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コンパクト・シティがなかなか具体化しないのは、その効用が薄いからではないか [都市デザイン]

 建築学会で北海道の縮小地域(空知地方)では、なかなかコンパクト化が図られていないという調査発表を聞いた。興味深い調査である。なぜ、行われていないのか。それは、北海道の空知地方はコンパクト化をさせるメリットがおそらくないからである。コンパクト・シティというのは、ヨーロッパでは「ヨーロッパ型都市」と言われる。都市計画的には、ちょっとした理想な都市構造である。私も個人的にこのような都市構造を形成することを計画的に促すようなことを考えるとわくわくする。ただ、おそらく空知地方においては、コンパクト・シティを検討させることは難しいと思われるのである。
 というのは、ヨーロッパにおいてもそうだが、コンパクト・シティは旧市街地という城壁内のコミュニティが核となっている。そして、それをコンパクト化させるためにトラムが公共交通の中心となって機能している(もちろん例外もあり、例えばミュンスターは自転車を中心に、アーヘンのようにバスを中心としている。ただし、これらの都市、特にアーヘンはコンパクト化においては必ずしもトラムの都市に比べてそれほどしっかりとしていないと思われる)。それは、モータリゼーションが空知地方のように徹底した場所においては、コンパクト化は不可逆反応のように理不尽であると思われるのだ。
 つまり、モータリゼーションが進展する以前に都市政策として指向するならそれなりにコンパクト化を促すことができるかもしれないが、既にモータリゼーションでだらしなくスプロール化が展開した後では、コンパクト化する意味が住民ベースではない。それは、コンパクト化するべく集積が、空知地方のように縮小している地域では不在だからである。
 旧東ドイツのように、ほとんどの人が賃貸住宅に住み、多くの住宅を寡占化された住宅会社が所有している場合は、撤去+集積、というアプローチは可能である。したがって、日本においても元住都公団が開発したようなニュータウンにおいてはコンパクト化をすることが可能かもしれない。しかし、地域においては手法としても極めて難しいだけでなく、そもそも、その必然性を住民や行政が感じているのか。今日、聞いた研究発表では、そのようなものは不在であるということが透かし彫りのように浮かんでくるような印象を受けた。これは、私の将来の研究テーマの候補の一つになり得るでしょう。


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