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川島なお美さんの訃報に接し、彼女と福島との関係をタブー視させようとする圧力に対して違和感を覚える [原発問題]

 川島なお美さんが亡くなられた。私はテレビをほとんど見ないので、あまり彼女のことを知らないのだが、文化放送のラジオ番組のDJを担当していたとき、たまに聴いていた。おそらく受験生の時だったと思う。
 彼女が亡くなられてから、福島原発事故後に福島を訪れたのが癌を発症させた原因ではないか、という情報がネット上を巡っている。事故が起きた3ヶ月後に訪れて「福島美味しい。風評被害に負けるな」などとブログで書いている。そこで、ある程度放射能を受けて、それから4年以内で亡くなるのは、私の理解だと早すぎると思うが、ある程度の大きさの癌ができていて、それを福島で放射能を少量だろうが浴びて(ちなみに福島では3ヶ月後ではまだ相当の放射能残量が残っている)、それで病状を悪化させたということだったらあり得るかなと思ったりはする。
 さて、その因果関係を私は専門家ではないし、その背景を詮索する気持ちもない。故人に失礼だと思うし、被災支援をした故人の気持ちは立派であると思う。
 ただ、このような疑問をネットで書いた人に対して、攻撃をする人達がいる。非人間的だ!とか福島に謝れ!とかである。私は、このような疑問を抱くことは自然だと思う。現在でも、普通の300倍程度の小中学生の甲状腺癌が福島で起きている。そのような状況を理解していれば、「もしかしてそうなのかも?」という疑問を持つのはむしろ当然だろう。この300倍、というか、この数字はどんどん今後、増えていく(チェルノブイリだと事故以前と以後だと400倍にまで伸びている)ことを考えると、この数字を「風評被害」だと片付ける方が「風評被害」ではないか、と私は思うのである。
 ここで「風評被害」だと言うことで、その真実が隠される。そして、真実を知りたい人は口をつぐむ。その結果、社会には相互不信が渦巻いていくのである。そうなったら、会社でもコミュニティでも国でも崩壊してしまう。
 確かに、川島なお美さんの親族の方や熱烈なファンであれば、こういう疑問をこの時点で公にすることで不愉快を覚えると思う。ただ、東日本には放射能の静かなる危険が存在していることは紛れもない事実だ。私は福島の浜通りに震災後、結構、通った。先週もいわき市を訪れている。福島第2も見に行ったりしたことがある。川内村の音楽祭にも参加した。そういう時、ガイガーカウンターを持って行く。ガイガーカウンターは結構、時たまであるが高い数字を出す。ガイガーカウンターの数字は風評被害ではない。これが風評被害だということが風評被害である。
 私は、故人が福島に行ったことを非難する気持ちはまったくない。私も行っているので、自分がそれを引き金で亡くなるようなことがあっても受け入れる。そういう覚悟をもって福島に人は行っていると思う。そこに住んでいる人もそうである。万が一のことがあっても受け入れると思う。というか、受け入れる覚悟がなければ住んだり、通ったりできない。そのことを非難することは、確かに「余計なお世話だ」と思うが、そのことで癌になったり、早く亡くなったりしたことを、福島と関連づけて推測することさえ、非人間的だというのは、逆に失礼だと思うのである。
 そういう事態が起きたら、それと因果関係があるかな、と思うのは極めて自然であるし、そのような危険な状態にあるのであれば、それをむしろ警鐘するために、残されたもののためにも明らかにする方が故人は浮かばれるのではないかとさえ思う。少なくとも私はそう思う。
 いわき市には友人が生活している。会社の社長をしている。それは、ちょっと私が表現するのも憚れるほどの覚悟をもってしているのだ。その会社は東京にも支店がある。そこを本店にして、いわき市は支店にしてもいいと思うし、彼もそれは随分と考えたのだが、それでも相当の覚悟でいわき市の本社を維持している。私のガイガーカウンター時計は、彼に購入してもらっている。ちなみに、いわき市とかでガイガーカウンターとかを持たないで生活するのは、消費期限をみないで肉を食べることに近いかもしれない。というか、有毒ガスが出るところをハイキングしているようなものかもしれない。有毒ガスが出るハイキング・コースなんて日本にはわんさかある。しかし、そういうところもハイキングをする人は多い。ただ、皆、危険を自覚してハイキングをしているのだ。
 福島には危険はある。その危険を指摘したり、そのことに疑問を抱いただけで、あたかも非国民のように批判する人こそ、本当に危険人物であることを我々は自覚するべきであろう。
 とはいえ、川島なお美さんの訃報は心が痛む。ご冥福をお祈りします。


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