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ゆとり教育世代は、最もゆとりがない社会人人生を送る世代になるであろう [教育論]

 大学の教員をしている。今の大学生はゆとり世代である。長女が大学生である。長女もゆとり世代である。さて、ゆとり世代は、本来的に社会で生きていくための基礎的な学力などが相当、疎かである。大学の講義をするのも本当に難しい。というのは、ある程度、勉強をすると物事や人間の面白さ、奥深さが分かるのだが、それがないといかにも表層的で浅薄なものの見方しかできないからだ。人が歴史を勉強するのは、そういうものをみる透徹力を鍛えることが大きな理由の1つかと思われるが、そのような鍛錬が今の大学生(少なくとも私が奉職している大学)にはされていない。その結果、ものの本質が理解できないので卒論などが書けない。というか、そもそも書く気もしなくなる。口はちょっと達者であったりするが、実行力というか、何かを成し遂げる能力は極めて前の世代に比べると劣っている。
 私のゼミはこれまで人気ゼミであったが、いきなり人気がなくなった。これは、私がゼミの応募に際して厳しい課題を課していたので、それを敬遠したからだ。昨年、人気だったゼミの先生がやはり課題を出したら、50人くらいから9人にまで応募数が激減した。私も昨年に懲りたので、今年は課題を撤廃したら、いきなりまた増えた。とりあえず何が勉強したいというものもないので、易きに流れるのである。彼らが社会に出て行ったら、これまで日本を動かしていたシステムも回らなくなるのではないか、と本当、心配である。
 とはいえ、彼らは彼らで犠牲者でもある。ある学生が「僕が英語ができないのは英語教育のせいです」と言ったのには呆れ返ったが、彼らは彼らでそういう被害者意識をも持っている。まあ、私のようにほとんど独学の人間からすれば、英語ができないのを英語教育のせいにするのはちゃんちゃらおかしいが、そのような思考力しかないのも、ゆとり教育故かもしれない。
 私の場合は長女もゆとり教育なので大変なのだが、国立大学の理系なので、とりあえず勉強ばかりしているので、このゆとりをどうにか大学、そして大学院で補う「ゆとり」を与えられているが、私立文系の学生達は、これまでも「ゆとり」で大学も「ゆとり」なので、まったく社会に出るうえで貯金もつくれていないので大変な事態になるのではないか、と本当心配である。せめてネットワークでもしっかりとつくってから卒業してもらえればと思うが、ここらへんのヒューマン・ネットワークのつくりかたも上手くないような気がする。
 ゆとり世代は、どうも人間関係を損得だけで捉える傾向があるように思えてしょうがないのだが、これは私の思い過ごしであろうか。今年はゼミ生の結婚式に5回ほど出席した。10年から8年前に卒業した学生達だ。しかし、10年後に私は結婚式には出ないような気がする。そのような関係性を学生が築こうともしないからだ。
 いやはや、こういうことでは、社会に出たら、本当に「ゆとり」のない人生を送ることになるであろう。いや、それとも日本という国を機能させていたシステムも動かせずに、国ごと沈没するか。ゆとり教育の弊害は、とてつもなく大きなものがあるような気がしてしょうがない。
 まあ、なんでも「ゆとり教育」のせいにするのは間違っているかもしれないが、このジェネレーションに特徴があるのだけは確かであろう。そして、彼らがゆとりない社会人を送ることになるのは、本来、鍛えておかなくてはいけない胆力や知識を習得させなかった「ゆとり教育」に問題があると思われるのだ。

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