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国際日本文化研究センターを訪れ、内井昭蔵氏の図書館設計の理念を少し知ることができた [都市デザイン]

京都の洛西ニュータウンのそばにある国際日本文化研究センターを訪れる。同センターは、「日本文化を国際的な視野にたって学術的、総合的に研究するとともに、世界の日本研究者に研究情報の提供などの研究協力を行うことを設立趣旨としている」。この施設は、当時のセンター長であった梅原猛がその設計者として内井昭蔵に白羽の矢をたて、一般的には内井氏を代表する作品として捉えられている。
 内井氏の著書『装飾の復権 - 空間に人間性を』(彰国社 2003年)には、随分とこの国際日本文化研究センターに関してページが割かれている。また、『続・健康な建築』にも多くが語られている。ということで、是非とも視察したいと考え、見学申請書を提出し、写真撮影とともに資料の入手などもさせていただいた。
 同センターは研究棟、国際交流棟、講堂、図書館・図書資料館、日文研ハウス(宿泊棟)、情報・管理棟、福利施設棟とから構成されている。
 どれも、細部にまで繊細な神経で拘っており、そのヒューマン・スケールで優しい建物群は、そこにいると安堵感を覚え、初めて訪れた場所であるにも関わらず、居心地のよさを感じる。しかし、これは内井氏の建築の中で15年間仕事をさせていただいた私が感じるノスタルジック的な心地よさかもしれないので、ちょっと主観が入っているかもしれない。
 このセンターの中心に位置するのが図書館である。図書館は、大英博物館のようなものをつくって欲しいという要望が内井氏の方にあったようだが、出来たものは一目でアスプルンドのストックホルム市立図書館を意識していたことが分かる。中央のカウンターの設計、そして何より外観のロタンダの意匠がそっくりである。パロディなのではないかと思うぐらいなのだが、同センターの人の一部は、いやそんなことはない、と否定する人もいるようだ。ちなみに、このセンターがつくられた時に若い研究者であった井上先生にちょっとお話をさせていただく機会があったのだが、彼が内井先生に「アスプルンドですよね?」と尋ねたら、ニコッと笑って返したそうだ。
 さて、内井氏は大学の設計において非常に重要視するのが、図書館であり、それは、このセンターの設計にもみてとれる。内井氏は、図書館に関してはヴァージニア大学を参考にしていると幾つかの著書で書かれている。この図書館は拡張性のシステムがしっかりと計画に入っており、内井氏が設計された後も蔵書が増えるに従い、第一次増設、第二次増設と行われている。現在75万冊の蔵書があるそうだが、まだまだ収容する余地はあるそうだ。ちなみに、第一次増設時は内井設計事務所が担当したが、第二次増設は内井事務所とは関係ない設計事務所が担当した。
 内井昭蔵氏の建築の真骨頂は、その細部への拘り、その空間への利用者への温かい眼差し、そして細かい配慮であると私は思っているのだが、増設部分は、時期がずれるにつれ、その個性は薄らいでしまっているような印象を受けた。しかし、これは予算の問題もあったかもしれない。同センターが設計された時は、バブル経済の最中、しかも当時の中曽根首相の肝煎りのプロジェクトであり、センター長も当時は梅原猛である。そして、内井昭蔵氏に梅原猛は入れ込んだ。そのような中、梅原猛も内井氏を選んだことで批判を後にされたくなかったのであろう。内井氏は相当、思い切って、自分の建築理念をこの場所で具体化させることができたのではないか、と考えられる。とはいえ、このセンターの井上先生の話によると、「もうちょっとしたいことがあった」と彼に漏らしたことがあったそうである。何が言いたいかというと、内井氏が設計した図書館はすこぶる素晴らしいが、増設するに従い、その素晴らしいエッセンスが希薄化しているということだ。
 図書館に話を戻すと、システムの中心において、その後、しっかりと周辺に拡張できるという設計コンセプトを内井氏はヴァージニア大学でヒントを得た。これは、同じ内井昭蔵氏が設計した明治学院大学の白金キャンパスの本館でも同様に考えられた、と明治学院大学に内井事務所が提示した資料にも明記されている。それで、同大学の管財部もヴァージニア大学にまで視察に行っている筈だ。私はまだヴァージニア大学を訪れたことがないので、その点ははっきりと分からず、そのために明治学院大学の図書館においてどのような拡張性が意識されていたかが理解できていなかった。
 少し、話が横道に逸れるが、私は現在、内井昭蔵氏がどのように明治学院大学の設計プランを考えられ、それを具体化していったのかといったことを調査研究している。その背景は、ここでは述べないが、そのような調査研究を始めたきっかけは、ある私の元同僚の先生との会話であった。
 この同僚の先生は、白金キャンパスの本館の設計を批判していた。「こんな大学の設計はなっていない」と主張をしていたのである。私は、正直、内井昭蔵氏の設計した建物で日々、過ごしていてむしろ本当、幸せだなと思っていたので(この気持ちは、今の龍谷大学深草キャンパスで過ごしているとより強く、感じる)、彼のこの主張に関心を抱いた。そこで、私は「先生、この本館の建物のどこが気に入らないのですか」と尋ねると、彼は「一番の問題は図書館である。この図書館には拡張性がない」と言う。私は、「それでは先生はどのような大学の図書館がいいと思われるのですか」と再び問うと「ヴァージニア大学だ。あそこは素晴らしい」と答えられたので、まあ、心底、愕然とした。なぜなら、内井昭蔵氏がまさに明治学院大学の図書館のモデルとしたのがヴァージニア大学であるからで、この先生は本当に大学の先生なのか、こんな先生に教わる学生達は悲惨だな、と呆れ果てたのだが、ただ当時、私は確かにこの図書館には拡張性はないかな、と思ったのと、この大学の図書館のモデルがヴァージニア大学ですよ、と言うのも面倒臭かったので、それ以上、会話を続けなかった。
 ただ、この経験は私に二つのことを教えてくれた。一つは、建築に関して無関心な人はほとんど建築の良し悪しが分からないな、ということ。もう一つは、そのような分からない人に対して、やはり、しっかりと建築家の思想などをまとめて発信する必要があるな、ということである。私が建築の専門家でもないのに、内井昭蔵氏の明治学院大学のキャンパス計画の研究を始めたきっかけは、この会話だけではないが、その結果、私が自分に課した研究テーマの一つとして、明治学院大学の図書館の拡張性を内井氏がどのように考えていたのか、を入れることにした。
 そして、それを解明する大きなヒントが、このしっかりと拡張性のシステムを確保し、実際、拡張をした国際日本文化研究センターを訪れて得られた。それは、明治学院大学の図書館に隣接した教室、もしくは研究室を図書スペースと拡張するということである。まだ、明学の図書館には蔵書スペースが余っているので問題がないが、もし埋まったら、その隣接している回廊スペースを図書の蔵書スペースにすればいいのである。もちろん、そうすると教室が減るかもしれないが、それらの教室や研究室をむしろ建て増しすれば問題は解消する。特に、研究室に関しては、現在のヘボン館を改築した時に高さを増して収容することができる。
 そこらへんをどの程度、本人が意識をしていたかは分かりにくいが、拡張性が硬直化してできないような設計ではまったくないと思う。
 まったく建築的な理解がなく、それなのに堂々とお門違いでフェイク・ニュース的な発言を主張できるトランプ並みの厚顔無恥な同僚が一緒であったことは、私にとっては不幸であったが、その彼のお陰でいろいろと内井昭蔵氏の素晴らしい建築を見るきっかけをつくってくれたことを考えると、それはそれで悪くなかったかな、と思ったりもした、国際日本文化研究センターの訪問であった。

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