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アメリカ合衆国の社会文化の特徴は暴力的であることではないか [トランプのアメリカ]

 トランプ大統領の就任式が行われたが、それへのプロテストのデモがアメリカ各都市で行われ、150万人を動員したようである。マイカル・ムアーを始めとして蒼々たる人々が、各都市でデモの人々に向かってスピーチを行った。皆、素晴らしいスピーチであったが、私の心を最も揺さぶったのはアシュリー・ジャッドのスピーチであった(https://www.youtube.com/watch?v=pLaAEpPX090)。ヒラリー・クリントンのことをドナルド・トランプは、「ナスティー・ウォマン」と罵倒したが、それを受けて「私はナスティー・ウォマンである。しかし、彼ほどはナスティーではない」という内容を繰り返すスピーチは詩のようにリズムカルであり、情緒性に溢れ、そして人々を扇動するものであった。その他では、ボストンのエリザベス・ウォレン上院議員のものに感銘を覚えたが、まあウォレン上院議員のそれはいつもの通り、板に水を流すように流暢で論理的なスピーチであり、一度、彼女の話を聞けば、トランプ大統領には絶対、票を入れないと思うほど説得力があるものであった。
 さて、しかし最もショッキングであったのはマドンナのそれであった(https://www.youtube.com/watch?v=pLaAEpPX090)。マドンナはウォレン上院議員のように論理と理性に訴えかけるのではなく、またアシュリー・ジュッドのように情緒性に訴えかけるものではなく、ずばりストレートに怒りに訴えかけたものであった。彼女はスピーチで「ホワイトハウスを爆破しようと考えた」と述べ、Fワードを三回ぐらい連発した。まあ、ロックは怒りの衝動を音楽として昇華させる一つの手法であり、ロック・アーティストであるマドンナがそのようなスピーチをするのは納得できない訳でもないが、トランプが行う暴力に対して、暴力に応じるという考え、少なくともそういう暴力的な衝動を刺激するといった内容のスピーチをしたことは、平和的解決ではなく暴力的解決を指向したがるアメリカ的なものであるとの印象を受けた。ちなみに、私はアーティストであるマドンナはそれほど感心してはいないが、人間としてのマドンナはとてもリスペクトしている。しっかりとした考えを持ち、また生き方も誠実であると私は捉えている。しかも、ビッチなイメージが定着しているマドンナであるが、彼女はミシガン大学というミシガンで最も難関な大学に入学している才媛である(アシュリー・ジュッドはハーバード公共政策大学院出である)。まったくもって侮れない大人物である。
 しかし、そのようなマドンナであっても、やはり世の中の課題に対しての解決手法の一つとして暴力的な発想になってしまう(実際はやらない訳であるが)というのは、私はとてもアメリカ的であると思う。トランプ大統領が暴力的であることは間違いないが、それに対抗するグループも暴力的な対抗策を選択肢として捉えてしまうことは、さらにアメリカという国を分裂させていくであろう。とはいえ、対抗するしかないので選択肢もないのだろうが。つくづく、トランプを大統領にしてしまったことによりアメリカ国民が抱えてしまった負債の大きさに愕然とする。
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