ドイツ版の「夕張線」に乗り、夕張線の廃線のことを考える [都市デザイン]
ドイツのエアフルト大学で夕張の話をしたら、「ドイツにも似たようなところがある。それは、ヨーハンゲオルゲンシュタットという町だ」と言われたので、早速、日曜日に訪れることにした。このヨーハンゲオルゲンシュタットはチェコとの国境沿いの町で、もう旧東ドイツの地の果てという感じではあるが、なんと鉄道が走っている。
これはツヴィカウの中央駅とヨーハンゲオルゲンシュタットとを1時間ちょっとで結ぶ線路である。終点はヨーハンゲオルゲンシュタットなので、ヨーハンゲオルゲンシュタットが夕張であれば、これは夕張線のようなものであろうか。そういうこともあって、ツヴィカウに前日に入り込んだのだが、ツヴィカウのホテルは中心市街地にあり、中央駅からはタクシーで12ユーロ(徒歩20分ぐらい)の距離にあった。これでは、荷物を持って移動するのは無理だ。しかし、中央駅には荷物預かり所もロッカーもない。というか、中央駅と中心市街地は路面電車で結ばれているのだが、なんと土曜日と日曜日はこの路線は運休していたことが最大の計算違いであった。
どうしよう、と思っていたら、この「ドイツ版夕張線」は日曜日も運行している中心市街地を通る路面電車の沿線の駅と400メートルぐらいの距離に駅があることが分かった。中央駅から2つめの駅である。これなら、ホテルに荷物を預けて、路面電車に乗れば「ドイツ版夕張線」に乗ることができる。
さて、その日は日曜日ということもあり、ホテルで朝食を取ることにした。ドイツは日曜日では観光地とガソリンスタンド以外は、ほぼ閉店しているので、朝食を町中で得ることはほとんど不可能だからである。ただし、朝食は7時からであった。ということで、朝食を最速で食べて間に合う時間の列車に乗ることにした。
ちなみに「ドイツ版夕張線」は1時間に1本走っている。さて、路面電車をツェントラムから乗り、3駅目のシュタット・ハレで降り、そこから歩いてシュデヴィッツという駅まで行く。こういう時は、iPhoneは本当に役に立つし、心強い。駅のホームには電車到着の10分ぐらい前に着いた。そこでぼんやりと列車を待っていると、鳥のさえずりが聞こえてくる。ザクセンの地方部の心穏やかになるような光景だ。
さて、この「ドイツ版夕張線」は非電化ではあったが、なんと複線であった。途中、一本しか行き交うことがなかったから、過剰投資であると思われるのだが、昔は貨物を含めてもっと多くの列車が走っていたのかもしれない。この列車は随分と牧歌的で美しい田園風景の中を走って行く。30分ほどでちょっと大きな町に出る。随分と高いトンネルが建っている。協会も立派だ。AUEという母音が3つ重なるだけの町名は、一体、どうやって発音するのか分からない。アーユーか。ちなみに、このAUEから先は単線になり、ダンダンと山は険しくなっていく。列車は川沿いを走っていく。私はドイツの非電化の鉄道路線を結構、乗っているが、それらと比べても車窓の自然美や街並みの景観はなかなか素晴らしい。
さて1時間ちょっとでヨーハンゲオルゲンシュタットに着いたのだが、日曜日の朝ということもあるのかもしれないが、乗客はまばらであった。平均して10人前後だと思われる。車両は2両でトイレ付き。おそらく相当の赤字であろう。しかし、ドイツではこういう赤字路線でも鉄道が運行されている。もちろん、補助金を受けているからだろうが、その補助金の根拠は何か、というと地方へのシビル・ミニマムを確保するという意識がしっかりとしているからだろう。
ヨーハンゲオルゲンシュタットがどの程度、夕張と類似しているかは、これから調べたりしないと不明だが、夕張線が廃線になることを考えると、なぜ、このドイツ版夕張線は、しっかりと運行されているのかをしっかりと検証するべきではないかと思われるのである。
このヨーハンゲオルゲンシュタットを含む旧東ドイツは東西ドイツの再統一以降、日本などと比べものにならないほど激しく人口が縮小した。しかし、それから27年経ち、一部の都市は人口減少が留まり、回復傾向がみられる。ライプツィヒのように1990年時にまで人口が戻ったところさえある。
ヨーハンゲオルゲンシュタットはどうなるかはまだ不明だ。ウラン鉱山ということで、ドイツが原発を廃止する政策を決定したことで、さらにその将来は見えないであろう。しかし、その人口減少を加速化させるようなこと、例えば、ツヴィカウという地方中心都市とを結ぶ鉄道を廃線するような判断はしていない。そこに日本と大きな違いが見いだせる。夕張線だけでなく、留萌線、三江線も廃線予定である。これらの鉄道がもたらした意義を、単に鉄道会社の採算だけで見てしまっていいのだろうか。これが、本当に日本政府が地方のこれからの将来に対して考えた結論なのだろうか。高齢化が進み、地球温暖化が進み、化石燃料が枯渇していく中、地方部の交通を自動車に依存するのは愚かである。そのような愚かさは、人々をさらに地方から都市部へと移動させることになるだろう。
自動車は無人運転される時代がくるからいいのだ、と思うのであれば、無人運転されるようになれば、さらに土地利用の高度化が移動の効率化に求められるようになって地方部は不利になるのだ。そして、その不経済によって物の値段などは都市部に比べて遙かに高くなる。
そのようなことをいろいろと考えさせてくれた、ドイツ版の夕張線であった。
(ほとんど乗客がいない車内)
(美しいザクセンのフォクトランドの景色の中を列車は走る)
(終点、ヨーハンゲオルゲンシュタット駅ではチェコの鉄道も入っている。チェコの国境はここから1キロメートルしか離れていない)
これはツヴィカウの中央駅とヨーハンゲオルゲンシュタットとを1時間ちょっとで結ぶ線路である。終点はヨーハンゲオルゲンシュタットなので、ヨーハンゲオルゲンシュタットが夕張であれば、これは夕張線のようなものであろうか。そういうこともあって、ツヴィカウに前日に入り込んだのだが、ツヴィカウのホテルは中心市街地にあり、中央駅からはタクシーで12ユーロ(徒歩20分ぐらい)の距離にあった。これでは、荷物を持って移動するのは無理だ。しかし、中央駅には荷物預かり所もロッカーもない。というか、中央駅と中心市街地は路面電車で結ばれているのだが、なんと土曜日と日曜日はこの路線は運休していたことが最大の計算違いであった。
どうしよう、と思っていたら、この「ドイツ版夕張線」は日曜日も運行している中心市街地を通る路面電車の沿線の駅と400メートルぐらいの距離に駅があることが分かった。中央駅から2つめの駅である。これなら、ホテルに荷物を預けて、路面電車に乗れば「ドイツ版夕張線」に乗ることができる。
さて、その日は日曜日ということもあり、ホテルで朝食を取ることにした。ドイツは日曜日では観光地とガソリンスタンド以外は、ほぼ閉店しているので、朝食を町中で得ることはほとんど不可能だからである。ただし、朝食は7時からであった。ということで、朝食を最速で食べて間に合う時間の列車に乗ることにした。
ちなみに「ドイツ版夕張線」は1時間に1本走っている。さて、路面電車をツェントラムから乗り、3駅目のシュタット・ハレで降り、そこから歩いてシュデヴィッツという駅まで行く。こういう時は、iPhoneは本当に役に立つし、心強い。駅のホームには電車到着の10分ぐらい前に着いた。そこでぼんやりと列車を待っていると、鳥のさえずりが聞こえてくる。ザクセンの地方部の心穏やかになるような光景だ。
さて、この「ドイツ版夕張線」は非電化ではあったが、なんと複線であった。途中、一本しか行き交うことがなかったから、過剰投資であると思われるのだが、昔は貨物を含めてもっと多くの列車が走っていたのかもしれない。この列車は随分と牧歌的で美しい田園風景の中を走って行く。30分ほどでちょっと大きな町に出る。随分と高いトンネルが建っている。協会も立派だ。AUEという母音が3つ重なるだけの町名は、一体、どうやって発音するのか分からない。アーユーか。ちなみに、このAUEから先は単線になり、ダンダンと山は険しくなっていく。列車は川沿いを走っていく。私はドイツの非電化の鉄道路線を結構、乗っているが、それらと比べても車窓の自然美や街並みの景観はなかなか素晴らしい。
さて1時間ちょっとでヨーハンゲオルゲンシュタットに着いたのだが、日曜日の朝ということもあるのかもしれないが、乗客はまばらであった。平均して10人前後だと思われる。車両は2両でトイレ付き。おそらく相当の赤字であろう。しかし、ドイツではこういう赤字路線でも鉄道が運行されている。もちろん、補助金を受けているからだろうが、その補助金の根拠は何か、というと地方へのシビル・ミニマムを確保するという意識がしっかりとしているからだろう。
ヨーハンゲオルゲンシュタットがどの程度、夕張と類似しているかは、これから調べたりしないと不明だが、夕張線が廃線になることを考えると、なぜ、このドイツ版夕張線は、しっかりと運行されているのかをしっかりと検証するべきではないかと思われるのである。
このヨーハンゲオルゲンシュタットを含む旧東ドイツは東西ドイツの再統一以降、日本などと比べものにならないほど激しく人口が縮小した。しかし、それから27年経ち、一部の都市は人口減少が留まり、回復傾向がみられる。ライプツィヒのように1990年時にまで人口が戻ったところさえある。
ヨーハンゲオルゲンシュタットはどうなるかはまだ不明だ。ウラン鉱山ということで、ドイツが原発を廃止する政策を決定したことで、さらにその将来は見えないであろう。しかし、その人口減少を加速化させるようなこと、例えば、ツヴィカウという地方中心都市とを結ぶ鉄道を廃線するような判断はしていない。そこに日本と大きな違いが見いだせる。夕張線だけでなく、留萌線、三江線も廃線予定である。これらの鉄道がもたらした意義を、単に鉄道会社の採算だけで見てしまっていいのだろうか。これが、本当に日本政府が地方のこれからの将来に対して考えた結論なのだろうか。高齢化が進み、地球温暖化が進み、化石燃料が枯渇していく中、地方部の交通を自動車に依存するのは愚かである。そのような愚かさは、人々をさらに地方から都市部へと移動させることになるだろう。
自動車は無人運転される時代がくるからいいのだ、と思うのであれば、無人運転されるようになれば、さらに土地利用の高度化が移動の効率化に求められるようになって地方部は不利になるのだ。そして、その不経済によって物の値段などは都市部に比べて遙かに高くなる。
そのようなことをいろいろと考えさせてくれた、ドイツ版の夕張線であった。
(ほとんど乗客がいない車内)
(美しいザクセンのフォクトランドの景色の中を列車は走る)
(終点、ヨーハンゲオルゲンシュタット駅ではチェコの鉄道も入っている。チェコの国境はここから1キロメートルしか離れていない)