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新国立競技場をしっかりとつくれなかった国だから、オリンピックのダメダメ具合は必然であろう [都市デザイン]

オリンピックのダメダメ具合をみるにつけ、新国立競技場をしっかりとつくれないような国だから、この帰結は当然かなと思ったりする。当時、この競技場の案を却下するかどうかで世論が湧いていた頃、週刊ポストにこの件でのコメント依頼がきて、「東京オリンピックはこの競技場でやります、って招致活動したのだから、つくらないのは詐欺ですよね」ってコメントしたら「つくらないのは詐欺ですよね」のところだけ引用しようとしたので、その最終確認を東横線に乗っている時、携帯メイルで受け取って、急いで途中下車して、私のコメントはもう修正しなくていいから全文削除、私の名前を出さないでくれ、と言ったことがる。私はハディド案をつくるべきだと当時も思っているし、今も思っているが、流石に周囲の反対派のバッシングを受けるほどの覚悟はない。
 それはともかく、女性で最初のプリツカー賞受賞者で、ガウディ以来の創造性を有した建築家で、彼女の作品をボツにしたときにリチャード・ロジャースが「イギリスの至宝に何て失礼なことを日本はするんだ」とコメントしたのを覚えている。改めてコンペの講評文を掲載する。

「スポーツの躍動感を思わせるような、流線型の斬新なデザインである。極めてシンボリックな形態だが、背後には構造と内部の空間表現の見事な一致があり、都市空間とのつながりにおいても、シンプルで力強いアイデアが示されている。可動屋根も実現可能なアイディアで、文化利用時には祝祭性に富んだ空間演出が可能だ。(中略)また、橋梁ともいうべき象徴的なアーチ状主架構の実現は、現代日本の建設技術の枠を尽くすべき挑戦となるおのである。(中略)アプローチを含めた周辺環境との関係については、現況に即したかたちでの修正が今後必要であるが、強いインパクトをもって世界に日本の先進性を発信し、優れた建築・環境技術をアピールできるデザインであることを高く評価し、最優秀案とした。」

 このような国際コンペで選ばれた作品も、政治的な絡みなどでボツにする。ハディドの作品はイギリス、ドイツ、イタリア、オーストリア、米国、アゼルバイジャン、シンガポール、中国、韓国の大都市で見学することができる。日本には一つも作品がない。磯崎新がその才能を発掘したにもかかわらずである。それは、日本がそのような建築作品をつくる舞台として覚悟を持てないからである。この覚悟の無さが、今回のオリンピックの低迷と通底している。それは、オリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長を始めとした中央政府の役人達が覚悟を持たない無責任体質でやっているからだ。上手くいく訳がない。そして、それはザハ・ハディドの新国立競技場を却下した時点である程度、予測できたことである。

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