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国民3%を無作為抽出したアイスランドのコロナウィルス調査結果からみえるもの [その他]

コロナウィルスの検査をまったくしない日本と対照的な国がある。アイスランドだ。アイスランドは全国民の3%にあたる無作為抽出したサンプルにコロナウィルスのテストを実施した。これは日本の人口に換算すると400万人に相当する。おそらく世界最高水準のコロナウィルスの統計検査が実施できている国だ。
 もちろん、アイスランドの人口は36万人ちょっとで、サンプル数も1万人なので絶対数的には少ないが、統計的分析をするには十分である。
さて、その結果であるが、陽性として判定された人のほぼ半数がコロナウィルスの症状をまったく見せていなかったということである。つまり、コロナウィルスの感染は、無症状の人を通じて広がっている可能性が極めて高いということが考察されるような結果が現れたのである。
より詳しい情報を知りたい人は、次のHPを参照のこと。上記は、このHPの内容から掻い摘まんで記している。
https://english.alarabiya.net/en/features/2020/03/25/Coronavirus-Iceland-s-mass-testing-finds-half-of-carriers-show-no-symptoms?fbclid=IwAR0Na0yYKGaEmm8ssHjG4G_0HoSh9lrrT2KC0JYTcZuWuTMIWM5otdVLwhU#.XoJT0jAfEXc.facebook

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コロナウィルスの感染防止に立ち塞がるのは、住民の危機意識の低さであろう [サステイナブルな問題]

コロナウィルスの感染拡大を阻止するために、外出自粛が小池知事から求められた東京都民。週末に限定しての措置であるのだが、今日(3月29日)の東京新聞が、街を歩いていた人達に取材をした内容の記事を書いている。ちょっと興味深い、というかこの外出自粛を単なる上からの押しつけとして捉えすぎている傾向もうかがえるので、ここで若干突っ込んでおきたい。
「桜は今しか咲いていない。明日は天気が悪いと聞いて用事ついでに立ち寄った」(千葉県市川市から上野公園に来た58歳の男性会社員)。
→(私の突っ込み):桜は来年も咲きます。そもそも感染症対策をしている上野公園でなくても桜は観られます。しかし、致死率が1%程度でもコロナウィルスに感染したり、自分は死ななくても他人に移して死に至らしてしまうかもしれません。上野公園に桜を見にいくというために、そのリスクを取るのは割が悪いでしょう。
「いまさら外出自粛といわれても遅いと感じる。五輪が延期になったタイミングを待ってロックダウンの可能性など厳しいことを言い始めたように思えるので、正直説得力がない」(21歳の女性。下北沢に友達とカラオケにきた)
→まさにご指摘のように、五輪が延期になるまで言えなくても言えなかったのでしょう。つまり説得力はある訳です。対応をしたくても、対応することでオリンピックを開催できなくなるリスクが取れなかったのです。そう考えると、実は相当、不味い状況に東京はある訳です。
「月曜には社会がまた動き出す。週末だけ自粛で意味があるのか。感染拡大を本気で防ぐなら、平日も電車を止めるなど力を入れないと」(渋谷のセンター街に遊びに来た20歳の女子大学生)
→平日まで外出自粛をしたら経済が本当に止まってしまいます。多くの人が経済的活動(消費ではなく生産的な活動)をしなくてはならない平日をどうにか回転させるために、せめて週末は自粛して、コロナウィルスの感染拡大を防止する。政策としては、実は相当妥当かなと思います。
 コロナウィルス感染症の拡大に伴い、個人的にちょっと驚いているのは、行政や政治家よりマスコミが結構、駄目なことである。小池知事の記者会見でも、頓珍漢な質問をしている記者がいて唖然とさせられる。まだ、アメリカのフェイク・ニュースの記者達がトランプに投げかける質問の方が当を得ている。そして、ここで紹介したように、一般市民の意識の低さにも唖然とさせられる。
 平日の経済を回すために、週末の活動を自粛する、というのは相当筋が通っている。というか、平日まで活動自粛にする事態になったら、本当、世界恐慌のような事態になる。そういうことまで想像を巡らさないと。
 東京新聞は私も取っているぐらいなので、マスコミの中では評価をしているが、いかにも市民はこのコロナウィルスへの行政の対応に不満を持っているような印象の記事ばかりを挙げない方がいいだろう。この記事からは、東京都の政策よりも、むしろ住民の危機意識の低さを伺い知るような結果をもたらしていると思われる。

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コロナウィルスはなぜか日本ではあまり伝染していない [グローバルな問題]

コロナウィルスが世界でまさに猛威を振るっているが、その中で、コロナウィルス患者が早い段階で出現したのに、その後、普及していない国がある。何を隠そう、日本である。今年の1月下旬に中国の武漢でアウトブレークをした後、中国から日本、韓国、イランそしてヨーロッパへと伝染していく。
 2020年3月14日(昨日)時点のコロナ患者数の上位11カ国のデータを示す。日本は患者数こそ1371人と多いが、人口当たりではアメリカに次いで低い。これは、最も多いイタリアの3%にも満たない。最初のコロナ患者が発見されてから、これだけ時間が経っているにも関わらず、この数字の低さは驚くべきものだ。
 また、他国はコロナ患者数の時系列変化をみると、急激に上昇し、ある時点で垂直のように増加する。そうでないのは中国と日本だ。ただし、中国は急激に上昇した後、ロジスティックス曲線のようなカーブを描いているので、他の国を先行していると推測される。他の国も、このまま増加していたら国が滅びてしまうから、おそらく中国のような曲線を描くと予測するのが妥当であろう。対策はしているので。
 そうすると、極めて例外なのは日本で、ずるずると増加しているが一次関数のような形状である。他はもう二次関数どころか五次関数か、と思うほどの増加率なので、これは極めて不思議な現象である。
 ウィルスの拡大のスピードは人口密度が極めて重要なファクターとなるが、日本はここで挙げたほとんどの国より人口密度が高い。本来的には流行する条件が中国なみに揃っているのに、この人口当たりの患者数の少なさは不思議だ。
 もし、これがデータの隠蔽とかでなければ、他国は日本の対策に学ぶべきであろう。しかし、日本が対策をしていて、他国が対策をしてないことって何だろう?

コロナウィルス.jpg
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イタリアでのコロナウィルスの蔓延状況は相当やばい [グローバルな問題]

コロナウィルスをぶっ飛ばせ!と言うのは威勢が良いし、私もそういうことを言いたいタイプだと自己分析しているのですが、Worldometersで示されているこのイタリアの数字は不味い。罹患率も人口100万人で250人で、全世界最高。
https://www.worldometers.info/coronavirus/country/italy?fbclid=IwAR0t7WMjnAgPhNZ6jx2rDKZd6DXvK3kV67ykvWIUntLmTStz8WLcE8cYMlk
日本ではまだ死者3名なので、コロナ恐れるに足らず、という雰囲気ですが、日本より人口が少ないイタリアでは既に1000人以上。致死率は6%以上。イタリアは北部だけでなく、全土で移動禁止。食料店と薬局以外は閉店。イタリアの経済へのダメージは半端ないでしょうが、この致死率を考えると致し方ないのかも。いや、水を差すようなことを書いてすいませんが、イタリアの状況をみて、コロナウィルスへの考え方を変えている自分がいます。

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次女が東京芸術大学音楽学部に合格した [教育論]

次女が東京芸術大学の音楽学部に合格した、との連絡を受けた。彼女の合格は結構、父親としては感慨深い。6年前に、彼女の中学受験期の顛末をこのブログに書かせてもらった。私のブログの中でも最も読まれた記事である。大変、興味深いことに、大学受験に際しても似たようなことが起きたのと、東京芸術大学の音楽学部の受験は極めてユニークで、周囲に我々のように芸大関係者がいないと、相当その対策は難しいので、ここで若干、その経緯を披露させてもらいたい。
 次女が音楽の道に進みたいと言ってきたのは、高校一年の中頃。理系か文系かを選択することを検討しなくてはならない時期、将来、何になりたいかを考えたら音楽の道に進みたいと言う。次女はそれなりにピアノも上手かったりしたが、演奏家になれるほどの力量は親としてはあまり感じられなかった。絶対音感もないし、例えば作曲に関して才能がある訳ではない。そういう才能では、私の前任校の卒業生である宇宙団の望月などとは比較にもならない。
 私の親戚で音楽家になったものはいない。あと、私はしがない大学教員なので、私立の音大に行かせるような余裕はまったくない。加えて、私の周りには私立の音大卒が比較的いるが、その学費に見合うようなプロフェッショナルな人生をその後、歩んでいるかというと、そういう例は決して多くない。そこで、次女には国立の東京芸術大学を志望する覚悟があれば、その道に進みなさいと伝えた。
 さて、次女もさすがに演奏家になって、その後、しっかりと食べていけるほどの腕があるかということでは自信がなかったらしく、楽理科に進学することを考えた。東京芸術大学の音楽学部を受験するうえでは相当の対策をしなければいけない、というのはイメージでは分かっていたが、それじゃあどうすればいいのか、というと全く検討もつかない。とりあえず、次女のピアノの先生に相談すると、都内にあるM芸大・音大予備校がいいのではないかと勧めてくれた。他にまったくアテもないので、早速、そこに行き、いわゆるスタンダードの授業を受けることにした。楽理科には、英語・国語といったいわゆる入試的な試験科目以外にも、ソルフェージュ、楽典、新曲視唱、リズム課題、和声、さらに副科実技(次女の場合はピアノ)といった実技試験科目がある。加えて小論文と面接。さらにセンター試験では、英語・国語・「地理歴史,公民,数学,理科のうち1教科」を受けなくてはいけない。次女は得点では不利になるかもしれないが、その後の勉強では不可欠となる「世界史」を選ぶことにした。
 次女の通っていた高校は二年から理系・文系に分かれるのだが、次女は入試科目から文系のクラスに行くこととした。まあ、それにしても、この理系・文系という分類は本当、本質的には無意味でくだらないなと思うが、そのことに関しては、ここでは述べない。
 さて、芸大・音大予備校に通っているし、他にも何の対策をしていいかも分からないので、そちらはそのまま次女に任せていた。一方、副科のピアノはさすがに芸大用の対策をしなければいけないので、こちらはピアノの先生にお願いして紹介をしてもらった。
 そして高校三年の7月に事件は起きた。次女が通っている芸大・音大予備校の講師に妻が呼び出されて話を聞くと「とても次女の能力だと東京芸大の楽理科には受からないから進路を変えろ」と言われる。一年半、高い授業料を払っているのにも関わらず、そんなことをいまさら言うのは、あまりにも無責任だろう、と思ったが、そういう根拠は何なのか、ということを妻に聞いた。そうすると、極めて合格するうえで重要な位置づけを持つ「小論文」が全然、書けないので駄目だということらしい。私はそこで急いで、楽理科の過去問を見た。そして、そのあまりの難しさに驚いた。この小論文に答えられるようになるには、音楽評論関係の文献を相当、読みこなせていないと無理だ。それは、単に自分の意見を述べるのではなく、しっかりとした包括的な音楽と、それと社会や他の芸術などとの関連性などの知識を問うようなものばかりだからだ。それは、普通の小論文の試験などとはまったく次元が違うものであった。
 慌てた私は、次女に予備校では、どのような小論文の指導をされているのか、と尋ねると、「いろいろと書かされてはいる」と答える。それで、どんな本を読まされているのか、と聞くと1冊ぐらいしか読まされていないとのこと。一年以上通っていて一冊だけ。私は愕然とした。なぜなら、この小論文試験に解答するには膨大な読書量が必要であるし、それ以外、解答できる手段はないのに、そういう指導を予備校がほとんどしていないからだ。そういうことをしてなければ、そのような問題に解答できる訳がない。それは文章力のテストではなく、知識のテストであるからだ。こんなのは、過去問をみたら10秒で気づく。なぜ、そのような対策をしていないのだ!これは、とんでもないところに通わせてしまったと思うのと同時に、このままでは絶対、合格できないことは明らかだったので、翌日には「進路」ではなく「予備校」を変えた、というよりかは辞めることにした。
 小論文であったら、私が策定した戦略の方がまだ合格率は高くなる。楽理科に通るのに必要な本を急いで調べて、購入をした。これらを一週間一冊のペースで読み、読書ノートをつけるということをやるといいと伝えた。ただ予備校を辞めるとソルフェージュとかの対策に困るので、ネットで東京芸術大学の音楽学部の指導をしてくれる個人講師を探して、そこに行かせてもらうことにした。
 さて、この個人講師はとても指導力があり、また次女のこともいろいろと気に掛けてくれた。そして、小論文の対策に関しても心配してくれて、芸大の楽理科への受験指導では、右に並ぶものがいないと言われる先生がいるので、そこに通うことを勧めてくれた。ただ、この講師もその先生の名前は知っていても連絡先は知らないので、自分の学生(この講師の方も芸大の先生であった)に調べてもらったのだ。ちなみに、この先生の連絡先はネットなどでも公開されていない。
 そして、この先生のところを訪れたのが10月。通常はよほどのことがなければ指導してくれず、また、10月という受験まで4ヶ月ぐらいしかない中では、まず受け入れてくれないようなのだが、紹介してくれた先生がどうも高名らしく、そのおかげで入れてもらうことができた。これは、結果的に次女が楽理科に合格するうえでは絶対的に必要な条件であったかと思われる。
 この先生のもと、小論文や英語の問題の対策を一生懸命やってきたことが功を奏したのか。この先生も「もしかしたら私が指導したなかで最短での合格かもしれない」というようなギリギリの状況ではあったが、無事合格することができた。ちなみに、この先生の教室からは6人が二次試験を受験したが5人が合格するという驚異の合格率であった。
 東京芸術大学の楽理科は何しろ、小論文の試験がユニークでとびきり難しい。こんな難しい大学入試が存在するのか、と思うぐらいの難しさである。そして、そのためには音楽関係の広範なる知識を有することが必要不可欠であろう。さらには、自分の論理を構築するロジカル・シンキングがしっかりしていることだ。次女は中学ぐらいから漫画の『美味しんぼ』を愛読していたが、この本はロジカル・シンキングを鍛えるのには極めて有効だったのではないか、と合格できた今、思ったりしている。
 読者の中には、もしかしたらお子さんが東京芸術大学音楽学部の楽理科を受験しようと考えていらっしゃる方もいるかもしれない。いろいろとそちら方面の知り合いがいる方がいればいいが、そうでないと我々のように暗中模索で対策を考えると思われる。そこで、そこらへんの音大予備校とかに藁にもすがる思いで通わせるのではないだろうか。しかし、そのような予備校に通ってもまず入れないと思う。次女は、むしろ予備校が「諦めろ」と言ってくれたので、目が覚めて辞めたので、無事合格できたのだが、そのまま通わせていたらと思うと、本当にゾッとする。ある意味、出来があまりよくなかったことが功を奏した。予備校が何をもって「芸大は無理だ」と言ったのかは今でもよく分からないが、そう言ってくれたことは次女の人生を変えるような福音であった。あと、もう一つは、通常、なかなか受講を認めてくれない先生達が、次女を受け入れてくれたのは、彼女に何か伸ばさせてあげたい、指導をしたいと思わせる点があったことは付け加えておきたい。その意思が将来への扉を開かせたことは、我々が支援することを決めたことを含めて、このような朗報を受けることになった大きな理由である。
 東京芸術大学の音楽学部の楽理科を目指す方に少しでも参考になればと思い、ちょっと記させてもらった。

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