SSブログ

ポケモンGOをしない人が、しない人に取材をして、へんな分析をすることは止めてもらいたい [その他]

12月12日からポケモンGOのポケモンが追加されることになった。ちょうど、その前日に私はポケモンをコンプリートさせた(海外バージョンのガルーラとケンタウロスはゲットしていない。バリヤードはゲットしている)。ちょっと、このように告白すると恥ずかしい。いい大人がポケモンGOをしていることを恥じている自分がいるからだ。さて、そのようなポケモンGOであるが、「若者がポケモンGOから離れた理由」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161216-00000002-zdn_m-sci)などと、したり顔で分析している人達が多いことが気になっている。ポケモンGOをしていない若者に取材をして、ポケモンGOをしていない人が、なぜポケモンGOをしないのかを聞いても、その理由が分かる訳がないだろう。私はホヤが好きでないが、「ホヤを食べない」人達がなぜ「ホヤを食べないのか」を、本人もホヤを食べない人が取材をして分析を試みても、ホヤをマーケティングする戦略が見えないことと同じである。ホヤを食べる人達はとても多くいて、それらの人をマーケットとして、ホヤ産業は十分に成立している。別に、我々のような「食べない人達」が食べなくてもどうでもいいのである。このエッセイは、「新ポケモンの追加でさらなる盛り上がりを見せるポケモンGOですが、若者たちをどこまで取り込んでいけるのでしょうか」と締めているが、私からすれば、今の状態でも十分にポケモンGOをする人が多すぎて、盛り上がっていて、ちょっと困っているぐらいである。これ以上、増えると逆に一人当たりの効用は減るので、そこまで儲けなくてもいいだろう、という気分である。さて、それでは、なぜ私のように未だポケモンGOをする人がいるのに、飽きている人もいるのか。ポケモンGOをしている私が解説したいと思う。

まず、ポケモンGOというゲームの本質を理解していない人が多いことが挙げられる。別に本質を理解したとしても、それに興味を持たなければどうでもいいことであるが、それを知る前に飽きてしまう人が多い。多くの途中で飽きた人達は、このゲームはポケモンをゲットすることが目的であると考えている。それも一つの側面であるが、このゲームはポケモン・ジムにて、バトルをしながら陣取り合戦をすることこそが、もう一つの目的であり、これはなかなか楽しいゲームであると私は捉えている。そして、バトルをするためには、ゲットしたポケモンを強化させなくてはならない。この育てる、という側面もこのゲームを楽しくさせている点だ。どのポケモンを鍛え、ジムに参戦させるのか。タイプごとに、戦略ごとに、いろいろと考えなくてはならない。ポケモン・ジムで参戦をして勝てばコインがもらえる。コインによって、孵化器などのグッズを購入することができる。孵化器はポケモンの卵を孵化させるのに必要な道具で、いくらあっても困らない。お金を払っても買うことができるが、流石にそれはちょっともったいないので、私は毎日、海外にいても10コイン(最低の単位が10コインから)はゲットするように努めている。このコインのインセンティブがあることは、プレイする人達の大きなインセンティブになっていると思う。このバトルのシステムは非常によく考えられており、つくづく、このゲームは洗練されていると思う(タイプごとに弱点と強みがあるところとか)。私は、駅から家に帰る際に、2つ、状況に応じては3つほどジムを訪れ、バトルをしてから帰宅をしている。バトルをしている姿は、ちょっと人に見せられなくて、その点は相当、このゲームの弱点ではあると思うが、喫茶店でやれたりもするところがあるので、それは助かっている(ゲームをしているのではなく、メイルを打っているように見えるからである)。
 ポケモンGOをポケモン・ゲットと捉えている人が飽きてしまうのはもったいないと思うが、このゲットするという行為自体にも、なかなか楽しい工夫が為されており、もう少し真剣にやれば楽しみが分かると思うのである。レア・ポケモンのポケモンの巣に訪れて取るのは、あたかもカブトムシがわんさかといる森に行って、それらを取る時のような興奮を覚える。そして、そのために知らない公共空間(たいてい公園などの公共空間がポケモンの巣に設定されている)を訪れるのも悪くない。こんないい公園が東京にはあったのか、などを知る機会を提供してもらって感謝をする時もあるぐらいだ。
 私の場合は、子供達はあまり興味を持っていないが、家内もはまっているので、なかなか夫婦のコミュニケーション・ツールとしてはプラスになっている。もちろん、そういうのがまったく不要なおしどり夫婦であれば、いらないのであろうが、ちょっと夫婦仲が怪しい場合は、ポケモンGOはプラスしかもたらさないであろう。
 私の子供は一人が大学生で、ポケモンGOは家族で最初に手を出したのだが、一番早く飽きた。それは、ポケモンGOというゲームに問題があるというよりかは、その奥深さを追求するような意欲、好奇心が欠けているからである。そんな、好奇心のない若者に媚びて、合わせていたら、ゲーム自体の楽しさを損なう。というか、バトルをしているとつくづく感じるのは、皆、やり過ぎ。香港とかに来て、おっ!ここはポケモンのレベルが低いな、と喜んだのだが、バトルでやっつけても瞬時でまたバトルを仕掛けられてしまう。レベルが低いが、ポケモン・バトルの参加度は東京を上回るのではないだろうか。ポケモンGOに嵌まっている人達は、既に世界中に十分いるし、私としてはちょっとコインを稼ぐためには、皆があまりにもポケモン・バトルをやり過ぎるわ、と自分のことを棚に上げて思ったりしているぐらいだ。現状のポケモン・ジムの数からすると、参加者は飽和数に近いのではないだろうか(いや、さらに参加者が増えればジムを増やすだけでしょうが)。ということで、本当、ポケモンGOをしない人が、しない人に取材をして、へんな分析をすることは止めてもらいたい。というか、したり顔は格好が悪い。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0