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ウィリアム・ホワイトのThe Social Life of Small Urban Spaces」を観る [都市デザイン]

アメリカのジャーナリストである在野の都市学者(Urbanist)であるウィリアム・ホワイトが1980年に編集したドキュメンタリー「The Social Life of Small Urban Spaces(小さな公共空間における社会的関係)」をネットで観ました。その存在はずっと前から知っていたのですが、インターネット時代になって家で寝転びながら観ることができる。よい時代になったものです。
 この動画は14の公共空間、3つの小さな公園を観察調査した結果をまとめて編集していますが、なかなかよく編集されていて、公共空間とそれを使う人との関係性が理解しやすいです。
 さて、この動画で強調していたのは公共空間における「座れることの重要性」です。座れる機会があることで、その公共空間は活用されることになる、という観察です。他にも、水、食べられること(屋台の意義)、道との関係性、人、などに言及しています。
 素晴らしいニューヨークの公共空間として、シーグラム・プラザが挙げられています。早速、行ってみましたが土曜日の昼ということもあり、このドキュメンタリーで紹介されたような利用はされていませんでした。シーグラム・ビルはウエルス・ファーゴ銀行が入っていました。これも理由かもしれません。季候はいいので、平日だと違ったような使い方がされているのかもしれませんが、ちょっと拍子抜けしました。
 一方で、もう危険でまったく酷い公共空間であると駄目出しされていたブライアント・パークは、今では見違えるように改善されています。しかし、これは、ウィリアム・ホワイトの提言に基づいて、生け垣で外から中が見えなかったところを見えるようにしたり、また入り口を広くしたり、さらには座れるように移動式のベンチを導入したりしたおかげです。それを指摘したホワイトの慧眼もさることながら、しっかりと謙虚にその指摘を受け入れたニューヨーク市もなかなか立派であるかなと思います。
 この映画で私が感心したのは、歩行者モールが上手くいくところと、上手くいかないところの要因を人口密度としっかりと看破していること。リバーサイド(カリフォルニア)の歩行者モールが上手く行かなかったのは、単に周辺の人口密度が低いからだと説明しています。なぜ、ここで感心したと言ったのかというと、同じように人口密度が低く、自動車文化が浸透しているフレスノ(カリフォルニア)のフレスノ・モールが結局、自動車を通らせるように最近してしまったことを取り上げ、歩行者モールも上手くいかなくなっている、と「鬼の首を取ったよう」にいう日本人の都市デザイナーがいるからです。そして、そういうことを公演で話したりする。すると、それを聞いた聴衆は、やっぱり自動車を走らせないとダメなんだ、と思ったりします。いや、自動車を都心から排除するのは処方箋としては、相当、優れているけど、必ずしも成功しない。つまり、成功するのには幾つかの条件が必要です、と説明すればいいのに、一つの失敗例でそのアプローチが失敗したと思ってしまう。皮肉なのは、この都市デザイナーの人は結構、しっかりとした都市空間をつくっている実績があるということです。フレスノ・モールの失敗はリバーサイド・モールが失敗したのと同じ要因であるのは、同じカリフォルニアの内陸側という地域性などから推察してもすぐ分かることです。ただ、私が言ってもそれほど説得力がないのですが、ホワイトは1980年に既に看破していた。流石です。
 あと付け加えたいのは、日本の公共空間の研究は、このホワイトのビデオが出て40年近く経っても全然、進んでいないということです。この遅れはキャッチアップしないといけないなと思います。

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