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新国立競技場のコンペ案破棄にちょっと思いを馳せる [都市デザイン]

新国立競技場のコンペ案が破棄された。まず、コンペで選んでおいて、それを破棄するというのは、コンペの審査委員会の全面否定である。委員会に委託をしたのであるから、それを破棄するのであれば、その委員会に然るべく責任があることについて言及すべきであろう。というか、これは安藤忠雄に問題があったと判断したことである。どこが問題であったのかをしっかりと明らかにすべきであるし、そのようなプロポーザルで提案し、それをIOCも認めたうえでオリンピック開催を勝ち取ったのであるなら、そのプロポーザルが実現できない時点で、オリンピックを返上するのが筋であると思う。というか、そんな簡単に破棄できるなら、国際コンペをするべきではないだろう。日本はさいたまアリーナの時もそうだが、国際コンペで選んでおきながら、それを却下するという悪評がそうでなくても高かった。世界の建築家からは「またか」と思われているだろう。何ともいえないだらしなさである。

さて、しかし、コンペ案を破棄してもどうせオリンピックは返上しないであろうから、私がここで息巻いてもしょうがない。私がここで書きたいのは、みんな、本当にザハのデザインがそんなにも嫌いなのか、ということである。私は全然、嫌いじゃない。というか、むしろ好きである。以前もこのブログで書いたことがあるが、21世紀のシドニー・オペラハウスのような迫力が感じられる。もちろん、それが神宮の森に合わない、と言われればそうではあるが、このような圧倒的な建築のランドマークが東京には必要だなと思うのである。

私はプラハの学会で、今週の水曜日に「高校生の東京のイメージ・マップ調査」の研究発表をした。192人の高校生に東京のイメージ・マップを描いてもらったのだが、その成果を発表したのである。まあ、その結果は、やはり山手線を東京の骨格としてイメージしていること、駅が重要なノードとして把握されていることなどであるが、それらに加えて「ランドマーク」が描かれたものが少なかったことが分かった。描かれた少ないランドマークも東京タワーとスカイツリー、皇居と羽田空港ぐらいであった。圧倒的に都市としてインパクトのある「ランドマーク」が東京には不足しているのである。そういう点からも、ザハの強烈な意匠は東京に求められているものであるかなと考えたりした次第である。

私のチェコ人の友人宅に一泊させてもらったので、この件について聞いてみた。ちなみに、彼は都市計画の専門家であった。彼はザハの案には反対であった。それは意匠が好みではないことに加え、ヴォルフスブルクのサイエンス・ミュージアムでは構造上の問題が多く、補強工事をしなくてはならないことや使い勝手が悪すぎるということから、まあ新国立競技場もひどいことになるだろうと予測されるからであった。何より、東京のオリンピックの新国立競技場は、1964年の丹下や黒川のように日本の建築家につくらせるべきだという意見であった。私はちょっと、この回答は意外ではあったが、シドニー・オペラハウスはどうよ、と言ったら、少しだけ悩んだ。

確かにザハの新国立競技場もつくった後に、構造上の問題がたくさん出てきたかもしれないし、シドニー・オペラハウスの場合もそうだったが、おそらく3500億円なんかよりも完成させるためには遙かにお金がかかっただろうから、現実面では作り直しは仕方ないだろうとも思ったりもするが、あの意匠にビビビッと来ない人が多いのは少し、残念である。あのデザインは、建築の無限の創造性を刺激させると思うし、あのような格好いいものをつくりたいという気持ちが建築のロマンなのではないか、と建築家ではない私でも思ったりするし、あれを建築家が全面的に否定するのはまずい気がするのである。

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今回の一件では、ザハだけじゃなく、日本の建築界の雄である安藤忠雄も否定したことになってしまい、日本の建築は大きな後退をしてしまったのではないだろうか。その損失の大きさに思いを巡らす必要はあるかなと思ったりする。

まあ、結局、誰も得をせず、オリンピック迷走劇の幕開けは、非常に後味の悪いものとなってしまった。

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