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オリンピックを開催するというのは、権利ではなくて義務となっている [サステイナブルな問題]

渋谷学園渋谷中学・高校で講演をする。相手は中学生、高校生である。「若者のためのまちづくり」がテーマで、同名の拙著を出版してくれた岩波書店が企画した講演会である。

話は「まちとは何か?」ということで、「ディズニーランドは果たしてまちか?」という私の問いかけにいろいろな意見が出されてくる。上手い具合に、まちだという学生と、まちでないという学生とが意見を言い合い、とても活発なディスカッションが展開する。「(ディズニーランドは)規則があるとまちでないというのであれば、田園調布には住民協定があるからまちでないことになる」とか、「泊まるところがないなら、やはりまちでないだろう」、「いや、ホテルはある」とか、いやあ、なかなか知的で刺激的だ。残念ながら、私が教える大学のゼミでも、こんな風には活発な議論は展開しない。

さて、このように鋭い中学生・高校生であったのだが、講義の終わりの方で、何か質問があるかを尋ねたら、「オリンピックの新国立競技場がつくられる近所に住んでいるのですが、新しい競技場が出来ることをどうしても止めさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と聞いてきた学生がいた。

ううむ、これは難しい質問だ。そこで私が回答したのは、「あのような建物がつくられることに反対したいのであれば、オリンピックを開催させたら駄目だ。オリンピックの開催に全力で反対しなくてはならない。今は、東京はオリンピックを開催するのが権利ではなく義務となっている。義務となっている以上、どこかに新国立競技場をつくらなくてはならないが、東京が出した企画案では現状の場所である。そして、あの場所において、あの案を決めた後で反対するのは、残念だけど後の祭りである。あの案を決めるような審査委員を選んだ時点で、もうあまり抗う術はない」というような回答をした。

私自身もあまり納得した回答ではない。繰り返すが、私は東京のオリンピックの開催に反対してきた。とんでもないことだ、と思っていた。しかし、開催することが決定した後、その個々のプロジェクトに反対することは間違っていると思う。むしろ、オリンピックを開催するのであれば、その開発効果を十二分に東京という都市が享受しなくては、大変な大赤字になると危惧している。そういうことで、新国立競技場の案にも賛成である。

しかし、そうはいっても、個々人のレベルであるとこの学生のように、恐ろしく不利益を受けてしまう。このような不利益が生じることを、オリンピックを賛成していた人達はどの程度、理解していたのであろうか。今さら返上する訳にもいかない。なんて東京は失敗をしてしまったのだろうか、と思わずにはいられない。それほど遠くない未來では、東京という都市はオリンピックで浮上し、オリンピックで沈む都市として評価されることになるのかもしれない。

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