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トランプ支持者の主張する「自由」とは、単なる自己中心的な我が儘のことである [トランプのアメリカ]

明けましておめでとうございます。さて、最近はなかなかブログの更新もできずに申し訳ありません。別にコロナに罹った訳でもなく、元気なのですが、トランプ大統領と彼の支持者達の民主主義を破壊しようとしている行動が気を滅入らせており、ちょっとした鬱というかアパシー状態になっていることはあるかもしれません。それじゃあ日本はどうなのか、と日本の政治に目を向けるとウィルス拡大政策であったGo To トラベル政策の成果もあり、コロナウィルスの感染がどんどんと広がるばかりです。まあ、当然の帰結ですが、それにしても年末年始の書き入れ時にこのような状況になってしまった飲食業界、観光業界の人達のことを考えると本当に暗鬱な気分になります。あと、大晦日まではお節料理の準備でブログを書く余裕がなかったということもあります。
 さて、ちょっとここで書きたいことは「自由」に関してです。これは、元旦の東京新聞の北丸雄二さんの「本音のコラム」に触発されたからです。北丸さんは民主主義の軸足を「平等」に置くのか、それとも「自由」に置くのかで政治はずいぶん変わる、ということをトランプ政権のアメリカの分断を引き合いに論じていました。そして、「マスクをしろ」と政府が口出しするのは「自由」を侵害する社会主義だと嫌悪する人々がトランプを支持していて、あたかもトランプはこのような「自由」を守る人達の立場で動いているといった解釈をされかねない文章を書いています。私は北丸さんのコラムには結構、信頼を置いていますが、ちょっとアメリカの状況はもしかしたら正しく把握されていないかもな、との印象を持ちました。
 というのは、この「マスクをしろ」という政府の口出しを「自由」の侵害であると主張している人達は、一方で「堕胎を禁止しろ」とも主張します。最高裁でバレット女史を陪審判事として政権交代時にごり押しで押し込んだのも、彼女が堕胎禁止論者であるからです。つまり、他人の「堕胎をする自由」は奪うような考えの人達であるということです。自分の自由は侵害されることには強烈に反対しますが、他人が堕胎をする自由を拘束したり、他人が銃のない生活環境で安心して過ごしたりする自由などには強硬に反対します。つまり、非常に自分勝手な「自由」であり、我が儘な小学生の「自由」に過ぎないということです。
 そして、もう一つ、トランプは共和党が大反対をすることが分かっているのに、コロナの支援金を600ドルから2000ドルに上げろと主張しています。これは、「自由」より「平等」を強く意識しているという・・・というのは嘘で、単に衆愚政治のアメとして使おうとしているだけでしょうが・・・決して、「自由」という指標に重きをトランプが置いていないことは明らかでしょう。というか、移民のアメリカ人や有色人種の「自由」を奪うような政策を平気で推し進めているし、それらを支持している人達の「自由」は、広く社会的な意味での「自由」ではなく、自分が人に何かを強制されたくないという、極めて非社会的な自己中心的な「自由」、つまり、それは「自由」というようなものではなく単なる「我が儘」であり、それは「平等」とのバランスで考えるべき「自由」では決してないということは、しっかりと理解していた方がよいかと思います。
 年明け早々、このようなことを書いてしまい、申し訳ありませんが、アメリカでは年明けにトランプが仕掛ける相当な混乱が生じるというのが私の予測です。株も相当、暴落するような国内的混乱がアメリカで生じ、その余波は日本にも及ぶのではないかと考えています。そして、その影響を受ける日本の首相がガースー(英語ではおならですね)であることは、もう考えたくもない悲劇かなと思います。シートベルトを着けておいた方がいいでしょう。

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