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2014年のオリンピックで首都高速道路を日本橋から撤去できれば、東京は相当、安泰である [都市デザイン]

日本橋の15の町会や地域団体が連携して、日本橋の上を覆う首都高速道路の撤去を求めて署名活動をしているそうだ。私にはまだ依頼は来ないが、いつでも署名したい。この署名活動に参加する「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」の幹事長である吉田さんは「50年前の五輪を機に設置した首都高は、2020年の五輪をきっかけに取り払って欲しい」というが、まさに同意である。是非とも、どうにかして欲しい。

東京は1964年のオリンピックで大幅な都市改造を行う。東京(1964年)は、当時の国家予算の3分の1を使い、社会基盤を整備する。国立競技場や武道館といった競技用施設、選手村はもちろんのこと、東海道新幹線、東京モノレール、首都高速道路の整備、環状七号線、青山通り、玉川通り、目白通り、笹目通りの整備、羽田空港の拡張、東京プリンスホテル、ホテル・ニューオータニの建設などを行った。このようにオリンピックを都市開発の手段とするのは、その前のローマでは地下鉄建設など多少行われてはいたが、この規模は東京が初めてであった。ある意味、前代未聞の都市改造をオリンピックで行ったのである。その後、このようにオリンピックを都市改造の契機としたのは、1988年のソウル、そして1992年のバルセロナ、そして2014年のロンドンなどがあるが、その嚆矢となったのはまさに東京だったのである。

さて、その結果、東京は大きく変わった。オリンピックという舞台にて颯爽と世界に対して、自らを世界都市の一員としてのお披露目をしたのである。それは、また一方で江戸時代から続いていた東京の伝統的な魅力との訣別でもあった。特に、日本橋を始めとした多くの河川は、隅っこに追いやられ、みなが背を向けることになった。東京は「水の都」である。先日、法政大学の陣内秀信先生とお話をしたのだが、東京こそ、まさにベネチアと唯一匹敵できるタイのバンコクなども霞むほどの「水の都」であることを改めて知らされた。そして、そのポテンシャルは現在でもまだ死んでいない。というか、むしろ、この「水の都」として再生することが、国際的な地位が相対的に低下している状況下では唯一の生き残り策なのではないかと思うぐらいである。

1964年の東京オリンピックでは、世界に追いつくために発展途上国である東京は非常な背伸びをして、貴重な河川の上に都市高速道路をつくるような無理をした。それから50年経ち、経済が成熟化し、また人口も縮小へと転換した国の首都である東京が必要とするのは、そこで生活する人達や観光客に豊かな時間と空間的体験を提供するような、ゆとりと潤いのある「水の都」としての都市環境である。そのためにも、1964年の東京オリンピックで破壊してしまった、「水の都」としてのオーセンティシティーを是非とも、2014年のオリンピックでは再生してもらいたいと強く願う。逆に、そうすれば、どんなことがあっても、なかなか東京は潰れることはないと思うし、ちょっと突飛に思われるかもしれないが、世界遺産にもなるだけのポテンシャルを有していると思う。アムステルダムだって、世界遺産に指定されたぐらいなんだから。お台場がなくなっても東京はびくともしないが、日本橋がなくなったら、東京のアイデンティティが喪失されたぐらいのダメージを受けることになるだろう。

アーバン・ダイアリー.jpg
(貴重な都市河川の上を走る首都高速道路)
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