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人々に感謝されてお金を払ってもらう仕事はいい仕事じゃないか、という考察 [教育論]

私が働く大学のそばに半端なく美味しいうどん屋さんがあります。土日のお昼は長蛇の列ができる人気店です。先日、それほどお客さんがいない平日の夜に伺い、そこのご主人と仕事のお話をしました。先日、このブログにも書かせてもらった学生の仕事観(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2023-01-11)についていろいろと考えるところがあったので、このような人気のうどん店を営むご主人の考えも聞きたいと思ったからです。

「ご主人は、やっぱりうどん屋が天職だと思われます」(私)
「天職だと思いますねえ。うどん、大好きですし」(ご主人)
「ある意味、趣味的なものを仕事にされていると捉えてもいいですかね」(私)
「そうですね。他にそんなに趣味がないんで、うどんが一番の趣味ですかね」(ご主人)
「ここのうどんを食べてお金を払うとき、ほとんどのお客さんは、有り難うという気持ちを込めてお金を払うと思うんですよね。これって仕事としては理想的かと思うのですが」(私)
「そう言ってもらえると素直に嬉しいですね」(ご主人)

この会話で改めて思ったのですが、人はお金を払う時、いやいや仕方ないから払う時と、喜んで払う時があります。前者は駐車違反の罰金とか、電気代とか(使っているけど)、家賃とか(住んでいるけど)ではないでしょうか。喜んでお金を払うことって、あんまりないですよね。通常、物を買う時はよほど欲しいものが手に入る時以外は、仕方ないなと思って払っていると思うのです。

しかし、お金には自分の気持ちを入れ込むことができます。お年玉とかはそうでしょう。感謝の気持ちを示したい時に、お金を渡すというのは、嫌らしいようにも思われがちですが、結構便利なものかと思います。私はギターの先生に渡すお金は、感謝の気持ちが込められていると思います。そして、ここのうどんの代金は、本当、こういう美味しいうどんをつくってくれる技量と情熱を持っていただいて有り難う、という気持ちが込められています。

さて、このように人々に感謝されるような仕事はとてもいい仕事じゃないか、と思います。そして、その仕事が自分の情熱を持てるもの、だとさらにいいです。そして、仕事が、そのような情熱を持てるもののスキルを向上させるものであるとさらにいいでしょう。仕事の経験が、仕事のプロフェッショナル性を高めるようなことです。本来はそういう情熱を持てるものに学生時代は力を入れるべきだと思います。つまらない仕事をしないために。よく、「つぶしが利くから」といって進学する学部を決める学生がいますが、そういう奴に限って60歳ぐらいになると「つぶしが効かなく」なっているように見えます。「つぶし」より情熱の方がずっと大事ですから。

うどん屋のご主人、とても魅力的ですが、それは情熱を持って仕事に打ち込めているからだと思います。件の学生は、ちょっとした情熱を持っているところが勿体ないと思います。なぜなら、生活をするために仕事に追われると、その趣味(この学生の場合はギター)を楽しむ時間もどんどんと削られ、そのうちその情熱もなくなってしまうから。私も趣味を復活できたのはサラリーマンを辞めて、大学教員になってからですから。

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