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アゲダというお金はなくても知恵で地域再生をした町を訪れる [都市の鍼治療]

 アゲダという町がポルトガルにある。リスボンに行くので長女が持っていた『地球の歩き方』を鞄に入れてきたのだが、その頁をパラパラとめくっていたら商店街の上部空間をカラフルな傘で覆っている写真が目に留まった。その文章を読んでいると、2006年から町興しのイベントを開催したら大成功して、衰退した町が復興したと書いている。しかも、このイベントは7月の3週間だけやられているそうなのだ。ちょうど、今、私がいる時に実施している。ということで、是非とも学会中の空き日に行きたいと思って、とりあえずアゲダのホームページからコンタクトの頁に飛び、アポの依頼をしてみた。まあ、こんな英語でお願いして、しかも日にちまで指定するような図々しいアポには回答してくれないだろうと思ったら、「いいよ」という返事が翌日、来た。こうなると是が非でも行かなくてはもったいない。ということで、時刻表を調べてみると、なかなか遠いということ、列車の本数が極端に少ないので時間がかかるということも分かった。リスボンからだとポルトには距離的には近いが、時間はよりかかるのだ。とはいえ、リスボンの駅を8時に出る列車に乗れば11時30分には着く。駅に自動販売機がない可能性を考えると、ホテルは7時に出た方がよい。ということで朝早く起きて、この8時の列車に乗るようにした。案の定、自動販売機では買えず、切符売り場で並ぶことになったのだが列が短くて助かった。
 リスボンから乗ったのは昔の新幹線的な列車であった。2時間ちょっとでコインブラに着き、そこから20分ぐらいでアヴェイロに着く。ここで乗り換えることになるのだが、乗り換えた列車はもうこれでもか、というぐらいにローカル線色が強く、しかも車両はもはやアートのように全面的にグラフィティが施されていた。
 この二両連結のディーゼル車でアゲダに向かう。このディーゼル車の車内はほぼ座席レベルでは5割ぐらいが埋まるぐらい乗客はいたのだが、私の前に座った3人の老婆が、大声でほぼ30分間罵り合うという状況に放り込まれた。特に私の前の老婆が何かに対してとてつもなく怒っているようなのだが、その怒りの感情が声に乗り移ったかのようで、聞いていて驚くほど不快になる。何をしゃべっているかが分からないのだが、罵っていることは確かであろう。それにしても、なんでそこまで怒鳴るようにしゃべらなくてはならないのだろうか。まるで右翼の街頭演説のようである。さすがに周りの乗客も呆れているが、誰も触らぬ神に祟りなし、のように苦笑をしているだけである。このような状況はアフリカでさえ見られないであろう。
 とんだ洗礼を受けた後、アゲダ駅に着く。アゲダはこの地域では中心的な町のようなのだが無人駅であった。しかし、イベントをしているということもあって多くの観光客が鉄道から降りた。日本人の30歳前後と思しき女性グループも降りる。しかも、どうも複数のグループのようだ。
 駅を降りてもどこへ行ったら分からなかったのだが、ぶらぶらと歩いているとCentroの方向を指す標識に出くわし、Centroに向かっていく。すると、出てきました。傘の屋根が。ポルトガルの7月の水彩画の青のような鮮烈な水色の空と、この傘が見事にマッチしていて、これは相当よい。手帳に、「誰が傘のアイデアを出したのか?」とメモをする。しばらくすると傘の屋根は終わるが、またちょっと歩くと違う道の上が傘で覆われる。この傘の量は大量だ。あとで尋ねたら5000本はあるんじゃないか、という話だったが、一番メインのところは、確かに1000本はあるだろう、という迫力であった。
 アゲタのこの傘の位置づけはインストレーション・アート。ということで、傘が有名であるが、基本はアートによる衰退した町の活性化事業をしているのである。そして、傘はイベント期間だけであるが、他のものはパーマネントで設置されていたりもする。傘以外は何か、ということだが、カラフルなベンチを始めとしたストリート・ファーニチャー、壁絵、そしてアート作品のインストレーションなどである。また、このイベント中はおもに音楽の催しが毎日のように為されている。ただ、大物アーティストを呼ぶというよりかは、地元のミュージシャンを中心に出演させているようだ。私も取材のアポの前に、リハーサルを聞いたのだが、なかなかの実力でちょっと驚いた。
 午後に訪ねると取材に回答してくれる市の広報のパウロさんには伝えていたので、とりあえず街中で昼食を取ることにした。どこに入るかは難しいところだが、客が比較的多く入っていた街角の定食屋のようなところに入る。メニューを見せてくれ、と中年のおばさんのウェイターに言うと「メニューはない」と答える。そしてフランゴかビーフだと言う。しょうがないのでフランゴにしたが、周りをみると、明らかにチキンでもビーフでもないものを食べている。まあ、でもそれほど拘ることでもないからいいか、と待つ。あと、フレッシュ・オレンジジュースを注文する。フレッシュ・オレンジジュースはポルトガルに来てからのお気に入りだ。タンジェリンのようなミカンでつくるので、普通のオレンジ・ジュースに比べて、ちょっと味が柔らかいのだ。そして何しろ安いので、平気で注文をしてしまう。現れた料理は鶏に卵焼きが乗っかっていて、そしてご飯やらサラダやらが付いてきた。結構、美味しい。
 空腹を満たした後、市役所に行くと、なんとパウロさんはイベント会場にずっといるので市役所には来ないそうである。ただ、イベント会場でパウロを探していると言えば、きっと会えると思うよ、といい加減なことを丁寧な英語で返される。しょうがないので、パウロさんに電話をすると、後でテキスト・メッセージに待ち合わせ時間を伝えると言ってくる。これは、後で知ることになるのだが、この7月限定のイベント「アジッタゲーダ」の産みの親の都合を聞いてくれていたそうなのだ。さて、パウロさんが送ってくれたテキストは最初18時30分という指定だったのだが、帰りの電車は18時55分で、それを逃すともうリスボンには戻れないかもしれないのと、翌日は学会での発表があったので、どうにか17時30分にしてもらう。
 さて、多少は待ち合わせ時間は早くはなったが、それでも4時間ぐらいはある。町は小さいのでちょっと歩くとほぼカバーができる。気候は素晴らしく、色鮮やかな傘の群は心を晴れやかにさせてくれる。私はボーッとするのが本当に苦手なのだが、久しぶりにボーッとした気分になって、スケッチブックを取り出し、スケッチをしたりして時間を潰した。
 ようやく待ち合わせの時間になったので、イベント会場のバック・ステージに行き、市の広報のパウロさんに会い、15分後にはこのイベントを企画した市の局長であるサントス氏と会う。そして、パウロさんの通訳も含めながら取材をさせてもらう。
 サントス氏によると、このイベントをすることにした機会は、この町が衰退していたので何かしなくてはと考えたからだそうだ。そのためには、何しろこの町の名前が知られなくてはならない、ということでイベントを開催することを考えたそうだ。観光客を呼ぶということよりも、シビック・プライドを醸成させることを意図したそうだ。私は、この傘のインスタレーションが素晴らしいと思い、どういうきっかけでこれをしたのかと尋ねると、特にアゲダの町と傘とには関係性はなかったようだ。ただ、どこかでオランダ人のアーティストが似たようなインスタレーションをしたのを関係者がみて、これをやってみようということにしたそうである。最初は町の中でばらばらとやっていたのを、都心部で集中的にやった方がいいとサントス氏は提案して、今とほぼ同じ場所でやられるようになった。
 傘のインスタレーション以外では、壁絵が10ほど街中にある。すべて地元のアーティストの作品である。他にもベンチや階段をキャンバスに見立てたようなアートが街中には幾つかある。
 この傘のインスタレーションが突然と人に知られるようになったのは5年前(2012年頃)だそうである。私も手元に2009年のロンリー・プラネットのポルトガル版を持っているのだが、アゲダの「ア」の字も書かれていない。ロンリー・プラネットのような旅行オタク系の雑誌に書かれていない、ということはそれだけ注目されていなかった、ということであろう。最新版のロンリー・プラネットを持っていないのでいい加減なことは言えないが、ページ数的には3分の1ぐらいの「地球の歩き方」でもしっかりと1頁の紹介をしていることを考えると、今ではもちろん頁が割かれていると思われる。
 この人々が急に知られることになったのはフェイスブックなどのSNSが大きな理由だそうである。何しろ、この傘のインスタレーションを始めとしてアート作品はフォトジェニックである。思わず、インスタグラムやフェイスブックで共有したくなってしまうだろう(私もすぐにした)。これがポイントであった。今では、アジタゲダのイベント期間中は、観光客は一日平均で3000人を超える。
 ただ、前述したが傘である歴史的、地理的な必然性はない。観光客は物語を消費したがるので、それは悩ましいところだそうだ。
 ところで、この傘の数だが現在は、5000本はあるそうだ。確かに、傘だらけだからそのぐらいの数字はあるだろう。ポルトガルの傘ですか?と尋ねたら、「まさか」と言われた。インドそして中国製だそうだ。また、この事業のポイントだが、すべて市が主体的にしているということだそうだ。音楽コンサートのイベントの仕事も仕切っているのは市役所の職員である。日本の自治体のようにアウトソーシングをしていない。確かに、市の広報の仕事をしているパウロさんが、今日は一日バック・ステージに張り付いている。
 そして、このイベントによって観光客が増え、市のイメージが格段によくなっているだけでなく、古い建物などが修繕されるようになっている。さらにはホテルなども開業するようになっていたり、パン屋は傘のパンをつくって売るようになったりしている。このようにして、地域経済が回るようになってきており、それが何より重要であるとサントス氏は強調した。
 それまではアゲダがニュースに載るのは川が洪水した時ぐらいだったが、イベントのおかげで随分と知られるようになり、その結果、人々が街に誇りを持つようにもなっている。
 最後にサントス氏が述べた言葉は印象的であった。
「誰もがインスピレーションを持っている。しかし、お金を持っていない。ただ、お金がなくても何か試すことが重要なのではないか。多くの人はお金を持っていないので試さないが、試すことが何より重要なのだ。傘の事業は4000ユーロで始めた。関わった人も私を含めて5名。アゲダの成功は試すということをしたことがもたらしたのだ」
 まさにクリチバ市のジャイメ・レルネルさんが指摘していたことと同じことをサントス氏は述べたのである。

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(ポルトガルの眩しいような空色をバックにカラフルな傘が幻想的かつ魅力的な空間を演出する)

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(ベンチや階段、そして壁画といったアート作品が街を彩る)

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(電灯のようなストリート・ファーニチャーも相当、お洒落である)

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