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「命をかけろ」と安易に言う人への違和感 [教育論]

最近、同年代の人からあることで「命を賭けろ」と言われた。いや、あることとは、バンドで合奏する時に、最初の音をしっかりと合わせて弾け、ということなので、そのこと自体は重要かなと思ってはいるが、「命を賭けろ」と言われるほどのことではないとは思う。絶対、賭けないもんね、と強く思う。随分、人の「命」を安っぽく思っているな、と反発したい気持ちもあるが、まあ、そもそもこういうことを言う人は、他人を見下しているので、同じ土俵で議論をするのも馬鹿らしいので放っておいた。
 それはさておき、このような発言を同僚の大学教員が学生に言ったことが発覚した。「私は命をかけているんだから、君達もかけなさい」みたいな文脈での発言だったらしい。いやいや、これも随分と危ない発言である。まず、自分が命を賭けているからと言って、他人に強要するのは論理的ではない。これは、「私は泥棒しているんだから、君達も泥棒しなさい」ということに近い。「私はうんこを食べるんだから、君達も食べなさい」と言い換えると、その理不尽さが理解できるであろう。
 それはさておき、この「命を賭ける」という発想は危険極まりない。それは、切腹文化の延長線上にあるし、特攻隊にも通じる愚かさである。自分が勝手にやっているのであれば構わないが、それを他人に強要するのは犯罪に近いと思うし、明らかなるパワー・ハラスメントだ。そもそも、そういう人は自分が「命を賭ける」といっても、それが上手くいかない時には切腹はしない。にも関わらず、他人にはそれを強要する二枚舌なので本当、気をつけないといけない。
 ということで、「命を賭けろ」発言をした時点で、その発言者はろくでもない二枚舌でまったく信頼できない輩であることが判明できる。絶対に、そういうことを言われても、嫌だもんねえ、と突き放し、なるべく距離を置くことが賢明だ。この発言をした先生も、失敗したけど、まだのうのうと生きている。そして、反省もせず、自分は被害者だみたいな顔で歩いている。私がそのようなことを言われた学生であったら、ちょっと殺意を覚えるかとも思う。
 ちなみに、私に「命を賭けろ」と言った人も教育者である。自分も教育者であるから他山の石として、しっかりと同じ過ちをしないように胆に銘じておきたい。

タグ:命を賭けろ
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