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ライプツィヒのシュピネライを再訪する [都市の鍼治療]

 ライプツィヒに来ている。日本人の知り合いも一緒である。なぜか私がガイドすることになったので、シュピネライを訪れた。もうライプツィヒはおそらく15回くらい来ていると思われるのだが、いざ、誰かを連れて行くとなるとあまり知っていないことに気づく。ということで安直ではあるが鉄板でもあるシュピネライに来たのである。
 シュピネライではツアーガイドがいる。一人11ユーロであるが、ガイドなしでここを見回るのは無理なので有り難い。さて、シュピネライはヨーロッパ大陸最大の紡績工場が一大アート・センターに変容した事例である。現在では120のスタジオが開設しており、150人の雇用が創出されている。このきっかけとなったのは、ライプツィヒ出身の有名画家であるネオ・ラウフがここにスタジオを設けたことである。ネオ・ラウフは一枚の絵が7500万円とかで取引されるそうである。絵ってそんなに高いんだ。こんなに高く買ってもらうのであれば、みんなもっと絵描きを目指してもいいんじゃないか、などと思ったりする。閑話休題。
 そしてネオ・ラウフがスタジオを設けたということで多くの画家がここにスタジオを持ちたがるようになり、2005年頃にはライプツィヒ中のギャラリーがここに集まってきたそうである。
 この紡績工場はカール・ハイネというライプツィヒの有名な企業家がつくったのであるが、住宅、病院、クラインガルテン、墓地まで揃えた「都市の中の都市」として機能する。ほとんどの従業員は女性であった。1920年代は14時間労働であったが、不況を経て10時間労働へと短縮された。タンザニアやブフンディといった植民地の人々もここで働いていたりした。当時の写真をみせてもらったが、ドイツ女性の中に黒人の女性が交じっていた。
 東ドイツに分かれてからは、この工場は政府に没収された。政府の管理下で工場は運営されたのだが、当時は女性2000人が働いていたそうである。東ドイツの仕事の中ではそうとういい条件だったようだ。チャイルド・ケアの施設が工場内にあったのだが、そこでは月曜日の朝に子供を預けて金曜日の夕方に受け取っていたそうだ。つまり、子供と時間を過ごせるのは週末だけのようだが、これは働く女性にとってはとても有り難いことだったそうだ。こういう感覚はちょっと日本人にはないような気がする。私も抵抗があって聞いていたが、これは働く女性の大変さを理解していないから出てくる感情かもしれない。また面白いのは、東ドイツ時代、ここでつくられた製品は旧西側に輸出されて外貨を獲得していたということだ。
 ここは東西ドイツが統一された後もしばらくは紡績工場として生きながらえていた。しかし、競争力もなく倒産。その後、ケルンの投資家がここを購入する。紡績工場の備品などを海外などに売ったりしていたのだが、4人のパートナーから構成される企業がこの投資家から買収。そして今にいたるそうだが、ライプツィヒや社会主義の歴史を感じることができ、また巨大工場という産業遺産を体験でき、さらにはアート・シーンの最先端の雰囲気を感じることができる。
 ライプツィヒでも目玉的な観光スポットであると思われる。ただ、ガイドに「以前も来たよね」と指摘された時は気まずかったが。
 
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