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宇都宮のライトレール関係のシンポジウムに出席して、その将来に不安を覚える [都市デザイン]

宇都宮のライトレールが来年、開業する。宇都宮駅の東口の再開発事業も先月、まちびらきをした。ということで、宇都宮は盛り上がっていて、都市計画学会の大会も宇都宮市で開催される。そして、大会の初日にシンポジウムが開催された。基調講演の古池弘隆先生は、流石、その深い知識、まちづくりのそれまでの長年にわたるコミットメントから、大変、いいお話を聞くことができた。古池先生、もう82歳とかだと思うが、まったく衰えを感じさせず、その説得力のある話には引き込まれた。そして、古池先生なくして宇都宮にライトレールがつくられることはなかっただろう、ということを改めて確認した。
 しかし、その後のパネル・ディスカッションは非常に今ひとつであった。学者代表のシビック・プライドの伊藤香織先生はさすがしっかりとしていたが、パネリストの役人などがあまりにも無能で軽薄であったのはあきれ果てた。もう、「豊かな地方の生活」「モビリティの充実」などクリシェのオンパレードで、その事業に対しての責任感が皆無で、こういう奴らが地方都市を駄目にするんだな、ということを改めて知る。いつから、こんなに役人は無能になったのか。こういう奴らが都市政策を担っていたら、上手くいく訳はないな、とこのままでは日本の将来が暗いなと思う。
 宇都宮ライトレールには素晴らしい点はあり、それなりに評価に値するところはあるが、問題も多い。まず、恐ろしいほど高規格であるということだ。税金の無駄遣いと指摘されて、その実現も危ぶまれた事業であるのに、なぜ、こんなに立派なものをつくってしまったのか。国からの補助金があったとしても、半分は地元も負担しなくてはならない。せめて東京都の都電ぐらいのチープな規格でつくることはできなかったのであろうか。あと、交通計画と土地利用計画など他の施策との整合性がしっかりと取られているのかが不安に思う。
 宇都宮ライトレールが具体化できたのは、2016年にその推進派である現職の市長が市長選で、僅差で勝ったからである。反対派はこんなものにお金を使わずに福祉・教育・医療に使うべきだと主張したようである。しかし、ヨーロッパやブラジルのクリチバでは公共交通は福祉施策である。自動車が持てない人、自動車の免許が取れない若者、さらには高齢になって自動車の運転に不安な人に「アクセシビリティ」という生活の質と直結する公共サービスを提供するのは、福祉政策そのものに近い。しかも、反対派を支持したのは高齢者ということだから、それはまったくもって市役所がそういう理解もできていないことを反映している。
 あとライトレールは「赤字ではない」といった反対派に対抗したビラを配ったりしたが、赤字にならない訳はないだろう。公共交通はそもそも赤字である。赤字じゃない国は日本ぐらいだ。日本人が大好きなポートランドのライトレールなんて、ランニング・コストの8割が赤字である。日本では絶対、受け入れられないレベルでの赤字である。
 ライトレールをつぶそうと考えていたちょっと前の栃木県知事は、渋滞を解消するなら鬼怒川に橋をあと3本ぐらい架ければいいと言ったそうだが、橋は悪いけど、超絶赤字事業である。通行料を取れば別だが、そうでなければ収入がないので赤字だ。赤字事業だから止めろ、というのであれば、道路もつくれなくなってしまう。
宇都宮ライトレール株式会社の社長が、最後にマイクを握ってこの二人の役人に向かって「ライトレールが走れば上手くいく訳じゃないんです。市街地調整区域のままじゃあ、誰も利用しないんです」と叫ぶように訴えたのは印象的であった。しかし、この役人達には、その魂の叫びは届かないような気もする。宇都宮にライトレールが走るのは、非常に喜ばしいし、宇都宮市にとってもプラスになるとは思うが、これは栃木県の役人が「成功事例として他の都市の模範になれるといい」といったようなことにはならないと思う。成功事例にするには、宇都宮ライトレール株式会社がそれこそ必死に頑張っているのを、栃木県や宇都宮市役所の職員が全力で支援することが必要だが、今日のパネル・ディスカッションでの話のレベルの低さ、コミットメントの気持ちの無さ、からは難しいであろう。一点、役人は異動があるので、それだけが救いの種かもしれない。


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