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菅首相の「人類が打ち勝った」の発言に不快感を覚える [菅政権]

菅首相は東京都に緊急事態宣言を出すうえで、7月8日の記者会見で「全人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを東京から発信したい」と言い放った。菅首相は1月18日にも「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」との施政方針演説を行った。
 私はこの菅首相が「人類」をいちいち持ち出すことに極めて不快感を覚えている。そもそも「人類がコロナに打ち勝った」と言っているが、その人類の勝負に足を引っ張っているのが日本である。イスラエルやヨーロッパ諸国どころか、トランプ政権下でコロナ対策がダメダメだったアメリカよりもその対応に後手に回っている。これは、バスケットボールで言えば、シュートも入らず、パスをしようとすればターンオーバーして、守備もざるのような選手が「相手チームに勝つことで我々の強さの証しを示す」と取材で他の選手を押しのけて発言しているようなものでみっともないことこのうえない。しかも、これは日本語で発信されているので日本人向けの発言だし、他の人類はほとんど誰も分からない。それなら、単純に「日本人がコロナに打ち勝った」という言い方をすればいいだろう。なぜ、いちいち「人類」を持ち上げるのか。
 そもそも、今回の無観客という判断で、ロスアンジェルス・タイムスとかは「日本のコロナ対応の遅れが原因」といった解説をしている。確かに全国民の17%しかワクチン接種をしていないが、これは全世界で70位という位置づけである。ルーマニアやモロッコ、トルコ、カンボジアよりも低い。ほとんどコロンビア、メキシコといった国と同じ割合だ。こんな国に「人類がコロナに打ち勝った証し」とか言って欲しくないよな。
 足を引っ張っているのに、まるで率いているかのような言い方はするな。するなら、英語とか、他国の人が分かるような言葉で言うべきである。
オリンピックに関しても、「全人類の努力と英知によって難局を」などと言っているが、なんで東京オリンピックの開催の難局を「全人類」が努力をしなくてはいけないのか。オリンピックは全人類的なイベントではそもそもない。そのようなオリンピックは1976年のモントリオールで終焉を迎えている。そして、東京オリンピックなんか、日本がどうにかすべき課題であり、さらに突っ込めば東京の課題であって、大阪や京都、福岡なんかにとってはどうでもいいことに近い。とはいえ、政治家なので「全日本人の努力と英知」というのは百歩譲ってスルーすることもできるかもしれないが、「全人類」というのは、たかだかアジアの片隅にある島国の首相ごときが言える言葉ではないだろう。
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