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トランプが増長するアメリカでのアジア人差別 [トランプのアメリカ]

トランプが大統領になってから、人種差別が過激になっているが、今年になってからトランプがコロナ・ウィルスを「ウーハン・ウィルス」、「チャイナ・ウィルス」と連呼したこともあって、東アジア人が標的となる頻度が高まっています。CNNのプロデューサーであるアマラ・ウォーカーは、先日、ニューオリンズにて一時間で3回ほどその被害にあったことをCNNの番組内で告発しました。

https://www.youtube.com/watch?v=MFHzasHIncs

日本人の中にはトランプ大統領が再選した方が日本にとってプラスであるとか、橋下徹のようにトランプの政治は素晴らしいと褒めそやす人もいます。しかし、トランプを支持する人達にとっては、我々日本人はまさに被差別対象であり、搾取するような対象であります。まともに貿易などで対等に交渉するような相手でもありませんし、そもそもトランプは対等な交渉をビジネスマン時代でもほとんどやってきていません。そういう人とは日常的にも関わらないことが一番です。
共和党のストラテジストであったリック・ウィルソンが著した本「Everything Trump Touches Dies (トランプが触るものは全て死ぬ)」のタイトルのように、トランプとは距離を置いておくのが一番です。しかも、二期目の大統領はもうやりたい放題の状態になるので、一期目とは異なり、トランプの真の恐ろしさ、デタラメさがさらに顕在化され、世界は混乱に陥るでしょう。リック・ウィルソンは、共和党はもはや存在しないといいます。それは「寄生虫が本体を食い尽くしたようなものだ」と表していますが、二期目は共和党ではなく、下手をしたらアメリカ、民主主義というシステムになるかもしれません。そして、トランプの恐ろしさが分からない同盟国である日本も、そうとう危ない状況に陥るでしょう。そもそも被差別対象であるように見られていることは自覚しておかないと大変なことになるでしょう。

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トランプが大統領になった方が日本は有利、と主張する経済学者は何を考えているのか? [トランプのアメリカ]

週間現代の連載で「ドクターZは知っている」というものがある。私はこの著者が信用できなく、あまり読まない。「ドクターZは知らないな」と思っているのだ。さて、しかし、たまに間違って読んでしまうことがある。今回も読んでみたら、「トランプが大統領に再選した方が日本は有利」と主張をしていた。
 確かにトランプが大統領になったら、アメリカ合衆国の国際的地位は相当悪化する。世界一の軍事力を持った北朝鮮なみの国になるであろう。そういう意味で、恐ろしく危ない国が地球上に出現することになるが、それでもアメリカの国力が下がれば日本は有利という主張なのかなと思ったら、どうもそうではないらしく、中国とかに強く出るので日本に有利というのがその主張の根拠のようだ。
 トランプは圧倒的に自国主義なので、中国だけでなく日本にだって強く出る。米国軍の日本での駐留費は全額、請求してくるようなことは平気でする。まったく使いものにならない北朝鮮のミサイルの迎撃装置などを高額で買わせるようなことをする。さらに、ロシアが北海道に侵略しても、もはや米軍がそこで戦うようなことはしないであろう。ウクライナのクリミアに侵攻したことでロシアが主要国首脳会議から外されたことに不平を述べているのはトランプだけである。ここでなぜ、ロシアに強く出ないのかと思われるかもしれないが、ロシアはいろいろとアメリカでの選挙にまつわる偽情報を流して、トランプに有利になるような情報操作をしてくれているからだ。あと、トランプはプーチンのような強面の独裁者には弱い。逆に菅とかには強いだろう。経済面でも圧倒的に日本が不利な貿易協定を結ばせるであろう。
トランプを支持している人達は、日本に対して好感などはまったくもっていない。そもそも、他国になど関心はないし、それはトランプも同様である。日本という国がこの地球上からなくなっても、それを悲しいとも思わないであろう。そんな国からは、トランプの詐欺ビジネスの犠牲者と同様に、取れるだけ取ってやるというスタンスで臨んでくるであろう。
そして、悲しいかな。トランプが天下の詐欺師であるという本質を分からなければ、これは搾取されるだけ搾取されるだけでなく、トランプと手を組んだ阿呆な国ということで国際的地位も大きく下落するであろう。下手をしたら第二次世界大戦でヒットラーと手を組んだのと同じような轍を踏むことになりかねない。
今回の選挙は、アメリカ合衆国という国において民主主義が維持できるかどうかの瀬戸際である。そういう危機感を抱いている人達がアメリカには多くいる。もし、このような事態がアメリカ以外の国で起きたら、ちょっと前であれば軍事介入もしたであろう、大変な事態である。まともな選挙もできるかどうか、怪しい。選挙会場にトランプ支持者の右翼が銃を持って、選挙に来た人を威嚇している映像(例えば、ミシガン州の首都ランシング)をみると、その異常さが理解できる。
こういう状況を踏まえても、ドクターZはトランプが再選した方が有利であると考えているのであれば、彼こそ民主主義の敵である。

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Go to Travelの地域振興券は天下の愚策 [サステイナブルな問題]

今、ホテルに泊まると地域振興券がもらえる。私はこれまでいわき市、水上市、そして岡崎市でもらった。1000円相当の金券で、宿泊当日と翌日に使うことができる。使える場所は限定されているが、宿泊施設がある県と隣接した県において使える。無節操に人の税金をばらまきやがって、と怒っている私であるが、くれてやる一方なのは癪なので、しっかりともらっている。正直者が馬鹿を見る社会は嫌いなのだ。
 さて、しかし、この地域振興券、ほとんど使えない。いわき市でも岡崎市でも、どこで使えますか?とホテルで聞くと、「コンビニエンス・ストアで使えます」と回答する。コンビニでもの買うのに使って何が地域振興か!とも思うが、怒ってばかりでは損をするばかりなので、しょうがないのでコンビニでマスクや歯ブラシとか日常品をとりあえず購入した。水上市では、隣接する新潟県で「柿の種」を買えたので、多少は地域経済に貢献できたかもしれない。しかし、岡崎市ではコンビニ以外だと、チェーン居酒屋で使えるみたいですよ、とのこと。僕が困ったような顔をしていると名古屋駅でのキオスクでも使えるとのこと。ということで、名古屋駅のキオスクで使うことにした。ただ、名古屋駅はキオスクだけでなく、多くの店でも使えることが分かった。ただ、私はあまり名古屋駅に滞在する時間もなかったので、しょうがないので駅弁を買った。急いで買おうとしたので、間違えてJR東海パッセンジャーズの駅弁を買おうとしてしまったのだが、直前に気づいて松浦商店のものにした。松浦商店、絶品とはいえないがしっかりとした駅弁をつくっている。
 まあ、しかしなあ、地域振興券では消費者としてはそれほど必要があるものを買っている訳でもないので、効用がそれほど高まる訳でもないし、地元にも寄与できている訳でもない。供給側も、結局、煩わしい事務作業を処理できるチェーン店などの企業が主流で、本当に援助が必要な援助にはなっていない。
 飢えているダチョウに、2メートルぐらいの高さに食料を与えるようなもので、チェーン店などの大企業のように「背が高ければ」食料に届くが、そうでないと届かない。チェーン店などの大企業はイオンやマクドナルドのケースをみれば分かるが、地域経済をむしろ破壊する。破壊する側に税金を与えるとは、公共政策としても180度間違えているのではないか。
 こういう馬鹿なアイデアを霞ヶ関の官僚が考えているとしたら、霞ヶ関のエリート官僚の知能も地に落ちたものだと書こうとして、そんな訳はないなということに気づき、これはやはり政治家のアイデアであろうと判断する。

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シビック・プライドについてザッと考察する [都市デザイン]

自分がそのコミュニティに所属していることを「誇れる」ことがシビック・プライドであろう。それは、コミュニティへの愛着心、忠誠心へと繋がる。そのようなシビック・プライドを市民に抱いてもらう自治体運営は望ましいが、それを政策として実践させようとすると難しい。
 また、逆にそこに所属していることを「恥」と思わせたりすると、それはシビック・シェームとなる。そのような自治体運営をしていると、隙あらばそこから脱出したいという気持ちを住民(特に若者)に抱かせる。
 私の人生はノマドみたいなもので、豊島区、目黒区、ロスアンジェルス郊外のモンテベロ、サウスパサデナ、杉並区、サンフランシスコ郊外のアルバニー、バークレイ、ドイツのデュッセルドルフにて生活していた。目黒区でも3回引っ越しをしているし、杉並区でも2回引っ越しをしている。現在は京都で働くので、ほぼ週日は京都で暮らしている。
 これらのうち、一番長く住んでいたのは豊島区で生まれてから9歳になるまでと、さらに17歳から29歳ぐらいまでいた。合計すると21年だ。しかし、豊島区に対してのシビック・プライドはまったくない。愛着はゼロではないが、南池袋公園の整備など、マーケティング的な観点からコンセプトを導いたような表層的なプロジェクトを自慢する区政などにはむしろ嫌悪感を抱いている。本当に区のイメージをよくしたいなら、千川上水の暗渠をやめて、親水空間を整備するぐらいのことをして欲しい。
 それでは、どこが一番シビック・プライド的なものを感じるかというとバークレイであろう。ここは、自分が住むところを選んだというのもあるが、バークレイという都市が強烈なアイデンティティを発信していて、それが自分のそれと共振する自分がちょっと誇らしいというのがあるからだろう。というか、私自身の個性はバークレイに育まれている面が強い。ビフォア・バークレイとアフター・バークレイとでは、私の個性は相当、違う。
 もちろん、豊島区も私の個性に何かしら影響を与えていると思われるが、その影響を自分が好きでない、というのはあるかもしれない。豊島区で好きな場所を挙げろ、と言われると真剣に困る。苦し紛れに「サンシャインの水族館」を挙げるかな。それと、鬼子母神の界隈、とげ抜き地蔵へのアプローチ道路、学習院大学そばの目白通りぐらい。自分の住んでいた東長崎界隈で、ちょっと子供心に惹かれる場所は練馬区や板橋区、中野区、新宿区にあった。増田元岩手県知事に「消滅都市」として指摘されたときは、そんなことは起きえないと思ったが、別に消滅して寂しいと思うことは、住んだこともない新宿区や世田谷区ほどもない。シビック・プライドのようなものはないし、むしろ隠したい過去のようなものだ。
 バークレイにシビック・プライドを抱くのに対して、ロスアンジェルスの二都市には面白い感情を抱いている。これらは親の都合で住むことになったのだが、モンテベロ市はまったく思い入れがないが、サウス・パサデナ市にはある。これはモンテベロに住んでいた時の方が小さかったが、サウス・パサデナ市には中学時代にもいたので街を自分で相当、探検できたというのと、サウス・パサデナ市はロスアンジェルスでは極めて珍しく高速道路の建設に一貫した反対運動を続けていて、今でもそれを止めているというところに感心しているからだ。ロスアンジェルスの郊外都市としては珍しく、アーバン・ビレッジが形成されており、商店街もあるし、トラムも走っている。この都市で育ったことをまさに誇りとするところがあり、豊島区とは正反対の愛着を持っている。一方でモンテベロは、なんか金がないのに郊外住宅を求めた人達が住むようなところで、裏山はごみ捨て場だったし、いいイメージはないし、愛着もない。また、当時は日本人が珍しかったので、差別的扱いを受けていたということもある。アメリカ人を根本的に信頼できないのは、この時の経験があるような気もする。
 豊島区、杉並区、目黒区だと目黒区に一番、愛着を持っているかもしれないが、じゃあ、シビック・プライドを有しているかと問われると、どうかな。ただ、今、京都と東京とで二重生活をしていると、自分の日本人のアイデンティティ的なものは圧倒的に東京人であるということに気づかされる。というか、他の都市じゃあ受け入れてくれないであろう。良くも悪くも、東京人というアイデンティティから自分は逃れられない。
ただ、ここで東京人というが、私の東京人というのは、豊島区、杉並区、目黒区といった山手線のターミナルでいうと池袋、新宿、渋谷に限定されるような東京人である。東京23区の山手地区の環状7号線生活文化しか経験していない。東京という巨大都市のほんの一部分としか共鳴できないようなアイデンティティである。そのような自分が東京という都市にシビック・プライドを持つはずはない。ただ、何かノスタルジーというか哀愁のようなものは感じる。
あとデュッセルドルフは1年しか住んでいないが、ちょっと思い入れはある。これは、数多ある都市から自分が選んでそこに住んだというのがあるからだろう。シビック・プライドという点では「シビック」の方が怪しいので、有していないが、付き合ってなくてもデートをしたことのある女性ぐらいの親近感というか、思いは有している。
これら住んでいたところ以外に、シビック・プライド的な感情を有しているところとしては下北沢と港区がある。前者は、下北沢の道路反対運動でいろいろと私も活動させてもらったり、イベントにも参加さえてもらったり、さらに私が頻繁に飲みに行ったりするので多くの人的ネットワークがあるということが理由として挙げられる。港区はマスタープラン策定委員会の副委員長をしたり、短期間ではあったがカフェを経営させてもらったり、イベントには多く参加させてもらったことがあるからだ。ようするに街の運営とかに参画させてもらうことができた。このように、自分が街づくり的なことに関与すると愛着、そしてその関係性を誇りたいという気持ちになったりもする。
さて、もう勝手に徒然にシビック・プライドについて思ったところを書き殴ったが、ポイントを整理すると次のようになるだろう。
1) シビック・プライドを有するのは、自分のアイデンティティと共鳴するところが自分にとっても肯定的、誇れるような場合である。
2) 自分が能動的に都市を住むところとして選んだ時は、シビック・プライドが醸成しやすい
3) シビック・プライドを政策的に推進させるためには、市民達に能動的にそのまちづくりに関わらせるような仕掛けをすることが重要であろう。そういう点では、豊田市のトヨシバはうまくできているかなと思うのと同時に、豊島区の南池袋公園は全然、ダメだなと思う(空間設計は素晴らしいのだが)。 
  
 

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『コロナ後の世界を生きる』村上陽一郎編 [書評]

パンデミックと言えば村上陽一郎。その彼が編修した、24名のオピニオン・リーダーによるコロナ後の世界をどう生き抜くかの指針。ただ、その内容には随分と温度差があり、これは傾聴に値すると姿勢を正して読むような文(藤原辰史や石井美保)もあれば、まるで酔っ払いの戯れ言かというような文(藻谷浩介)もある。玉石混交である。急いで出版することを優先したのか、本としてのコンセプトが見えてこない。読む必要性がまったくない文もあるが、読むに値する文もあるので、それを人に勧めるか否かは難しいところだが、律儀に全文読むのでなく、適当に関心のあるテーマをつまみ食いするのがいいと思われる。とはいえ、私のように買った本はすべて読まないと気が済まない人もいるだろうから、難しいところだ。正直、藻谷浩介の文章は読むに値しなく時間の無駄であった。彼の文が前半にあったら、最後まで読めなかったかもしれない。売れっ子はこんないい加減な文章を岩波新書に書けるのだな。ちょっとだけ羨ましい気持ちにもなる。


コロナ後の世界を生きる――私たちの提言 (岩波新書 (新赤版 1840))

コロナ後の世界を生きる――私たちの提言 (岩波新書 (新赤版 1840))

  • 作者: 村上 陽一郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/07/22
  • メディア: 新書



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巻機山(日本百名山46座登頂) [日本百名山]

大学の講義が始まると講義や校務に追われて忙しい。結果、秋に百名山にチャレンジすることがなかなか適わなくなる。そんなことでは不味いと思い、尾瀬の燧ヶ岳にチャレンジしようとしたのだが、ゴートゥーで前泊するような宿がまったくない。それでは谷川岳にしようと水上にある安宿を予約した。予約した後、しかし、ロープウェイの始発は何時かな、とネットで調べたら、なんとロープウェイは運行中止になっていた。何それ!と思ったが、当日予約なのでキャンセルしても全額払わなくてはならない。それなら近場の苗場山に行くかと思ったが、天気予報では苗場山は雪。ということで、それではと巻機山にチャレンジすることにした。
 宿を4時前に出て、途中、コンビニエンス・ストアに寄って巻機山の登山口の駐車場に着いたのが5時15分ぐらい。まだ空は暗いが、既に駐車場は結構、混んでいる。いろいろと身支度を調え、出発したのは5時50分。駐車場が多く、登山口を探すのにちょっと迷った。第四駐車場のところに登山口はあった。
 既に空は明るくなりつつあり、山はまさに燃えるような色をしている。素晴らしい紅葉だ。
登山口を進むとすぐに沢コースと尾根コースの分岐点になる。沢コースは最近の大雨で崩落が激しく、登りはともかく下りは禁じられている。当然、尾根コースをとる。しばらくは緩やかな登りであるが、泥のぬかるみ道なので滑りやすい。なんか、日本の登山は泥道か礫を歩かされるかのどっちかだな。どちらにしろ、あまり快適ではない。ただ、巻機山の麓に広がるブナ林は素晴らしい。幹が太くなく、スマートなプロポーションをしているブナの木だ。
 私の登山の弱点は下りに弱いということである。この下りに弱いというのは、元気な登り時に膝を痛めてしまうからなので、今回はゆっくりとマイペースで登っていくこととした。マラソンで最初に飛ばして後半、ガクッとくるような登り方をするのが問題であるのだ。ということで、抜かれてもじっと我慢をして一歩一歩、噛みしめるように登っていく。結果、この日は下りも膝にこないで下山をすることができたので、これからもこの登り方を守っていきたいと思う。
 さて、歩いて二時間ぐらい経つと徐々に展望が開け、驚くような美しい紅葉に彩られた山が登山口の両側に展開する。そして、ほぼ2時間15分後(8時05分)に6合目に到着する。ほぼコースタイム通りである(『日本百名山-山あるきガイド』(JTBパブリッシング))。6合目は展望台になっており、見事な紅葉と六日町、さらには遠く日本海までも望むことができる。ここで軽くおにぎりを食べて休憩。
 そこからはクマザサに覆われた中、泥の急斜面が続く。泥がまるでダーク・チョコレートのようだ。登山靴は泥だらけである。ここを我慢して歩いて行くと、八合目に出る。八合目からはしっかりと木で階段がつくられており、非常に歩きやすい。天気は快晴で、素晴らしい紅く燃えるような紅葉の山々を見ながら歩いて行く登山は、気持ちも晴れる。忙しい中、無理して時間をつくって登山に来てよかったとつくづく思う。
 階段を登り切って左に歩いて行くとニセ巻機山に到着する。向かいには巻機山本峰と、その左に堂々とした山容の割引岳を見ることができる。時間は9時10分。この行程でもコースタイムより早い。多くの登山客に抜かれて歩いていた割には、ペースは決して悪くない。そこから5分ほど下ると巻機山避難小屋に着く。ここではトイレがあり、私も用を足す。そこからはまた登りになる。織姫の池と呼ばれる池塘に映える空と山を見ながら、稜線へと足を運ぶ。ここは御機屋といわれて、ちょっと平らになっている。ここは巻機山山頂の看板が立っている。実際の山頂は、もっと右にあるのだが、植生保全のために立ち入りができない。そのための措置である。とりあえず、ここで記念撮影をする。
 当初は、ここで食事でもして引き返すことも考えたのだが、既に多くの登山客がここで食事を取っていた。時間は10時ちょっと前。下山はコースタイムより、遙かに時間がかかる傾向にある私だが、流石に登りの4時間よりかかることはないだろうと思い切って三角点があり展望のよい牛ヶ岳まで足を延ばし、そこで昼ご飯を食べることにした。牛カ岳に行く途中には本峰もある。本峰は平らで、あまり感動を覚えない。それより、この牛カ岳への尾根道は左に日本海の素晴らしい展望、目の前に越後三山、さらには右には平ヶ岳、燧ヶ岳、日光白根山、さらに後ろには谷川連峰、苗場山などを見ることができ、歩いていて本当に気持ちがよい。牛カ岳の近くにいくと奥只見湖も見える。
牛カ岳は尾根の先端という感じの場所で、そこから先は急坂となっている。何人かの人がいたが、空きスペースを探してお湯を沸かそうと思ったらなんと鍋を忘れた。本当、先日、買ったばかりなのに情けない。カップヌードルのビッグサイズをそのまま持ち帰る羽目になった。
牛カ岳は11時頃に発つ。下山の目標時間は4時間30分である。下りが何より弱点の私は、登りと同じように休みつつ、降りていくことを今日は自らに課すこととした。11時30分頃に御機屋を通過し、12時頃にはニセ巻機山を通過。8合目から6合目にかけては、途中、凄まじい泥濘の急坂を注意して下りていき、6合目には13時頃に到着。ニセ巻機山から6合目の下山はコースタイムの45分よりもかかっている。しかし、焦りは禁物だ。焦ると膝に来て、結果、余計時間がかかることになるからだ。先月の雨飾山では、まさに下山でコースタイムの1.5倍もかかることになってしまったが、これは膝が痛くなったからだ。
6合目を過ぎたあたりから、あれだけ晴天だったのに雲が出てきた。本当、山の天気はよく分からない。人にどんどん追い越されるが、何しろ泥に足を取られて滑らないことを念頭に下山する。とはいえ、一度は滑って尻餅をついてしまった。この滑るのは足の筋肉が持ちこたえることが出来なくなっているからだ。しかし、雨飾山よりはずっと足のコンディションはよい。三合目を越えると平らになったので、ちょっとペースを速めた。登山口に到着したのは14時40分。これもコースタイムの90分よりは時間がかかったが、10分程度であり、これは私的には相当の頑張りで、自分でもちょっと驚いた。やればできるじゃないか、という感じである。合計8時間50分の登山となり、いつもは体力を100%以上、使い切っている場合が多く、もう這々の体となっているのだが、今回は多少、余裕がある。将来に繋がる登山であったかなと思う。
私は、百名山にチャレンジはしているが、ほとんど苦行なので滅多に同じ山にもう一度登りたいとは思わない。苦行じゃなくて簡単な山はそれほど魅力がないので、やはりもう一度チャレンジしたいとは思わない。しかし、この巻機山は違った。もう一度、機会があれば登りたいと思わせた。こんなに気分よく、さらに達成感をも兼ねて登山をできたのは初めてかもしれない。

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(5時前であるが駐車場には多くの車が既に駐車していた)

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(登山口からすぐに分岐点がある)

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(泥のぬかるみ道の急坂が続く)

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(6合目の展望台)

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(6合目から8合目までの泥濘んだ急坂)

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(8合目からは階段が続いて歩きやすい)

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(ニセ巻機山)

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(ニセ巻機山から割引岳を望む)

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(避難小屋)

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(織姫の池)

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(御機屋と呼ばれる稜線に開けた場所。巻機山山頂の看板が立っている)

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(御機屋から牛カ岳へと向かう)

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(牛カ岳)

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(牛カ岳周辺の山々は真っ赤に燃えていた)

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(まるで空中散歩をしているかのような尾根道)

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(笹の緑と紅葉の赤とのコントラストが美しい)

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(御機屋からニセ巻機山を望む)

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(ニセ巻機山から八合目へと下りていく)

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(ちょうど7合目周辺からの紅葉は見事であった)
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紅葉に関する考察 [サステイナブルな問題]

日本は四季がはっきりとしていて、この季節感が日本人の自然の捉え方や死生観などに影響を与えていることは間違いないであろう。そして、その季節の移ろいの大イベントは桜の開花であるかと思う。ただ、私は桜より紅葉の方が好きだ。乱舞するような色彩のグラデーションは桜より、さらに目を楽しませてくれる。
 アメリカの画家、ジョージア・オキーフはニューヨーク州の避暑地であるレイク・ジョージに住んでいたが、その後、旦那の不倫を機にニューメキシコ州のゴースト・ランチへと引っ越しをする。その時の理由が「レイク・ジョージに比べるとゴースト・ランチのランドスケープの色彩がはるかに多彩である」と説明した。自然の色が、我々の色彩センスを豊かにする。レイク・ジョージが12色の色鉛筆セットであれば、ゴースト・ランチは48色のそれである。画家にとっては、自然の色彩が豊かであるということが、その才能のインスピレーションに必要だったのであろう。
 日本の紅葉時の色彩の豊かさもまさに48色の色鉛筆セットのようである。この色彩の豊かな空間に暮らしていることは、ある意味、たいへんな贅沢である。日本政府は、山を紅葉が美しいブナ林からせっせと植林政策のもとスギ林に変えてしまったが、紅葉時のスギ林の色彩は貧相である。生物多様性だけでなく、色彩の多様性をも失ったのが、日本政府の戦後の森林政策であった。
 とはいえ、日本にはまだそれらの政策から漏れたブナ林などの落葉広葉樹林の豊かな森があり、この時期に我々の心を豊かにするような色彩のダンスをみせてくれる。


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