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Get Back (第一話) [ロック音楽]

ディズニー・プラスが動画配信をしている「Get Back(第一話)」を観た。これは、1969年1月に行われた「ゲット・バック・セッション」の様子を時系列で追ったドキュメンタリーである。ホワイト・アルバム発表後、ブライアン・エプスタインが亡くなったこともあり、ビートルズは迷走していた。そのような状況を打開するために、ポールはデビュー時のようにオーバーダビングなしのライブでアルバムをつくり、コンサートツアーを行うことを提案した。このアルバムが「ゲット・バック」である。
 ドキュメンタリーは三話からなるが、第一話はトゥイッケナム・スタジオでのセッションを辿ったものである。トゥイッケナム・スタジオはロンドンの西郊にあるフィルム・スタジオで1月という時期もあるのかもしれないが、何とも寒々しい感じのするスタジオ。そこに集まって、セッションをするビートルズの面々はてんでばらばらで、観ているものをハラハラとさせる。どうにか、いいものをつくろうと孤軍奮闘しているのがポールで、ジョージとジョンはもうアリバイ的にいやいやと仕事をしている感が透けて見える。こりゃ、普通は切れるわ!という状況でポールはそれでも頑張って、残りの白けたメンバーにやる気を喚起させようとしている。ポールは、どうにか曲をいい感じでアレンジしたいのだが、他のメンバーは本当、おざなりな対応をしている。いや、とはいえジョージの気持ちは分からないでもない。ジョージの「俺はクラプトンのようには弾けない」的な発言を聞くと、ジョージ、お前も二人の天才に挟まれていて辛かったんだな、と同情したくなる。ジョージの「ポールなあ、俺はおまえのような天分はないんだよ。文句を言うならお前がギターのバッキングも考えろよ」と言いたくなる気持ちは分かる。ポール、自分が見える(聞こえる)ことが他人も見える(聞こえる)と思ってるんだろうなあ。自分ができることをジョージができないのは、ジョージの努力が足りないぐらいに思ってるんじゃないかな。ポールのある意味での人の良さというか楽観的なところが、ジョージにはより辛い状況をもたらしている。天才も難しいけど、天才と一緒に仕事をする普通の人も大変だということが見て取れた。ジョージ、結構、いい奴である。
 それに比して、ジョンは怖い。あの目つきは、もう周辺の空気を緊張させる。遅刻はするわ、常にオノ・ヨーコはいるわ、ジョージがアイ・ミー・マインをみなに紹介している時には、勝手にワルツを踊るわ。ヨーコと二人で完全にカプセルの中に入って、コミュニケーションを遮断している。
とはいえ、そこは不世出のミュージシャンの集まりである。ポールが紡ぎ出すメロディー、リズムへのジョンの反応は天才的なものがある。ジョージも即座に素晴らしいギターのメロディーを加えていく。そして、何よりさっとつくるコーラス・メロディーは驚嘆さえ覚える。そして、ジョンやジョージの楽曲に対するポールの条件反射は、もう天才的ではなく天才そのものだ。ベース・ラインがもう天から降ってくるという感じであり、ここらへんはこのドキュメンタリーの見所の一つであろう。
 ビートルズに比して、プロデューサーのグリン・ジョンズを除くと、結構、みんないい加減で無責任な奴らが多いのは興味深い発見であった。宮崎駿をプロデュースする鈴木敏夫のような優れた人たちに囲まれてビートルズは仕事をしていたのかと思ったら、実際はビートルズという甘い蜜に群がったくそ野郎みたいな輩が多くて、これは驚きであった。エプスタインが亡くなった後、ビートルズを守ろうとか、ビートルズのために動いた人はいなかったのかな、と思わせられる。まあ、大金持ちであっても、まだビートルズ30歳にもなっていなかったのではないだろうか。この状況じゃビートルズも解散せざるを得ないだろうとビートルズに同情する。
 そして、この映画でビートルズの面々と同じぐらいに存在感を放つのがオノ・ヨーコである。驚くのは凄まじい存在感を放つ美貌の持ち主であることと、その黒ずくめの格好は、ビートルズのその後の将来(解散)を暗示させる不気味なるオーメンのように見えることである。ほとんど無口であるし、たまに奇声で「ジョン、ジョン」と連呼させるところなどは、何かが憑依しているようで、日本人の私でさえ不気味に覚えるのだから、西洋人はなおさらであろう。それは、常に無口でジョンに寄り添うその姿は、あたかもジョンの背後霊のようで、ビートルズにとりついた死神のようである。それに比べると、リンダ・イーストマンの凡庸な立ち振る舞いは観ているものを安心させる。いや、リンダもオノ・ヨーコのように実家は大金持ちなんだけど(リンダの実家はイーストマン・コダックのイーストマン)。
 あと、リンゴの存在感の薄さも印象的であった。寡黙で、今の饒舌なリンゴとはまったく違うキャラクターである。ジョンやジョージがポールと距離をとる中、ポールと一緒にいたり、ポールが紡ぐ天才的メロディーに反応するところなどが好ましい。しかし、ジョージよりさらにビートルズというバンドでの立ち位置は薄かったんだな、ということが理解できる。
 第一話はジョージがビートルズを脱退すると宣言したところで終わる。ポールが、ジョージが戻らなければクラプトンに連絡する、と発言したところなど興味深かった。ただ、このドキュメンタリーをみていると、ジョージが辞めた理由は、自分の曲への反応が今ひとつであったことやポールの要求が五月蠅かったというだけでなく、ゲット・バック・セッションのコンサートの企画の馬鹿馬鹿しさに辟易したことも大きかったのではないか、と思わせられる。その企画を提案した人たち(映画プロデューサーのDenis O’Dell等)に対して「Completely Insane(100% 気が狂っている)」といって却下したが、これはどうみてもジョージが正しい。なぜ、ライブをするのにアラビアまでファンを連れて行かなきゃいけないんだ。本当、ビートルズに群がったハエどものセンスの悪さを、無責任さに腹が立つ。まあ、この企画に対してはポールは肯定的であったが。
 ということで、この作品のためにディズニー・プラスに入ってしまった私であるが、なかなか見応えのあるいい作品であったかと思う。これから第二話を観るので、また、感想も変わるかもしれないが、変わる前に直後の感想をここに記させてもらう。

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