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言葉がまったく分からない中国でコミュニケーションのことについて考える [グローバルな問題]

中国の成都にて、国際ワークショップを行っている。ホストとなってくれている大学は四川大学で、国立台湾大学、北京大学、ワシントン大学(アメリカ)、そして私が奉職する龍谷大学の学生が参加している。大学院生と学部生を連れてきているのだが、大学院生はどうにか頑張れているのだが、学部生はもうお手上げという感じである。これは、語学の問題が大きく立ちはだかるので致し方ないところもある。そもそも、ワシントン大学が参加するので、当然、共通言語は英語かと思っていたが、ワシントン大学から来た3名の学生は全員、中国語がぺらぺらなので共通言語がほぼ中国語になってしまったからだ。これは、私も想定外の事態で大いに戸惑った。
 さて、しかしいつまでも嘆いていても仕方がない。私は英語ではほぼ問題なくコミュニケーションができるが、それ以外でもドイツ語(2級)、スペイン語、ポルトガル語と学んでいたのと、フランス語を高校と大学でやっているので、ここらへんの言葉であれば、なんか言っていることの幾つかの単語などを拾うことはできる。まったく分からないという訳ではない。しかし、中国語は麻雀用語と中華料理以外はまったく分からない。もう、本当、しゃべっているのを聞いても宇宙語のようにしか聞こえない。これは、相当のピンチだ。でも、このままの状況は不味い。
 ということで、とりあえず、「あなたの名前は何ていうのですか」「本当ですか」「はい」「いいえ」「こんにちは。ご機嫌よう」「すいません」「いいえ、大丈夫です」「有り難う」「どういたしまして」「美味しいです」「最高!」「ビール」「これは何ですか」「なぜ」ぐらいは言えるようにした。もう50代も後半なので、本当に記憶はできないが、それでもiphoneの動画に知り合いの中国人に発音を吹き込んでもらったのを何回も聞いていると、少しは記憶に定着する。もちろん、ほとんど通じないし、仮に通じても、相手が返事したことはまったく分からないので、コミュニケーションにはならないが、それでも気持ちは通じる。何か、壁のようなものがなくなるような気がするし、相手は悪い気持ちに決してならない。
 それをなぜか日本の私が連れてきた学生はしないのだ。どうも一人は中国語を第2外国語で取っていたらしいので、本当に練習するいい機会なのに、こういうときはなぜか英語をしゃべろうとする。ううむ、不思議だ。
 コミュニケーションは語学の出来の良し悪しだけでは決まらない。相手を知ろうとすること。相手によく思ってもらいたいという気持ちを持つこと。それによって、全然、円滑になるのではないか、ともう言葉がほとんど分からない(とはいえ、漢字なので、そういう点では多少は通じる)中で思ったりした。

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