シエナを訪れ、カンポ広場の素晴らしさに感銘を受ける [都市デザイン]
ベネチアを遂に訪れた私が、次に足を運んだところも、都市デザインを研究しているものが行っていないともぐりと後ろ指を指されるような都市である。私も30歳ぐらいの時からずっと行きたいと思っていたところである。Spiro Kostofの「City Shaped」を30歳ぐらいの時に読み、もう大いに感銘を受けたのだが、その表紙がまさにこの都市の広場であった。
イタリアは、興味はあったが、それほど行く機会はなかった。仕事で行く機会は一度もなかった。よく考えたら、今回も含めてすべてプライベートの旅行である。私はプライベートで海外に行くような余裕が実はないので、どうしても後回しにされてしまうのである。しかも、語学的な問題がある。私は英語に次いでドイツ語がまあ多少はできる(ドイツ語2級)。そして、スペイン語とポルトガル語は学校に結構、通った(しかし、大してできない)。さらに大学時代の第二外国語はフランス語であった(これは、悲しいぐらいできない)。もう、これ以上、新しい言語を覚える気はない。あるとしたら韓国語ぐらいである。だから、イタリアは敬遠していたのである。
これまで2度行ったことがあるが、どちらも友人からの誘いについていったものであった。ということで、自発的に行き先を決めたのは、今回が初めてである。そしてとりあえずベネチアに行ったというアリバイをつくった私が次に向かったのは、シエナであった。
シエナは前回、フィレンツェを訪れた時、どうにか行こうと画策したのだが、うまくスケジュールが合わなかった。今回はもうシエナに行くことが目的であるし、シエナのホテルも押さえたので大丈夫だ。
とはいえ、フィレンツェから急行に乗っても1時間30分かかる。まあ、幹線道路や幹線路線から離れているから、その魅力が維持できているという側面もあるのかもしれないが、結構、不便である。さて、そして旧市街地は鉄道駅から2キロメートルほど離れている。私の宿も旧市街地に位置するので、駅からはタクシーで宿に向かった。チップを入れると10ユーロである。
さて、宿へ向かう道で、このシエナという町が坂だらけの町であるとういことが分かった。坂の上につくった城塞都市である。ホテルはちょうど城郭のあったところの外側に位置していた。荷物を置いて、急いた気持ちを抑えつつ、とりあえずPiazza del Campoに向かう。前述したSpiro KostofのCity Shapedの表紙に描かれた広場である。ホテルから広場へはずっと下り坂であった。さて、そしてゲートのようなものをくぐると、その広場があった。この広場は半円の会場をしており、幾つかの扇形を重ね合わせたような形状となっている。そして、この扇の要、すなわち半円の中心が最も低い地点になっている。この広場の周囲は5メートルぐらいの舗装されていない道路によって囲われている。この道路は年2回、パーリオという馬のレースが行われるのに使われる。実は、私が訪れた日はちょうどその日に該当した。
そして、その道路の脇には建物がずらっと並ぶ。そして、半円の直線に沿ってはプッブリコ宮が屹立する。この建物が威厳はあるが、抑圧的ではなくいい感じなのである。絶対的な権力を象徴しているのではなく、こう民主的なルールを遵守する潔癖さを象徴するような印象を与えるのである。華美ではなく、質実剛健なところがそういう印象を与えるのかもしれない。このプッブリコ宮に見守られているカンポ広場、これは確かに空間的には素場らしい。
そこで横になると何ともいえずにいい気分になる。知り合いが「ビーチに寝そべっているような気分になる」と言っていたが、まさにビーチにいるような居心地のよさ。心地よい中世の建物に囲まれ、プッブリコ宮に見守られ、このカンポ広場で佇んでいると、広場という空間の素晴らしさがよく理解できる。
私がこれまで訪れた広場でもっとも好きなものはドイツのゴスラーの広場であるが、いやあ、ここもそれに負けず劣らずに素場らしいものがある。というか、規模の大きさという点でゴスラーの広場とは比較できないかもしれない。カンポ広場のスケールがなぜ、素場らしいのか。おそらく相当の研究が為されてきていると思うのだが、もし人生に余裕があれば調べてみたいものである。
(カンポ広場、マンジャの塔から望む)
(カンポ広場)
(カンポ広場。右手がプッブリコ宮とマンジャの塔)
(年に2回、開催されるパーリオではカンポ広場は人で埋め尽くされる)
イタリアは、興味はあったが、それほど行く機会はなかった。仕事で行く機会は一度もなかった。よく考えたら、今回も含めてすべてプライベートの旅行である。私はプライベートで海外に行くような余裕が実はないので、どうしても後回しにされてしまうのである。しかも、語学的な問題がある。私は英語に次いでドイツ語がまあ多少はできる(ドイツ語2級)。そして、スペイン語とポルトガル語は学校に結構、通った(しかし、大してできない)。さらに大学時代の第二外国語はフランス語であった(これは、悲しいぐらいできない)。もう、これ以上、新しい言語を覚える気はない。あるとしたら韓国語ぐらいである。だから、イタリアは敬遠していたのである。
これまで2度行ったことがあるが、どちらも友人からの誘いについていったものであった。ということで、自発的に行き先を決めたのは、今回が初めてである。そしてとりあえずベネチアに行ったというアリバイをつくった私が次に向かったのは、シエナであった。
シエナは前回、フィレンツェを訪れた時、どうにか行こうと画策したのだが、うまくスケジュールが合わなかった。今回はもうシエナに行くことが目的であるし、シエナのホテルも押さえたので大丈夫だ。
とはいえ、フィレンツェから急行に乗っても1時間30分かかる。まあ、幹線道路や幹線路線から離れているから、その魅力が維持できているという側面もあるのかもしれないが、結構、不便である。さて、そして旧市街地は鉄道駅から2キロメートルほど離れている。私の宿も旧市街地に位置するので、駅からはタクシーで宿に向かった。チップを入れると10ユーロである。
さて、宿へ向かう道で、このシエナという町が坂だらけの町であるとういことが分かった。坂の上につくった城塞都市である。ホテルはちょうど城郭のあったところの外側に位置していた。荷物を置いて、急いた気持ちを抑えつつ、とりあえずPiazza del Campoに向かう。前述したSpiro KostofのCity Shapedの表紙に描かれた広場である。ホテルから広場へはずっと下り坂であった。さて、そしてゲートのようなものをくぐると、その広場があった。この広場は半円の会場をしており、幾つかの扇形を重ね合わせたような形状となっている。そして、この扇の要、すなわち半円の中心が最も低い地点になっている。この広場の周囲は5メートルぐらいの舗装されていない道路によって囲われている。この道路は年2回、パーリオという馬のレースが行われるのに使われる。実は、私が訪れた日はちょうどその日に該当した。
そして、その道路の脇には建物がずらっと並ぶ。そして、半円の直線に沿ってはプッブリコ宮が屹立する。この建物が威厳はあるが、抑圧的ではなくいい感じなのである。絶対的な権力を象徴しているのではなく、こう民主的なルールを遵守する潔癖さを象徴するような印象を与えるのである。華美ではなく、質実剛健なところがそういう印象を与えるのかもしれない。このプッブリコ宮に見守られているカンポ広場、これは確かに空間的には素場らしい。
そこで横になると何ともいえずにいい気分になる。知り合いが「ビーチに寝そべっているような気分になる」と言っていたが、まさにビーチにいるような居心地のよさ。心地よい中世の建物に囲まれ、プッブリコ宮に見守られ、このカンポ広場で佇んでいると、広場という空間の素晴らしさがよく理解できる。
私がこれまで訪れた広場でもっとも好きなものはドイツのゴスラーの広場であるが、いやあ、ここもそれに負けず劣らずに素場らしいものがある。というか、規模の大きさという点でゴスラーの広場とは比較できないかもしれない。カンポ広場のスケールがなぜ、素場らしいのか。おそらく相当の研究が為されてきていると思うのだが、もし人生に余裕があれば調べてみたいものである。
(カンポ広場、マンジャの塔から望む)
(カンポ広場)
(カンポ広場。右手がプッブリコ宮とマンジャの塔)
(年に2回、開催されるパーリオではカンポ広場は人で埋め尽くされる)