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日本の人口減少について考察する [サステイナブルな問題]

国際日本文化研究センターで「縮小社会の文化創造」の研究グループの研究員を3年間ほどしてきて、先日、その集大成を京都国際マンガミュージアムで展示をし、またシンポジウムも開催した。
 この研究グループの研究の視点は、文化芸術や福祉だったりして、私のディシプリンとは違うのでたいへん興味深かった。その研究を経て、自分なりに改めて理解したことは次のようなことである。
 縮小問題というのは、日本人の人口が縮小するという問題であり、これは極めて地域限定的な問題である。世界の人口は今でも増加しており、むしろ人口増加が人類的な課題である。そういう観点からすると、むしろ日本において人口が減少しているのは、地球上のバランスを考えると喜ばしい。というか、すべての国が減少を嫌がり、増加しようとすれば、そのうち人類が依存する地球の資源はなくなってしまう。そうでなくても、エコロジカル・フットプリントという考え方では、アメリカ人と同じようなライフスタイルを前人類がしようとすれば、地球があと2つ必要なのだ。地球という閉じた環境系の中で人類が生き延びるのであれば、どこかが成長するのであれば、どこかがそれを相殺するように減少しなければ、人類は滅びてしまう。「共有地の悲劇」の地球版だ
さて、しかし日本人の人口減少は、日本人にとっては大きな問題であるように捉えられている印象も受ける。それはどうしてか。まず合計特殊出生率が再生産の基準を大きく下回っていることもあり、そのうち「日本が消滅する」と指摘する人がいる(例えば朝比奈一郎、イーロン・マスクなどである)。しかし、「日本が消滅する」の日本って、一体何なのか。日本という国土は合計特殊出生率の低さでは消滅しない。それが消滅するのは、「日本人」が地球上からいなくなるということだが、ここで考えなくてはいけないことは「日本人」とは何かということだ。
 「日本人」は日本民族であるという考え方に則ったとしても、それはそもそも弥生民族、縄文民族の混血である。そう考えると、「日本人」という血統に拘ることはあまり意味がないことが分かる。そもそも、犬じゃああるまいし、血統を意識する必要もほとんどないと思われる。
 そもそも、人々が思っている多くの「日本人」が混血である。ローラはインドの血が半分入っていて、日本人の血は1/4だが、「日本人」であろう。ドナルド・キーンは「日本人」の血が一滴も入っていないが「日本人」であろう。というか、多くの「100%純血」(ということがどういうことか、科学的には分からないが)の「日本人」より「日本人」であると思う。逆にいえば大坂なおみは「日本人」より「アメリカ人」である。国籍は「日本人」かもしれないが、3歳からアメリカに住んでいるし、英語の方が日本語よりはるかに堪能である。
 そのように考えると、「日本人」の血統のようなものと「日本人」とは違う。すなわち、地球上から消滅して困るのは「日本人」の血統のようなものではなく、ドナルド・キーンなども含む「日本人」というものであるということだ。さて、それでは、そのような「日本人」が地球上から消滅すると何が困るのであろうか。
 まず考えられるのは日本語である。日本語というのは、日本人しか使用していない言語であるため、「日本人」が消滅すると、日本語を未来に継承する役割を担う人達がいなくなる。これは人類的には損失が大きいと思われる。なぜなら、日本語はそれによる文学を長い期間、生み出してきたからである。このような言語は、それほど多くない。そのような文学は日本語を使う人がなくなると忘れ去られる可能性は大きい。これは未来の人類にとってはもったいないことだ。
 あと、日本料理や日本酒などの日本のユニークな生活文化の未来への継承者もゼロとはいわないが、相当、少なくなるであろう。
 すなわち、人類の多様性の一部を構成するグループがいなくなることによる人類の損失は大きいと思われるのだ。ただし、それらを継承するのは「日本人」の血を引き継いでいる必要性はゼロである。上記の文化を継承してくれるものが消滅するのは、いろいろと人類的観点からも損失があるが、そのような人が存在していれば構わない。それは、祖先が日本人である必要はゼロだ。ドナルド・キーンがまさに「日本人」であるというのは、そういう意味からである。
 そのように考えると、人類的には、それだけのマスが次世代にも存在し続ければ問題がなく、日本という限られた地域経済を維持するために、日本人の数を確保させようとすることは、極めて短期的な視野でものごとを捉えすぎである。そもそも、日本はヨーロッパ大陸で一番、人口が多いドイツ(ロシアを除く)と同じ国土であるのに、人口は1.5倍も多いことから分かるように、人口は国土に比して、多すぎるのだ。しかも、ドイツと違って、東京や大阪といった大都市圏に人口の偏りが甚だしい状況になっているのが問題なのだ。
 そして、日本の人口が少なくなり、エコロジカル・フットプリント的にも日本列島の国土と同じぐらいの規模(すなわち、サステイナブルであるということ)にまで落ち着けば、必然的に人口は、それ以上は減らなくなると思われる。成長曲線は一次線形ではなくロジスティック・カーブを描く。縮小曲線もロジスティック・カーブを描くと考える方が妥当である。
 ということで、地球的規模でみれば、日本の人口減少などは問題どころか、むしろ解決策であり、さらに、日本の立場から考えても、守らなくてはならないのは国民の数というよりかは、日本の言語を含む文化を次世代に継承する人達の確保ということが、国際日本文化研究センターの研究を通じて理解したことである。

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