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悠仁様の筑波大学付属高校進学は、賢い選択とはいえない [教育論]

悠仁様が筑波大学付属高校の進学を希望しているらしい。そして、その先は東京大学への進学を考えているらしい。(出典:下記)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bba3e7f60dac414d5d9b0f329ff3ee7812943e18?page=2

私は筑波大学付属高校の卒業生である。そして、東京大学の卒業生でもある(大学院は違う)。高校は受験で区立の中学から進学した。東大へは浪人した後、合格しているので、そういう意味で受験エリートではまったくない。そのような経験を踏まえると、この判断はとても賢い選択とはいえない。というのは、筑波大学付属高校は進学校ではあるかもしれないが受験校ではないからだ。

つまり、筑波大学付属高校に入れば大学受験がどうにかなるわけではまったくなく、しっかりと受験指導もする私立高校に通った方がはるかにいいということが言いたいからだ。つまり、東大を目指すのであれば、筑波大学付属高校に進学するのは多いに間違っている。

それは、大きく二つ理由がある。
1) 一つは、高校では受験を意識しない授業がほとんどなので(今でもそうだと思う)、受験をするうえでは、特別に頭がいい(その後、東京大学の数学科や物理学科の教授になるような天才的な賢さ)もの以外は塾に行かないと受験で合格するのは無理だからだ。私は、自分が勝手に「頭がいい」と思って一切、塾にも行かず、受験勉強もしなかったら、まったくどこにも箸にも棒にもかからない成績だったことが3年生の11月頃にわかり、現役時は受験もしなかった(正確にはセンター入試だけは受けて、小論文試験だけの大学を受けてはいる)。ただ、一年勉強すればどうにかなるだろうと思ったら、失敗して、早稲田大学の数学科に入り、仮面浪人して東大に入ったというとんでもない遠回りをしたものである。さて、なぜそんな自分の恥をここでさらすのかというと、筑波大学付属高校に行っても大学受験的にはほとんどプラスにならないことを知ってもらいたいからだ。私がまさにその例である。
2)二つ目は、学生が進学校ではあるが極めて多様であるということだ。筑波大学付属高校は小学校や中学校からも進学する。中学校から進学した学生たちは比較的真面目に勉強もするが、小学校から入ってきた学生たちは成績がよくなく、自分たちのアイデンティティ探しに一所懸命だったり、ぐれていたりする。そして、往々にして高校から進学してきた受験勝ち組の足を引っ張るようなことをする。これは、小さい頃から、小学校受験、内部進学などで細かい競争を強いられてきたからであろう。実際、筑波大学付属小学校から東大に進学したのは、私の学年では2人だけであった。これは、例えばちょっと賢い区立小学校と比べても低い割合だったりする。このように筑波大学付属高校はよくも悪しくも、多様な人材がいるので、受験勉強ができる子たちばかりが集まっている学校ではない。このような高校で、受験勉強をしっかりとやるのは要領の良さと強い意志が求められる。私は、これが不足していたので、受験的には、というか高校時代の過ごし方に失敗をした。

もちろん、筑波大学付属高校が全面的に悪いとは言わない。最近、高校時代の同窓生と会ったりするが、結構面白い奴らが多い。社会的な一般尺度で人生を評価するものもいたりするが、結構、思慮深く、しゃべっていて楽しかったりもする。ただ、よく考えたら、今、気があって話すのはほとんど高校受験組だ。あと、私を含めて大学の先生になるものが多いが、これは受験勉強ではなく、いろいろとテーマを深く考えさせるような講義の影響を受けたことが大きかったのではないかと思われる。

興味深いのは、筑波大学付属小学校出身者は、筑波大学付属を受験させたがるものが多いということだ。驚きである。いや、何が驚きかというと、自分たちの学校生活を肯定的に捉えられているということに、である。私は、娘が二人いて、二人とも中学受験をしたが、筑波大学付属中学校はまったく選択肢にもはいらなかった。というのは、性格的に向いていないからだ。まあ、私の娘であるから、両方とも潰されていたと思う。ただ、結果、長女は豊島岡、次女は渋谷学園渋谷高校という進学校に行き、私とは違って現役で国立大学に進学することができた。筑波大学付属に行ったら、まず違う道を歩んでいたかと思う。

私のような庶民出身でもやられてしまうのだから、悠仁様は心配だ。というか、東大進学という目的であれば、まったく有効ではないし、人格形成的にも相当、歪むのじゃあないだろうか。そうそう、結構、自殺する子も多い。私のクラスではなかったが、同学年の女の子が自殺する前に一人で、バスケットコートで遊んでいる光景は今でも記憶に残っている。すごい寂しいオーラを放っていたから思わず見つめてしまったのだ。その後、自殺した話を聞いて妙に納得したことを覚えている。あの光景が娘に受験させなかった大きな理由の一つだ。

そして、何より心配なのは、極めて記号的な価値観で「筑波大学付属高校」とか「東京大学」とかを持ち出すような秋篠宮の庶民性である。いや、私よりもはるかに庶民的で俗っぽいと思う。勉強が必要なのは悠仁様ではなくてご両親なんじゃないかとさえ思ってしまう。

そうそう、同じ文脈で東京大学に行くのも無駄である。東京大学とは官僚を育てるところであって天皇が必要な学問を教えるところではない。というか、天皇が庶民と同じことを学んでどうする。イギリスの貴族は大学なんて行かない。大学は庶民のものであり、王家や貴族に仕えるための学問や技術を修めるところだから。何か、眞子さんの件に次いで、本当、迷走している感が凄まじい。まあ、大学のことはまたこのブログで書く機会があるかもしれない。

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