SSブログ

ポール・マッカートニーのコンサートに行き、彼は20世紀で最高の音楽家であると確信する [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーのコンサートに行く。東京ドームである。開演は18時30分であったが、実際演奏が始まったのは19時ちょうどであった。期待の一曲目は「マジカル・ミステリー・ツアー」であった。そうくるか。一年半前は「エイト・デイズ・ア・ウィーク」という相当、変化球から入ったが、「マジカル・ミステリー・ツアー※」は相当、一曲目としては妥当である。さて、次の曲は私はあまり知らない「セーブ・アス」という曲であったが、三曲目は「キャント・バイ・ミー・ラブ※」そして、なんと「ジェット※」。二曲目を除けば一年半前には演奏しなかった曲が続く。ウォー、素晴らしい。そして。「レットミー・ロール・イット」、「ペーパーバック・ライター」、「マイ・バレンタイン」。そして、ピアノに座って、ウィングス・ファンにというポールの説明の後、「ナインティ・ハンドレッド・エイティ・ファイブ」。そして、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。「メイビー・アイム・アメイズド」。ギターに持ち替え、「アイ・ハブ・ジャスト・シーン・ア・フェイス」、「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。そして、本邦初公開というMCの後、「ホープ・フォア・ザ・フューチャー」。これはどうもテレビ・ゲームの曲のようだ。そして、「アナザー・デイ」、「アンド・アイ・ラブ・ハー」、「ブラックバード」、「ヒア・トゥデイ」。そしてニューアルバムから「ニュー」、「クィーニー・アイ」。さらに「レディ・マドンナ」「オール・トゥゲザー・ナウ」、「ラブリー・リタ」、「エリナー・リグビー」、「ミスター・カイト」、「サムシング」、「オブラティ・オブラダ」、「バンド・オン・ザ・ラン」、「バック・イン・ザ・USSR」、「レット・イット・ビー」、「リブ・アンド・レット・ダイ」と一年半前のニュー・ツアーとほぼ同じ構成。そして、最後はおきまりの「ヘイ・ジュード」。
 アンコールは「デイ・トリッパー」、「ハイ・ハイ・ハイ」とこれも前回と同じであったが次が「ゲットバック」ではなくて、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア※」。
 二回目のアンコールは前回と同じで、「イエスタデイ」、「ヘルター・スケルター」、「ゴールデン・スランバース」から「ザ・エンド」までのアビー・ロードの黄金メドレー。前回とほぼ同じということで(※は前回、私がいった東京ドームのコンサートで演奏しなかった曲)、それほど驚きはなかったが、本当に素晴らしい。これを観なかった機会費用はどれほど高額なのだろうか、と思わずにはいられない。しかし、これは観ないと分からない。前回のコンサートは、私は友達がチケット買ったから行かない?、と誘われて受動的に行った。そして、あまりのコンサートの素晴らしさに、行かなかったことを考えてゾッとした。今回は、私が違う友人を誘っていった。彼女もバンドマンであったが、ポールのコンサートに実際、行ってその素晴らしさを実感した。ポールのコンサートのクオリティは、もう別次元のように凄いと思うのだ。
 結構、ちまたではポール・マッカートニーが日本に来ることを、「また、日本で稼ぎたいのか」とか揶揄するロック通がいたりする。私と同世代ぐらいである。この人達は、ビートルズが好きだと言っている人は、なんか好きな料理はカレーライスとか言っているような凡庸な人達だと見下しているようなところがある。自分達はもうちょっと高級なのですよ、と言いたいみたいだ。だから、私がポール・マッカートニーのコンサートに3日間も行くとか言うのを聞くと馬鹿にするような態度を見せるのだ。
 でも、この人達こそ実はロック通ではないのではないかと私は思ったりする。ポール・マッカートニーは20世紀で最高の音楽家である。最近の曲は今ひとつであったりするが、20代、30代において彼の紡ぎ出した楽曲は、シューベルトの「野バラ」より長い間、人々に歌い継がれることは確実だ。ヘイ・ジュードはベートーベンの「運命」と同じレベルにあるだろう。「レット・イット・ビー」もモーツァルトの「アイネ・ナハト・ムジーク」と同レベルの人類の財産なのである。それは、もうロックを超越している。それは、人類の貴重な音楽資産なのである。
 そして、おそらくポールは、世界で最も愛されているイギリス人なのではないかとも思われる。彼が亡くなったら、多くの人が世界中で悲しむであろう。それは、彼の音楽の大衆性に因るところは確実である。シンプルなC、B♭、Fというコードで展開するヘイ・ジュードは単調ではある。しかし、この単調さであれだけ人々の魂を揺さぶるようなメロディーを紡ぎ出しているのは、もう間違いなく天才である。それも、いくつもそのようなレベルの曲を提供した。
 ポールの音楽が嫌いとかいうことは、もはや、モーツァルトやベートーベンの曲が嫌いということに近い愚かなことであると思う。それは既に、そういう好き嫌いを超越した人類が創造した偉大なるアートとして、動かしがたいところにある。ポールをどうこう言うのは、モーツァルトや聖徳太子をどうこう言うのと同じである。どうこう言うのは勝手だが、その偉大さにおいては、誰も難癖はつけられない。そういうことが、ポールのコンサートに行くと痛切に理解できる。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0