SSブログ

ポール・マッカートニーのコンサートに行き、不覚にも落涙する [ロック音楽]

 ポール・マッカートニーのコンサートを観るために東京ドームに行く。ポール・マッカートニーは71歳である。前回の東京でのコンサートは、おそらく私の人生で最も感動的なコンサートであったが、さすがに71歳のポールを観る必然性はないであろうと高をくくっていた。しかし、私のバンドのドラマーが一緒に行こうとバンド・メンバーの分のチケットを購入してくれた。私もチケットがあるなら、というようなそれほど積極的でない気分でコンサートに向かったのであるが、それは誠にもって本質を外したバカな考えであったことを思い知らされた。
 71歳のポール・マッカートニーは私のちっぽけな脳みそでは予測ができないほど、素晴らしかったのである。それは、私というちっぽけな人間を形成するのにいかにポール・マッカートニーに負っているのか、影響を受けてきたのかを自覚させられたほどであった。要するに、私の自我はポール・マッカートニーが存在しなければ、今のようにはなっていなかったことを思い知らされたのである。私のモスト・フェイバレット・アーティストはビートルズではない。ジェネシスである。しかし、そもそもそのジェネシスが多大なるビートルズの影響を受けている。他にもピンク・フロイドやキング・クリムゾン、ドゥービー・ブラザース、ジョー・ウォルシュ、ZZトップ、ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、スティーリー・ダンなど私の愛するアーティスト達でビートルズの影響を受けていないものは皆無であろう。したがって、それらによって形成された私という人間は、直接的、間接的にポールによって影響を受けている、ある意味で造物主のような存在であるのだ。そのポールを観る必然性はないかな、とちょっとでも思った自分はまさに愚の極みというか、神をも恐れぬ馬鹿であった。とはいえ、結果的にこれてよかった。
 コンサートは結構、意表を突いて「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で始まる。佳作ではあるし、アメリカではシングル・カットされてチャートの1位まで上るが、イギリスではシングル・カットされていないし、それほど存在感のある曲ではない。しかし、そのメジャーではなさ加減が絶妙にいい。隣の中年親父はもう涙を流している。次はニュー・アルバムの曲で、このポールは正直、私的には関心を引かなくちょっと退屈である。しかし、次の「オール・マイ・ラビング」でぶっ飛ぶ。そうか。ポールのコンサートに来るということは、生で「オール・マイ・ラビング」を聴けるという事実に今更ながら気づいて愕然とする。これだけで3万円ぐらいの価値はあるかもしれない。そして、ウィングスから「リッスン・トゥ・ファッツ・ザ・マン・セッド(邦題は「あの娘におせっかい」)。いやあ、いい。しかし、70年代のポールの凄さはディープ・パープル・クラスで破格の天才というレベルではないと思う。それは、次の「レット・ミー・ロール・イット」の演奏でも思う。心を鷲掴みにする凄みは、ビートルズ時代の60年代に発散していたのではないか。
 などと考えていたら「ペーパーバック・ライター」を弾き始める。ポールはギターを弾いている。この「ペーパーバック・ライター」のロックンロールのリフの格好良さ。天才リフ・メーカーのジミー・ページに勝るとも劣らない。その後は、2曲、最近の曲をピアノで演奏する。悪くはないが、私的にはちょっと休憩。
 そして「ロング・アンド・ワインディング・ロード」、「メイビー・アイム・アメーズド」。後者はポールのソロ時代で私が最も好きな曲であり、猛烈に感動する。70年代のポールの凄みは60年代ほどではないと書いたが、この曲、そして「シリー・ラブ・ソングス」、「ロックショー」、「ジェット」は違う。これらは傑出していると思われる。ただし、これらは今回、演奏されなかったが。
 ポールはフォーク・ギターに持ち替え、「アイ・ハヴ・ジャスト・シーン・ア・フェイス」、そして「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」。中学時代に大好きで歌いまくっていた曲だ。ところで、自分がいかにビートルズの曲を暗唱しているかに、このコンサートで改めて気づいた。アルツハイマーかと思われるほど記憶が朧気になっている自分が、昔に覚えたことは覚えているという事実に嬉しく思うと同時に、いかにビートルズにはまっていたかを再認識させられた。これは、否定したくてもできない事実なのだ。
 そして、ソロ時代の「アナザー・デイ」と「エンド・アイ・ラブ・ハー」。「エンド・アイ・ラブ・ハー」も中学時代はギターでコードを覚えて歌っていた。今の私は喉を手術したので高音もろくに出ないのだが、このコンサートではカラオケ状態になっている。ここらへんは、ポールはフォーク・ギターを引きっぱなし。そして、フォーク・ギターの教則本で頻繁に紹介される練習曲でもある「ブラック・バード」。ポールは左手用のギターということもあるが、左手(右利きでいえば右手)のポジショニングとかが悪く、とても模範的な演奏とは思えないのだが、ギターは上手い。これは、フォームは悪くてもヒットを打ちまくった元大リーガーのピート・ローズのようなものか。独学で楽器を学んだために(ピアノだけはレッスンを受けている)、適当なスタイルなのだが、いやあ、本当にいい音楽を演奏している。次は、ソロ時代にジョンに捧げた「ヒア・トゥデイ」。この曲も歌詞がいい。しかし、ポールはジョンのような自分勝手な人間とよく辛抱して付き合っていたなと改めて思う。ポールの優しさがあってこそのビートルズであったことがこの曲を聴いて理解できた。それなのに、ポールがビートルズ解散の主原因と批判されたりして、私も若い時はそうかなとも思ったりしたこともあったが、それは違うことが、私自身が大人になったからかもしれないが、今になってはよく分かる。
 さて、次はニュー・アルバムから2曲。ピアノでの演奏。悪くはないが、心はそれほど躍らない。しかし、ニュー・アルバムを71歳になってつくって、しかも歌詞の内容が「お前の男は俺だ」的なものだったりして、なんかなあ、と思わないでもないが、この前向きな姿勢が、この元気をもたらしているのかと捉えれば素晴らしいことだと思う。まあ、全然、精神的に老けていないのである。
 さて、ピアノでの演奏を続けたままで「レディ・マドンナ」。結構、ウィングスのオーバー・アメリカで演奏した曲が多い。やはり、ここらへんはポールが好きなレパートリーなのかもしれない。それにしても、「レディ・マドンナ」は佳曲である。涙が落ちそう。
 さて、ここでフォーク・ギターに持ち替えると、「イエローサブマリン」からなんと「オール・トゥゲザー・ナウ」。これは、ビートルズ的にも超マイナーな曲だと思うのだが、こういうのでも有り難い。そして、「ラブリー・リタ」。いやあ、悪い曲ではないと思っていたが、こんなにいい曲であるということに今更気づかされた。名曲だ。ラブリー・リタ、ミーター・メイド。至福な気分だ。さて、しかし、次はまた新曲。それほど幸せにはなれない。しかし、次の「エリナ・リグビー」で心は再び躍る。
 その次は「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」。サージェント・ペッパーズのアルバムに入っている曲で、アルバムではいろいろと効果音を使い、ライブでの再現は難しそうなこの曲であるが、それを演奏することは超意外であった。というのは、これは唯一、ポールが演奏したジョンの曲であるからだ。しかも、ジョンの曲を選ぶにしても渋すぎるでしょう。ハード・デイズ・ナイトかヘルプあたりの方がしっくりとくるかもしれないが、それだとジョンの奥深さが伝わりにくいのかもしれない。とはいえ、サージェント・ペッパーズから選ぶのであれば、私個人としてはジョンとポールの共作である「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」であれば本当に嬉しかったのだが。
 さて、次はジョージに捧げるといって、ジョージのウクレレを持って「サムシング」を歌い始めた。これもポールの曲ではない。私はジョージの「サムシング」をライブで聞いたことがある。感動はした。しかし、この日のポールの歌う「サムシング」は今まで堪えていた涙が抑えられなくなってしまった。これは超意外である。というのは、私は圧倒的にビートルズでポールを別格だと思っているからであり、ビートルズはポール5割、ジョン3割、ジョージ1割、リンゴ1割ぐらいに思っているからである。その私が、よりによってポールのコンサートでジョージの曲に落涙するというのは、自分でもよく分からない。一ついえることは、ポールのボーカルが素晴らしいということであろう。ポールの歌うサムシングは素晴らしい。あと、この曲はまさにポールがつくったベース・ラインがベース史上でも傑出して素晴らしいと思われるのだが、残念ながらポールはギターを弾いていたので、そのベースの演奏が素晴らしかったからとは説明できない。まあ、とにかくこの曲で私は不覚にも、それまで我慢していた涙を抑えることができなかったのである。意表を突かれたというのはあるかもしれない。
 さて、その後、ポールはベースに持ち替えて、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」。そしてウィングスから「バンド・オン・ザ・ラン」、「バック・イン・ザ・USSR」。ロックン・ロール・パーティという感じだ。71歳とは本当、到底思えない。「バック・イン・ザ・USSR」での大盛り上がりでアンコールかと思われたら、ピアノに向かい「レット・イット・ビー」を演奏する。そして、レット・イット・ビーの後に、レット・ダイと「死なせておけ」とちょっと皮肉にも聞こえるウィングス時代の「リブ・アンド・レット・ダイ」。この曲ではステージで花火とか火が噴きまくって、キッスのコンサート?という感じでもあった。そして、「ヘイ・ジュード」ですよ。この曲は、もうモーツァルトとかベートーベンと同じクラスにポール・マッカートニーがいることを確信させるほどの人類の世界遺産的名曲であるということを確認する。最後のダーダーダー、ダッダダッダーは、ベートーベンの運命のダダダダーンと匹敵するメロディーである。メロディの世界遺産に指定すべき素晴らしさだと思う。さすがにこの曲でステージは一度終了。
 個人的には、もうお腹いっぱいであったが、元気いっぱいでアンコールに戻ってきた。個人的には「フール・オン・ザ・ヒル」を期待したが、始めた曲は「デイ・トリッパー」。本当、ポールがつくった曲の多様さと器用さには驚かされる。こんなに格好よいリフは滅多にない。さて、猛烈に感動して、次は何かと思っていたらなんとウィングスの「ハイ・ハイ・ハイ」。この曲、好きじゃないんだよね。ちょっとだけがっかり。この曲が最後だったら台無しだなと白けていたら「ゲット・バック」。そうか。さすがにそうだろう。これまでも、何回もロック・コンサートに足を運んだが、最後に「ゲット・バック」で締めるものを数回、経験してきた。本家本元がやるのは当然だろうと大納得で、ああよかったと思い帰る準備をしていた。隣の友人は、アンコールと叫んでいたが、もう2時間を大きく上回っている。71歳という年齢を考えると、これで十分でしょうと内心思ったりしたが、なんと再び現れた。通常のロック・コンサートでも滅多にないパターンだ。なんなんだポール。
 そして、福島の人に捧げますと言って歌い始めたのが「イエスタディ」。不埒な恋愛をした後、恥じるという内容の歌詞を聞いて、いやあ、ポールはやはり心優しい人なんだな、ということに気づく。「ヒア・トゥデイ」でもそうだが、ポールはちょっととっぽい不良で、カミソリのように尖った不良であるジョン兄貴を慕ってビートルズで活躍するのだが、根っ子はお母さん好きの音楽少年であったのかもしれないなどと思ったりする。この異常なサービス精神と歌詞からはそう考察できる。
 さて、もう流石におしまいだろうと思ったら、「もっと聴きたい」と聞いてくる。え、まだやるの?と思ったら、いきなり「ヘルター・スケルター」。「ヘルター・スケルター」ですよ、あなた。いやあ、まさかポールが演奏する「ヘルター・スケルター」を聴けるとは思いもしなかった。隣の友人は半狂乱であるが、私もその気持ちは分かる。しかし、この「ヘルター・スケルター」。まさにヘビメタを先取りする楽曲である。ヘビメタもその源流をたどると、一つはこの「ヘルター・スケルター」にたどり着く。この事実をとってもポール・マッカートニーの凄さが分かるというものだ。いやあ、なんで71歳でこんな激しい曲を演奏できるのかが不思議だと思うのと同時に、しかし、最後が「ヘルター・スケルター」というのもしっくりは来ないかな、と思っていたら、またピアノに座り直して演奏したのが、アビーロードの完全無欠のメドレーだ。ゴールデン・スランバー〜キャリー・ザット・ウェイト〜ジ・エンドと流れるこのメドレーの素晴らしさは、まさに人類未到の域に達するものだ。
 もう天国で奏でられるかと思うような素晴らしい曲を聴き、改めてポール・マッカートニーが天才中の天才であり、その凄さは恒星でいえば、第二次世界大戦後唯一のI型ともいえるのではないだろうか。そういう天才のコンサートに行けて本当によかったし、行かなくてもよかったと思った自分が本当に恥ずかしい。
 ちなみに、これはさらに考察しなくてはならないことだが、恒星のII型としてはエルビス・プレスリー、スティビー・ワンダー、ポール・サイモン、アントニオ・カーロス・ジョビンが含まれると思われる。III型にはジョン・レノン、エルトン・ジョン、ジェフ・リン、デューク・ウェリントン、ジミー・ペイジ、マイケル・ジャクソン、バート・バカラックなどが含まれると思われる。ボブ・ディランとデビッド・ボウイはIV型かな。

nice!(3) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3