照らしている。


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<素晴らしい高原湿原>

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<高原湿原は木道で歩いて行くので快適だ>

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<ふと振り返ると妙高山のユニークな形を確認することができる>

高谷池ヒュッテを出発したのは7時ちょうどぐらい。ここから火打山までの2時間弱の登山は天気が素晴らしいこともあったが、相当、優れた登山体験を提供してくれる。妙高山の理不尽に近い、修行のような厳しさとは違い、登山の楽しさを体感させてくれるようなルートである。これは、登山道の不安定な場所はところどころ木道が整備されているなどして歩きやすくなっていることに加えて、管理も行き届いているからであろう。隣同士にある百名山であるにも関わらず、この登山環境の差は驚くものがある。一方はフルサービスの美味しい料理を提供してくれるフレンチ・レストランであるとすれば、もう一方はセルフサービスのうどん屋のような感じである。

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<天狗の庭と火打山>

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<火打山と逆さ火打>

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<妙高山>

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<さっきまで見えていた北アルプスが雲で覆われ始める>

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<火打山の山頂>

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<火打山からは360度の見事な展望を得ることができた>

高谷池ヒュッテを過ぎて15分ぐらい行くと「天狗の庭」という高山湿原がある。この湿原も見事である。ここらへんはすべて木道であるので歩きは快適だ。この湿原歩きは、高谷池ヒュッテから火打山登山のハイライトの一つであろう。湿原が終わると坂が始まる。坂は比較的、急だが、昨日の妙高山に比べればずっと楽である。坂もそれほどは急でないのに加え、登山道が管理されているので歩きやすいからだ。さらには、尾根道なので右手に日本海、左手に高妻山、さらに前方には北アルプスの山容、振り返れば妙高山が展望できる。まさに空中散歩のような気分で標高を上げていくことができ、登山の醍醐味を味わうことができる。山頂の直前には階段があり、これはこれできついが、機械的なモーションで上がっていくと山頂がいきなり目の前に広がる。山頂に着いた時は、急激に発達した水蒸気で北アルプスこそは展望が得られなかったが、それ以外は昨日とは打って変わって素晴らしい展望が広がる。あと15分ほど早く着いたら、北アルプスも見られたかもしれないが、逆にあと15分ほど遅れて着いたら、今、見られているものも雲で隠されていたかもしれない。昨日まで振っていた大量の水分が、今日の晴天と高温で凄い勢いで水蒸気となって山を覆い始めているからだ。山頂にはコースタイムより時間を取り、9時ちょっと前に到着。しばらく展望を楽しんで、帰路に着く。出発時間は9時。

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<登山道の真っ直ぐ先に見える妙高山>

帰路も気持ちよく降りて行ったのだが、ふと振り返ると雲が火打山の山頂を覆い始めている。本当、登山はタイミングだなとつくづく思わされる。我々は満点ではなかったかもしれないが、97点ぐらいのタイミングのよさだなと思う。高谷池ヒュッテに到着したのは、10時20分。ここで昼ご飯を取る。昼ご飯といっても、高谷池ヒュッテで購入できるのはカップ麺か、カップ飯。私はカップ麺を買う。カップ麺のごみも持って帰らなくてはいけないのは負担だが、カップ麺に入れるお湯とかをヒュッテが提供してくれるのは有り難い。山小屋があると、もってくる荷物がグッと減るので本当、有り難い。食事をして、最後の火打山の勇姿を満喫して、帰路に着く。出発時間は11時である。

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<富士見平分岐でふと空を見上げると夏らしい色合いの青空>

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<美しい苔に覆われた倒木>

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<十二曲り>

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<登山道沿いには多くのキノコが生えている>

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<黒沢橋そばの黒沢の清流>

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<登山道入り口に戻る。ほぼ34時間ぶり>

高谷池ヒュッテから富士見分岐までは黒沢池ヒュッテ側と違って谷道で、沢のような泥々としたところを歩いて行く。富士見平分岐は12時頃に到着。そこからは急坂を下りていく。なかなかの急坂で膝への負担を気にしつつ、丁寧に降りて行く。そして、12曲りを経て、黒沢橋。黒沢橋からはほぼ平らの木道で歩くのは楽。ただ、足の親指に水ぶくれのようなものができたので、それをかばいつつ降りて行く。あと、随分と温度があがってきたので若干、熱中症が気になる。十二分の水分を摂取しながらある一会区。笹ヶ峰キャンプ場に着いたのは14時15分。昨日の妙高山登山とほぼ同じ距離を歩いたが、登りと下りという差はあるが、疲労度は全然、違う。杉ノ原スキー場にある苗名の湯で汗を流し、帰路に着いた。

登山道整備度 ★★★☆☆ (ヒュッテから山頂までしっかりと整備されているが、妙高との分岐点からヒュッテまでは歩きにくい)
岩場度 ★☆☆☆☆ (手を使わないといけないような岩場もなく、快適な登山が楽しめる)
登山道ぬかるみ度 ★★★★☆ (妙高との分岐点からヒュッテまでは相当のぬかるみ)
虫うっとうしい度 ★★★☆☆ (虫はヒュッテまでは結構いる)
展望度 ★★★★☆ (相当、素晴らしい展望が得られる。妙高山などが美しい)
駐車場アクセス度 ★★★★★  (登山口の駐車場は相当、優れていると思われる)
トイレ充実度 ★★★☆☆ (山小屋があるので、それほど心配しなくてもいいかも)
下山後の温泉充実度 ★★☆☆☆ (ちょっと駐車場から走らないといけない)
安全度 ★★★☆☆ (ヒュッテから山頂まで登山道はしっかりと整備されているが、ヒュッテまではぬかるみ道などもあり、必ずしも安心とはいえない)

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妙高山(日本百名山48座登頂) [日本百名山]

妙高山にトライする。前日、妙高高原のホテルに泊まり、5時にはホテルを発つ。笹ヶ峰のキャンプ場の駐車場に向かう。雨天の予報もあり、小雨が降っている中、キャンプ場の駐車場にはほとんど車がいない。準備をして6時頃に笹ヶ峰の登山口から出発する。最初はブナ林の木道を歩いて行く。緩やかに登っていくが、ほとんど難しいところはない。小雨が降っているがブナの木々がその勢いを柔らかくしてくれる。ほぼ1時間ぐらいで黒沢橋を渡る。そして、すぐに12曲りと呼ばれる急坂に届く。なかなかの急坂であるが、それを越えて、しばらく行くとさらに急坂に出る。こちらの方がむしろ12曲りよりも難敵だ。ただ、この頃になると雨足が弱くなってくるのが救いとなる。ここらへんは尾根道であるが、木々に覆われているので、そして、そもそも雲に覆われていて、ほとんど展望も得られない。

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<登山口>

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<黒沢橋>

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<黒沢の急流>

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<雲に覆われて展望は得られにくいが、雨足は弱い。雨に濡れたブナ林の緑が美しい>

坂が緩やかになってしばらく歩くと富士見平分岐に出る。ほぼ9時頃である。ここは、火打山方面と妙高山方面とにの分岐点である。右に折れて妙高山方面の道を行く。緩やかに高度を下げるような形で黒沢池のある湿原を歩いて行く。この湿原の淵を通る登山道は木道がしっかりと整備されていて歩きやすい。相変わらず、雲に覆われてはいるが、湿原は展望できるて、気持ちよく距離を稼ぐことができる。そして、この湿原と山の淵に黒沢池ヒュッテが建つ。ドーム型の特徴的な意匠が目を惹くこの山小屋を設計したのは、吉阪隆正氏である。ル・コルビュジエに師事した建築家として知られる氏であるが、大学時代は山岳部に所属し、大の登山家であった。その吉阪氏の設計なので、それは山小屋としても秀でた建築であるのは間違いない。この日はこの山小屋に泊まるので、入らない荷物をここに置かさせてもらい、妙高山の山頂へと向かう。黒沢池ヒュッテを発ったのは10時30分。黒沢池ヒュッテの東には大倉山が聳える。これを越えなくてはいけないのだが、じめじめした沢を登っていくので決して気持ちいい感じではない。この頃には雨も晴れたこともあり、虫が多い。大倉山乗越の峠に着いたのは30分後。

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<黒沢池のある湿原。気持ちが晴れるような気持ちよい景色の中を歩く>

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<40分ほど湿原を歩くと、黒沢池ヒュッテのユニークな意匠が姿を現す>

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<巨匠吉阪隆正のデザインによる建物である>

さて、それからは大倉山と妙高山の二つの山の狭間の谷に降りていかなくてはならないのだが、これがとんでもない難路であった。それは途中、崩落箇所が幾つかあり、しかも登山道にはクマザサの根が張っているのだが、これを踏むと横に滑るのだ。そして、滑る先は崖。後で、黒沢池ヒュッテの管理者に聞いたのだが、やはり、ここで滑り、滑落する人達は結構多く、そのたびにレスキューをしにいくのだそうだ。ある人の場合は、結局、それらのレスキュー隊でも脱出させられずに消防署に来てもらったケースもあるそうだ。めちゃくちゃ危ないな、と歩いていた時にも思っていたが、実際、滑落した人も少なくなく、そして滑落すると自力では脱出できない。ここを歩いていた時に、環境省はもっとしっかりと国立公園の登山道を整備しろ、と心の中で毒まいていたのだが、実際、この歩道は問題視されているらしく、今度、新しい登山道を整備する計画があるそうだ。ということで、妙高山に登山を考えている人は、この登山道が出来た後にチャレンジされるといいかと考える。そう思わせるぐらい、この大蔵乗越から長助池の現行のルートは歩いても楽しくないし、危険である。というか、このルートを取るぐらいなら、妙高高原スカイケーブルを用いたルートを取るべきであろう。

長助池分岐には、水が溢れていて気持ちいいのだが、生憎、蚊が多くいたこともあり、ゆっくりと休ませてはくれなかった。そこを12時過ぎに早々と立ち、妙高山を登り始める。妙高山は山頂が全方位とも崖のような急斜面であり、長助池分岐からもちょっと緩やかな沢のようなところを登ると、クライミングのような急登が現れる。妙高山は、映画「E.T.」で有名になったワイオミング州のデビルズ・タワーのような形状をしているので、最後の登りがまさに絶壁を登るような感じとなっているのだ。この急登は半端なく厳しく、息が上がり続け、途中、目の前が暗くなりそうな状態にもなる。相方がおらず、一人で登っていたら、とても登り切ることはできなかったであろう。呼吸のリズムを気にしながら、とりあえず気絶するようになることは避け、ゆっくりと一歩一歩進んでいく。すると、どうにか妙高山の山頂に到着することができた。到着時間は13時30分。

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<妙高山の北峰>

山頂はガスでほとんど何も見られない状況であるが、「天気とくらす」の予測ほど風は強くなかった。雨が降っていないことはせめてもの救いである。妙高山には二つの山頂がある。足はもうガクガクであったが、頑張って南峰へといく。途中、日本岩という巨岩があるロック・ガーデンのような場所がある。晴れていたら、さぞかし綺麗だろうが、こうガスが出ているとあまりその凄さが感じられない。

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<北峰と南峰の中間には巨岩がゴロゴロ転がっているロック・ガーデンのような場所がある>

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<妙高山南峰>

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<頂上からは絶景が望めるはずなのだが、ガスに覆われてほとんど何も見られない>

満身創痍に近かったので、頂上で10分間ほど横になって休憩を取る。そして、14時頃から下山を開始する。登りが厳しいということは、下りも厳しいということだ。それほどゆっくりと降りた積もりはないのだが、コースタイムより10分も遅く、長助池に到着する。ここの泉で顔を洗い、身体を冷やす。冷たい水を身体が喜ぶ。さて、ここから大倉乗越は登り。なんで、ここで登るのかと思うが、疲れ切った身体にむち打ち、また滑落しないよう気を張ってトラバースをする。この登山道は、繰り返しになるが、とても百名山の登山道と思えないほど酷い。ただ、後で黒沢池ヒュッテの管理者に聞いた話だが、ここらへんの登山道の管理はボランティア任せらしい。ボランティアは人手が足りず、また、重作業なのでなかなか管理ができないというのが実情らしい。例えば関温泉からのルートはクマザサに登山道が覆われ、道をみつけるのも難しいような状況だそうだ。多少、関温泉からのルートを考えていたこともあったので、つくづくそのルートを取らなくてよかった。

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<この日の登山で唯一の青空が見えた瞬間>

さて、大倉乗越を過ぎると、あとは下り。ただ、この下りも沢のような道を降りていくので気をつけないといけない。ゆっくりと慎重に降りていき、黒沢池ヒュッテに到着。到着したのは16時30分であった。今日はこちらで泊まる。コロナが感染拡大していることもあってか、宿泊者は私と同行者の二人だけ。管理人も我々も皆、ワクチンを二回接種しているので、まず安心だ。ということで、極めてコロナ・フリーな山小屋泊となった。コロナの山登りの必須品であるマイ・シーツを敷いて、夕ご飯のシチューを食べると、速攻で眠りに落ちる。明日は火打山である。

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『都市政策の思想と現実』宮本憲一 [書評]

政治経済学者であるが、都市論者の泰斗である宮本憲一氏の著書。1980年に出された『都市経済論』という名著が、既に絶版となっているので、それに代わる本としては、これはお勧めであろう。たいへん分かりやすく、論理的な文章に理解は進むが、誤字は多い。ブラジルのクリチバがチリチバになっていたり、ちょっと笑えない誤字が特に後半部には少なくない。また、私は宮本氏を敬愛しているので、彼に過ちはないと思いたいのだが、「ドイツは日本と同じように持ち家主義であり、主として民間に供給をまかせている」(p.238)という明らかな事実誤認もある。ドイツは持ち家率が3割台で、旧東ドイツは特に賃貸が顕著であるが、旧西ドイツでも戸建て住宅はともかく、集合住宅はほとんどが賃貸である。ただ、そのような重箱の隅をほじくると出てくるミスはあるが、400ページに及ぶこの本は、日本の都市政策を相当、範囲、網羅しており、政策学部の大学生は読むべき著書であることは間違いない。


都市政策の思想と現実 (立命館大学叢書 政策科学)

都市政策の思想と現実 (立命館大学叢書 政策科学)

  • 作者: 宮本 憲一
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2021/08/19
  • メディア: 単行本



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日本の明るい将来を導くためには道州制の導入が必要だろう [サステイナブルな問題]

今回のコロナウイルスへの対応の自民党政府の酷さは目に余る。その理由としては、もちろん自民党政権の知力が劣化しているからであるが、彼らの知力は随分と前から劣化している。おそらく森あたりが首相を務めた時から劣化は相当、進んでいたであろう。さて、それでは何で、それでも政権を維持できたのか。それは中央省庁のエリート達が優秀だったからである。民主党政権がいろいろと上手く回せなかった最大の要因は、この中央省庁のエリート達を使いこなせなかったからである。自民党は政権掌握期間が長いので、ここらへんはゆかりがない。上手く彼らに操縦されて、どうにか政権を維持できてきた。
 さて、それではなぜ、今回このコロナウイルスでは上手く対応することができなくなったのか。それは、中央省庁の役人達が劣化を始めているからだ。小室圭のことだって、宮内庁がしっかりとしていればこんな問題にはならなかった。中央官庁の役人がサラリーマンのようになってしまい、国の課題を解決する主体であるという自覚がなくなってしまったことが、コロナやオリンピックを始めとして、いろいろと直面する問題が解決できなくなってしまっている最大の要因ではないかと思うのだ。最近でも、国の未来を担うというような気持ちで中央官庁の役人になる者はいる。しかし、彼ら・彼女らの多くが、中央官庁という組織に嫌気が差して辞めていく。私の周囲にもそういう人達が何人かいるのを知っている。エリートという約束されたポジションを捨てるほど、その組織は拘束的で、クリエイティブだったり、問題意識が高い人ほど辞めていく。結果、残るのは自分のことしか考えていないような輩だけとなる。ちょっと前にも経産省の若きエリート役人が詐欺で逮捕されたが、彼らはコロナ対策補助金を詐欺をして自分のポケットに入れて、それで何をしたかというと給料以上の家賃のマンションに住んで、1000万円以上の会社買っていたそうだ。そのさもしさに涙が出る。(https://www.sankei.com/article/20210703-Q3TJU5ZVAZI5LN5PV5AZ46VOXU/
 こんな人達が、コロナウィルスから国民の安全や命を守ろうなんて、思う訳がない。
 さて、それでは我々、国民はどうすればいいのか。ふて寝という選択肢もあるが、それじゃあ、いつまで経ってもふて寝をしていなくてはいけないし、そのうち中央政府と自民党コンビに殺されるかもしれない。
 ここは、道州制を導入して、中央政府の役割を国防とかに限定させてしまうことを提案したい。環境省や国土交通省、経産省、農林水産省、厚労省とかはもう解体した方がいい。財務省などの解体は「円」の管理人としては必要だが、現状よりずっと小規模にして構わないであろう。州政府に移譲すればいいのだ。コロナの対策もはっきり言って、自治体の方が遙かに機動力があって知恵もある。福井県の対応なんて、国よりはるかに現実の危機への対応力がある。
 道州制は1990年代頃から議論されていたが、既得権を守りたい中央省庁や自民党政権によって潰されてきたが、もう日本もただのアジアのダメ国の一員になっていたことがオリンピックで露見されたことをきっかけに再び議論をするべきであるし、それを導入すべきであろう。そうしないと、このバカな国は再び平気で戦争をするぞ。そして、今度、戦争したら、本当に国が消滅するかもしれない。目をつぶって楽観論だけを耳に入れて、オリンピックに突入して、このコロナが猖獗を極めている危機を招いた自民党政権・中央政府の反省しない態度をみるにつけ、これは本当にこの国は危機にあるな、ということを思い知らせられる。ただ、我々は、この劣化した中央政府に拘る必要はない。徳川幕府より解体することは簡単だし、無血で出来る筈だ。

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オリンピック開催がコロナウィルスの感染を抑止した証拠はまったくない [菅政権]

オリンピック開催はコロナウィルスの感染拡大と無関係だ、と小池都知事も菅首相もその取り巻きも主張しているが、オリンピック開催によってコロナウィルスの感染が抑制される、というかマイナスに働いた要素はまったくない。つまり、マイナスにはならないがプラスにはなるというイベントを、このコロナウィルスの感染拡大が危惧されたのに遂行したということは、もっと自覚し、政権、そしてその政権を支持した我々も反省すべきであろう。

小池都知事は、8月12日で東京都のモニタリング会議で国立国際医療研究センターの大曲氏が「競技場の周辺や沿道に多くの人が集まり応援する姿がみられた」と言及したのに対して、「印象論でおっしゃっている」と回答した。これは肺がんになった喫煙者の患者が、「喫煙は止めた方がいい」というお医者さんに、喫煙と肺がんとの私個人における因果関係(エビデンス)はないので、喫煙を止めるというような「印象論」で話さないでくれ、と言っているようなものだ。でも、喫煙をすることで肺がんになることを回避するといった効果はゼロである。つまり、「競技場の周辺や沿道に多くの人が集まる」ことは、オリンピックを開催しなかったらまったくあり得なかったことなので、その開催はリスクを高めることはあっても低めることはない。

つまり、たばこのようなもんだな。確かに、たばこは美味しいし、吸うと気持ちよくなる。健康に悪いが止められない。オリンピックも楽しいし、見ているとわくわくする。ただ、たばこは身体に悪いのが否定できないように、コロナウィルス禍でのオリンピックはコロナウィルスの感染拡大を促進する方向に働いた、ということは否定しようがない。コロナウィルス感染拡大の統計を10年後の統計学者が分析すれば、まず明らかなのはオリンピックが要因であるということ。小池さんも菅さんも自分に都合が悪いから否定しているだけで、第三者的立場でみれば、というか野党側であったら猛烈にその因果関係を指摘していたであろう。

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『AKIRA』を久し振りに読んで、やはりそれほど感心しない [書評]

『AKIRA』は1982年から1990年にかけてヤング・マガジンに連載されていた大友克洋の漫画である。私はちょうど大学時代と被ったりもしたので、結構、連載中も読んでいた。とはいえ、ヤング・マガジンはたまに買うか、喫茶店とかで読むぐらいであったので集中して読んでいた訳ではない。あとで単行本も買ったりしたが、全巻揃えず、最初の三巻ぐらいであったかと思う。

さて、しかし私のそのような関心のなさとは世間の評価はまったく異なり、『AKIRA』は日本の漫画の金字塔的位置づけにある。ハリウッドでも実写版映画が企画されて、本来であれば今年、公開予定であった。原作がつくられてから40年経っても、この人気というのは凄まじいものである。私も五十嵐太郎の著書を読んでいたら、やたら『AKIRA』の引用が多いので、改めて1巻から6巻までを購入して、一気読みをしてみた。

その感想であるが、やはり40年前と同じであまり感心しなかった。いや、荒廃された東京の描写は凄まじいものがあって、確かに建築をやっている学生さんとかは惹き付けられるであろう。バックグラウンドの絵などの描写は素晴らしいし、ミヤコ教の総本山のデザイン(代々木の国立競技場にそっくりだが)なども興味深い。それなのに、なぜ私が惹き付けられないのか。

それはまず、主人公の金田のキャラが今一つであり、とても感情移入できないからだ。まず、アホすぎ。子供のように感情に支配され、前後の見境がない。正義感がないとはいえないが、それは直情的であり、いや、本当、こいつには近づきたくない。そのような中、ケイが常識的な人間で、彼女の目を通じて世の中を捉えようとする読者としての自分がいたが、最後には一緒になってしまって、もうなんじゃこりゃ、の世界である。ご都合主義にもほどがある。いや、SFなので科学面ではご都合主義は致し方ないが、人間関係の描写にご都合主義だとストーリーの面白さが半減する。

あと、建築や都市の描写が素晴らしすぎるのであまりそう思っていなかったのだが、人の描写は決して上手くない。ヒロインのケイも美人なのかそうでないかが分からない。チヨコも男性か女性かはちょっとよく分からない。金田と関係を持っていた保健婦が美人でないのは分かったが。人の描写って難しいのだな、と改めて思わさせられる。

ということで35年ぶりぐらいに読み返した『AKIRA』は、やはりそれほど感心しなかった。ハリウッド的というか、アメリカ人にも分かりやすい単純なストーリーであるというところはあるかもしれないが、日本の漫画はもっと人と人との心の複雑な絡みが描かれている。そこで、ストーリーはリアリティを確保するし、そこに我々は惹き付けられる。例えば『あずみ』や『サイボーグ009』、『鉄腕アトム』、そのオマージュである『PLUTO』…というか、その作者である浦沢直樹の『二十世紀少年』や『MONSTER』なんか、まさにそういう作品である。『二十世紀少年』も主人公はアホといえばアホだが、金田のように感情移入ができないアホではなく、めちゃくちゃ感情移入したくなるようなアホだ。そういう意味では荒唐無稽さでは、はるかに『AKIRA』の上をいく荒木飛呂彦のジョジョ・シリーズでも、『AKIRA』よりはるかに物語の世界に引き込まれる。いや、パラレル・ワールドとか岩人間とか、まったくあり得ないと思いつつ、『AKIRA』のように読み進めることへの苦痛を覚えない。

さて、もう世紀の名作という評価が確立している『AKIRA』に対して、このような批判をするのはまさに神をも恐れぬ、という所業なのだろうが、率直に一個人としての読書感想をここに述べさせてもらう。失敬。



AKIRA コミック 全6巻完結セット

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  • 作者: 大友 克洋
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データをみると、ラムダ株の恐ろしさが見えてくる。 [グローバルな問題]

世界のコロナ感染がどのような状況であるのかをチェックしてみた(2021.08.13)。まず、感染者数であるが2億623万人、死者数は435万人である。感染者数を国別でみるとアメリカ合衆国、インド、ブラジルと続く。死者数だとアメリカ合衆国はトップだが、次いでブラジル、インドとなる。インドは悲惨だと指摘されていたが、実はブラジルの方が酷いのか。さて、その後、急上昇しているのはメキシコ、ペルーでロシア、イギリスを抜いた。ペルーではラムダ株が猛威をふるっているということで、ちょっと今後が心配だ。
 さて、次は人口当たりであるが、感染者数でみると小国が並び、2000万人以上でみると、14位のアメリカがトップ(11.17%)で、次いでアルゼンチン、オランダ、ウルグアイ、スェーデンと続く。日本はなんと142位で、結構、医療逼迫と言われているが、まだ相対的にはましなのか、とちょっと驚く。
 人口当たりの死者数では、ペルー(0.59%)、ハンガリー、ボスニアが1位から3位。比較的、人口が多い国だけをみると、8位にブラジル、11位にコロンビア、12位にアルゼンチン、16位にパラグアイと南米諸国が続く。それ以降は17位にイタリア、20位にイギリス、21位にアメリカ合衆国、22位にメキシコ、23位にチリである。ちなみに絶対数が多いインドは115位、日本は140位である。
それにしても、南米の人口当たりの死者数、高すぎないか。特にペルーの高さは尋常ではない。日本は0.01%であるから、日本のほぼ60倍近い死亡率である。ワクチン接種率が低いなどが要因としては考えられるが、もう一つはラムダ株の存在であろう。他の南米諸国の死亡率が高いことを考えても、ラムダ株はデルタ株より怖ろしい可能性をこれらの数字は暗示している。ラムダ株はペルー由来である。日本でも8月10日に確認されたが、アメリカでも昨日のCNNのニュースによれば、テキサス州などで発見されているようだ。
 というか、まじでこのような状況でもパラリンピックを強行するのか。今すぐ、何かしらの対応をすべきであろう。というか、コロナウィルス、強すぎないか。まだラスボスが登場するには時間がかかりそうな気がする。

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フロリダ州のコロナ感染拡大が凄いことになっている [グローバルな問題]

トランプ大統領の傀儡であるロン・デサントスが州知事であるフロリダ州のコロナ感染拡大が猖獗を極めている。フロリダ州の保険局が8月13日に発表したデータ(http://ww11.doh.state.fl.us/comm/_partners/covid19_report_archive/covid19-data/covid19_data_latest.pdf) によると累計の感染者数は272万5450人。先週だけで、新たに13万4500人が感染している。6月18日までは週当たりの新規感染者数は12万人を越えることはなかったので、一ヶ月半で週当たりの新規感染者数は10倍以上も増えていることになる。これは、まさにアウトブレークに近い。
フロリダ州の人口は2157万人。既にコロナの感染者数は全人口の12.6%に及んでいる。日本の累計感染者数は107万人であり、感染者数は全人口の0.08%だ。ついでに東京のデータをみると、感染者数は全人口の1.9%である。現在、医療崩壊が心配されているような感染爆発が起きている東京でさえ、まだこの数字だ。フロリダ州の状況がいかに酷いかが分かる。ちなみにフロリダ州のコロナによる死者数は40171人。日本は15336人(東京都は2317人)なので、人口当たりの死亡率はフロリダ州は日本の15倍(東京都の11倍)ぐらいで、感染者数とほぼ同じ比率である(東京都と比べると、死亡率は感染率より低い)。そして、未だ増加トレンドにあり、これはどれだけの人が今後、感染していくか、ちょっと考えただけでもゾッとする。
この要因は、デサントス州知事が、小学校でのマスク着用を義務化させることを州法で禁止しようとさせたり(これは現在、州裁判所に無効だと訴訟されている)、「自由」を規制するようなコロナ対策はアメリカ的でないと主張したり、「Don’t Fauch my Florida」といったホワイトハウスのコロナ対策タスクフォースの一員であるアンソニー・ファウチを揶揄するTシャツやマグカップを配布したりするなど、ワクチン接種やコロナ対策への批判をすることで、政治活動を展開しているからだ。ところで、トランプといい、なんでコロナ対策を批判するのか不思議だったのだが、そのような活動をすると寄付金で随分と儲かることが最近、理解できた(驚いたことにトヨタも結構、寄附をしている・・・なぜだ?)。
ワクチン接種者は1210万人なので56%に達している。1017万人が二度接種を完了している。これまで、接種率が低かった同州だが7月から接種者が急増している。ちなみに日本は二度接種だと36%、東京都では30%だ。日本はやはり遅い。
さて、フロリダ州のコロナ感染状況で明らかになったことは、15歳の子供などが重篤化していることだ(https://www.nbcmiami.com/news/local/why-my-daughter-broward-teen-hospitalized-in-icu-with-covid-19/2506704/)。4歳の子供が亡くなったケースもある(https://www.jacksonville.com/story/news/coronavirus/2021/03/02/hardee-county-4-year-old-becomes-floridas-youngest-covid-19-death/6849825002/)。
デルタ株が猛威をふるい、さらにはラムダ株がデッキで待機していることを推察すると、これからの日本でも子供達がコロナの犠牲者になる可能性が今後、高くなるということだ。何しろ、若者を含めてワクチン接種を進めて、万が一コロナになっても重篤化させない、死なないような自衛策を講じるべきであろう。コロナは過ぎ去ったかと思ったが、これからが本格的な闘いとなる。まだ、せいぜい第二楽章が終わったぐらいの状況にあることがフロリダの悲惨な状況をみると理解することができる。何が「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」だ!まだ、インターミッションにも入っていないような状況にあることが分かった。

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コロナ禍での人口移動を考察する [サステイナブルな問題]

総務省は8月4日、住民基本台帳に基づく2021年1月1日時点の人口動態調査を発表した。コロナの影響下で、人々がどのように移動したかの傾向が見られる調査であり、興味深い。

さて、まず外国人住民が7年ぶりに減少した。まあ、これは分かりやすい。ただ、大都市から地方という移動はほとんどマクロではみられない。相変わらず、減少率が高い(この1年で1%以上減少)のは秋田(1.40%)、青森(1.23%)、岩手(1.16%)、山形(1.13%)、福島(1.02%)といった東北勢に新潟(1.01%)、高知(1.09%)、長崎(1.09%)である。人口減少が進んでいるところが相変わらず、人口減が激しい。さて、それではどこが増えているのかというと、埼玉、千葉、東京、神奈川の一都三県+沖縄であり、これまで人口増が進んでいるところが相変わらず増えている。きれいに勝ち組と負け組が別れている。東京は昨年に比べると社会増の数が減っているということらしいが、それでも47都道府県の中で神奈川に次いで多い二番目のポジションを得ている。なんてことはない。コロナ禍でも相変わらず、人々は東京に引っ越して来ているのだ。

今後の地方を展望すると、追い風どころか向かい風の強風が吹き荒れているような模様だ。なぜなら、地方に雇用を創出していた工場がどんどんと閉鎖されているからだ。栃木県真岡市のホンダ、豊田市のキューピー、新発田の京セラ、川崎のJFEスチールなどである。これらを後押ししているのは、高度成長期につくられた工場の老朽化や、人工知能などの第四時産業革命への対応、そして経営合理化。

地方で雇用がなければ東京に出てくる(もはや大阪ですら怪しい)ことになるが、その肝心の東京がオリンピックの敗戦処理でこれから経済的に混迷していく。こりゃ、まじで東京でもスラムが出来るような悲惨な状況になる。そういう状況を回避するためには、地方で産業をつくらなくてはダメだ。いや、本当、不味いでしょう。とはいえ、本当に美味しいものは東京ががめるからな。まあ、オリンピックをがめたら罰が当たったけど。そもそも、地方選出の国会議員のほとんどがその地方を知らないで東京育ちだから、そりゃ、ほとんどの国会議員が地方のことをどうしようなんて本気で考えない。私の目の黒いうちに何か大きく、日本を変えるようなことが起きるかもしれない。しかし、それは東京を否定するような、首都機能移転ではなく、既存の都市への首都移転といった大胆なことになるであろう。まあ、行き詰まって戦争やって敗戦からの復活、といったようなバカなことは二度と繰り返してほしくないと強く思うが。話が随分と横に逸れたが、まあ、コロナで東京から地方へ人が移動ということはほとんど見られなかったということが分かった。せいぜい、ちょっと多摩川を越えて武蔵小杉に住む人が増えたというぐらいの変化であろう。

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丸川大臣の発言にデジャブ感を覚える [菅政権]

8月10日、丸川大臣は記者会見で東京五輪期間中に新型コロナウイルスの感染者数が増加したことについて「五輪の開催は感染拡大の原因にはなっていないものと考えている」と発言した。この発言にデシャブ感を覚えて、そうか、福島の子供達の甲状腺癌の数が尋常じゃなく増えていても「福島原発事故は癌の患者数増加の原因にはなっていないものと考えている」と同じだ、ということに気づいた。
 要するに、ほぼ因果関係が明らかであるにも関わらず、その責任逃れをする。まあ、ここまで無責任な人達が国の舵取りをしているからこそ、コロナの対応も後手後手になるし、まともにオリンピックにも対処できない。今回は、コロナの感染拡大がなくても、モントリオール、アテネに勝るとも劣らないほどの惨憺たる敗戦処理を覚悟するようなものであったのに、コロナの感染拡大で状況はさらに悪化した。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだが、本当、これからどうするのか。国外脱出できるものは、した方がいいのではないか、というような暗澹たる未来が待っている。まあ、敗戦直後の日本人がそうしたように、ひたすら頑張って勉強するしかないかもしれない。所詮、天然資源に乏しい日本人は、人材を磨いて世界に勝負するしか有効な手段はないのだから。

タグ:丸川大臣
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オリンピックがようやく終わった。これから長い敗戦処理が始まる。 [菅政権]

今日でオリンピックが終わる。いやあ、長かったあ。早く終われと思っていたので、ことさらそう感じたのかもしれない。オリンピックの浮かれ気分とともに、感染が広がったコロナであるが、ここまで絶対値として増えてしまった今、それが収束するのには時間がかかるだろう。オリンピックは終わっても、それでばらまかれたウィルスはすぐには沈静化しない。まあ、カミュのペストのように一都三県(もはや東京だけがパンデミック・センターではない)をロックダウンしますか?とはいえ、一都三県での行き来ができると不味いので、これはもうネイバーフッド単位でロックダウンするしかないかもね。ロックダウンがもたらす経済的ダメージは計り知れない。しかし、そうするしか生き残る方法がなければするしかないという判断にはなり得る。でも、そんな覚悟が自民党にあったら、そもそも、ここまで状況は悪化しなかったであろうし、オリンピックも中止をしたであろう。オリンピックの中止もできないのに、ロックダウンって、ちょっと英検3級も通らないのに、英検1級を受けるようなもんだ。政策の難しさのレベルが全然、違う。
 さて、しかし、これからオリンピック開催都市という巨大負債を抱え込んだ東京は大変だ。アテネ・オリンピックによってギリシャは経済が傾いた。モントリオール・オリンピックでは、モントリオールは30年間も負債の返済に苦しむ。そして、負債の返済をしている間に、カナダでの第一の都市という座をトロントに明け渡すことになる。メジャーリーグ・ベースボールのエクスポスもワシントンDCに移動してしまった。東京はモントリオールと違って首都であるので、同じような目には合わないかもしれない(逆にいえば関西が台頭するチャンスは少ないということ・・・万博で東京の失敗に付き合っているし)が、アテネのように日本国を大きく傾かせることにはなるだろう。
 まさに敗戦処理をこれからしなくてはならなくなる。まあ、ここで金メダルの多さに浮かれて、菅政権を支持したりしたら、それこそ越後トンネルより長い暗闇に日本は突入するであろう。今、日本の若者は本当、可哀想だ。馬鹿な年寄りのために、酷い目にこれから合うことになるだろう。

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「人流は減っている」という菅の嘘 [菅政権]

7月27日、菅首相は「(オリンピックを続けることについて)車の制限であるとか、テレワーク、そして正に、皆さんのおかげさまによりまして、人流は減少していますので、そうした心配はないと思っています」と回答した。
 何を根拠に人流は減っているというのであろうか。NTTドコモが、首都圏の主要駅や繁華街で人での増減率を記録しているが、翌日の7月28日、千葉駅が5.9ポイント(7月7日との比較)、横浜の中華街は6.5ポイント、川崎駅は4.3ポイント、大宮駅西は3.4ポイント増えている。全然、人流が減少する気配はみられていない。
 7月27日はその当時、新規感染者数が過去最多となる2848人を記録した。それから10日の間、新規感染者数は毎日のように記録を更新し、遂に今日は5000人を越えた。
 本日(8月6日)のNTTドコモによる調査(https://mobaku.jp/covid-19/)では、東京都内の12の地点のうち前年同月比では10地点で増えている。東京駅は10.4ポイント、渋谷センター街などは6.9ポイント増である。減っているのは霞ヶ関と品川駅だけだ。ここらへんはエリート層が働くようなオフィスが多いのでテレワークができるのであろう。
 前日比とのデータもあるが、これも12地点で8地点が増えている。減っているのは霞ヶ関と品川駅に加え、大手町と丸の内。つまり、オフィス以外はすべての地点で増えている。というか、人流が減っているというトレンドはまったく見られないことが分かる。もちろん、データの取り方によっては瞬間風速的に減っているというのはあるかもしれないが、緊急事態宣言の二回目と比較したデータでも、7地点で増加している。立川などは9.7ポイントも増加している。
 つまり、人流が減っている、というようなデータは見つからないのだ。というか、むしろ減っていない。新規感染者数が毎日のように記録更新をして増えているにもかかわらず、減っていないのだ。ワクチンを接種している人達が3割ぐらいいるのに、この数字の高さは怖ろしい。
 それなのに、なぜ菅首相は「人流が減っているから大丈夫」などと平気で言うのだろうか。まあ、国民を馬鹿にしているのは分かるが、それにしても程度というものがあるだろう。菅首相はまた記者会見で、東京五輪と感染拡大は「無関係」と明言した。これも、まったく根拠がなく、この人の論理性のなさは凄まじいものがある。菅は、6月9日の党首討論であは、五輪による感染拡大リスクについて「国民の生命と安全を守るのが私の責任だ。守れなくなったら(五輪を)やらないのは当然だと思う。それは前提だ」とのたまった。まだ、中止をするチャンスは残されている。一国の首相ともあろうものは、しっかりと約束を守ってくれなくては困る。まだ、今日ならそれができる。最後くらい、いいとこみせてよ、菅首相。

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菅首相の金メダリストへの電話攻勢や祝勝ツイッターが示唆すること [菅政権]

菅首相が金メダリストへ電話をしたり、祝勝ツイッターを頻繁にしている。この行為に関して、あまり好ましいと思っていない人は多いのではないか。メダリストへのお祝いの言葉を述べている、まさにその瞬間にもコロナウィルスは猖獗を極めている。足元には死亡者まで出ている。これも菅首相のオリンピックを優先し、国民の命の安全を守らなかった愚策の帰結であり、腹立たしい。
 さて、しかし、このようなパフォーマンスが国民受けしないということは、ちょっと考えると分かりそうなのに、なぜ、続けているのか。そもそも今回のオリンピックを成功させるためにマリオに扮したり、まったくアンダー・コントロールではない福島をそうであるとまで言い切った安倍首相が開会式に出ない、というのは、そこでの逆風を予期していたからであろう。安倍首相は何も得意なところはないが、言い訳だけは天才的だと看破したのは、彼の祖父(父方か母方かは忘れた)であったようだが、責任回避に関してはまさに天才的だと感心する。
 そのような危機意識のなさ、そしてKYぶりが菅首相はあまりにも顕である。何でだろう?と考えて、もしかしたら「令和おじさん」を再体験したいからなのではないかと考察した。それまで陰が薄かった菅さんであるが、令和の元号を発表した時に、「令和おじさん」として国民にもその名前と顔が知られ、ちょっと人気まで上がった。菅さん的にはもしかしたら、そのように好意的に注目されたのは人生で初めてだったのかもしれない。しかし、首相になったら最初こそは支持率が高かったが、それからは落ちる一方である。「令和おじさん」のように好感度をアップするような機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。そして見つけたのが、日本人の金メダリストに、庶民的な感覚で国民を代表して祝いの言葉を述べる首相、という機会だったのではないだろうか。まあ、メダリストの威光を借りたセコセコ戦略であるが、「令和」の元号発表だって、別に菅さんが考えたものでもないからな。この時の美味しい体験が忘れらなくて、同等の効果はもはやないにも等しい状況であるにも関わらず、菅さん、止められないんじゃないかな。まあ、どちらにしても国民を馬鹿にした話だ。

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エンゲルスは当時の労働者が置かれた悲惨な状況を社会的殺人と指摘したが、今の自民党政権がしていることも社会的殺人ではないのか [菅政権]

『イギリスの労働者階級の状態』や『住宅問題』などの著書で知られるエンゲルスは、産業革命下で労働者がとうてい生きることのできない事情に追いやられて非業の死を遂げるのであれば、それは個人的殺人と同様に殺人であり、それを社会的殺人であると指摘した。そして、それを「防止し、社会の各成員のせめて生命を保護する責任はブルジョアジーであるとかいている。なぜならばブルジョアジーは生産手段と生活資料を所有し、現在の社会の支配圏をにぎっており、したがって、この支配権にあずからない人々の生命や健康については責任をもつ階級だからである。この責任をブルジョアジーは果たしていないのであるから、社会的殺人・傷害の犯人はブルジョアジーであるといわざるをえない」(宮本憲一、『都市政策の思想と現実』p.93)。

ここで、ブルジョアジーを自民党政権と置き換えてもいいであろう。菅首相自ら、「国民の命と健康を守るのは私の責務だ。五輪を優先させることはない」と今年の6月1日に参院厚生労働委員会で答弁していたのだから、その自覚はあると思って間違いない。

それにも関わらず、オリンピックを開催したらコロナウィルスが猛烈に拡大し始め、政府は重症化リスクの低い中等症患者などを原則、自宅療養とすることを表明した。これは、もう「国民の命と健康」を守れていない状況にあるということだ。何が「人類がコロナに打ち勝った証しだ」。完璧に負けている。それにも関わらず、そのパンデミックのエピセンターである東京ではオリンピックという祭りが行われている。祭りをしている一方で、下村大臣は「ロックダウンをできるように法律を整備する」と発言をしている。下村大臣は、よほど国民の基本的人権を制限したいのだろう。ロックダウン云々を抜かす前に祭りを止めろ。というか、ワクチン接種というロジスティクスも出来ない政府がロックダウンとか言うな!と主張したい。今回のコロナの流行を抑えられないのは、国民に原因があるのではなく、これは自民党政権、そしてそれを支えている国家公務員に原因があるのは他国と比べれば明らかだ。下村大臣に票を入れる人が本当、不思議だ。日本人を止めたいのだろうか。

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