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ズールという不思議なドイツの山間都市に行った [都市デザイン]

 エアフルト大学の先生達に連れられてズール(SUHL)というチューリンゲン州の都市に行った。あまりにも知らなかったので、それはてっきりチェコとの国境沿いにある都市なのかと思ったら、まったくちがって、むしろヘッセン州側にある都市であった。チューリンゲン州の南部は、チューリンゲン・ハイランドという標高1000メートル前後の山地が東西に拡がっている。チューリンゲン州はほとんどが、このチューリンゲン・ハイランドの北に当たるのだが、このズールは南にあり、また、その南は旧西ドイツであったため、今でこそドイツの地理的真ん中に位置しているが、旧東ドイツ時代は、山と国境に隔たれた僻地という位置づけであった。もう少し、具体的に説明するとエアフルトの50キロメートル南西、ヴルツブルクの68キロメートル北東といったところである。
 ズールは旧東ドイツにおいてはエアフルトとゲラと同じくチューリンゲン州の3つの地域の中心都市であり、東西ドイツが再統一された後も、人口は35000人と少ないがチューリンゲン州の6つの都市の一つである(前述の2つに加え、アイゼナハ、イエナ、ヴァイマールから6つの都市は構成される)。
 ズールの記録が残るのは14世紀頃からである。その当時は鉱山と鉱業の町であった。その後、産業革命を経ると、ズールはドイツの軍需生産都市になる。特にライフルと銃に特化した。また、シムソンという自動車、オートバイの会社もここを拠点にした。ちなみに山がちの地形のズールにおいては、農業はほとんど営まれなかった。一方で林業は盛んであった。
 ズールは1952年に旧東ドイツの14の地域の中心都市として指定される。これは、その人口規模などを考えると意外ではあるが、その地理的に周辺の都市と隔離されていたことなどから選ばれたと考えられる。ちなみに、他の13の都市はライプツィヒ、ドレスデン、フランクフルト(オーダー)、コットブス、エアフルト、ゲラ、ハレ、カール・マルクス・シュタット(現在のケムニッツ)、マグデブルグ、ノイブランデンブルグ、ポツダム、ロストック、シュヴェリーンである。基本的には人口が10万人以下はノイブランデンブルグとフランクフルト(オーダー)ぐらいである。しかも、この二都市でもズールよりは人口は多い。つまり、14都市の中で最もズールは人口規模が小さい中心都市であったことが分かる。
 さて、しかし経済地理的な要因ではなくとも都として指定されたことで、それなりの雇用が生じるし、また都であるために、1960年代には社会主義のシンボル的な建築物が多くつくられ、それは現在でも多くが残されている。そして、東西ドイツ統一後は、この行政的な機能を失い、また工業も競争力がないため、雇用を失い、多くの人口を流出させ、減少が進むことになる。1988年に比べるとズールは35%の人口を失った。
 ズールのそもそもの人口であるが、1935年ぐらいまでは15000人前後で安定していた。しかし、第二次世界大戦が始まると軍需が増えたことに伴い、1940年には26000人まで増える。旧東ドイツになっても武器への需要は減らず、また前述した行政機能も加わり、1988年には56000人まで増加する。しかし、そこからジェットコースターのように下り一方に下がるのである。2015年には36858人まで減る。
 ズールの人口減少においては、ライプツィヒやコットブスのような郊外への人口流出というのはほとんど見られなかった。というのも、小さな盆地というよりかは、谷間につくられた都市のようなものなので郊外化する余地もなかったからである。その人口減少の主要因は旧西ドイツや周辺の大都市への流出である。ライネフェルデのように、そこに住んで旧西ドイツに通うほどは交通の便がよくなかったので、そのまま移転する人が多かった。
 幾つかの社会指標をみると移民の少なさと失業率の低さが相対的に目立つ。しかし、移民の少ないのは、移民にとっても魅力が少ないため、そして失業率の低さは、失業者がこの都市に留まらないからだそうだ。
 公共交通に関しては、ズールは山がちのため、鉄道が通るのも遅く1882年にヴルツブルクと結ばれ、1884年にはエアフルトと結ばれる。現在でも、この路線は通っている。大戦前は、この路線はベルリンとドイツの南西部を結ぶ重要な役割を担ったが、東西ドイツが分裂し、現在に至るまで特急列車がここを通ることは再統一以降の一瞬を除くとなかった。
 この都市、実際、訪れると、社会主義時代の高層ビルが谷間に林立し、その下にやはり社会主義時代につくられた低層の集合住宅が展開するなど、極めて旧東ドイツの空気を以前、放っている都市である。コットブスやゲーリッツ、ヴァイマールといった歴史的な雰囲気はほとんどなく、ちょっと異様な感じを受ける。軍需都市ということで、爆撃を相当、受けたことも関係があるのかもしれない。
 土地の制約の大きさ、歴史的アイデンティティの無さなど、この都市を再生させる方法を考えるのはいろいろと難しいのではないか、と思いながら町を歩いた。

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(社会主義時代につくられた公共施設)

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(都心部につくられたショッピング・センター)

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(都心部の建物。社会主義的なファサード)

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(東西統一後につくられた建物と社会主義時代につくられた高層ビル)

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(社会主義時代につくられたテラス・ハウス。大通り沿いなのでちょっとオシャレなファサードになっている)

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(高層ビルは社会主義時代につくられた)

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(ズールに残った数少ない工場)

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