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京都駅から南は京都ではないのか [都市デザイン]

 大阪に夕方に用事がある。ということで、ちょっと東京を早めに発って、京都で寄り道をすることにした。京都駅の近くにあるにも関わらず、私がこれまで一度も行ったことがない東寺を訪れたいと考えたのだ。さて、京都駅で降りて、南口を降りると、いきなりアメリカの幹線道路沿いにあるような超安普請の建物に出くわす。普通、地価の高い日本の都市では、間口を狭く、奥行きを取るように建物をつくる。しかし、この建物は長方形の狭い方を道路に面するのではなく、長い方を道路に面するようにつくられており、しかも、建物の前はすべて駐車場になっている。まさに、アメリカの幹線道路沿いに建つ安モーテルのようだ。ただ、アメリカと違って、駐車場にアクセルするための入り口は1つであり、また、各駐車場にハンドルを切って入れるためのスペース的余裕がほとんどないことだ。この建物は、カラオケ・ボックスとして使われていた。京都駅前って地価は高くないのか?まあ、何か再開発の計画があって、ここは暫定的な利用をされているだけなのかもしれないが、それにしても今ひとつの土地利用である。私が外国人観光客だったら、京都に来て失敗だったと悔いたかもしれない。
 さて、そこからちょっと足を伸ばすと、なんと巨大なイオンモールが建っていた。京都駅前に、恐ろしいほどバルキーな箱。しかも、京都という土地のアイデンティティというか、聖なる土地の持つパワーで都市プロモーションを展開している、その都市の玄関口である駅前にイオン。これは、イオン的には京都という伝統と歴史に対する果敢な挑戦といった意図があるのかもしれないが、神をも怖れぬ所業である。まあ、逆にいえば、その傲慢なるこの所業でイオンはそう長くはないかもな、と私は思ったりもした。
 しかし、それにしてもよく京都市や京都市民はこんな都市スケールとまったく合わない巨大構造物の建築を許可したものである。これは、京都駅よりも京都に対するダメージは大きいのではないだろうか。京都駅は、その巨大なスケールに関してはいろいろと批判されてきているが、それなりに建築にも個性があり、京都に新たなアイデンティティを付加したという側面もある。それに対して、イオンは京都のアイデンティティを消去するようなベクトルにしか力が働かない。
 なんで、京都のようにしっかりとした都市デザイン政策が展開できる都市でこんなことが起きたのか。私の疑問に対して、関西の大学で教えている都市デザインの先生は「京都の人達は京都駅の南を京都とは思っていないんだよ」との説明。え!そうなのか。しかし、東寺のような世界遺産もあるじゃないですか、と納得しにくいなとさらに問いかけると、「いや、東寺は五重塔も美しくないじゃない」との答え。確かに、優美さには欠けるかもしれないが、私はあの寸胴のどっしりしたところは嫌いじゃないけど。
 ただ、もし京都の人が本当に「京都駅の南は京都じゃない」と考えていたとしても、海外からの観光客にはそんなことは分からないであろう。京都という都市に我々がフィレンツェやベニスに抱くようなロマンチックなイメージを抱いてきた観光客にとって、京都駅南の荒廃した、そしてイオンに代表される場所性のない空間は大変なショックを与えるのではないかと思われる。私が外国人を連れて京都に来たら、絶対、南口を避けるようにするだろうが、そのような配慮なく、期待に胸を膨らませて京都駅を降り立ったら、いきなり南口のような空間だったらおそろしく落胆するであろう。そして、その落胆は、京都の人達にとってもマイナスだと思うのである。長期的に南口を改善する計画をつくるべきだなと思うし、私でよければ仕事をします。

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