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フクシマの原発事故における欺瞞は、ヨーロッパの人々には軽蔑の対象となっている [グローバルな問題]

スイスのシャフハウゼンにて、同市のシュタットヴェルケの所長にお話を聞く。そこで、お話を録音してもよいかと尋ねると、「フクシマではないので、何も隠すことはないので構いません」と言われた。いや、スイスの田舎の人でも、フクシマの隠蔽気質は知られるところになっているのか、とちょっとショックを覚える。
 その後、フランスのストラスブールに訪れたら、現地の人に「フランスでは、フクシマ原発での汚染水の海洋漏出はとても問題だと思っている」とも言われた。私と一緒に取材をした人がたまたま福島県在住であったからの意見だが、なかなか厳しい。
 私はスイスはともかく、フランス人に言われるのは不本意だな、とも思ったが、どうやらフクシマに関しては、日本人よりヨーロッパ人の方が関心を持っているようだ。いや、どうしてフランス人に言われるのは不本意だな、と思ったかというと、次の原発事故はフランスで起きる確率が相当、高いのではないかと私は推測しているからだ。しかし、当のフランス人は、ある意味当たり前だが、あんな事故を起こしておきながら、しかもその事後処理をしっかりとできないダメな国と日本を見ているようだ。
 また、このお二人がヨーロッパの全般的な世論と同じかというと、それはなんとも言えないが、しかし、少なくとも、フクシマに関して、事故を起こしたという不始末よりも、その後の対応のまずさ、不誠実さによって、より日本への見方が厳しくなっているのは確かであろう。
 というか、フランスはともかく、ドイツのようにスイスもフクシマの事故を契機として原発政策を大きく脱原発へと舵取りした。そのような事故を起こした張本人が、あまり反省もせず、平気で国境が実質的にはない海に汚染物質を漏出させ、また原発を再稼働させるというのは、大きく信頼を損ねる行為であるとみられても当然であろう。というか、日本と同様のことを中国や韓国がやったら、日本でも相当の非難がなされると思うのである。
 改めて、ヨーロッパの人々は、フクシマ原発事故を厳しくみており、その事後処理もしっかりやれよというプレッシャーを我々に送っているなという印象を受けた。

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アベンジャーの『エンド・ゲーム』を観ようとして途中で挫折する [映画批評]

アベンジャー・エンド・ゲームが人気らしい。いや、人気どころか興行収入は世界歴代一位らしい。ということで、ちょっと教養として観ておいた方がいいかな、と思って飛行機の機内で観ようとしたのだが、30分ぐらいで挫折した。なぜなら、あまりにもつまらないからだ。最後まで観ていないので、映画の内容をとやかく批評することはできないが、タイムマシンの話とか、表層的な人間関係の描き方とか、創造性がまったくうかがえないアライグマのキャラクターとか(もっとカネゴンとかバルタン星人とかの円谷プロのような魅力的な宇宙人キャラがつくれないのか)、何しろシナリオに惹きつけられないのだ。俳優陣も全然、魅力がなく、強いていえばスカーレット・ヨハンソンがちょっといい味出しているかな、といったぐらいである。もちろん、これは私が初老に近づいた中年男性であるからだろうが、それにしても、こんな映画が売れる現代はなんてつまらない時代なのだろう、と思わずにはいられない。
 とはいえ、結構、この映画の評判は悪くないのだ。私が敬愛している、私とそれほど年が変わらないアメリカ人コメディアンのスティーブン・コーベアもこの映画を評価していたようだし、私の元同僚もこの映画を評価していた。ううむ、何なんだろう、この違い。自分と時代のトレンドとにギャップが生じているということだろうか。


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『フィラデルフィア』 [映画批評]

トム・ハンクスとデンゼル・ワシントンという二大スターによる法廷ドラマ。1993年の作品であり、トム・ハンクス演じるホモセクシャルの主人公が、エイズに患い、それによって弁護士事務所をくびにさせられたことが、差別にあたると法廷で事務所と戦うというストーリーである。実話にもとづくストーリーであるそうだ。エイズに蝕まれていくトム・ハンクスの演技は鬼気迫るものがあり、アカデミー賞で主演男優賞を受賞したのも納得である。映画の冒頭にブルース・スプリングスティーンの曲が流れるが、なかなかの佳曲である。


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映画『ロケット・マン』を観て、改めてエルトン・ジョンのことを考える [映画批評]

エルトン・ジョンの半生を描いた映画『ロケット・マン』を観る。私は、1972年から1976年までロスアンジェルスで過ごした。彼のベスト・アルバムともいえる『イエロー・ブリック・ロード』が発表されたのが1973年。私が通っていた小学校では、同級生が『ベニー・エンド・ザ・ジェッツ』を口ずさんでいたりしたものだ。エルトン・ジョンはあの頃、まさにアメリカを席捲していた。それは、まさに社会現象であった。
 ということで、否が応でもエルトン・ジョンに関心を向かされたが、そのレコードを購入したりすることはなかった。それほど当時はロックに興味がなかったのかもしれない。むしろ、社会現象として興味を持っていたと思う。
 さて、しかし、そのエルトン・ジョンも1976年の2枚組『ブルー・ムーブ』あたりから勢いを失ったような気がする。その次のアルバムの『A Single Man』を発表したのは、私も日本に帰国しており、ロックに興味を持つようになっていたのだが、なんか、こうフックが失われたような印象を受け、その後、『Victim of Love』というディスコ系のアルバムなどを出していたりして、そもそも最初からそれほどなかった関心を失った。
 そしたら、1983年に『I am Still Standing』や『I Guess That's Why They Call It the Blues』といった佳曲が入った『Too Low for Zero』で見事な復活を遂げる。それが、バーニー・トーピンという作詞家とまたタッグを完全復活させたことが要因であったことは私の興味を随分と惹いた。というのも、バーニー・トーピンという作詞家と袂を分かったのが『A Single Man』からで、それからエルトン・ジョンはずっと不調だったからだ。まるで、バーニー・トーピンが「あげまん」であったかのようで、メロディー・メーカーとしては天才でも、詩がしっかりとしてないと優れた曲はできないのか、と私に考えさせる例であったからだ。
 話を映画に戻すと、この映画は、まさにエルトン・ジョンの幼少時からバーニー・トーピンとの出会い、アメリカでの成功、さらにバーニー・トーピンとの別れ、その後の失望と失墜、そして、復活までを描いている。映画の最後のシーンは、『I am Still Standing』のプロモーション・ビデオである。
 さて、この映画を観て、さらにそれまで知らなかったエルトン・ジョンのことを幾つか知った。まず、母国イギリスではアメリカのように売れなかったことである。シングルでチャートの1位になったのは1990年が最初で、その曲はSacrificeであった。それまでにアメリカでは5曲が1位になっていることを考えると随分と対照的であるし、この1990年というのは、映画で描かれたエルトン・ジョンがまさにアメリカの音楽シーンを支配していた時代よりずっと後である。アルバム・レベルでは結構、イギリスでも売れていたが、それでもアメリカでは1972年に発表された「Honky Chateau」から1975年に発表された「Rock of the Westies」までの6枚のアルバムが連続して1位であったのに対して、イギリスでは1973年の「Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player」から1974年の「Caribou」までの3枚だけだったのは興味深い。
 あと、映画においては、それこそエルトン・ジョンのきら星のごときヒット曲が多く流されるのだが、私が個人的に相当好きな「Island Girl」や「Philadelphia Freedom」、「Daniel」が選ばれなかったのも興味深かった。まあ、佳曲が多いので致し方ないかなと思うし、「Island Girl」は映画の内容とマッチさせるのはなかなか難しいだろうが、ちょっと残念。
 内容に関しては、実際は、エルトンの実母や実父はそれほど悪人ではないと擁護する発言が家族から結構、出ているそうだ。母親に関しては、エルトン・ジョンもそのように言っているらしい。まあ、ということで、結構、脚色もあるかなと思うが、凄まじい音楽的才能の持ち主のドラマチックの人生はなかなか観るものを惹きつける。天才というものについて、なかなか考えさせる映画である。

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アメリカ合衆国政府の言葉はトランプによって軽佻浮薄となってしまった。 [トランプのアメリカ]

サウジアラビアの国営石油会社の石油施設がドローンによる攻撃を受けた。マイク・ポンペオ米国国務長官は「イランの関与」を主張している。トランプ氏は「我々は犯人を知っていると信じる理由がある」と述べている。
 さて、先月、アメリカの東海岸南部を襲ったハリケーンのドリアンがアラバマに上陸すると誤解したツイートをトランプ大統領が発して、それを気象庁が訂正しても、本人は誤りを謝罪するどころか、本来はそうであると嘘をつらぬき、気象庁の資料に黒いマジック・ペンでハリケーンの行き先を勝手にアラバマまで延ばすという小学生でもやらないような誤魔化しを行った。そのような誰でも分かるような嘘を平気でつける人が、いまさら「我々は犯人を知っている」などと言っても誰が信じようか。
 石油を多く有して、言うことをあまり聞かないイランを米政府が面白くないと思うことはよく分かるが、こんな嘘つき国家が、イランを攻撃する合理性を説いたところで、まったく言葉が意味を為さない。
 アメリカの国際社会における信頼は、トランプ大統領のおかげで地に墜ちてしまったな、ということがこのような国際的事件が起きてしまい、改めて確認させられる。

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