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門司港レトロ地区を訪れ、その優れた都市デザインに大いに感心する [都市デザイン]

門司港レトロ地区を初めて訪れる。土木学会デザイン賞などを受賞したりしていたことや、アルド・ロッシの遺作のホテルがあることなどから以前から注目はしていた。しかし、なかなか訪れる機会はなかったのだが、今回、そこの都市デザインに長く関われてきた城水さんに取材のアポが取れたので訪れた。
 門司港レトロのポイントは、門司が外国貿易で繁栄した明治時代から大正時代にかけてつくられた門司港駅周辺の建物を中心に、それらの建物が映えるように周辺の都市空間を観光整備しているところである。門司港駅は、1942年に関門海峡が開通したことで本州と繋ぐ列車がバイパスすることになり、さらには筑豊炭田の衰退などから門司港の物流における重要性も失われ、都市開発から取り残されるような状況が続く。しかし、これが逆に幸いして、結果、貴重な歴史的建築物が壊れずに残されていた。門司港レトロはこれらの建物を保全して、景観要素として見事に活用したのである。そして、その修景デザインのセンスの良さは、なかなか唸らせるものがある。
 それだけでなく、個人的に関心したのが、門司港レトロは建物の修復保全がしっかりとされているだけではなく、これらのレトロな建物を保全した地区をオートフリーとまでは言わないまでも極力、歩行者が快適に移動できるような環境を創造しているところである。特に歩行者動線のために1993年につくられた「ブルーウィングもじ」という全国で唯一の歩行者専用跳ね橋などは、単に動線を円滑化させただけでなく、この地区を歩きたくなるというインセンティブとしての役割も果たしているかと思われる。
 このような工夫は歩行者主体の都市空間デザインを得意とするデザイナーの中野氏が大きく関与したからこそ、具体化できたのではないだろうか。
 景観的な側面に目が向きがちであるが、この「歩いて楽しくなる」歩行者主体の空間デザインこそ、「歩くのがつまらない」多くの日本の地方都市と門司港レトロの大きな違いであるし、それこそが、ここの都市デザイン事業の評価できるポイントなのではないかと思われる。ただ、現在、門司港レトロと中心市街地とは大通りで大きく分断されている。ここをも含めて歩行者が自在に移動できるような空間をつくることができれば、さらに魅力的な都市空間をつくることが期待できるのではないだろうか。
 

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ジャクソン・ハイツを訪れ、大いにたまげる [地球探訪記]

クイーンズにあるジャクソン・ハイツを訪れた。私はマンハッタンのホテルが高くなってから、フラッシングのシェラトンを常宿にしていたことがある。当時は、1泊100ドル以下、60ドルから70ドルぐらいで泊まれたからだ。今は、ここでも300ドル近く取るようになったので泊まることを止めてしまったが。それはともかくとして、フラッシングに泊まって地下鉄7号線でマンハッタンに通うということをしていたので、ジャクソン・ハイツはしょっちゅう通過していた。しかし、降りることはしなかった。
 昨年、巨匠ワイズマンによる映画『ジャクソン・ハイツ』を見た。なかなか内容が濃い映画で、私は映画のトークショーにも渋谷、出町座と二回も出演した。しかし、ジャクソン・ハイツを訪れたことはなかったので、ブルックリンに来ているこの機会をうまく使って訪れた。
 ジャクソン・ハイツは人口10万8千人のクイーンズのネイバーフッドである。住民の56%がヒスパニックでアジア系が22%、白人が17%、そしてアフリカ系は2%しかいないという面白い住民構成をしているネイバーフッドである。
 ジャクソン・ハイツは20世紀前半にエベネザー・ハワードの田園都市の影響を受け、マンハッタンの高密度を回避したい中流から上流階級の人達を対象に、エドワード・マクダウガルのクイーンズボロ会社によって1917年の7号線(フラッシング線)の開通に合わせる形で1916年から区画整理がされた。つくられた住宅は、アングロ・サクソンのプロテスタントのみに提供され、ユダヤ人、アフリカ系アメリカ人、ギリシャ人、イタリア人は排斥された。
 住民の構成が変わったのは大恐慌の後の1930年頃からである。マンハッタンの劇場関係者の同性愛者がここに住みつくようになり、マンハッタンの外では最大の同性愛者地区を形成する。ユダヤ人も1940年頃からは住むことが許可され、1950年以降はコロンビアの中流階層が母国の犯罪から逃れるように資本を持ってやってきて、ここにコミュニティをつくることになる。一方、ロング・アイランドの郊外開発が進む1960年以降は、ここに住みついていた白人層が、そちらの方に移住するようになる。いわゆるホワイト・フライトのような現象だ。1965年に移民改善法が成立し、家族を呼ぶことができるようになるとラテン・アメリカやインドの専門家達が、こぞって家族を呼び、ジャクソン・ハイツに居を構えるようになる。
 1970年代半ばになると、ルーズベルト・アベニューがジャクソン・ハイツの商業センターになり、また組織的犯罪の拠点として全国レベルでの関心を呼ぶようになる。1970年代後半には、1年間で9人の殺害事件がここで起きる。1990年にプエルトリコ人の同性愛者であるフリオ・リベラがヘイト・クライムの被害者として殺害されると、大きなデモ活動が起き、それが今にも続くクイーンズ・プライド・パレードが始まるきっかけとなる。
 1990年以降ニューヨーク市の治安が回復すると、ジャクソンハイツのコロンビアのコカイン関係の犯罪も減少していき、現在の多様な人々が住むネイバーフッドになっていく。
 ジャクソン・ハイツのことをざっと整理すると、こんな感じになる。さて、ブルックリンのホテルからG号線と7号線を乗り継ぎ、82番街の駅で降りる。7号線はルーズベルト・アベニューの上を高架で走っているのだが、上を走っている時にはまったく気づかなかったような世界が駅を降りると展開している。いきなり、トウモロコシとシシカバブーを鉄板で温めながら売っている屋台が目の前に展開する。周りの店舗は、どぎつい原色の看板を立てており、それらの多くは英語ではない。スペイン語のものが多いが、アルファベットでないものもある。香港を彷彿させもするが、もっとさらに色彩はどぎつい感じがする。
 ここがニューヨークであるとはとても思えない。というか、アメリカ合衆国とはとても思えない。それじゃあ、中南米か、と言われると決してそうでもない。ラテン・アメリカとインドなどの南アジアのテイストが混在している。高架の地下鉄が頭の上を走っているので、むしろブレードランナーの世界を彷彿する。
 ここでは私はまったくの異邦人だ。この異邦人感覚は相当、強烈である。そして、ちょっと緊張もさせる。私はアフリカのルワンダや、マレーシアのスラヴェシ島、パナマやパラグアイなどにも行ったことがあるが、そのどこよりも緊張したかもしれない。いや、パラグアイのシウダ・デ・エステではここよりも緊張したとは思うが、一人で歩いているということもあり、なかなか強烈な刺激を五感が感じ取っている。そして、強烈なアーバニティに溢れている。そのアーバニティは弱肉強食的な雰囲気が強いようなものだが、ちょっと東京などでは感じられないアーバニティである。むしろ、大阪の難波あたりとは共通するところがあるかもしれない。
 いやはや、映画を観ては分からないジャクソン・ハイツの都市としての凄みを感じることができた。そして、夕食をここのラテン・アメリカ料理屋でしたのだが、ニューヨークに来て、初めて料金に見合うまともで満足できる料理を食べることができた。生活文化の質もここは、ニューヨークの他の地区よりは秀でているような気がする。強烈なオーセンティシティを感じる、オンリーワン的な街であった。大いにたまげた。


ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ [DVD]

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人を誹謗する偽動画を編集してそれを流すことを促しているトランプ大統領の卑劣 [トランプのアメリカ]

ナンシー・ペロシ女性下院議長のスピーチを編集して、彼女がどもっているように見せた動画がSNSなどを通じて広まっている。そして、それを広めるような発言をしているのがトランプ大統領そのものである。こういう人を誹謗する偽動画を編集して流すことは犯罪ではないのだろうか。しかも、それをフォックス・テレビは番組で流している。あまりにも卑劣で、あまりにも情けない。こういうことをする人間は、日本にもいるが、その国を代表する人やマスコミがそういうことをしているアメリカという国はなんと下らない国であろうか。アリ・メルバーの番組でこれの問題について報道している。

https://www.youtube.com/watch?v=1m_SrHCUt10

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ブルックリンの再開発ラッシュが凄い [グローバルな問題]

学会がブルックリンにあるので、ブルックリンのダウンタウンのホテルに泊まっているのだが、周りは再開発ラッシュで槌音が鳴り止まないような状況である。ニューヨークというと、多くの日本人がマンハッタンだけをイメージしているのではないかと思われる。空港はマンハッタンにはないが、空港に着くとほとんど直行してマンハッタンに行くような気がする。しかし、ニューヨーク市の人口862万人(2017年)のうち、マンハッタンが占めるのは2割にも満たない166.5万人だけである。そして、人口が一番多いのはブルックリンで265万人である(ちなみに二番目はクイーンズの236万人)。ブルックリンが市として独立したら、ロスアンジェルス、シカゴに次ぐ大都市になる。ちなみに、クイーンズはそれに次いで、四番目に人口規模が大きいヒューストンを上回る。驚きの数字だ。ちなみに面積も183km2あり、クイーンズの281km2よりは小さいがマンハッタンの59km2よりも3倍も大きい(ちなみに東京23区は627 km2で、これはニューヨーク市全体の784km2より小さいが人口はちょっと上回っている)。
 しかし、経済規模(GDP)はマンハッタンの10分の1ぐらいしかなく、人口当たりのGDPでは37.8万ドルに対して、2.4万ドルにしか過ぎない。というか、マンハッタンの一人当たりのGDPは日本円で4000万円ぐらいということか。多すぎないか。人口密度は、マンハッタンとブルックリンでは一ヘクタールあたり278人と146人と半分ぐらいの差がある。というか、マンハッタンの人口密度は東京よりも高い。東京23区で一番、人口密度が高いのは増田寛也が「消滅都市」にランキングした豊島区(いやはや、人口密度が日本で最も高い自治体が消滅都市というのは、本当に出鱈目な予測であると思うが、それに慌てた豊島区の馬鹿さ加減は改めて呆れるばかりである)で230人ということを考えると、マンハッタンの人口密度は凄まじいものがある。ブルックリンの人口密度は大阪市の淀川区、旭区、東京23区でいえば江戸川区ぐらいだ。
 そのような状況であるから、マンハッタンに住めない人達がどどっとブルックリンに住もうとしているようで、ブルックリンのダウンタウンやイースト川沿いはビル開発ラッシュで凄いことになっている。バブル期の東京の臨海部を彷彿させるような開発ラッシュだ。アメリカの経済状況は今、すこぶる数字的にはいいようだが、それを実感させるブルックリンのダウンタウンの建設ラッシュである。
 

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トランプが大統領であることが示唆すること [トランプのアメリカ]

知人であるニューヨーク市立大学の教授であり、日本でも著書が翻訳されているシャロン・ズーキン先生の家に行き、徒然とお話をした。そこで、私が最も気になっているトランプがなぜ大統領になったのか、その背景に関して、このアメリカでも傑出した知性に尋ねたのだが、トランプを支持する人が4割近くもアメリカにいることはまったく私の想像を絶する、と回答された。この回答には、正直、ちょっとガクッときたが、二年間、トランプ・ウォッチをしてきた私は、トランプを支持しているアメリカ人が倫理的でないからだと考えるようになっている。こちらのニュース番組でも、「ペロシ下院議長が宇宙人である」とトランプが発言したら、それを鵜呑みにするアメリカ人がいると言っていたが、これは冗談ではなくてどうも真実のようだ。まあ、今でもダーウィンの進化説や地球が丸いことを信用できない人達がたくさんいる国ですから。流石にズーキン先生は同じアメリカ人の4割近くが、そこまで酷い人達だということを直視できないのかもしれない。彼女はとても優しい人だからな。
 私の大学院の指導教官であるカリフォルニア大学バークレイ校の先生は、残念ながらトランプ支持者は人種差別者であるのだ、と指摘されていたが、それはまあ相当、当たっているのではないかと思う。しかし、私は人種差別者であるのと同時に、さらに残酷で、他人の痛みなどが分からず、平気で人を騙して他人を貶めることに良心の呵責も感じないような人達がトランプを支持しているのではないか、と思うようになっている。なぜなら、トランプがまさにそのようなキャラクターであるからだ。普通はこんな人、えんがちょするでしょう。トランプの選挙ラリーで、彼をロック・スターのように支援する人達は、まるでヒトラーを崇拝していた当時のドイツ人を彷彿させる。フロリダでの遊説で、「移民が入ってくるのにどうやって対処すればいい」とトランプが聴衆に問いかけたら、「鉄砲で撃ち殺す」と答えたりするからね。流石にトランプも「そりゃ、まずいでしょ」とフォローしていたけれど、基本、そういう人達がトランプを支持しているのだ。アメリカ・インディアンにも18世紀に、こういう人間がいればよかったのに。
 日本人は、特に団塊の世代の人達がアメリカかぶれなので、アメリカは絶対的に正しいと思っている人が少なくないが、統計でみても、アメリカの犯罪率は尋常じゃなく高いし、国民皆保険が導入できないのは、共同体としてお互い助け合う、という発想を受け入れられないからだし、銃を手放せないのも感情を抑えられないような時に鉄砲をぶっ放す権利を放棄したくないから、というとんでもない国である。いや、このような醜悪な欲望をオブラートに被せているけど、私は最近、その本音が相当、見えてきているなと思うようになっている。じゃなければ、学校であれだけの無差別殺人が起きているのに銃を放棄できないということは説明できない。
 まあ、とても残念だけれども、アメリカはそういう国であったのだ。今までは隠していたけれども、その倫理がなく、醜悪な身勝手なアメリカ人達が4割ぐらいいるということが露見されてしまったのが、アメリカにとってのトランプ大統領の最大の損失であると思うのだ。トランプ大統領という事実は、トランプが単独で悪いのではなく、それを支持するアメリカ人が4割もいるから初めて具体化できたのである。そして、この4割のアメリカ人は正直、とても隣人としてはつきあえないような嘘を平気でつき、相手の痛みに無神経な人達なのである。そういうことは、アメリカに7年は住んでいたので、ちょっと感じるようなことはあったが、トランプ大統領がその私が感じていた嫌な予感が現実であることを目の前に突きつけている。

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ヤン・ゲールによるブロードウェイホコ天事業の強烈なる駄目出し [都市デザイン]

ヤン・ゲールの講演だが、まあ特に新しい話もないよなと内職をしながら聞いていたのだが、ニューヨークのブロードウェイの話をし始めたので、ちょっと耳を傾けた。ヤン・ゲールを最初にニューヨークに招聘したのは、タイムズ・スクエアのBIDのTim Tompkinsのようで、その時、「ブロードウェイに自動車を走らせることは必要なのか」と尋ねたら、皆、そうだと回答したそうだが、ブルームバーグ市長だけが「ちょっと調べてみる」と言って、その後、ニューヨーク市がヤン・ゲールをコンサルタントとして雇うことになる。そして、ブロードウェイから自動車は排除され、今の歩行者が主人公の公共空間が創出される。そういう意味では、まさにブロードウェイから自動車を排除することを具体化させた最大の功労者はヤン・ゲールだと思うのだが、その彼が、久しぶりにブロードウェイに来たら、マラケッシュとキャンプグランドとお祭りがごちゃごちゃになったような状況になっており、これはブラウジオ市長に言って撤去してもらわなくては、と発言したのには驚いた。私は以前のブロードウェイに比べれば、今の方がずっといいと思うし、その公共空間の利用の仕方はそれほど不味いと思わなかったが、ニューヨーク市で、ヤン・ゲールによる完全なる駄目出し。ちょっと、なんでそんなにオカンムリになったのかは私はよく分からないし、これは、まだ私がヤン・ゲールの思想とかを理解していないという証拠でもあるのだが、その背景を是非とも理解したいものである。
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ヤン・ゲールのモダニズム批判 [都市デザイン]

ヤン・ゲールの講演の内容であるが、モダニズムの批判が強かった。ブラジリアを強烈に批判していた。飛行機の視点からみると素晴らしいが、人の視点からみると最低だと述べていた。ヤン・ゲールも自分がモダニズムが嫌いであると明言していた。モダニズムの欠陥は「人への配慮への決別」であると述べていた。そして、自動車の普及によって、ヒューマン・スケールから空間が逸脱していると述べていた。都市の移動速度は毎時5キロメートルであったのが、毎時60キロメートルにまでなってしまった。
 ヤン・ゲールは1960年には人を主体とした空間の質に関しての知識は何ももっていなかった。最初にこれに警鐘を鳴らしたのはジェイン・ジェイコブスであると述べていた。オフィスとかで机に向かって、どうやって人々が活動するかを考えるより、人を観察する方がずっと人にとって意味のある空間が造れると述べていた。
 まあ、これは何も建築家だけの問題ではない。私の前任校では、大学のカリキュラムを作成する時、ハーバード大学と東京大学のカリキュラムを参考にしようとした先生が二人いたからね。偏差値50の大学で!実際に学生をみたら、そんなカリキュラムは百害あって一利なしということが分かる筈なのに、そういうことをしない。まあ、建築家だけではない専門家バカという問題かとも思うが。
 閑話休題。優れた公共空間としては、安全、快適、楽しみ、という条件を満たすことが何よりも重要であるとのことである。そして、シエナのカンポ広場を絶賛していた。まあ、確かに滅茶苦茶素晴らしい広場ではあるが、私はゴスラーのマルクト広場もそれに負けずに劣らず好きだが。
興味深かったのは、彼が最も重要な役割を果たしてブロードウェイの歩行者天国プロジェクトであるが、あれは酷すぎると述べていた。キャンプグランドとマラケッシュ、お祭りがごちゃごちゃになったような状況になっており、あれは撤去されるべきであると述べていた。この発言は私だけでなく、他の聴衆も驚いていた。
 40年間、ヤン・ゲールは研究をして本を書いてきたが、それによって人々のマインドセットを変えることに成功できたかなと述べていた。個人的にはちょっと背中を後押しされたような気分にもなる。もちろん、環境デザイン研究学会で、調査をする人達ばかりが集まった学会ということはあるかもしれない。
 全般的に、彼が志向しているのはHumanistic City Planningという言葉でまとめられるような印象を受けた。そして、都市はもっと「人のための空間が必要」ということである。下北沢みたいな道路整備を進めていると、都市は窒息してしまう。本当にそういうことを東京都は進めていく覚悟があるのだろうか、というようなことを考えさせられた。

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ヤン・ゲールの講演をブルックリンで聴く [都市デザイン]

環境デザイン研究学会でニューヨークのブルックリンに来ているのだがキーノート・スピーカーはヤン・ゲールである。大講堂はほぼ満席である。凄い人気だ。私がヤン・ゲールに初めて会ったのは、やはり同じ学会で1998年のセント・ルイスで開催された時である。私は、懇親会か何かで日本人の参加者と話をしていたところ、いきなり会話に割り込んでき訛りのあるヨーロッパ人がいた。誰も話す相手がいないのだろう。しかし、それにしても失礼だなと思っていたが、適当に話をして、あなたのお名前はと聞いたら、なんとヤン・ゲールであった。私は彼の本を読んでいたので、ぶっ飛びましたね。ただ、会話をしていた日本人は、ヤン・ゲールを知らなかったらしくて、何をしている人なの?と聞いて、私が急いでそれを遮ったことがあった。水戸黄門みたいな感じだった。それから20年弱。もう大学のポストも得たし、ソーシャライゼーションが必要でない私は学会の懇親会にも顔を出さなくなったが、今回の懇親会ではさぞかし引っ張りだこであろう。
 ちなみに、私はその後、何回かヤン・ゲールには取材をさせてもらい、それをネットにもあげさせてもらっている。しかし、今、お願いしたら断られるかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=l6skRlRAdHY
http://www.hilife.or.jp/3689/
http://www.hilife.or.jp/3803/
 日本でも急に人気が出てきているが、1994年に名古屋市がデザイン博をした時、招聘されていろいろと提言をしたのだが、ほとんど聞き入れられなかったと私に怒っていた。会う度に怒っていたので、結構、根に持っているのではないかと邪推している。
 環境デザイン研究学会のものも日本人もそうだが、有名になってから評価するというのは、考えていないということと同じである。ヤン・ゲールが言っていることは昔から同じである。人を最優先する、ということだ。そのために、人の行動パターンをしっかりと把握するということである。下北沢にバス・ターミナルをつくり、人の空間をぶった切るように道路をつくり、自動車を走行させようと20世紀ではなくて2019年にしようとしている国において、ヤン・ゲールの考えや、ヤン・ゲールを招聘することで人間都市へと変貌することに成功したニューヨークのジャネット・カーンを持ち上げることの矛盾をもっと自覚した方がいいであろう。いや、持ち上げるのはいいが、持ち上げるのであれば自分の行為を反省すべきであろう。


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ニューヨークのホームレス [グローバルな問題]

ニューヨークに来ている。市の都市計画局を訪れ、いろいろと話を聞く。ニューヨーク市は1970年代の財政破綻ぎりぎりを回避した時以来、ずっと低迷し、人々もニューヨークから抜け出すような状況であったが、1990年頃から回復し始め、現在は人口も増加している。人口が増加しているのは5つの区の中ではブルックリン、クイーンである。これら両区は人口は200万人近くもあり、一つの市とみても全米屈指の規模となる。
 さて、この人口増加の背景としては移民による社会増と、より大きな変化は社会減の減少である。今でもニューヨークから外に出て行くアメリカ人は、入っていく人よりも多くてネットではマイナスなのだが、その数が減ってきている。自然増もしているので、プラマイでプラスになっている。移民による社会増の数字はそれほど変化していないので、アメリカ人の社会減の減少、これが人口増の背景であるようだ。
 そして、人口増加に伴い、また海外からの不動産投資も盛んということもあり、地価が高騰している。マンハッタンではなくて、ブルックリンのイースト川沿いのマンションが70平米で家賃3000ドル。これは東京よりも高いだろう。そのような家賃の高騰は、多くのホームレスを生みだしている。1990年は2万人ぐらいだったが、それから一貫として増加していき、現在で5万人以上である。しかも、これは統計で把握している数字であるので、実際はもっと多いと推測されている。
 実際、マンハッタンの街中を歩くと、驚くほど多くのホームレスの人達がいる。好況に沸くニューヨークであるが、その果実を味わうことができるのは一部の裕福層だけである。トランプ政権は経済が好況であること自慢しているが、その実態はハリボテ景気である。ホームレスでなくても、給料の半分以上を家賃で取られてしまう人達の割合も高く、表の数字はよくても実質的には貧相なアメリカ人の生活がホームレスの多さからも透けて見える。

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今週の標語「モチベーションがないとやる気が起きない」 [その他]

ううむ、これはうちのゼミ生の発言なのだけど、結構、衝撃的でしたね。とはいえ、モチベーションの意味には「やる気」も含まれるので、これはただ「やる気がないとやる気が起きない」と当たり前のことを言っているだけに過ぎないので衝撃を受けるようなことでも本来は無い筈です。「アペタイトがないので食べたくない」と言うようなものですね。英語を日本語で言い換えているだけです。それじゃあ、なぜ私が衝撃を受けたのでしょうか。それは、おそらく「やる気」というのはもう少しセルフ・コントロールというかセルフ・プロデュースしなくてはいけないからじゃないか、と思うからです。だって、会社員が「やる気がないから仕事をしません」って言えませんよね。私が所属しているバンドで「やる気がないから練習しなかった」って言ったらクビですよ。私はクビになりたくないので、まず練習しますけど、仮に練習しなくても「やる気がなかったから」とは拷問されても言わないなあ。だって、これって白状した時点で負けじゃないですか。というか、そもそも「やる気」がないことに時間を費やすほど残りの人生、長くないからねえ。
 つまり、モチベーションを上から与えてもらえる、などということはない筈なのに、そのようなことを期待していうこの学生に愕然とした訳です。自分がやる気が出してくれるモチベーションを待っていてもいつまでもそんなものは幻想だから得られないし、結果、そんな他力本願のやる気など滅多に出てこない。いや、出てくることもあるかもしれないですけど、そんな、天からお金が舞ってくるようなことを期待しないで自分でもっと積極的に生きなくっちゃ。って、これを誰が学生に気づかせるかと言ったらやはり指導教員の私でしょうか。あまりの衝撃に突っ込むタイミングを逸してしまいました。

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『百円の恋』 [映画批評]

安藤サクラ主演の2014年に公開された映画。安藤サクラ演じる一子の脆さと切なさがつくり出す世界に思わず、引き込まれる。映画の前半で、醜悪な脇腹を掻くシーンがあるのだが、その後、ボクサーを目指し初めてからは、贅肉がどんどん削がれて、鍛えられた身体になっていく。とてつもない役作りへの凄みである。イーストウッドの傑作『ミリオンダラー・ベイビー』を彷彿させるシーンもあるが、あくまでダメな32歳の女性でミリオンダラーではなくて、一貫して百円ベイビーではあるのだが、そうであるからこそ協力に見る者を揺さぶる力をこの映画は有しているのではないだろうか。久しぶりに、いい映画を観た。


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『7つの会議』 [映画批評]

人気サラリーマン小説家である池井戸潤の著書を映画化した作品。主演に狂言師の野村萬斎。基本、『半沢直樹』と相当内容的にも被る作品であり、出演者も香川照之、及川光博、片岡愛之助、とおなじみの顔ぶれである。話は、正直『半沢直樹』の方が楽しい。あと、野村萬斎は狂言師としては才能溢れているのかもしれないが、映画俳優としては、あまりにも演技が大袈裟で鼻につく。あんなサラリーマンいないからリアリティがむしろ遠のいてしまい、観ていて引いてしまう。
 ただ、私も15年間ほどサラリーマンをやっていたことがあるので、結構、身につまされるところもあって、観ているといろいろと考えさせられる。結局、組織を守るためにトカゲの尻尾切りのように社員を捨てていくというのは、この映画ほどドラマチックではないかもしれないが、似たようなことは起きている。映画の最後のシーンで野村萬斎が、日本のサラリーマンはサムライのDNAを引いているというような意見を述べるのだが、これはそうかもしれないなと考えさせられた。確かに、「お家」や「藩」を守るために個を犠牲にする、というのは現在のサラリーマンにも通じるところである。皆、会社にご奉公しているような気分になっているんだろうなあ。企業戦士という言葉もあったし。
 会社員をしていた頃、「会社のために貢献しないとダメだ」とか「それは会社のためにならない」、「会社の利益を求めなくちゃ」などと口うるさく主張していた後輩の社員がいた。私は、彼の発言を聞いていた「会社って何?」と思いましたね。「会社」は法人格を持っているけど、実際は見えたり、触れたりもしない、組織の共同幻想である。まあ、そんなことを言い始めたら国も共同幻想ですけどね。この共同幻想を維持するために、命を削るような必要はないと思うけど、逆に言うと、この共同幻想によって生活できたり、生き延びたりすることができている。すなわち、生活できたり、生き延びたりすることを保証してくれる限りにおいて貴重な時間をそれに捧げる価値があるけど、それが牙を剥いたらさっさと止めるべきであると思う。会社を選択する機会はあるのだし、自分が会社をつくることもできるのだから。そうそう、この愛社精神の塊のような後輩は、その後、出世ラインから外れて窓際的な仕事をさせられている。愛社精神があって、しかしそれを周りに押し付けるようなことをしていても、会社は成果が出ないと、必ずしも報いてくれないものである。
 ちなみに私は二回転職したが、二回とも転職して生活の質は上がった。ポイントは、嫌になったら辞められるように実力をつけておくこと。そのためにも、若い時に自分に投資することではないだろうか。そして、投資とは勉強をすることである。また、サラリーマンには本当、向き不向きがあって、向いてない人には辛い仕事であるということだ。これがなかなか学生は分かっていない。映画のヒロインが感じたような「虚しい会社人生」を送らないためにも、もっと滅私奉公的なサラリーマンではない、組織の歯車にならないような仕事や就業環境を探すべきであるかなと思ったりする。

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『論理的に解く力をつけよう』 [書評]

論理的思考を学生に教えるために、そのための優しい本をいろいろと物色しているのだが、この本はまったく役に立たないどころか、論理的思考の意義さえ疑わせるような駄本であった。そもそも、論理というのは言語によって構築される。しかし、この本の日本語はよく分からない。というか、問題がいろいろと提示されているのだが、その問題の趣旨が書かれている日本語を理解するのが結構、難儀なのだ。もう少し、言うと、もっと論理的に分かりやすく問題の趣旨を理解できるような日本語で書ける筈だと思うのだが、そのような論理性をあまり意識していない日本語なのだ。さらにいえば、その解説が論理的な日本語で書かれていない。いや、集中して読めば理解できない訳ではない。ただ、「論理的に」と言っている本で、論理的とはいえない解説をされてもなあ。
 また、その問題も「論理的に解く力」をつけるのに適切なものとは到底、言えない。実際、解答案も、もっと簡単にできるじゃない、とすぐ気づくようなものもあり、ちょっとしたクイズ本としてもこの本は使えない。私は、相当の駄本でも頑張って最後まで読むようにしていたのだが、この本は198頁のうち133頁で挫折して、本棚のスペースも無駄なのでゴミ箱に捨てた。いや、ブックオフに売ってもいいが、他人がこの本を読んで時間を無駄にするのも社会の損失かと思い、捨てました。
 失礼だが、この人の授業はつまらないだろうなあ。東京工業大学の先生ということなので、学生は飛びきり頭がいいかと思うが、それでもついていくのが大変な学生は多いのではないだろうか。よく考えれば、一応、東京大学の工学部を出ている私でも、ついていくのを諦めたからな。そして、これは「岩波ジュニア新書」である。中学生、高校生向けの本なのでしょう。なぜ、岩波の編集者がしっかりと直せなかったのか。この点はちょっと不思議である。

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リッキー・リー・ジョーンズ@NHK大阪ホール [ロック音楽]

リッキー・リー・ジョーンズが来日するというので、34年前の中野サンプラザ公演以来、観に行った。会場はNHK大阪ホール。編成はドラムとギターとリッキー・リー・ジョーンズだけという3人編成。ベースがない。また、ドラムは鉄琴も弾く。リッキー・リー・ジョーンズ、偉い太ったおばさんになっていて、昔のなんとも言えないアンニュイな雰囲気はまったくなくなっていた。64歳の堂々たるアメリカのおばさんという感じである。緊張の一曲目はWeasel and the White Boys Cool。この曲から入りますか。渋いな、流石。そして、Young Blood。ベースがないので、ちょっとノリが出にくい感じがしないでもないが、まあ楽しい気分になる。3曲目は、Chuck E's in Love。まあ、このお寿司で言えばウニのようなこの最高傑作をここに持ってきましたか。次いで、The Last Chance Texacoと一枚目からの曲を続けた後、3枚目からIt must be love。パリに住んでいた時に作った曲と紹介する。また、一枚目の曲に戻ってEasy Money。Lowell Georgeが発掘してくれたことの感謝を述べる。そして、「新しいアルバムからの曲です。私は寂しい人生を送っているので「Lonely People」という歌を披露します」と言って歌ったのは、なんとアメリカの「Lonely People」であった。まあ、嫌いな曲ではないが意外な選曲である。というか、リッキー・リー・ジョーンズは他人の歌はあまり似合わないと「My Funny Valentine」を出した時も思ったが、今日も改めてそう思わせられた。次は、アメリカの滅茶苦茶バカな大統領のことを歌いますと言って「Ugly Man」を歌う。とはいえ、今のトランプに比べればブッシュ・ジュニアはまだましだ。リッキーも、ナイスな大統領が次になったが、今は最悪だ、と述べていた。そして、ピアノに据わってCry Me a River を歌った後、パイレーツの一連の曲を弾く。ここで、リッキー・リー・ジョーンズ、ピアノを弾くようになったのはデビューアルバムが売れてからだ、と言う。そんな短期間で、こんなピアノだけで作曲した名曲揃いのパイレーツのアルバムを作ったのか、という事実に衝撃を受ける。前から、天才だとは思っていたけど、改めて本当の天才だったということを知る。We Belong Together, Living It Up, 一枚目のCoolsvilleを挟んで、Pirates, そして一枚目に戻ってOn Saturday Afternoon in 1963。いやはや、最近、リッキー・リー・ジョーンズの曲を全然、聴かなくなってしまっていたけど改めて、1枚目と2枚目は名曲揃いである。さて、またピアノからギターに戻って、The HorsesそしてLove is Gonna Bring Us Back Aliveと4枚目の2曲で終演。アンコールはなかった。
 改めて凄い音楽家だなと思わされたコンサートであったが、今回は、なんかいろいろとプライベートなことなども話して、ちょっとしたジャズバーのような感じのコンサートであった。まあ、これは前から2列目とステージにすこぶる近かったということもあったかもしれない。最初、ハイヒールを履いていたが、途中で、これは邪魔だ、と言って脱いだところとか、リッキーはこう構えないで等身大のところがいいのだな、ということを認識した。いやはや、いいコンサートであった。

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熊本市の都市度の高さに驚く [都市デザイン]

熊本市をぶらぶらしていて気づいたのは、この都市の都市度は高い。都市度とは何か。それは、都市のレベルのようなものであるが、ざっとぶらぶらと見ただけの印象だが、政令指定都市の浜松とは比べものにならないだけでなく、仙台市よりも都市度が高い。
 流石に福岡市は商業集積が高いし、地下鉄も西鉄も運行していれば、ホークスの本拠地でもあり、熊本市もそれには及ばないが、ただ熊本市の方が歴史がある分、何か格のようなものはあるような印象を受ける。強いていえば、ニューヨークに対してボストンが持っているような格である。
 さて、こういうことを書くと、仙台市の人が怒るかもしれないので、それなりに理由を書いた方がいいであろう。というのも、熊本市の人口は74万人である。それに比して仙台市の人口は108万人である。都市規模では仙台市の方が大きい。仙台市の小売業の事業所数は6360(2016年)。熊本市は4361。仙台市の方が多い。加えて、仙台市の方が大学を始めとした教育施設も集積している。地下鉄も二本、走っている。プロ野球の球団もある。
 しかし、人口密度は熊本市は1ヘクタール当たり19人。それに比して仙台市のそれは14人。さらに古本の人口当たり軒数をみると熊本市は1万人あたり0.19軒、仙台市は0.13軒。仙台市は東北大学を始めとした大学が多くあることを考えると、この数字の差は意外である。ただ、私はこの人口密度だけでなく、ここで指摘した古本屋の多さなどが、熊本市のアーバニティに関係しているように思えるのである。
 加えて熊本市の中心市街地には、クラブ通り、飲み屋通りなど、飲み屋の集積がとても多い。もちろん、仙台市にも国分町などがあるので、それなら負けてないと主張されるかもしれない。ただ、熊本市の飲み屋街の方が歩行者が歩きやすい、逆にいうと自動車が通りにくいような空間構造になっている。もう少し、大雑把にいうと、「飲兵衛に優しい」ような空間になっているのだ。いや、これは実際に酔っ払ってここを歩き回るような体験をしなくては何ともいえないのだが、熊本の下通り周辺のバリアフリーな歩行者主体の街路ネットワークはタクシーを拾える場所まで、千鳥足で歩いて行くことを可能にしているような印象を受ける。それに比して、仙台市の飲み屋街は結構、自動車が入ってこれることもあり、そういうのの優しさを感じたことはない。
 他にも熊本市の中心市街地は個店が仙台市のそれよりも多いような印象を受ける。いや、ここらへんは実際の統計を調べないと分からないが、単に人口の数だけで都市らしさ(アーバニティ)のを図ってはいけないということを問題提起させてくれるような都市であるように感じた。

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祖母山(日本百名山36座登頂) [日本百名山]

祖母山にチャレンジする。祖母山には3つの主要な登山口がある。神原登山口と尾平登山口、そして北谷登山口である。標高はそれぞれ390メートル、590メートル、1111メートル。これは絶対、北谷登山口であろう。町のホームページによると、北谷登山口の駐車場は使用できず、2.4キロメートル手前の一の鳥居の駐車場を使えとのこと。これもゴールデンウィークのみだけ開いているそうだ。これは、往復4.8キロメートルも余計に歩かなくてはならないが、標高は100メートル下がるだけなので、それでも北谷登山口に向かう。
 さて、ゴールデンウィーク中であったので、これは相当、駐車場が混むことを予測した。昨日、久住山の登山口の牧ノ戸登山口が6時過ぎで200台のキャパを越えていたことを考えると、15台しか駐車できない北谷登山口の一の鳥居の駐車場はあっという間に満車になるだろう。
(その情報源となった高千穂町のHP。http://takachiho-kanko.info/sightseeing/detail.php?log=1381220521
 ということで、熊本空港そばのホテルは2時ちょっと過ぎに起き、3時にはチェックアウトをした。北谷登山口は東へ60キロメートルちょっと。昨日の牧ノ戸登山口とほぼ距離は一緒である。私のレンタカーのナビは古くて、道路が工事中で通行止めの情報を反映させていないが、昨日、失敗したので同じ轍を二度は踏まない。スムーズに移動していく。北谷登山口の入り口が分からないのではと不安に思ったが、看板がしっかりと出ていたので、迷わず、そちらに向かうことができた。
 ホームページ等は登山口までの林道は車高が低いと気をつけろなどの注意をしていたが、それほどの悪路ではなかった。むしろ、拍子抜けしたぐらいだ。さて、一の鳥居の駐車場には5時過ぎ頃に着いたが誰一人、駐車していない。これは何だ。もしかして、一番乗り。そんな筈はないだろうと戸惑っていると、私の後ろから車が来て、そのまま真っ直ぐと進んでいく。これは、もしかして北谷登山口の駐車場まで行けるのか、とその車を追いかけていくと、果たして、北谷登山口の駐車場に多くの車が駐車していた。悔しいことに、私の前を走っていた車が最後のスポットを取ってしまったが、それから200メートルぐらい下りると、また10台以上は駐まれる駐車スペースがあった。しかも、さらにその下に駐車スペースがある。最近、増設したのであろうか。駐車スペースに関しては、北谷登山口、それほどホームページ等で言うほど心配しなくてもいいかもしれない。

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(5時30分頃、ちょうど満車になった北谷登山口の駐車場。というか、駐車できるのであれば早くいってよ、みたいな気分。それとも平成31年ではなくて令和元年になったので、情報は古いとでも言い訳をするのだろうか)

 ということで、5時45分には登山を始めた。北谷登山口から祖母山までには二つのルートがあるが、千間平、三県界を通る尾根ルートを取ることにした。このルートはそれぞれの合目に看板が設置され、さらには標高を示す看板も置かれているので、安心して登っていくことができる。ちなみに、それぞれの通過時間は、一合目が5時46分、二合目は6時17分、三合目は6時29分、四合目は6時41分、五合目は6時54分、六合目は7時17分、七合目は7時25分、八合目は7時38分、九合目は7時59分、山頂は8時20分であった。一合目から二合目まで時間がかかったのは、ストックが壊れたので、それを直そうとするのに時間がかかったからだ。一合目から四合目までは、結構、標高を稼ぐために登り坂は比較的厳しいが、それから七合目と八合目の中間にある国観峠までは尾根沿いのなだらかな登山道となる。ただ、展望は決してよくない。ただ、三合目ぐらいまでは植林の杉林が多く、緑のコンクリートのような無粋な森の中を歩いていくが、それ以降は広葉樹林が発達してきて目には優しい。国観峠から山頂までは、滑りやすい道が続く。ところどころに紐があり、これに頼って登っていく感じになる。登りはまだしも、下りは厳しいだろう。ただ、最近、雨が降っていないのか、事前にホームページ等で収集した情報に比べると、それほど困らずに山頂まで行くことができた。
 山頂は九重連山、阿蘇山を含む360度の大展望を楽しむことができる。今日も天気はよかったので、展望には恵まれた。
 さて、復路は往路と同じ道をと考えていたのだが、あまり面白くなかったので、「危険箇所あり、注意」との看板があり、単独行なのでちょっと怯んだが、幸い、比較的よくある太股の張りや膝の痛みがないのと、下山開始時が8時30分ということもあり、思い切って「風穴コース」を取ることにした。風穴コースは、急な窪地を下りていくため、ロープや梯子も多くある。ただ、昔は梯子をみると、ゲゲッと思ったが、最近ではむしろ楽なのでラッキーと思うようになっているので、そんなに苦にはしなかった。とはいえ、ちょっと段差があるところの着地で滑ったのと、木に足をかけたら、それが滑ったので、二回ほど尻餅をついた。幸い、怪我にはならなかったが、気をつけていてもこの泥のような登山道は滑る。さて、まあ、登山ルート的には往路に比べて、風穴コースは難度は高かったが、周辺の景観はとてもよく、こちらを選んで大正解であった。まず、往路ではほとんど見られなかった「ツクシアケボノツツジ」が蕾から、咲き始めているものまで多くあり、その派手でいて上品なピンク色が目を楽しませてくれた。風穴はただの洞穴にしか見えず、全然、感心しなかったが、登山口そばでは渓流沿いに歩いていき、その渓流美もなかなかのものであった。変化もあり、こちらの方がずっと楽しめる。往路は、国観峠の展望は悪くないし、八合目までなだらかな登山道であることや、看板が充実していて安心して登山できることはプラスではあるが、登山自体の楽しみは風穴コースの方が数倍優れているのではないかと思われる。
 とはいえ、初めて祖母山を登るのであれば、いきなり風穴コースはびびるかもしれない。
さて、風穴コースで一番迷ったのが、登山口そばの林道に出たところ。左に行けばいいのか、右に行けばいいのか分からない。正解は左なのだが、私は携帯電話でチェックしようとしたがグーグルマップが使えず、結局、町のホームページの拡大地図を見て確認した。看板を設置した人は、ここは置かなくてもいいだろうと思ったのかもしれないが、一番、重要な分岐点であるような気がしないでもない。
 登山口に戻ったのは10時45分。ということで5時間の行程であった。


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(しばらくは緑のコンクリートのような生態系的にもいびつな自然の中を歩いて行く。無粋)

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(ただ、3合目を越えたあたりから、広葉樹林が発達してくる)

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(祖母山登山の敵が、この滑りやすい登山道)

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(尾根沿いの登山ルートは合目ごとに貴重な情報が提供されていて有り難い)

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(合目ごとの情報だけでなく、節目の標高となる場所でも看板が設置されている)

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(国観峠から祖母山を仰ぐ)

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(八合目から山頂までは、さらに登山道が滑りやすくなる。雨が降ると、本当、悲惨な登山になるだろう。よかった、晴れていて)

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(山頂)

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(山頂からの素晴らしい展望。これは南側をみたところ)

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(山頂から九重連山を見る)

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(山頂から阿蘇連山を見る)

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(ツクシアケボノツツジがちょうど咲いていた)

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(ツクシアケボノツツジの見事なピンク)

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(ツクシアケボノツツジと祖母山周辺の山の見事なコントラスト)

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(風穴コースは「危険」看板が多い)

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(梯子や紐なども多く備え付けられている)

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(またツクシアケボノツツジ。ツツジというよりかは桜のよう)

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(巨大な岩がある場所から祖母山を見る)

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(またまたツクシアケボノツツジ。これを見ただけでも風穴コースを選んで大正解)

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(風穴コースの目玉である風穴は、その有り難みがよく分からなかった)

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(ツクシアケボノツツジ以外にも可憐な紫のスミレが登山道沿いに咲いていた。可憐だ)

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(風穴コースは登山口近くでは渓流沿いに歩いて行く。これもなかなかよかった)



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九重山((日本百名山35座登頂) [日本百名山]

ゴールデンウィークに百名山の久住山に挑戦する。大型連休ということもあり、九重山(ちなみに久住山と九重山の違いであるが、前者は百名山の山、後者はこれを含む連山を指す時に使うようだ)周辺のホテルは料金がべらぼうに高いものを除けば満室。しかたがないので、熊本空港そばの宿を取る。登山口から60キロほど離れている。早朝、4時30分に出発。5時30分過ぎには着くだろうと思っていたら、なんと国道が工事で通行止め。阿蘇の山麓の道を迂回していくことになり、大幅な時間のロス。結局、牧ノ戸登山口に着いたのは6時過ぎであった。
 さて、この駐車場は200台分あるので、私は流石に駐車できるだろうと高を括っていたのだが、すでに満車であった。恐るべき、ゴールデンウィーク。仕方がないので路駐。さて、結局、登山口から登山をし始めたのは、6時30分くらい。最初はいきなり階段が続く。この階段がアスファルトの絨毯のようなもので覆われていてとても風情がない。とはいえ、おかげで急坂であるにも関わらず歩きやすい。

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(6時30分ちょっと前の牧ノ戸登山口の駐車場)

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(牧ノ戸登山口)

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(牧ノ戸登山口からはアスファルトが絨毯のように敷かれた階段状の坂道を上っていく)

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(朝日を反射して輝くような九重山をみながら標高を稼いでいく)

 この急坂は、沓掛山まで続く。沓掛山は牧ノ戸登山口からは30分ぐらい。ここからは九重連山が展望できる。沓掛山からは梯子などで坂を今度は下りる。ここらへんは上りと下りとでルートが分かれている(左通行)ようなのだが、あまり守られていない。私も下る時にそうであることに気づいた。
 さて、この坂を下りた後は、しばらくなだらかな登り坂が続く。楽ではあるが、逆にアスファルト舗装がなくなり、若干、滑りにくい泥道になるので、その点は留意した方がいいかもしれない。扇ヶ鼻との分岐点にたどり着くと、本当に平坦でなだらかな草原を通っていく。この草原は西千里が浜と呼ばれており、夏になるとコスモスなどの高原植物が美しいようなのだが、今日はまったくそのような色彩的な美しさとは無縁であった。クマザサの緑が目に新しいくらいの色彩の貧困さである。左手に星生山を見ながら歩くと、展望が広がり、久住山をはじめとした九重連山が見える。とはいえ、中岳は見えない。坂を下りると、避難小屋とトイレがある。そのまま、まっすぐ礫の坂を登っていき、中岳との分岐点を右に行くと、久住山に辿りつくことができる。下からみると結構、遠くに見えたが、実際、登っているとそれほどきつくはなかった。避難小屋からおよそ30分ぐらいだろうか。

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(7時30分には扇ヶ鼻との分岐点に着く)

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(西千里が浜は平で歩きやすい)

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(雄大な西千里が浜は歩いていて快適である。大体、ここを下りで通り過ぎたのは10時30分)

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(西千里が浜を過ぎると、九重山の山々の雄大な展望が開ける)

 幸い、天気に恵まれたこともあり、久住山からは見事な360度の展望を楽しむことができた。特に阿蘇山の優大な姿が印象に残っている。祖母山も見えた。ここで、簡単におにぎりなどを頬張る。空腹を満たすというよりかは荷物を軽くしたかったからだ。

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(久住山の山頂から三俣山の方を展望する。山頂に登ったのは8時30分ほど。ほぼ2時間の行程)

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(久住山の山頂から阿蘇山の方面を展望する)

その後、中岳分岐点まで戻り、中岳にチャレンジする。これは、九重連山の最高峰は中岳であるからだ。中岳への道は遠いが、それまでまったく姿が見えなかった御池という小さなカルデラ湖を展望することができたのは嬉しかった。というのも、この時期の久住山というか、九重連山は、色彩が貧相だ。黒と白と黄色の絵の具で表現できるような風景となっている。まるで、老いたライオンのような色なのだ。これは、あとひと月もすれば花も咲き、様変わりするのかもしれないが、ゴールデンウィークの九重山は岩だらけの、イメージ的にはまるで火星のような風景の山であった。もっと、女性的というかたおやかな山のイメージがあったので、これは意外であったが、活火山であることを考えればこのような風景であることは当然かもしれない。これまでに登った百名山では十勝岳をちょっと連想させた。まあ、そういうこともあって、御池の水の色はちょっと景色の変化をもたらしてくれて登山をする身にとっては有り難かった。御池はカルデラ湖(カルデラ池?)であることもあり、澄んでいて美しい色を放っていた。

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(中岳に行く登山道は御池を迂回していくことになる)

 さて、中岳に登頂するのは九重山よりかはちょっと難儀であった。そこからの展望は九重山がどっしりと見えるのと、九重山からは見えなかった御池が見えるので、より優れているかもしれない。避難小屋から山頂までの時間は久住山より中岳の方が倍とは言わないが、1.5倍は長いと思われる。ちなみに避難小屋から中岳に直接、行く場合はちょっとしたショートカットがあるので、それを使われるといいかと思う。

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(登山口から中岳の山頂を望む)

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(中岳の山頂。9時30分に登頂。出発してからほぼ3時間)

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(噴煙を目撃すると、ここが依然として活火山であることを再確認する)

 帰りは楽ではあるが、私は得意になって速く下りると膝を痛める癖があるので、今日は逸る気持ちを抑えてゆっくりと下りた。お陰で心地よい疲労以外、特に身体を痛めずに下山することができた。下山したのは11時30分をちょっと回っていた。総じて5時間ちょっとの登山であった。
 沓掛山から下りる途中、牧ノ戸登山口周辺の道路をみると、長蛇の路駐の列が繋がっていた。どれだけの人が今日、九重山の登山に参加したのだろうか。私は二年前、ゴールデンウィークに筑波山に登ったことがあるのだが、その時はもう大渋滞で、まともに歩けないほどであった。それを体験したこともあったので、今日の人数ぐらいでは驚かなかったが、はしごのところなどでは待ち行列ができていたし、狭い登山道では随分と人を待ったり、待たせたりもした。小さな子供なども登山にチャレンジさせられたり、また赤ちゃんや犬を背負って登山していた人などもいたが、そんなに簡単な登山ではないような印象も受けた。

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(帰りに目撃した駐車場に駐車できない自動車がつくった長蛇の路駐の列)

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(多くの登山客が久住山へ続く礫の登山道を登っていく)

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