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ル・コルビジェの「The City of Tomorrow」 [書評]

 日本人が現在でも大好きで、他国では本家フランスでも過去の人と思われているル・コルビジェの都市論。都市論としては、結構、興味深い考察がされていて参考になる。しかし、古典として読むべきものであり、現代の都市計画、都市デザインのメインストリームからは随分と温度差がある内容だ。まあ、経済学でいうところのマルクスの資本論みたいな位置づけかな。
 ル・コルビジェがこの本において都市を考察する視点は、すべて鳥のものであり人間ではない。つまり、空中から鳥瞰するものがほとんどであって、人が生活する地表レベルでのものはない。あったとしても、丘から眺望するような視点だけである。まあ、神様による都市計画という感じであろうか。そのような都市計画の考え方は魅力的である。私も、すごい権力を有していたら、そういうことをやってみたい。アラジンの魔法のランプが手には入ったら、少なくとも3個の願いのうちの一つに入れるであろう。
 しかし、現在というか21世紀は民主主義の時代である。民主主義は大衆が愚かだと非常に間違った方向に行く危険性を孕んでいるが、しっかり機能させることができれば、人間中心の素場らしい都市空間、都市デザインを実践できるというのはコペンハーゲンなどをみれば明らかである。そういう点で、このようなル・コルビジェ的な神はもはや死んでいるのだ。ニーチェじゃないが、都市計画の神的なアプローチ、すなわちル・コルビジェが提唱したモダニズムは死んでいるのだ。それに気づいていないのが日本人であり、現在でも大学一年の建築学科の授業ではル・コルビジェの偉大さが講義される(私の長女は某国立大学の建築学科の学生であるので、私はよく知っているのだ)。いや、偉大じゃないとまでは言わないけど、まあ、よくてカール・マルクスぐらいの位置づけですわ(実際はマルクスと比べられる水準ではないと思うが、そこらへんまではここでは妥協しておきます)。
 さて、この本は多くのレンダリングが描かれており、それらも面白いのだが、私にとって興味を惹くのは、これらが、とてもブラジリアをイメージさせることだ。ブラジリアはルシオ・コスタとオスカー・ニーマイヤーによってその骨格と主要施設はつくられた。ルシオ・コスタはコルビジェの友人であるし、コルビジェをブラジルに呼んだ張本人だし、ニーマイヤーはコルビジェのアトリエで仕事をしていたし、友人でもある。ブラジリアのアイデアを出すうえで、この本が与えた影響は大きいのだな、ということを推察させる。
 ちなみに、ブラジリアという存在が、この「The City of Tomorrow」が失敗であることを何よりも示しているというのは、ちょっと皮肉だ。1987年にブラジリアのプラノ・ピロートは世界遺産に指定されるが、これは本当に悪い冗談であると思われる。ブラジルの学者であるヘラルト・ノゲリア・バティスタは、「世界遺産としてのブラジリアは、それらを支持した人々の頭の中にしか存在していない」という(“Brasília: A Capital in the Hinterland” in Planning Twentieth Century Capital Cities, p.175, Routledge, 2006)。その指定は、パイロット・プランをただ神聖化しただけで、それを保全する手段に関してはまったく配慮されず、そして、ブラジリアの都市デザイン指針は、そこに住む人達によってことごとく修正されている。住むことの利便性、快適性を上回る都市のコンセプトを、多くの人々は受容しないのである。私はこうやって批判してはいるが、まだ、そのコンセプトの重要性を一般人よりかははるかに理解する建築的な知識と都市計画的教養を有していることを補完したい(私はザハ・ハディッドの新国立競技場を建築のリリシズムから評価しているし、あれに反対する人たちの気持ちはよく分かるが、槙さんに同調して反対している建築家の人たちを職能的には自殺行為だなとみているぐらいだ)。
 興味深いのは最後に「パリの改造」を提案していることであるが、コルビジェは果たして都市が好きなのか、という疑問さえ湧いてくる。まるで、既存の都市を親の敵のように破壊しようとしている。フランス人ではないので、パリに対しての愛着のようなものがないのかもしれないが、このパリの大破壊計画は凄まじいものがある。なんせ、土地の5%しか建物に使われず、残りは自動車用の道路と公園である。シャンゼリゼはより人が少なくなるだろう、とこの計画が実践された一つの成果として主張しているが、都市を魅力的にするのは、ヤン・ゲールの話を持ち出すまでもなく、人である。そして、人が多ければ多いほど、その都市空間は魅力を放つ。公園にはそうそう、多くの人は来ない。公園はある程度のプライバシー、パッシブなレクリエーションをする場であるからだ。都市のハッスル・アンド・バッスルといった魅力にコルビジェがほとんど価値を見出していないのは興味深い(とはいえ、ヒューマン・スケールに関しては肯定的に論じている。ただし、その文章の後に、広大なるオープン・スペースと高層ビルが林立しているスケッチが挿絵として載っているが)。
 ウディ・アレンは映画『ミッドナイト・イン・パリ』で主人公に、「時々思うけど、どんな小説も絵画も交響曲もパリにはかなわないよ。だってこの街はどの路地も大通りも芸術品だから」と言わせているが、コルビジェのこの「パリの改造」が本当に実現されなくてよかったと胸をなで下ろす。
 都市の価値を失わせるのは、他人に対する配慮のない傍若無人の振る舞いに人々が同調した時である。原発推進などにも、まさに、そのような傾向が見受けられる。 そういうことに気づかせてくれる本である。読む価値がないとは言わないが、昔はこんな考えも受け入れられていたんだな、ということを理解するぐらいのレベルで読むべき本だ。間違っても姿勢をただして、正座をして読むような本ではない。


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  • 出版社/メーカー: 角川書店
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The City of Tomorrow and Its Planning (Dover Architecture)

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  • 作者: Le Corbusier
  • 出版社/メーカー: Dover Publications
  • 発売日: 1987/04/01
  • メディア: ペーパーバック



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