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コービー・ブライアントの悲報に接して思うこと(2) [教育論]

今、アメリカにいる。そして、アメリカでコービー・ブライアントの訃報に接した。そういうこともあり、アメリカのメディアはブライアントの偉大さをいろいろな側面から報じている。そのような報道の中で、私の心を打ったのは、彼の「目的を実現させるためには、周囲のサポートは必要であるが、何より重要なのは、そのために自分が出来うる限りコミットメントすることだ」という、人生に対する姿勢である。「(自転車の)ペダルを一生懸命踏まなくてはならない」という言葉で彼はその姿勢を表現していた。
 高校卒業をして、すぐNBAの厳しい世界に飛び込んだブライアントは、頂点を目指すために人々の想像を絶するような努力を積み重ねる。ブライアントの知り合いがテレビで彼についてコメントする時、彼が成し遂げた成果というよりかは、彼の努力する姿勢を賞賛していた。そして、ブライアントはなぜ、そのように若い時代に自分の才能を信じて努力できるのかと聞かれた時、「自分は若いとき、多くの同世代の人間が理解していなかったことを自覚していた。それは、ある目的を達成しようとする時、周りからいろいろなプレッシャーを受け、自分が信用できなくなり、ポテンシャルを持っているにも関わらず、自ら潰してしまうことを回避しなくてはいけないということだ。ただ、努力をせずに成功できると思ってはならない。死に物狂いで頑張らなくては目的を達成することはできない」と回答する(https://www.youtube.com/watch?v=nbvmTyxpFSA)。そして、それを若者にしっかりと伝えなくてはいけない、とも言う。
 私は仕事柄、多くの若者と接する。驚くのは、多くの若者が本当に努力を嫌うというか、回避しようとすることだ。いや、全員ではないが、そういう若者が多い。勉強とかも頑張れない。要領よく単位を稼ぎ、とりあえず卒業しようと考える若者のなんと多いことか。名古屋の大学では、期末テストのレポートの〆切りが間に合わなかったので「単位を上げない」と言った教員が学生に刺される事件もあった。単位は自分が努力をして取得するものであろう。
 そこで甘やかしても学生のためには全然ならない。もちろん、才能を活かすような環境をつくってあげることは必要であろう。しかし、その才能を高みに上げるのは本人以外の何者でもない。
 受験の時期である。私も受験には失敗しているので、偉そうなことは言えないが、この受験の壁を前にして、是非とも怯むのではなく、自分の力を伸ばしてくれるチャンスぐらいに捉えてもらえればと思う。そのようなチャンスを指定校推薦とか、エスカレーター式の学校に行くことで回避するのは、得をしているようで実は損をしているのではないか。
 私の次女も高三で大学受験である。国立大学一校に絞って受験をする。それは、その大学が唯一無二であるからだが、例え失敗しても、その努力は後の人生において活きると思うのである。コービー・ブライアントは、娘の才能を活かすために第二の人生を賭けていた。実際、ジニの才能が特別なものであることはYouTubeの動画を観ると分かる。親によって子供の育ち方も異なる。私はブライアントの足下にも及ばないが、ブライアントの人生への姿勢を参考にして、次女の才能が開花できるようにサポートしたいと思っている。
 私と私の娘の最も大きな違いは親であると私は思っている。


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