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佐賀県知事が新しい大型公共事業「SAGAアリーナ」を「とりあえず下北沢みたいにしたい」と発言したことの愚かしさ [都市デザイン]

佐賀県が佐賀市の佐賀駅から北に1キロメートルぐらいいった日の出地区に540億円をかけて「SAGAサンライズパーク」というものを整備しようとしているようだ。この施設だが、山口佐賀県知事は、そこを「色々な人が勝手に集まって勝手に楽しむ、何が起こるか分からないチャレンジゾーンにしたい」「とりあえず(東京の)下北沢みたいにしたい」などとその展望を語った(朝日新聞2020年7月3日)。そして、その展望を具体化すべく、電通を代表企業とした企業グループを指定管理者に指定した。
最近、コロナウィルス禍の環境変化にやられて元気がまったくなくなっていたのだが、この新聞記事には久しぶりに腹が立った。怒髪天を衝くぐらいの気分だが、髪の毛がないので頭がただカッカしているような状況だ。この記事から、佐賀知事の何が愚かなのか、このブログ記事の奇特な読者は分かりますか?
まず、下北沢はつくろうと思ってつくれるようなものではない、ことが全然、知事が分かっていない、ぞの無知蒙昧さが腹立たしい。というか、本当、佐賀県民でなくてよかった。下北沢はニューヨーク・タイムスの記者が記事でグリニッチ・ヴィレッジに対する東京の返答、と形容するほどの特別な空間である。それが比肩できる場所は、地球上でもマンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジとイースト・ヴィレッジ、ロンドンのカムデン・ヤード、パリのモンマルトルぐらいしかない。いや、モンマルトル、下北沢と同じ土俵に上がれるか、と書いていて不安になるぐらいだ。それは、東京という世界に冠たる大都市における創造的集積が展開した希有な街である。ちなみに、下北沢は北沢二丁目と代沢五丁目の一部(駅に近いところ)だけで1500店舗以上がある。最近では、北沢二丁目から北沢四丁目、代沢二丁目などにも店舗が浸食しているので、実際はこれよりもはるかに多くの店舗数がある筈だ。これらの数字は、私が学生と実地で数えた数字であるので、商業統計よりも遙かに多いので、佐賀市と比較しにくいので、ここでは食べログで見てみよう。
カフェの数を下北沢駅から1キロメートルの範囲で食べログで検索するとその数は214軒。一方の佐賀駅は38軒である。カレーは、下北沢は61軒、一方の佐賀県は8軒である。そもそもの集積がまったく佐賀とは違う。しかも下北沢の個性を出しているこれらの店の多くが個店である。凄まじいボトムアップ型の地域経済力があってこその下北沢の個性なのである。下北沢のもう一つの特徴として、文化を創造する孵化器的な機能が挙げられる。下北沢には決して規模はおおきくはないが21のライブハウス、8の小劇場がある。わずか2キロ平米ぐらいの中にこれだけの集積があるのだ。どうも佐賀県にはライブハウスが3つしかないようだ。下北沢の凄みというのは、この集積の経済が発現されるところにあって、今では大阪の大して実力のないガールズ・バンドがデビューのきっかけをつくりに下北沢に来るという、ちょっと「大阪、お前もか」と思わせるぐらいの下北沢と他との格差が生じてしまっている。これはこれで個人的に問題かなと思ったりもしているが、これらの集積が佐賀駅周辺に出来る筈がないだろう。というか、正直、九州でミニ下北沢ができるような都市があるとしたら福岡だけかもしれない(熊本と鹿児島は可能性ゼロとはいえないですが・・)。なぜなら、福岡はミュージシャンを輩出し、またそれを育てるような孵化器的な機能があるからだ。そして下北沢がなぜ、このように突出したようなバンド孵化器な機能を有したかというと、それはそのバックに東京という大市場があるからだ。そして、東京は創造都市的な要素も非常に強く、クリエイティブな活動を支援するような環境がある程度、整っていて、それは佐賀とは雲泥の差がある。
そうそう、下北沢がもう一つ特別なのは、歩行者空間が広がっていることだ(最近、駅前の開発が進んでいて心配だが)。駅周辺には信号が一切ないからね。佐賀市のように自動車中心のライフスタイルのところに、下北沢のような集積は絶対できません。
知事の発言になぜ、私が烈火のごとく怒っているかというと「下北沢みたいにしたい」といって、下北沢という街のことがまったく分かっていないと思われるからだ。加えて、佐賀県知事の発言は、お見合いの仲人に「とりあえずノン(能年玲奈)みたいな女性にしてよ」と依頼するような、身の程知らずな謙虚のなさをも感じる。
あと、もう一つまったく納得できないのは、その依頼を電通等の企業に御願いしていることだ。下北沢をつくったのは、個店を営んできた個人達である。それら個人は、お互いライバルとして切磋琢磨をしたり、また時には協働したりして街をつくりあげてきた。下北沢音楽祭、下北沢カレーフェスティバル、シモキタ将棋名人戦、下北沢大学・・・これら下北沢を象徴するようなイベントは皆、個人が企画し、周りを巻き込んで実現したものばかりだ(成功するとカレーフェスティバルのように企業がスポンサーになったりするが、それはほとんどが後付けだ)。下北沢や高円寺、自由が丘といった東京の魅力ある街の特徴は、それらを地主や住民が作ってきていることだ。吉祥寺はお寺が地主なので、個店が地上げを受けずにサバイバルできたのが、今の魅力に通じている。電通の能力は企業としてはずば抜けて高いとは思うが、そもそも企業は魅力的な街をつくることが構造的にはできない。これに関して論じようとすると、本が書けてしまうのでその詳細はここでは述べないが、企業に頼めば下北沢ができるという街のエコロジーをまったく分かっていないその愚は、本当嘆かわしい。こういう知事がいるから、というか、こういう知事を選ぶような土壌だから、皆、若者が地方から逃げたがるのだな。私が佐賀県民だったら絶対、逃げ出すだろうから、このような若者の気持ちはよく分かる。
そして、一方で、今の東京一極集中の状況は日本という国にとっては好ましくないので、このような知事がいることは日本国民としては由々しき問題であるなと思う。
新聞記事だけでの情報なので、知事はもうちょっと思慮があっての発言であるのかもしれないが、文面だけで取ると、そのように理解される。あと、下北沢の街の魅力とかが知事をやるぐらいの人でも分かっていない、というのは深刻な問題で、私自身もどうにかしないといけないな、とは思う。のだが、最近、本当疲れ気味なので、このブログの記事をアップするぐらいのことで今はちょっと勘弁していただきたい。我ながら情けない。

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