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イギリスがEUを離脱した時には、ロンドン・コーリングを聞きたくなる [グローバルな問題]

イギリスがEUを24日に離脱した。東証の日経平均株価は1200円以上も下落した。ということで、随分と将来は混沌してきた。どうなるんだろうなあ、人類。こういう不安な時に何か聞きたいな、と思った時に浮かんだのがザ・クラッシュのロンドン・コーリング。シングルは1979年12月に同名のアルバムと同時に発表された凄まじいメッセージ性を有した名曲である。
 ロンドン・コーリングは、ロンドンから発信しています、というような意味である。
 テームズ川の氾濫への不安、氷河期への不安、メルトダウンの不安、小麦の不作への不安・・・という不安だらけだけど、俺はおそれない、と歌っている。
「俺達は斜面を滑り落ちまいとあがき、爪の先で引っ掛かっている。誰も俺達を助けてはくれない」。

まあ、ここまでの状況になると、またパンクが必要だな、イギリスは。そして、おそらく日本も。

https://www.youtube.com/watch?v=4vHvzybkqfo


London Calling

London Calling

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2000/01/27
  • メディア: CD


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郡上市の石徹白を訪れる [サステイナブルな問題]

 岐阜県の郡上市を訪れ、石徹白まで足を伸ばす。郡上八幡から車で1時間ほどのところである。岐阜県と福井県の県境にあり、ちょっと前までは福井県に属していた。人口は1200人から270人と大幅に縮小した。
 石徹白にIターンで来られた、平野さんという東京大学の修士号を取得され、外資系コンサルや商業開発デザイン事務所などで活躍された超エリートの方にお話を聞かせてもらった。
 白山信仰の集落であり、2700ある白山神社の頂点の一つである。集落は、夏は宿坊、冬は宣教師のようにお札を配っていたりした。信仰を基軸にしていたこともあり、外から来る人達によって維持されてきたという経緯もあり、他者を受け入れやすいという土壌がある。
 2007年に地域づくり協議会というNPOが設置される。平野さんは水力発電をここでやりたいと考え、ここに相談して受け入れてもらった。
 石徹白というと水力発電だろう、と勝手に思っていたが、どうも地元ではそれほど水力発電には関心はなかったらしい。
 2009年に平野さんは協議会の事務局をやることになり、公式HPやカフェの立ち上げの手伝いをされた。
 そして水車を復活させる。この水車によってメディアに載るようになり、移住者も徐々に増えていくことになる。8年間で13世帯、32人が移住してきた。集落の約1割が移住世帯である。移住者は、最初はIターンが多かったが、最近ではUターンも増えている。
 キーワードとしては自治。全戸出資で農協をつくり直し、そして発電所を完成させた。総費用は2億4千万円。しかし、補助金があったので6000万円は出費した。これを100世帯で分担している。地元の人達が何しろ凄い。
 それまでも農業用水の水路に段差があったところで発電をしていた。大正13年に発電所を200世帯でつくったという歴史がある。集落全体に電線までも強いている。昭和30年頃までは、この集落は自分のことは自分でしていたのである。それぐらいの意志決定をこの集落では行うことができたのである。
「皆で一緒に何かやろう、というのがなくなると人口は減っていく」と平野さんは言う。仕事をつくるとか、公的なことをする、とか昔はもっとやっていた。「こういうことをしなくなると、衰退は進んでいく」という平野さんの言葉はとても重く、本質を突いている。
 皆で、何かやろうというので発電所をつくることにした。17人の発起人がいた。これは自治会が中心である。自治会は最高意志決定機関である。大きな事業は自治会で決まっていく。
 もう一つのキーワードは子育てである。田舎暮らしをしたい人には、ここ石徹白より、もっと便利なところに移住することを進めている。ここには仕事がないので、新しく仕事をつくりたい人でないと難しい。地元の人も外の人も仕事をつくっていこうとしているのが石徹白のポイントである。そして、外の人と地元の人を繋ぐのは子供の力である。卒業式は地元の人達がやってきて祝ってくれる。地元のおじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられて、子供はここで育っていくのである。
 インターンで若者がやってくるが、彼ら・彼女らは、集落の人達が皆、ライフストーリーを語れる、ということに驚くそうだ。しかも、そのストーリーは多種多様であるそうだ。
 とはいえ、課題は山積みである。まず、山をどうするか。その維持管理費をどうやって捻出するか。高齢者の買い物支援なども問題である。
 しかし、自立的にやっている街、コミュニティは強い。人は履歴書を少しでも格好よいものにしようとして頑張ったり(はい、私です)、退職金の額を気にしたりした時に堕落し、しっかりと生きていけなくなる。そのようなことを気にもしない人達が結束すれば、どうにかなるということを石徹白の話を聞いていて改めて思わされた。

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(ただ、地面に乗っけただけの木造の建物)

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(その内側)

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(カフェにてお話を聞く)

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四阿山(日本百名山登頂16座) [日本百名山]

日本百名山の四阿山への日帰り登山をチャレンジする。05:56に都立大学駅発の電車に乗り、大宮で新幹線。08:27に上田駅に到着し、上田駅そばの日産レンタカーで自動車を借り、その後、セブンイレブンで昼食を購入し、菅平牧場へ向かう。菅平牧場の入り口では入場料を一人当たり200円ほど取られる。到着したのは10時ちょっと過ぎ。日産レンタカーは8時30分開業なので、四阿山の登山口に着くには、これがおそらくもっとも早い時間であろう。とはいえ、登山口そばの菅平牧場の駐車場は平日であるにも関わらず既に結構、混んでいた。
 また、天気予報は雨40%であったが、駐車場からは四阿山まで展望できる。快晴とまではいえないが、いい具合で日は照っている。出発時間は10:15。つつじの花が咲き誇る白樺と熊笹の森の中を歩いて行く。快適だ。高原らしい気持ちよい気候の中、歩を進めていくが徐々に坂は急になっていく。中四阿に着いたのは12:00頃。根古岳の展望が素場らしい。
 さて、特別に急という訳ではないが、延々と続く坂道に、2時間ぐらいしか寝なかったこともあって根古岳との分岐点が近づいた辺りで、肉離れを起こしそうになる。一生懸命、肉離れをしそうな足を宥めつつ登っていったこともあり、途中からペースは大幅にダウンする。天候も頂上が近づくにつれガスの濃度が濃くなり、視界も悪くなる。
 途中でゆっくりとなったために、四阿山に辿り着いたのは13:15。生憎、展望は限定的である。ここで昼ご飯。いつも同行しているゼミの卒業生が今回は来られなかったので、私が初めてガスボンベで湯を沸かす。実際やってみれば簡単であったが、最初ということもあって緊張する。カップ麺とおにぎり、魚肉ソーセージなどを食べ、ドリップ式のコーヒーを入れたりしていると1時間があっという間に経ってしまった。頂上で記念写真を撮影した時は、もうガスで被われていて、展望はないに等しい。
 14:15に出発。ガスとともに気温も急激に低下し、手袋をしないと寒いぐらいである。こういうのが山の怖いところだ。帰路は、足も全然、痛くなく、結構、いいペースで歩いて降りることができたのだが15:30頃から雨が降り出し、最後はほぼ雨の中を歩いて帰ることになる。雨だと疲労は増す。駐車場に到着したのは16:15であった。昼食の休憩の一時間を含んで、ほぼ6時間の登山であった。
 四阿山はちょうどつづじが満開に近く、午前中は天気もよく大変快適な旅であった。

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(登山口の入り口)

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(登山口から四阿山を望む)

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(つつじは満開でした)

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(時々、四阿山が姿を現します)

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(中四阿)

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(頂上に登った時は、周辺はガスで被われていました)

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(登頂での記念撮影)
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パティ・スミスの朗読会に行く [ロック音楽]

パティ・スミスがギンズバーグの詩の朗読会をすみだトリフォニーホール・ホールでする。あまり関心はなかったのだが、私が敬愛する下北沢のロックバー『マザー』のオーナーに誘われたので行ったら、凄くよかった。何がよかったか、というとそれはパティ・スミスの圧倒的な存在感というかカリスマであろう。ギンズバーグの詩をフィリップ・グラスのピアノの伴走をバックに朗読するパティ・スミスには、とてつもなく惹きつけられるものがある。そして、詩の朗読だけではなく、People Have the Powerなども演奏した。ニューヨークのロックといえば、KissやNew York Dolls、Laura Nyroなどが浮かぶ。私はこの中では圧倒的にLaura Nyroが好きであったのだが、パティ・スミスをあまり聴いていなかったことを強く反省させられた。私の世界観を広げてくれるようなコンサートであった。

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北沢デザイン会議に出席し、用途地域制の矛盾を知る [都市デザイン]

 世田谷区の下北沢再開発がらみの北沢デザイン会議に出席する。これは、下北沢の小田急線が地下化したことで創出された上部空間をどのように利用するのか、また補助54号線の整備イメージなどについて、世田谷区側と住民とか意見交換をする場である。
 さて、ここで小田急線の上部空間の利用について議論が紛糾した。小田急線の上部空間は大きく、世田谷区と小田急の土地に分類された。そこで、小田急側の土地において、小田急が賃貸住宅を建てたことについて、住民側がその公共性のない土地利用について疑義を呈示したのに対して、世田谷区側がそんなこと言ってもしょうがないだろう、と言い返したので、会場は騒然とした。
 私は、小田急の土地であっても、その土地利用については、世田谷区は指定しているだろうと考え、その土地利用指定を担当者に尋ねたら、しっかりと指定していると回答した。そして「住宅が建てられない用途地域はない」と付け加えた。そうなのである。そもそも用途地域は住宅環境を守るために発展してきたこともあり、住宅以外の用途についての規制はあっても、住宅を建ててはいけないという用途地域は、工業用途ぐらいしかないのである。
 さて、しかし、今回の上部空間は連続立体交差事業で生み出された空間である。これは鉄道事業者の費用負担は10%以下で済む事業であり、9割以上が血税で賄われる事業である。踏切などの社会へのマイナス効果をこれまで周辺住民に押しつけていたことを考えれば、踏切をなくす事業を行うために全体の1割ぐらいを負担するのは当然であろうとも考えられる。そのように考えると、上部空間の土地に賃貸住宅を建てるというのは、あまりにも強欲であるというか、地域住民のことを無視している、と住民が怒るのもよく理解できる。
 とはいえ、そのような事態を生み出していることに対して、世田谷区側にミスがあった訳ではない。それは、用途地域制度がこのような事態に対応できないことが悪いのである。
 そもそも日本には12しか用途地域がない。クリチバ市が40以上あったり、サンフランシスコ市が特徴ある道には、それぞれにゾーニング指定をしたりしているのとは大違いである。しかも、私が指摘しているのは市レベルであるが、日本はこれだけ多様で広大なる国土を有しているのに、一律の用途地域を国が押しつけている。そのような状況が、今回のような小田急線の上部空間をしっかりと都市計画的に規制できない事態を生じてしまい、その結果、多くの住民の憤怒を感じてしまったのである。
 時代遅れで、地域の特性を反映することができないような用途地域制度は早急に改訂することが望まれる。ということを改めて知った北沢デザイン会議であった。

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