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下北沢駅前の再整備は、日本のまちづくりが民主主義的に行えるのかのリトマス紙のようになっている [都市デザイン]

 小田急線が地下化したことで出来た上部周辺のまちの関わり方を考える「北沢PR戦略会議」の第二回全体会議に傍聴者として参加した。日曜日の朝の9時30分という厳しい時間であったにも関わらず、発表者達はもちろん、私のような傍聴者も多く、これはやはり下北沢という街が有する魅力故なのではないかと感じた。世田谷区長の保坂さんも出席をしていた。彼の下北沢への強いコミットメントがうかがえる。
 さて、これはなかなかボトムアップ的なまちづくりとしては画期的な試みなのではないかと思っている。市役所主導ではあるが、6つの活動テーマ(下北沢を緑化するグループ、下北沢案内チーム、イベント井戸端会議、ユニバーサル・デザイン・チーム、エリア・マネジメントのグループ、シモキタ編集部)に分かれた住民グループが、それぞれ、下北沢をよくしようと積極的に活動をしている。大企業による街づくりは、土地を使っていかに金を稼いでやろうか、というモチベーションで展開されている。大企業の人達は投資額も大きいし、彼ら・彼女らは賢いので、広告などもうまく活用し、起動時においては結構、街づくりが魅力的に映えたりする。武蔵小杉や二子多摩川などが、まさにそのような典型であろう。そのような街づくりに比して、住民やそこで仕事をしている商店の人達が主体となって街づくりを進めているのが、たとえば自由が丘や岐阜県の郡上八幡、長野県の小布施などであろう。このような街は、必ずしも利益だけでなく、その街がどのように持続していくことが可能であるか、自分達の生活もかかっているので真剣に考える。自由が丘も郡上八幡も、コンサルタントとかが「他にこういう優れた事例があります」などと紹介すると、「なんで他の事例を聞く必要があるのか。自分たちの町がどうなるかを考えることこそが重要なんだ」と回答するそうであるが、他人の真似ではなく、自分たちのポテンシャルをいかに活用することこそが重要であることを強く自覚しているからこそ出てくる発言であろう。
 そして、今、下北沢は商店主や住民などが中心となって街づくりをしようと動いている。この会議でも、緑化グループなどは駅前広場の活用で、なかなかクリエイティブな優れた意見が出ていたりした。
 さて、一方でこのようなアイデア出しがされているにも関わらず、どこかで駅前広場の設計が着々と進んでいる、という話を聞いた。すると、せっかくソフト面での優れたアイデアが出ても、それが実現しにくいことになってしまう。私もそのような問題提起をしてみた。そこで出てきたのは、「そんなことを言っても、ここまで積み上げてきたので後ろに戻ることは出来ない」というような回答であった。これに関しては、会場からも不満がもたらされていた。
 私は、役所の人がこのように回答するのはある程度、想定されたが、何かしっくりとこない違和感を覚えた。この違和感を考察していて、あることに気がついた。というのも、都市デザインとか都市計画とかは、あくまでも方法論、手段であるはずなのに、いつの間にかそれが目的になってしまっているということだ。つまり、人々が出すアイデアを具体化させる方策、手段として都市デザインや都市計画がある筈なのに、これらの事業こそが目的になってしまい、その出来上がったものをいかに活用するというためのソフトのアイデア出しになってしまっているのだ。つまり、主客転倒しているのだ。
 このような目的と手段が置き換わってしまう状況は、道路事業、原発などにも共通することであり、2020年の東京オリンピックもオリンピックという都市整備のための手段が目的と置き換わってしまっている。どうして、こういうことが起きているのかというと、公共事業が人々の生活を豊かにするという本来の目的から逸脱して、公務員がサラリーマン的にそれを遂行することこそを最優先に捉えてしまっているからであろう。
 この構造を変えない限り、日本において優れた公共空間、都市空間はつくれないであろう。下北沢はまさにその試金石となっている。下北沢は住民の力、そして思いが非常に強い。この住民の「声」が、実際のまちづくりに届かないのであれば、どこで届くことが出来るであろうか。まさに、日本のまちづくりの瀬戸際に立たされているのが下北沢なのではないだろうか。
 私も微力ながら、住民の「声」が駅前の公共空間に届くように出来ることをしていきたいと考えている。

タグ:下北沢
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