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トランプ大統領の卑劣だが、なぜか有効な相手を貶めるテクニック [トランプのアメリカ]

トランプ大統領が、世論調査で大きく票を開けられているバイデン大統領候補を攻撃している。その攻撃内容は、バイデン大統領の弁護士である息子がウクライナや中国で投資をするなどする際に、バイデン元副大統領が便宜を図ったのでは、というものである。
 自分の子供達には、現時点でも大統領という立場を使っておそろしく便宜を図っていることを棚に上げて、何を言っているのかとも思うが、そもそも、このバイデンの息子の件はほとんどがでっち上げに近い。でっち上げに近いが、100%白といえるか、と言うと、私もちょっと自信がない。
 オバマ大統領がアメリカで生まれていない、と攻撃した時もそうである。まず、100%嘘であると思うが、命を賭けるか、と凄まれると、ちょっと賭けないような気もする。つまり、ほんの少しだけ、そうかもしれないと思わせるところがあるのだ。まあ、ここがトランプの「イーブル・ジーニアス」(邪悪な天才)と呼ばれるところであろう。
 さて、こんな出鱈目な噂を立てられても痛くも痒くもない、と思いたいところだが実態は違う。この出鱈目なまさにフェイク・ニュースに多くの人は翻弄されるのである。ということを、ジョン・バイデンの昨日の取材で知ることになった。というのも、多くのマスコミが、このトランプの出鱈目な噂話について、その背景を探るような質問ばかりを集中砲火させたからである。バイデンは、このほとんど根拠もない出鱈目な誹謗に対して、回答をしなくてはならない。このストレスは想像を絶するものがある。
 トランプ大統領が捏造するフェークニュースに、アメリカ中が右往左往している。そして、真実を報道しようとするMSNBCやCNNに対してはフェークニュースと攻撃をする。人間の醜悪さをここまで具象化した人物も珍しい。そして、このような人間を支持しているアメリカ人の偽善性、知性のなさ。それらを世界中に顕在化させたこと、これこそがロシアが2016年の選挙において、介入したことの一番の成果、そしてアメリカにとっては、最大の損失なのではないだろうか。

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先斗町で開業してから55年経つスナックを訪れる [都市デザイン]

都市デザインの大家である大阪大学の鳴海名誉教授から、1970年の先斗町、木屋町の飲み屋マップを授かった。それで、この地図を片手に、時間がある時(あまりないのだが・・)に、まだ存在しているお店を訪れるということ同僚の若手の石原先生としている。というか、正確には今日で二度目であるのだが、そういうことをした。前回は、万作という先斗町と木屋町通とを結ぶ路地にある居酒屋を訪れた。ここは、「随分と長くやっていらっしゃるんじゃないですか?」とおじさんにいったら「いやいや、全然、新しいですわ。ほんの60年」とか回答されて、「うわっ、京都や」と唸らされたのだが、今回は、ちょっと懐も温いこともあって、スナックにチャレンジした。
 ちなみに、私はそもそも京都だけでなく東京でもスナックには行かない。これは、スナックがとても苦手だからだ。まず、カラオケが嫌いでしない。さらに、綺麗なおばさんとか、ホステス的な若い女性があまり好きでない。そういう意味ではキャバクラとかも全然、好きじゃない。さらに、スナックは結構、高いくせに美味しい酒も置いてなく、まったく行こうとも思わなかったのだが、ほんの一週間前に、東京大学の某H先生に連れられて、四谷荒木町のスナックに行き、ちょっとスナックへの抵抗が減ったということもあったかもしれない。
 1970年の地図に残っていたスナックは、「歌宴」という店であった。看板に「女性バーテンダーの店」と書いてある。女性バーテンダー?ちょっとよく分からないが、何しろ1970年から営業しているのであれば、そんなえぐい店である筈はないだろうと思い、どきどきしながら扉を開けた。
 さて、扉を開けるとおばあさんが一人、客席に座って、テレビをボーッと観ていた。おお、これは不味いかも、と瞬間思ったが、ここはヒアリング調査もしなくては、ということと、一人ではないということも手伝って、「入っていいですか」と声をかける。おばあさんは、客が来たことを心から喜ぶような表情をして、我々を自分が座った席に座らせ、自分はカウンターの中に入る。
 このお店は、このおばあさん(以降、ママとする)が1964年の4月、18歳の時に開業したもので、今年で開業55年目になるそうだ。そして、ママの年齢は73歳。しかし、73歳とは思えないほど、話し始めるとチャーミングでこちらも楽しい気分になる。さすがプロだ。お店はママのお母さんが出資してくれて始めたもので、当時は350万円ほどで支払ったそうだ。つまり、ママは正真正銘、このお店のオーナーであるのだ。ウィスキーのロック割りを飲みつつ、柴漬けやスルメイカを食べる。これらのつまみもちょっと工夫をした味付けがされており、美味しい。
 先斗町、木屋町通はこの50年で随分と変わったそうだ。50年前はもう飲み屋と料理屋だけで5000軒もあったそうである。5000軒!下北沢の店舗数が12000店であることを知っているので、多少、その規模感とかが推測されるが、それにしても多い。飲食店だけだからね!しかし、それからは随分と減ったそうである。現在の数字はママさんもよく分からないようだが、特に減ったのは、ホモ用のお店だそうだ。当時は220軒はあったそうであるが、今は10軒もないとのこと。220軒もあった時は、美少年と金を持っている中年男のカップルが結構、よく周辺では観られたとのこと。
 また、結構、ぼったくりのお店も多かったそうだ。あと、あの呼び込みというのは、お店が雇っているわけではなく、アウトソーシングされていることも知った。ぼったくりは、ちょっと入ってお酒を一杯か二杯飲んで、15万円ぐらい請求するようなお店である。こういう店のほとんどはヤの字が経営していたようである。
 「18歳でお店を始めた時は、結構、将来どうなるかとか、いろいろと考えられたんじゃないですか」と、ママが開業した時より年を取っている幼稚な学生達と日々、接しているので、思わず尋ねると、「開業当時は目が回るほど忙しくて、そんな考える余裕なんてなかった」と回答された。そして、どうも開業当時は「女性バーテンダー」というのは珍しかったらしく、テレビ、ラジオ、雑誌などで随分と紹介されたそうだ。人を雇っていた時も結構、長かったそうだ。
 店にはレオタード姿のママの若い時の写真が貼ってあって、それは相当、可愛い感じなのだが、既にその時45歳だったそうである。45歳で、この美貌であれば、20歳の時は相当、可愛かったであろう。
 ということで、ほぼ生まれて初めてぐらい、再訪してもいいスナックを見つけた気分になっている。料金はやはり、そこらへんのバーの3倍ぐらいは高い。私が最も頻繁に行く下北沢のマザーよりも3倍は高く、しかもママは60歳は越えているが、「夜宴」のママよりも若い。まあ、マザーが先斗町にあったら、夜宴に行かないかもしれないが、マザーは先斗町にはないからな。
 

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