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出雲市の商店街で生き残ったのは自分の店でものをつくっているところと病院だけ [都市デザイン]

出雲市駅のそばにある本町商店街に行く。土曜日の夕方であったが、ほとんどのシャッターが閉じていた。シャッターがあるところはまだましで、幾つかは既に駐車場になっていた。シャッターだらけの商店街に駐車場の需要があるのかどうかは不明だが、青空駐車場が広がっている商店街に立つと、シャッター商店街の方がまだましだと思う。都市は建物とその間の空間から構成される。建物がなくて、駐車場という建物がない空間は決して都市とはいえない。シャッターは都市を構成する建物としては、経済的に活動していない、という点からは相当、今ひとつであるかもしれないが、それでも建物がないよりはましなような気がする。
 さて、しかしシャッター商店街ではあるが、幾つかの店はまだ開業している。それらのうちの一つ、出雲蕎麦屋に入る。そして、和菓子屋にも入る。和菓子屋さんはいかにも老舗という感じなので、尋ねると、6代目だということである。一代25年と考えたとしても150年は続いていることになる。明治維新前後に開業ということだろうか。ただ、老舗の味というのに拘りはなく、それぞれの代ごとに自分達の味を追求しようとしているそうである。
 随分とシャッターが降りているお店が多いですね、と言うと、昔は随分と栄えていたそうだが、本当、寂しくなったと答えてくれる。そして、大変興味深いことを仰った。
「出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院」
 このお菓子屋さんは不思議だよね、というニュアンスで言っていたが、私にはまさに正鵠を射たような発言であった。シャッター商店街のお店がつぶれたのは、二つ大きな理由があると私は前々から考えている。まず、都市の自動車化。つまり、道路を一所懸命に整備し、その過程で場合によっては、商店街などの都市の文脈を培ってきた集積を壊し、道路だらけの都市空間を作り出す。道路というのはそこで立ち止まることができないような空間である。マグロが泳ぐのを止められないように、それは都市活動にそれ自体はまったく寄与しない。都市活動を結ぶために必要悪としてつくられるものである。しかし、その本来は脇役というかサポート役の道路が、むしろ主役である都市活動が行われる土地を奪い、場合によっては破壊しているのである。さらには、このような道路だらけの都市空間ができると、自動車で人々は移動するようになる。自動車は道路だけでなく、駐車場も必要とする土地利用という観点からすれば、まったくもって非効率な移動手段である。だから、ドイツやデンマークなどは、自動車を都心部から排除しようと努力を続けているのである。また、自動車は土地利用的には非効率ではあるが、移動性には優れているので、短時間で遠くの場所へ移動することができる。したがって、都心部に商業施設が立地しておらず、郊外部に立地していたとしても大して不便ではないのである。というか、自動車社会が進むと、郊外の地理的不利が克服できるので、郊外部においてどんどんと商業施設などが立地していくことになる。あまり賢明でない自治体とかは役所や病院、大学なども郊外に立地させたがる。それで都心部が衰退しないと思う方がおかしい。
 そのような状況下で、つまり、郊外にショッピングセンターなどが立地しているような状況下であっても、都心部にお客さんを集客するのは、そこでものをつくって売っている、すなわち需要のある希少性を持ったものだけになる。どこかでつくったものであれば、敢えて都心部の店舗で販売する必要性は皆無である。その場所でつくっていてオリジナリティがあり、需要があるもの、すなわち蕎麦屋、和菓子屋、麹屋などだけが生き残れるのである。ということを、出雲市にて改めて認識した。

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