SSブログ

コルビジェの日本での評価が高すぎることをドイツにて思い知らされる [都市デザイン]

 ドイツの縮小都市の研究者達と話をしているとき、「そうそう、日本の大学の建築学科では1年生にいきなりコルビジェを教えるんだよね。建築学科に入ったばかりの娘が、入ってすぐに国立西洋美術館に行きたいとか言っていたよ」とちょっとした話題でふったら、「ええ、今でもコルビジェ〜」とか3人が異様に驚いた。ドイツじゃバウハウスがあるから、そもそもモダニズムにおけるコルビジェの位置づけが低いのは分かるが、そういうことじゃなくて、モダニズムをいまさら最初に教えるかね、というのが驚いた理由のようだ。
 ふうむ。この反応に興味を持ったので、翌日、ミュンヘンで取材をさせていただいたドイツの都市計画の重鎮、トーマス・ジーバーツ氏に同じことを言ったらもっとうけてしまった。ジーバーツ氏は建築を学んで都市デザインの方にシフトしたのだが、「1950年代、私が大学にいたときのようなカリキュラムだね。なんで、今頃、そんなことを建築学科の1年生に教えてるんだ」と愉快な冗談をきいたようにケラケラと笑っていた。
 前々から日本人はなんでこんなにコルビジェが好きなのか、というのは個人的な謎であった。コルビジェの建築群を世界遺産にしようと頑張っているのは、本家フランスを除くと、建築作品がたった一つしかない日本である。インドとかが頑張るならまだ分かるし、ブラジリアが世界遺産に即決になったことを考えると、シャンディガールはまあまあ可能性があるかなと思ったりするが、なぜ日本なのだろうか。
 そして、出しては落とされるということを続けている。これは、自分達が評価しているから、世界中の人も評価しているだろうと勝手に思っているからだろうが、それは大いに外している。いや、バウハウスはデッサウどころかヴァイマールも世界遺産だし、ユトレヒトのリートフェルトのシュレーダーハウスが選定されていることを考えれば、その可能性がないとは思わないけど、多くの人が合意をすぐ形成するほど大した評価をされていない。王様は裸だとまでは言わないが、王様はそれほど立派ではない、ということぐらいは認識した方がいいであろう。例え、多くの日本人の年寄りがそう思っていたとしてもだ。
 少なくとも、若者にその古くさい価値観を押しつけるのは間違っている。まあ、私も世田谷区役所とか東京文化会館、阿佐ヶ谷住宅などコルビジェの影響を受けた日本の建築家の作品を決して嫌いじゃあないけど、それが現在のトレンド、将来の建築が求めていることのトレンド上にはないでしょう。世界の流れに迎合する必要はないかもしれないが、世界のトレンドからずれていたら、自分の立ち位置が正しいのかどうかを真摯に検証することも重要であろう。ここでも日本はガラパゴスしていると私は思うのである。

タグ:コルビジェ
nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1