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西暦と年号について考える [グローバルな問題]

日本では西暦と年号を用いる。年号は645年の大化の改新の時から始められたそうだ。西暦は時間を大幅に括れて、事件や出来事などが時系列的に把握できて便利だ。一方の年号はその前後関係も分かりづらいし不便なので、若い時などは西暦に一本化すればいいじゃないかと思ったりもした。
 さて、しかし年を取り、西暦の時間の一本道的な考えに違和感を覚えるようになっている。エントロピーの法則などを考えると、確かに時間は一方に進んでいると考えられる。自分自身も生まれると同時に、時間の流れとともに死に向かっていく。確かにそうなのだが、本当に時間は一本道なのか。もっと循環的な捉え方もあるのではないか。とも思うようになっている。なるほど、個体としての私はそのうち亡くなるが、子供をつくることで、「生」は継続されていく。昨今では、宇宙もユニバースではなく、マルチバースであるという考えが出始めているが、そのような考えに基づくと、必ずしも宇宙の消滅というのはないのかもしれない。そして、それは輪廻のように繰り返される、というような時間の捉え方の妥当性を示唆しているようにも思われる。
 そして、そのような時が循環するというような考え方で時間を捉えると、結構、西暦よりも年号で時を把握した方がいいかもしれないな、と思ったりする。いや、年表をつくったりするのが面倒になるし、日本史の試験勉強はより困難にはなりそうだが。

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